Nihoner

新美南吉 Nankichi Niimi 1913.07.30〜1943.03.22

うた時計

うたどけい

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二月のある日、野中のなかのさびしい道を、十二、三の少年しょうねんと、皮のかばんをかかえた三十さんじゅう四、五の男の人とが、同おんなじ方へ歩いていった。

風がすこしもないあたたかい日で、もう霜しもがとけて道はぬれていた。

かれ草くさにかげをおとして遊んでいるからすが、ふたりのすがたにおどろいて、土手どてをむこうにこえるとき、黒ぐろい背中せなかが、きらりと日の光を反射しゃするのであった。

「坊ぼう、ひとりでどこへいくんだ」

男の人が少年しょうねんに話しかけた。

少年しょうねんはポケットにつっこんでいた手を、そのまま二、三ど、前後ぜんごにゆすり、人なつこいえみをうかべた。

「町だよ」

これはへんにはずかしがったり、いやに人をおそれたりしない、すなおな子こどもだなと、男の人は思ったようだった。

そこでふたりは、話はなしはじめた。

「坊、なんて名だ」

「れんていうんだ」

「れん? れん平ぺいか」

「ううん」

と、少年しょうねんは首を横にふった。

「じゃ、れん一か」

「そうじゃないよ、おじさん。ただね、れんていうのさ」

「ふうん。どういう字書じしょくんだ。連絡れんらくの連か」

「ちがう。点をうって、一を書いて、ノを書いて、ふたつ点をうって……」

「むずかしいな。おじさんは、あまりむずかしい字は知らんよ」

少年しょうねんはそこで、地じべたに木きぎれで「廉」と大きく書いてみせた。

「ふうん、むずかしい字だな、やっぱり」

ふたりはまた歩きだした。

「これね、おじさん、清廉潔白せいれんけっぱくの廉て字だよ」

「なんだい、そのセイレンケッパクてのは」

「清廉せいれん潔白けっぱくというのは、なんにも悪わるいことをしないので、神様の前へ出ても、巡査じゅんさにつかまっても、平気へいきだということだよ」

「ふうん、巡査じゅんさにつかまってもな」

そういって、男の人はにやりとわらった。

「おじさんのオーバーのポケット、大おおきいね」

「うん、そりゃ、おとなのオーバーは大おおきいから、ポケットも大おおきいさ」

「あったかい?」

「ポケットの中かい? そりゃあ、あったかいよ。ぽこぽこだよ。こたつがはいってるようなんだ」

「ぼく、手を入れてもいい」

「へんなことをいう小僧こぞうだな」

男の人はわらいだした。でも、こういう少年しょうねんがいるものだ。近づきになると、相手あいてのからだにさわったり、ポケットに手を入れたりしないと、承知しょうちができぬという、ふうがわりな、人なつこい少年しょうねんが。

「入れたっていいよ」

少年しょうねんは、男の人のがいとうのポケットに、手を入れた。

「なんだ、ちっともあったかくないね」

「はっは、そうかい」

「ぼくたちの先生せんせいのポケットは、もっとぬくいよ。朝、ぼくたちは学校がっこうへいくとき、かわりばんこに先生せんせいのポケットに手を入れていくんだ。木山きやま先生せんせいというのさ」

「そうかい」

「おじさんのポケット、なんだか、かたい冷つめたいものがはいってるね。これなに?」

「なんだと思おもう」

「かねでできてるね……大おおきいね……なにか、ねじみたいなもんがついてるね」

するとふいに、男の人のポケットから美うつくしい音楽おんがくが流れだしたので、ふたりはびっくりした。男の人はあわてて、ポケットを上からおさえた。しかし、音楽おんがくはとまらなかった。それから男の人は、あたりを見まわして、少年しょうねんのほかにはだれも人がいないことを知しると、ほっとしたようすであった。天国てんごくで小鳥ことりがうたってでもいるような美うつくしい音楽おんがくは、まだつづいていた。

「おじさん、わかった、これ時計とけいだろう」

「うん、オルゴールってやつさ。おまえがねじをさわったもんだから、うたいだしたんだよ」

「ぼく、この音楽おんがくだいすきさ」

「そうかい、おまえもこの音楽おんがく知ってるのかい」

「うん。おじさん、これ、ポケットから出だしてもいい?」

「出さなくてもいいよ」

すると、音楽おんがくは終わってしまった。

「おじさん、もう一いっぺん鳴らしてもいい?」

「うん、だアれもきいてやしないだろうな」

「どうして、おじさん、そんなにきょろきょろしてるの?」

「だって、だれかきいていたら、おかしく思うだろう。おとながこんな子こどものおもちゃを鳴らしていては」

「そうね」

そこで、また男の人のポケットがうたいはじめた。

ふたりはしばらくその音をききながら、だまって歩いた。

「おじさん、こんなものを、いつも持って歩いてるの」

「うん、おかしいかい」

「おかしいなァ」

「どうして」

「ぼくがよく遊あそびにいく、薬屋くすりやのおじさんのうちにも、うた時計とけいがあるけどね、だいじにして、店のちんれつだなの中に入れてあるよ」

「なんだ、坊、あの薬屋くすりやへ、よく遊あそびにいくのか」

「うん、よくいくよ、ぼくのうちの親類しんるいだもん。おじさんも知ってるの?」

「うん……ちょっと、おじさんも知っている」

「あの薬屋くすりやのおじさんはね、そのうた時計とけいをとてもだいじにしていてね、ぼくたち子こどもに、なかなかさわらせてくれないよ……あれッ、またとまっちゃった。もう一いっぺん鳴らしてもいい?」

「きりがないじゃないか」

「もう一いっぺんきり。ね、おじさんいいだろ、ね、ね。あ、鳴なりだしちゃった」

「こいつ、じぶんで鳴らしといて、あんなこといってやがる。ずるいぞォ」

「ぼく、知らないよ。手がちょっとさわったら、鳴なりだしたんだもん」

「あんなこといってやがる。そいで坊は、その薬屋くすりやへよくいくのか」

「うん、じき近ちかくだからよくいくよ。ぼく、そのおじさんとなかよしなんだ」

「ふうん」

「でも、なッかなか、うた時計とけいを鳴らしてくれないんだ。うた時計とけいが鳴なるとね、おじさんは、さびしい顔をするよ」

「どうして?」

「おじさんはね、うた時計とけいをきくとね、どういうわけか周作しゅうさくさんのことを思おもい出ですんだって」

「えッ……ふうん」

「周作しゅうさくって、おじさんの子こどもなんだよ。不良ふりょう少年しょうねんになってね、学校がっこうがすむと、どっかへいっちゃったって。もうずいぶんまえのことだよ」

「その薬屋くすりやのおじさんはね、その周作しゅうさく……とかいうむすこのことを、なんとかいっているかい?」

「ばかなやつだって、いってるよ」

「そうかい。そうだなあ、ばかだな、そんなやつは。あれ、もうとまったな。坊、もう一どだけ、鳴らしてもいいよ」

「ほんと?……ああ、いい音だなあ。ぼくの妹のアキコがね、とっても、うた時計とけいがすきでね、死しぬまえに、もう一いっぺんあれをきかしてくれって、ないてぐずったのでね、薬屋くすりやのおじさんとこから借かりてきて、きかしてやったよ」

「……死んじゃったのかい?」

「うん、おととしのお祭のまえにね。やぶの中のおじいさんのそばにお墓はかがあるよ。川原かわらから、おとうさんが、このくらいのまるい石をひろってきて立ててある、それがアキコのお墓さ、まだ子こどもだもんね。そいでね、命日めいにちに、ぼくがまた薬屋くすりやからうた時計とけいを借かりてきて、やぶの中で鳴らして、アキコにきかしてやったよ。やぶの中で鳴ならすと、すずしいような声だよ」

「うん……」

ふたりは大おおきな池のはたに出た。むこう岸の近ちかくに、黒く二、三ばの水鳥すいちょうがうかんでいるのが見えた。それを見みると少年しょうねんは、男の人のポケットから手をぬいて、両手りょうてをうちあわせながらうたった。

「ひィよめ、

ひよめ、

だんご、やァるに

くウぐウれッ」

少年しょうねんのうたうのを聞いて、男の人がいった。

「いまでもその歌をうたうのかい?」

「うん、おじさんも知っているの?」

「おじさんも子こどものじぶん、そういって、ひよめにからかったものさ」

「おじさんも小ちいさいとき、よくこの道をかよったの?」

「うん、町の中学校がっこうへかよったもんさ」

「おじさん、また帰ってくる?」

「うん……どうかわからん」

道がふたつにわかれているところにきた。

「坊はどっちィいくんだ」

「こっち」

「そうか、じゃ、さいなら」

「さいなら」

少年しょうねんはひとりになると、じぶんのポケットに手をつっこんで、ぴょこんぴょこんはねながらいった。

「坊ゥ……ちょっと待てよォ」

遠とおくから男の人がよんだ。少年しょうねんはけろんと立ちどまって、そっちを見たが、男の人がしきりに手をふっているので、またもどっていった。

「ちょっとな、坊」

男の人は、少年しょうねんがそばにくると、すこしきまりのわるいような顔をしていった。

「じつはな、坊、おじさんはゆうべ、その薬屋くすりやのうちでとめてもらったのさ。ところがけさ出でるとき、あわてたもんだから、まちがえて、薬屋くすりやの時計とけいを持ってきてしまったんだ」

「…………」

「坊、すまんけど、この時計とけいとそれから、こいつも(と、がいとうの内うちかくしから、小ちいさい懐中時計かいちゅうどけいをひっぱり出だして)まちがえて持ってきちまったから、薬屋くすりやに返がえしてくれないか。な、いいだろう?」

「うん」

少年しょうねんはうた時計とけいと懐中かいちゅう時計とけいを、両手りょうてにうけとった。

「じゃ、薬屋くすりやのおじさんによろしくいってくれよ。さいなら」

「さいなら」

「坊、なんて名だったっけ」

「清廉潔白せいれんけっぱくの廉れんだよ」

「うん、それだ、坊はその清廉せいれん……なんだっけな」

「潔白けっぱくだよ」

「うん潔白けっぱく、それでなくちゃいかんぞ。そういうりっぱな正直しょうじきなおとなになれよ。じゃ、ほんとにさいなら」

「さいなら」

少年しょうねんは、両手りょうてに時計とけいを持ったまま、男の人を見送っていた。男の人ひとはだんだん小さくなり、やがて稲積いなづみのむこうに見えなくなってしまった。少年しょうねんはてくてくと歩きだした。歩きながら、なにかふにおちないものがあるように、ちょっと首をかしげた。

まもなく少年しょうねんのうしろから自転じてん車が一台、追っかけてきた。

「あッ、薬屋くすりやのおじさん」

「おう、廉坊れんぼう、おまえか」

えりまきであごをうずめた、年としよりのおじさんは、自転じてん車からおりた。そしてしばらくのあいだ、せきのためものがいえなかった。そのせきは、冬の夜、枯木かれきのうれをならす風の音のように、ヒュウヒュウいった。

「廉坊、おまえは村から、ここまできたのか」

「うん」

「そいじゃ、いましがた、村からだれか男の人が出てくるのと、いっしょにならなかったか」

「いっしょだったよ」

「あッ、そ、その時計とけい、おまえはどうして……」

老人ろうじんは、少年しょうねんが手に持っているうた時計とけいと懐中かいちゅう時計とけいに目をとめていった。

「その人がね、おじさんの家でまちがえて持ってきたから、返がえしてくれっていったんだよ」

「返がえしてくれろって?」

「うん」

「そうか、あのばかめが」

「あれ、だれなの、おじさん」

「あれか」

そういって老人ろうじんは、また長くせきいった。

「あれは、うちの周作しゅうさくだ」

「えッほんと?」

「きのう、十なん年ぶりで、うちへもどってきたんだ。ながいあいだ悪わるいことばかりしてきたけれど、こんどこそ改心かいしんして、まじめに町の工場こうばではたらくことにしたから、といってきたんで、ひと晩とめてやったのさ。そしたら、けさ、わしが知らんでいるまに、もう悪わるい手くせを出だして、このふたつの時計とけいをくすねて出でかけやがった。あのごくどうめが」

「おじさん、そいでもね、まちがえて持ってきたんだってよ。ほんとにとっていくつもりじゃなかったんだよ。ぼくにね、人間じんかんは清廉潔白せいれんけっぱくでなくちゃいけないっていってたよ」

「そうかい。……そんなことをいっていったか」

少年しょうねんは老人ろうじんの手にふたつの時計とけいをわたした。うけとるとき、老人ろうじんの手はふるえて、うた時計とけいのねじにふれた。すると時計とけいは、また美しくうたいだした。

老人ろうじんと少年しょうねんと、立てられた自転じてん車が、広ひろい枯野かれのの上にかげを落おとして、しばらく美うつくしい音楽おんがくにきき入った。老人ろうじんは目になみだをうかべた。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

Source edition (底本)
底本:「牛をつないだ椿の木」角川文庫、角川書店


   1968(昭和43)年2月20日初版発行

   1974(昭和49)年1月30日12版発行

入力:もりみつじゅんじ

校正:門田裕志、小林繁雄

2005年6月5日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
Typed by (入力)
もりみつじゅんじ
Proofread by (校正)
小林繁雄、門田裕志

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