Nihoner

新美南吉 Nankichi Niimi 1913.07.30〜1943.03.22

嘘

うそ

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一

久助きゅうすけ君はおたふくかぜにかかって、五日間かかん学校がっこうを休んだ。

六日むいかめの朝、みんなに顔を見られるのははずかしいなと思おもいながら、学校がっこうにいくと、もう授業じゅぎょうがはじまっていた。

教室きょうしつでは、案あんのじょう、みんながさあっとふりむいて久助きゅうすけ君の方を見たので、久助きゅうすけ君はあがってしまって、先生せんせいのところへ欠席けっせき届を出だし、じぶんの席へ帰かえるまでに、つくえのわきにかけてある友ともだちのぼうしを、三つばかりはらい落としてしまった。さて、じぶんの席について読本とくほんをひらいた。

となりの加市かいち君が、いま習っているのは十課だということを指でさして教えてくれた。もう十課まで進んだのか。久助きゅうすけ君は、八課の「雨の養老ようろう」を習っていたとき、なんとなく左のほおが重おもいのに気がつき、その日から休んだのだった。

じぶんが休んで家でねていたときに、みんなは八課ののこりと九課を習ったんだなと思おもうと、久助きゅうすけ君は、今ここにみんなといっしょに読本とくほんをひらいて、先生せんせいのお話を聞いていながら、みんなの気持きもちとなじめないものを感じた。

そのとき、先生せんせいから指でさされて、前のほうのだれかが読本とくほんの朗読ろうどくをはじめた。

「第十、稲いなむらの火。これは、ただごとでないと、つぶやきながら、五兵衛ごへえは家からきた……」

おや、へんだなと、久助きゅうすけ君は思った。聞ききなれない声だ。あんな声で読よむのは、いったいだれだろう。そこで久助きゅうすけ君は、本から顔をあげてみると、南のまどのそばの席で、ひとりの色の白じろい、セル地の美うつくしい洋服ようふくをきた少年しょうねんが、久助きゅうすけ君の方に横顔よこがおを見せて朗読ろうどくしていた。久助きゅうすけ君の知らない少年しょうねんだ。

久助きゅうすけ君はその少年しょうねんの横顔よこがおを見ているうちに、きみょうな錯覚さっかくにとらわれはじめた。じぶんは、まちがってよその学校がっこうへきてしまったのではないかと、思ったのである。いや、たしかに、これは久助きゅうすけ君の通っていた岩滑やなべの学校がっこうの五年の教室きょうしつではない。いま読んでいる少年しょうねんを、久助きゅうすけ君は知らないのだ。そういえば先生せんせいも、なるほど久助きゅうすけ君の受うけ持もちだった山口やまぐち先生せんせいににてはいるが、別人べつじんであるらしい。友ともだちのひとりひとりも、久助きゅうすけ君のよく知っている岩滑やなべの友ともだちとどこかにてはいるが、どうも知らない学校がっこうの知らない生徒せいとたちだ。五日間かかん休んで、じぶんの学校がっこうを忘わすれてしまい、よその学校がっこうへはいってきたのだ。これはとんでもないことをしてのけた。久助きゅうすけ君は、そんなふうに思ったのだった。そしてすぐつぎのせつなに、やはりこれは久助きゅうすけ君のもとの学校がっこうであるということがわかって、久助きゅうすけ君はほっとした。

休きゅうけい時間じかんがきたとき久助きゅうすけ君は、森医院いいんの徳一とくいち君にきいた。

「あれ、だれでェ」

南のまどぎわの色の白じろい少年しょうねんは、まだ友ともだちができないのか、ひとりで鉛筆えんぴつをけずっていた。

「あれかァ」

と、徳一とくいち君はこたえていった。「あれは、太郎左衛門たろうざえもんて名だよ。横浜よこはまからきたァだげな」

「太郎左衛門たろうざえもん?」

久助きゅうすけ君はわらいだした。「年としよりみたいだな」

徳一とくいち君の話によると、その転入てんにゅう生のほんとうの名は太郎左衛門たろうざえもんというんだが、それではあまり年としよりじみていて、太郎左衛門たろうざえもんがかわいそうだから、子こどものうちは太郎たろうと家でもよんでいるので、子こどもなかまでもそうよぶようにさせてくれと、一昨日おととい、太郎左衛門たろうざえもんをつれてはじめて学校がっこうへきたおかあさんが、先生せんせいにたのんでいったのだそうである。それを聞いて久助きゅうすけ君は、なるほど、おとなはうまいことを考かんがえるものだなと思った。

こんなぐあいに太郎左衛門たろうざえもんは、久助きゅうすけ君の世界せかいにはいってきた。

二

岩滑やなべの学校がっこうはいなかの学校がっこうだから、なんといっても、都会とかいふうの少年しょうねんはみんなの目をひくのである。久助きゅうすけ君も最初さいしょから、なんとなく太郎左衛門たろうざえもんに心をひかれたのだが、よい機会きかいがないので近づけなかった。徳一とくいち君にしても、加市かいち君にしても、音次おとじ郎君ろうくんにしても――できのよい連中れんじゅうはみな、久助きゅうすけ君と同じような気持きもちなのだ。それが、おたがいにあまりよくわかっているので、だれも手を出そうとしないのであった。で、久助きゅうすけ君は、課業かぎょう中にいつのまにか、太郎左衛門たろうざえもんをじっとながめているじぶんに気づくことがあった。

太郎左衛門たろうざえもんは、久助きゅうすけ君より前の方の、南のまどぎわにいたので、久助きゅうすけ君のところからはちょうど、右の大おおきい目玉めだまと、美しく光ひかるかみの毛でとりまかれた、形のよいつむじが見えた。太郎左衛門たろうざえもんは、その大おおきい目で、教科きょうか書の字を長ながいあいだ見ていては、おもむろに先生せんせいの方へ視線しせんをむけて、話に聞き入っていた。どうかすると、課業かぎょうにうんで、かすかなといきをもらしながら、すこししせいをくずすが、またすぐ、熱心ねっしんに先生せんせいの方をながめるのであった。それだけのことで、久助きゅうすけ君には、太郎左衛門たろうざえもんが、じぶんたちのように道のほこりや草の中でそだってきたものではないことがわかり、太郎左衛門たろうざえもんをすきにもなれば、なにかもの悲がなしい思おもいでもあったのである。

あるとき久助きゅうすけ君は、いつものようにじぶんの席から、その美うつくしい少年しょうねんをながめていた。それは、ひとりの美うつくしい少年しょうねんであった。この美うつくしい少年しょうねんは、いったいなんという名だろうと、久助きゅうすけ君は思った。そしてすぐ、なァんだ、太郎左衛門たろうざえもんじゃないかと、口の中でいった。

ふいと久助きゅうすけ君は、まえに、江川太郎左衛門えがわたろうざえもんというえらい人物じんぶつの伝記でんきを、ある雑誌ざっしで読んだことを思おもい出でした。よくはおぼえていないが、江戸えど時代じだいの砲術家ほうじゅつかで、伊豆いずの韮山にらやまに反射炉はんしゃろというものをきずいて、そこで、そのころとしてはめずらしい大砲たいほうを鋳造ちゅうぞうしたという人である。そして、れんがを積みあげてつくったらしい反射はんしゃ炉の図と、びっくりした人のように目玉めだまの大おおきい、ちょんまげすがたの江川えがわ太郎左衛門たろうざえもんの肖像しょうぞうが、久助きゅうすけ君の頭にうかんだ。

この少年しょうねん太郎左衛門たろうざえもんは、あの江戸えど時代じだいの砲術ほうじゅつ家の太郎左衛門たろうざえもんと同おんなじ名なのである。同おんなじ名ならば、ふたりは同おんなじ人間じんかんではあるまいか。

しかし、そんなはずはない。第一だいいち、江戸えど時代じだいにおとなだった太郎左衛門たろうざえもんが、現在げんざい、子こどもになっているというわけがないのである。それでは、事の順序じゅんじょがぎゃくというものだ。

久助きゅうすけ君は、じぶんのばかげた考かんがえをうちけした。にもかかわらず、久助きゅうすけ君には、砲術ほうじゅつ家太郎左衛門たろうざえもんと、この少年しょうねん太郎左衛門たろうざえもんが同一どういつ人物じんぶつのように思えたのである。江戸えど時代じだいにおとなだった人間じんかんが、だんだんわかくなって、いまは少年しょうねんになっているのだ――さまざまな人間じんかんのなかには、そういうような特別とくべつな生きかたをするのが、ひとりやふたりは、いるかもしれない。目がぎょろりと大おおきいところは、この太郎左衛門たろうざえもんもあの太郎左衛門たろうざえもんもいっしょじゃないか。久助きゅうすけ君は、そんなことをくちに出だしていえば、ひとが一笑いっしょうにふしてしまうことは知っていたので、ただじぶんひとりで空想くうそうにふけるだけであった。

その日、学校がっこうから帰かえるとき、久助きゅうすけ君は、太郎左衛門たろうざえもんの三メートルばかりうしろを歩いていった。むろん久助きゅうすけ君は、太郎左衛門たろうざえもんのあとをつけていくつもりはないのだが、ぐうぜん、ふたりの帰かえる方向ほうこうと歩あるく速度そくどが同おんなじであったため、こういう結果けっかになってしまったのであると、ひとり弁解べんかいしながらついていった。

あき地ちのそばを通っているとき、太郎左衛門たろうざえもんは、ふいに久助きゅうすけ君の方をふり返って、

「きみ、あの花、なんだか知っている?」

と、すこししゃがれた声で、流暢りゅうちょうにきいた。そっちを見みると、いぜんここに家があったじぶん、花畑はなばたけになっていたらしい一角いっかくに、小ちいさな赤黒あかぐろいさびしげな花が、二、三本あった。

久助きゅうすけ君は知らなかったのでだまっていると、

「サルビヤだよ」

といって、美うつくしい少年しょうねんの太郎左衛門たろうざえもんは歩きだした。むこうが話しかけたんだから、こっちも話はなしていいのだと思って、久助きゅうすけ君は、すこし胸をおどらせながら、

「横浜よこはまからきたのン?」

ときいた。横浜よこはまからきたことは、もう徳一とくいち君から聞いて知っていたから、いまさらきく必要ひつようはないのだが、ほかにはなにもいうことがなかったのである。ところで久助きゅうすけ君は、きいてしまってから、ひやあせが出でるほどはずかしい思おもいをした。というのは、「きたのン?」などということばは、岩滑やなべのことばではなかったからだ。岩滑やなべのことばできくなら、「きたのけ?」あるいは、「きたァだけ?」というところである。しかし久助きゅうすけ君には、日ひごろじぶんたちが使つかいなれている、こうしたことばは、この上品じょうぼんな少年しょうねんにむかって用もちいるには、あまりげびているように思えた。といって久助きゅうすけ君は、岩滑やなべ以外いがいのことばを知っているわけでもなかった。そこで、どこのことばともつかない「きたのン?」などという中途ちゅうとはんぱのことばが出てしまったのである。もし徳一とくいち君や、加市かいち君や、兵太へいた郎君ろうくんなど、日ひごろのなかまがいまのことばを聞いていたなら、あとで久助きゅうすけ君は、背中せなかをたたかれたりしながら、どんなにひやかされるかしれないのだが、ありがたいことに、それを聞いたのは、太郎左衛門たろうざえもんだけである。太郎左衛門たろうざえもんはまだ、岩滑やなべのことをよく知らないから、こんなことばも岩滑やなべにはあるだろうぐらいに思って、気にとめなかったのであろう。

「ああ」

と、かれはこたえた。それからまた、赤あかい花の方を見ながら、

「ぼくのにいさん、あれがすきだったのさ。画家がかなんだよ」

画家がかというのは絵をかく人であることぐらいは見当けんとうがつくが、じっさいの画家がかを見たことのない久助きゅうすけ君には、こんな話に、なんと返事へんじしていいかわからないのである。

「おととしの秋ね、ベロナールで自殺じさつしちゃったの」

自殺じさつというのはじぶんで死しぬことだというくらいは、久助きゅうすけ君にだってわかるが、そんなことばを使つかうものは、久助きゅうすけ君のいままでのなかまには、ひとりもいなかったので、ただもう、めんくらうばかりである。

じぶんの家の門の方へまがりかけた太郎左衛門たろうざえもんは、なにか思いついたように久助きゅうすけ君のところへもどってきて、

「きみ、いいもんあげよう、手を出だしたまえ」

といった。久助きゅうすけ君がもじもじしながら手を出だすと、太郎左衛門たろうざえもんは、小ちいさい万年まんねん筆みたいなものをその上でふった。すると小ちいさいみじん玉がひとつぶ、久助きゅうすけ君のてのひらの上にこぼれ出でるた。太郎左衛門たろうざえもんはじぶんのてのひらにもふり出だすと、それを口の中へほうりこんで、門の方へいってしまった。久助きゅうすけ君は、はじめ、空気銃くうきじゅうで使つかうみじん玉かと思ったが、みじん玉にしては、てのひらにこころよい感かんじをあたえるあの重おもみがないので、別のものだと考かんがえた。そして、ともかく太郎左衛門たろうざえもんのまねをして、口の中に入れてみた。

舌の先でしばらくまわしていると、にがいまずいしるがとけて出たので、なんだ、こんなもん、かぜのとき飲まされるトンプクの玉みたいじゃないかと思って、はき出そうとした。するととたんに、そのにがかったものが、すずしいあまさに変わって、じつに口の中が爽快そうかいになったので、久助きゅうすけ君はひとりで、クックッとわらいだしてしまった。なんだ、こんなもんか。ハッカのもとというようなものなんだな。しかし、すぐにまた、舌の先がにがみをおぼえはじめ、久助きゅうすけ君は顔をしかめずにはおれなかった。しかし、いまにまた、すずしくあまくなるだろうと思って、がまんしていた。はたして、まもなくそのとおりになった。これで久助きゅうすけ君には、この玉のしかけがわかった。にがくなったり、あまくなったり、交互こうごにくり返かえすようになっているのだ。ところで、三どめににがくなってきたとき、久助きゅうすけ君はもういやになって、はき出してしまった。それはとけて、茶色ちゃいろのつばになっていた。はき出したあとで口をあけて空気くうきをすいこむと、これはまた、なんという爽快そうかいなことだろう! 久助きゅうすけ君の小ちいさな口の中に、すずしい秋の朝が、ごっそりひとつはいりこんだみたいだ。久助きゅうすけ君はその爽快味そうかいみを満喫まんきつするため、大きく口をあけて、ハアーッハアーッと呼吸こきゅうしながら、家まできてしまったのである。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「新潮」1946(昭和21)年2月
Source edition (底本)
底本:「牛をつないだ椿の木」角川文庫、角川書店


   1968(昭和43)年2月20日初版発行

   1974(昭和49)年1月30日12版発行

入力:もりみつじゅんじ

校正:ゆうこ

2000年1月27日公開

2006年1月29日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
もりみつじゅんじ
Proofread by (校正)
ゆうこ

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