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新美南吉 Nankichi Niimi 1913.07.30〜1943.03.22

丘の銅像

おかのどうぞう

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丘おかのふもとの、うつくしい平和へいわな村に、ハンスという、詩人しじんが住んでいました。

丘おかの上に立って、うつくしい村をながめては、歌にうたい、牧場まきばにいって、やさしいひつじのむれをながめては、詩しをかくのがつねでした。ハンスのつくった詩は、国じゅう、だれひとり知らないものはないほどでした。

あるとき王さまは、この村のそばを通りかかりましたが、ハンスがこの村にいると聞いて、わざわざ、この名高なだかい詩人しじんに、あいにこられました。王さまでさえ、そんなに、ハンスをたいせつに思っていられるのですから、村の人たちが、ハンスをうやまったことは、いうまでもありません。そんなわけですから、このハンスが年ねんとって、天国てんごくへめされていったときには、村の人たちは相談そうだんをして、ハンスをいつまでもわすれないように、銅像どうぞうをたてることにきめました。

三か月げつほどのち、丘おかの上のにれの木この下したには、りっぱなハンスの銅像どうぞうがたちました。ちょうど、ハンスと同おんなじ高さで、顔から形から、生きてるときの、ハンスそっくりでした。村の人たちは、その銅像どうぞうを見あげては、生きてたときのハンスが、牧場まきばのさくのそばで、ひつじのむれをいつまでも、じっと見つめているすがたを思おもい出だすのでした。

ながい年月としつきがたちました。

ハンスの生きていたころ、まだ、ほんのあかんぼうだった人たちが、今はもう、かみの毛が雪のように白くなって、まごたちのおもりをしていました。まごたちのおもりをしながら、ハンスがつくった子守歌こもりうたをうたっていました。まごたちが「むかしばなし」をせがむと、その老人ろうじんたちは、ハンスの話をして聞かせるのでした。

それからまた、ながい年月としつきがたちました。もう村には、ハンスのことを知ってる人は、なくなってしまいました。けれど、丘おかの上にはまだ、ハンスの銅像どうぞうが村のほうを見おろして、ほほえみながら立っていました。

ある日、村の百ひゃくしょうがひとり、教会きょうかいへいって牧師ぼくしさまに、こうたずねました。

「丘おかの上に立ってござらっしゃるお方は、いったい、どなたでござんしょう。」

すると年とった牧師ぼくしさまは、

「あれはハンスといってな、わしのおじいさまのおじいさまが生きてござらっしゃったときより、もっといぜんに、村に住んでいらっしゃった、えらい詩人しじんじゃ。」

と、答えました。

そのころ、その国では、わるい伝染病でんせんびょうがはやっていました。伝染でんせん病は丘おかの下のうつくしい村へも、くろい大おおきな鳥のかげのように、やってきました。村の人たちは、どんどん、死んでいきました。もしも、ヘンデルという、えらいお医者いしゃさんが、一生いっしょうけんめいにはたらいてくれなかったら、村の人たちは伝染病でんせんびょうのために、ひとりのこらず、死んでしまったかも知れません。このヘンデルが、伝染でんせん病のばいきんを見つけてくれたので、村の人たちは、病気びょうきからすくわれるようになりました。村の人ばかりでなく、国じゅうの人がすくわれました。そこで、村の人のよろこびようといったら、ありません。

ところが、そのよろこびのまっさいちゅうに、ヘンデル先生せんせいは、ふとした不注意ちゅういから、ばいきんが目にはいり、それがもとで、死んでしまいました。

村の人たちは、あつまって相談そうだんしました。

「ヘンデル先生せんせいのようなえらい方は、いつまでもわすれてはいけない。」

「ヘンデル先生せんせいの銅像どうぞうをたてておこう。」

そこで、ヘンデル先生せんせいの銅像どうぞうをたてることにきめましたが、なにしろ、伝染病でんせんびょうという大さいなんのあとだから、村はびんぼうになってしまって、だれもお金を出だすものがありません。お金がなくては、銅像どうぞうをたてることができませんので、村の人たちがこまっていると、くつ屋のじいさんが、

「それじゃあ、あの丘おかの上に立ってる銅像どうぞうを、あのまま、ヘンデル先生せんせいの銅像どうぞうにしてしまったらどうだ。」

と、いいました。

村の人たちは、なるほど、これは名案めいあんだと思いました。これなら、ちっとも、お金がいりません。それに、あの、だれだかわけのわからない銅像どうぞうなんか、なくなったほうがいいのでした。

一週間しゅうかんほどすると、丘おかの上の銅像どうぞうのあごに、あごひげがくっつけられました。ヘンデル先生せんせいは、あごひげをもっていたからでした。村の人たちは、その銅像どうぞうを見あげては、沼ぬまのほとりで、薬草やくそうをさがしていたヘンデル先生せんせいのことを、しみじみ、思おもい出だすのでした。

十年にひとりぐらいは、村で、わるい伝染病でんせんびょうにかかるものがありました。村の人たちは、ヘンデル先生せんせいの教えてくれた薬草やくそうを、さっそくせんじて、病人びょうにんにのませました。すると病人びょうにんは、二、三日のうちに、なおってしまうのでした。村の人たちはこの薬草やくそうを、ヘンデル草とよぶようになりました。

ヘンデル草は、春になると青あおい芽めをふき、秋になるとかれていきました。そうして、なん十じゅう年か、なん百びゃく年か、すぎさりました。丘おかの下のうつくしい村は、むかしのとおりの、小ちいさな村でした。けれど、村の人たちは、もうすっかり、かわっていました。ヘンデル先生せんせいのことを知ってる人は、もう、いなくなりました。ヘンデルといえば、すぐ草のことを思おもい出だすばかりで、丘の上の、ひげをはやした銅像どうぞうのことも、むかしのヘンデル先生せんせいのことも、思おもい出だすものはありませんでした。

しかし銅像どうぞうは、むかしとちっともかわらずに、にれの木のかげに、ぼっそり立って、村のほうにほほえみかけていました。

そのころ、この国ととなりの国とが、はげしい戦争せんそうをはじめました。村からも、じょうぶなわかものたちが、おおぜい、戦争せんそうに出ていきました。けれど戦争せんそうは、なかなかはてませんでした。となりの国は、この国より大きくって、新あたらしい兵士へいしを、どんどん、戦場せんじょうへ送ってよこすので、この国のほうは、だんだん、負まけぎみになってきました。おおぜいの兵士へいしたちが、大おおきなばくだんの下で、紙っきれをふっとばすように、いちどにたおれたりしました。しかし、こうしてこの国のほうが、負けそうになっていたときに、ペテロという、ひとりの馬にのったわかい指揮官しきかんが、めざましいはたらきをしたおかげで、みかたは元気げんきをもりかえし、とうとう、敵てきをうちやぶってしまいました。

しかしペテロは、戦たたかいのあと、馬とともに死んでいるのが発見はっけんされました。ペテロ、ペテロと、わかいペテロは、いちどに有名ゆうめいになってしまいました。このペテロは、ほかでもない、丘おかの下のうつくしい村から、戦争せんそうにいったわかものたちのひとりでした。

みかたの勝利しょうりが、ペテロのおかげであったということが村に知しれると、村では、大おおさわぎがはじまりました。そして、今か今かと、ペテロや、ほかのわかものが、がいせんしてくるのを、まっていました。

丘おかの上の銅像どうぞうのところに見みはりがいて、遠とおくのほうを、目をほそくして見ていました。けれど、その見みはりの目にも、ついに、わかものたちががいせんしてくるすがたは、うつりませんでした。そして、ある夕方ゆうがた、よわよわしい赤あかい夕日せきじつの道を、ながいかげをひきながら、松葉杖まつばづえにすがって、ちんぎりちんぎり、やってくるひとりの男のすがたが見えました。これは、村から戦争せんそうにいったわかもののひとりで、居酒屋いざかやのむすこでした。

この居酒屋いざかやのむすこから、「戦争せんそうにいった村のわかものは、みんな戦死せんししてしまった。ペテロも戦死せんししてしまった」と聞いたとき、村の人たちは、かなしい芝居しばいを見たあとのように、首をふって、ささやきあうばかりでした。

「ペテロのおかげで、わが国こくは勝かったんだ。ペテロは、わが国こくの英雄えいゆうだ。」

「ペテロの銅像どうぞうを、つくろうじゃないか。」

「おお、そうだ。」

と、村の人たちはいいあいました。

しかし、ペテロの銅像どうぞうには、ぜひ、馬が必要ひつようでした。なぜなら、ペテロは馬にのって、戦場せんじょうにかつやくしました。そして、馬といっしょに、死んでいました。しかし、もし、馬にまたがったペテロの銅像どうぞうをつくるとなると、費用ひようがたいへんで、とうてい、そんなにたくさんのお金は、あつまらないにきまっていました。そこで小学校がっこうの先生せんせいが、すばらしいことを考え出しました。

それは、丘おかの上にたっている銅像どうぞうを、そのままペテロにして、馬だけを、新しくつくるということでした。みなさんは、そんな考かんがえなら、なにもおどろくほどでもない。ハンスの銅像どうぞうをそのまま、ヘンデル先生せんせいにしたのと同じようなことじゃないかと、お考かんがえでしょう。しかし、今の村の人たちは、むかし、そんなことがあったとは、ちっとも知らないのです。ヘンデルも知らなきゃ、ハンスも知りません。ましてハンスの銅像どうぞうが、ヘンデル先生せんせいの銅像どうぞうになったことなど、知ろうはずがありません。

さてそこで、村人むらびと一同いちどうは、小学校がっこうの先生せんせいの考かんがえどおりにすることにして、まず、馬をつくるために、村じゅう、一けん一けん、寄付金きふきんをあつめにいきました。

「ペテロのおかげで、わが国こくは勝ちました。ペテロは戦死せんししました。馬といっしょに、戦死せんししました。ペテロは、なんという、えらいわかものでしょう。ペテロの銅像どうぞうをつくるために、お金を寄付きふしてください。」

といいながら、一けん一けん、まわりました。人ひとびとはよろこんで、お金を寄付きふしました。

しかし、村人むらびとのなかには、戦争せんそうのために、じぶんのむすこをうしなった親たちが、たくさんいました。その親たちのところへ、お金の寄付きふをたのみにいくと、親たちは、ぷんぷんしていうのでした。

「なんだ。ペテロ、ペテロって。ペテロひとりが、国のためになったと思ってるのか。うちのむすこだって、りっぱに戦死せんししたんだぞ。馬といっしょに死んでいたって、それがどうしたというんだ。馬にのってりゃ、それだけらくなわけだ。うちのむすこは、馬にものせてもらえず、足をぼうのようにすりへらして、あげくのはて、戦死せんししたんだぞ。うちのむすこの銅像どうぞうでもたてるというなら、いくらでも金を出だすが、ペテロなんかの銅像どうぞうに、一文いちもんだって出だすもんか。」

そんなわけで、はじめに考かんがえたほど、たくさんのお金があつまりませんでした。だから、はじめは、ほんとうの馬と同おんなじ大きさの馬をつくるつもりだったのが、犬ぐらいの大きさのものしか、つくれないことになってしまいました。

ひと月ほどもすぎますと、丘おかの上には、ふしぎな銅像どうぞうができました。一ぴきの、小ちいさな馬をまたいで立っている、わかい軍人ぐんじんの銅像どうぞうでした。馬が小さくて、人間じんかんが大おおきいので、馬はまるで、人間じんかんのまたの下をくぐっている犬のように見えました。

わかい軍人ぐんじんは、ヘンデル先生せんせいから、いっぺんにかわってしまった、ペテロでした。ペテロにはあごひげがなかったので、ヘンデル先生せんせいのあごひげは、けずりとられてしまいました。そのかわり、軍人ぐんじんらしいカイゼルひげを、ぴんとはやしていました。

村人むらびとたちは、朝ばん、その人間じんかんと馬との銅像どうぞうを見あげては、砲火ほうかのみだれとぶなかを、馬のしりにむちをくれながら、

「すすめ! 祖国そこくのために!」

とさけんでいる、ペテロの心を思いうかべ、「おお、神よ」といって、朝飯あさはんや夕飯ゆうはんにとりかかるのでした。

ペテロの命日めいにちは、十月かんなずき四日でした。その日になると、毎年まいとし、村の人たちは仕事しごとをやめて、教会きょうかいにいったり、聖書せいしょを読んだりするのでした。その日を、ペテロの日といいました。

そしてまた、ひじょうにながい年月としつきが流れ去ったので、ペテロのことは、門にうたれた一本いっぽんのくぎのように、わすれられてしまいました。小学生がくせいは学校がっこうで、先生せんせいから「ペテロというえらい人が、むかし、たいへんりっぱなはたらきをして、みかたに大勝利しょうりをもたらした」ということを、教わりました。そこである日、先生せんせいにつれられて、丘おかの上へ遠足えんそくにきたとき、小学生がくせいのひとりが、にれの木こかげの銅像どうぞうを指ゆびさして、

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This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「新美南吉童話全集第一巻 ごんぎつね」大日本図書、1960(昭和35)年6月20日初版発行
Source edition (底本)
底本:「新美南吉童話全集第一巻 ごんぎつね」大日本図書

   1960(昭和35)年6月20日初版発行

   1975(昭和50)年5月10日31版発行

初出:「新美南吉童話全集第一巻 ごんぎつね」大日本図書

   1960(昭和35)年6月20日初版発行

※表題は底本では、「丘(おか)の銅像(どうぞう)」となっています。

入力:江村秀之

校正:小林繁雄

2013年7月6日作成

2022年2月7日修正

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
Typed by (入力)
江村秀之
Proofread by (校正)
小林繁雄

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