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新美南吉 Nankichi Niimi 1913.07.30〜1943.03.22

牛をつないだ椿の木

うしをつないだつばきのき

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一

山やまの中なかの道みちのかたわらに、椿つばきの若木わかぎがありました。牛曳うしひきの利助りすけさんは、それに牛うしをつなぎました。

人力曳じんりきひきの海蔵かいぞうさんも、椿つばきの根本ねもとへ人力車じんりきしゃをおきました。人力車じんりきしゃは牛うしではないから、つないでおかなくってもよかったのです。

そこで、利助りすけさんと海蔵かいぞうさんは、水みずをのみに山やまの中なかにはいってゆきました。道みちから一町ちょうばかり山やまにわけいったところに、清きよくてつめたい清水しみずがいつも湧わいていたのであります。

二人ふたりはかわりばんこに、泉いずみのふちの、しだやぜんまいの上うえに両手りょうてをつき、腹はらばいになり、つめたい水みずの匂においをかぎながら、鹿しかのように水みずをのみました。はらの中なかが、ごぼごぼいうほどのみました。

山やまの中なかでは、もう春蝉はるぜみが鳴ないていました。

「ああ、あれがもう鳴なき出だしたな。あれをきくと暑あつくなるて。」

と、海蔵かいぞうさんが、まんじゅう笠がさをかむりながらいいました。

「これからまたこの清水しみずを、ゆききのたンびに飲のませてもらうことだて。」

と、利助りすけさんは、水みずをのんで汗あせが出でたので、手拭てぬぐいでふきふきいいました。

「もうちと、道みちに近ちかいとええがのオ。」

と海蔵かいぞうさんがいいました。

「まったくだて。」

と、利助りすけさんが答こたえました。ここの水みずをのんだあとでは、誰だれでもそんなことを挨拶あいさつのようにいいあうのがつねでした。

二人ふたりが椿つばきのところへもどって来くると、そこに自転車じてんしゃをとめて、一人ひとりの男おとこの人ひとが立たっていました。その頃ころは自転車じてんしゃが日本にっぽんにはいって来きたばかりのじぶんで、自転車じてんしゃを持もっている人ひとは、田舎いなかでは旦那衆だんなしゅうにきまっていました。

「誰だれだろう。」

と、利助りすけさんが、おどおどしていいました。

「区長くちょうさんかも知しれん。」

と、海蔵かいぞうさんがいいました。そばに来きてみると、それはこの附近ふきんの土地とちを持もっている、町まちの年としとった地主じぬしであることがわかりました。そして、も一つわかったことは、地主じぬしがかんかんに怒おこっていることでした。

「やいやい、この牛うしは誰だれの牛うしだ。」

と、地主じぬしは二人ふたりをみると、どなりつけました。その牛うしは利助りすけさんの牛うしでありました。

「わしの牛うしだがのイ。」

「てめえの牛うし? これを見みよ。椿つばきの葉はをみんな喰くってすっかり坊主ぼうずにしてしまったに。」

二人ふたりが、牛うしをつないだ椿つばきの木きを見みると、それは自転車じてんしゃをもった地主じぬしがいったとおりでありました。若わかい椿つばきの、柔やわらかい葉ははすっかりむしりとられて、みすぼらしい杖つえのようなものが立たっていただけでした。

利助りすけさんは、とんだことになったと思おもって、顔かおをまっかにしながら、あわてて木きから綱つなをときました。そして申もうしわけに、牛うしの首くびったまを、手綱たづなでぴしりと打うちました。

しかし、そんなことぐらいでは、地主じぬしはゆるしてくれませんでした。地主じぬしは大人おとなの利助りすけさんを、まるで子供こどもを叱しかるように、さんざん叱しかりとばしました。そして自転車じてんしゃのサドルをパンパン叩たたきながら、こういいました。

「さあ、何なんでもかんでも、もとのように葉はをつけてしめせ。」

これは無理むりなことでありました。そこで人力曳じんりきひきの海蔵かいぞうさんも、まんじゅう笠がさをぬいで、利助りすけさんのためにあやまってやりました。

「まあまあ、こんどだけはかにしてやっとくんやす。利助りすけさも、まさか牛うしが椿つばきを喰くってしまうとは知しらずにつないだことだで。」

そこでようやく地主じぬしは、はらのむしがおさまりました。けれど、あまりどなりちらしたので、体からだがふるえるとみえて、二、三べん自転車じてんしゃに乗のりそこね、それからうまくのって、行いってしまいました。

利助りすけさんと海蔵かいぞうさんは、村むらの方ほうへ歩あるきだしました。けれどもう話はなしをしませんでした。大人おとなが大人おとなに叱しかりとばされるというのは、情なさけないことだろうと、人力曳じんりきひきの海蔵かいぞうさんは、利助りすけさんの気持きもちをくんでやりました。

「もうちっと、あの清水しみずが道みちに近ちかいとええだがのオ。」

と、とうとう海蔵かいぞうさんが言いいました。

「まったくだて。」

と、利助りすけさんが答こたえました。

二

海蔵かいぞうさんが人力曳じんりきひきのたまり場ばへ来くると、井戸掘いどほりの新五郎しんごろうさんがいました。人力曳じんりきひきのたまり場ばといっても、村むらの街道かいどうにそった駄菓子屋だがしやのことでありました。そこで井戸掘いどほりの新五郎しんごろうさんは、油菓子あぶらがしをかじりながら、つまらぬ話はなしを大おおきな声こえでしていました。井戸いどの底そこから、外そとにいる人ひとにむかって話はなしをするために、井戸新いどしんさんの声こえが大おおきくなってしまったのであります。

「井戸いどってもなア、いったいいくらくらいで掘ほれるもんかイ、井戸新いどしんさ。」

と、海蔵かいぞうさんは、じぶんも駄菓子箱だがしばこから油菓子あぶらがしを一本ぽんつまみだしながらききました。

井戸新いどしんさんは、人足にんそくがいくらいくら、井戸囲いどがこいの土管どかんがいくらいくら、土管どかんのつぎめを埋うめるセメントがいくらと、こまかく説明せつめいして、

「先まず、ふつうの井戸いどなら、三十さんじゅう円えんもあればできるな。」

と、いいました。

「ほオ、三十さんじゅう円えんな。」

と、海蔵かいぞうさんは、眼めをまるくしました。それからしばらく、油菓子あぶらがしをぼりぼりかじっていましたが、

「しんたのむねを下おりたところに掘ほったら、水みずが出でるだろうかなア。」

と、ききました。それは、利助りすけさんが牛うしをつないだ椿つばきの木きのあたりのことでありました。

「うん、あそこなら、出でようて、前まえの山やまで清水しみずが湧わくくらいだから、あの下したなら水みずは出でようが、あんなところへ井戸いどを掘ほって何なににするや。」

と、井戸新いどしんさんがききました。

「うん、ちっとわけがあるだて。」

と、答こたえたきり、海蔵かいぞうさんはそのわけをいいませんでした。

海蔵かいぞうさんは、からの人力車じんりきしゃをひきながら家いえに帰かえってゆくとき、

「三十さんじゅう円えんな。……三十さんじゅう円えんか。」

と、何度なんどもつぶやいたのでありました。

海蔵かいぞうさんは藪やぶをうしろにした小ちいさい藁屋わらやに、年としとったお母かあさんと二人ふたりきりで住すんでいました。二人ふたりは百姓仕事ひゃくしょうしごとをし、暇ひまなときには海蔵かいぞうさんが、人力車じんりきしゃを曳ひきに出でていたのであります。

夕飯ゆうはんのときに二人ふたりは、その日ひにあったことを話はなしあうのが、たのしみでありました。年としとったお母かあさんは隣となりの鶏にわとりが今日きょうはじめて卵たまごをうんだが、それはおかしいくらい小ちいさかったこと、背戸せどの柊ひいらぎの木きに蜂はちが巣すをかけるつもりか、昨日きのうも今日きょうも様子ようすを見みに来きたが、あんなところに蜂はちの巣すをかけられては、味噌部屋みそべやへ味噌みそをとりにゆくときにあぶなくてしようがないということを話はなしました。

海蔵かいぞうさんは、水みずをのみにいっている間あいだに利助りすけさんの牛うしが椿つばきの葉はを喰くってしまったことを話はなして、

「あそこの道みちばたに井戸いどがあったら、いいだろにのオ。」と、いいました。

「そりゃ、道みちばたにあったら、みんながたすかる。」

と、いって、お母かあさんは、あの道みちの暑あつい日盛ひざかりに通とおる人々ひとびとをかぞえあげました。大野おおのの町まちから車くるまをひいて来くる油売あぶらうり、半田はんだの町まちから大野おおのの町まちへ通とおる飛脚屋ひきゃくや、村むらから半田はんだの町まちへでかけてゆく羅宇屋らうやの富とみさん、そのほか沢山たくさんの荷馬車曳にばしゃひき、牛車曳ぎゅうしゃひき、人力曳じんりきひき、遍路へんろさん、乞食こじき、学校生徒がっこうせいとなどをかぞえあげました。これらの人ひとののどがちょうどしんたのむねあたりで乾かわかぬわけにはいきません。

「だで、道みちのわきに井戸いどがあったら、どんなにかみんながたすかる。」

と、お母かあさんは話はなしをむすびました。

三十さんじゅう円えんくらいで、その井戸いどが掘ほれるということを、海蔵かいぞうさんが話はなしました。

「うちのような貧乏人びんぼうにんにゃ、三十さんじゅう円えんといや大たいした金かねで眼めがまうが、利助りすけさんとこのような成金なりきんにとっちゃ、三十さんじゅう円えんばかりは何なんでもあるまい。」

と、お母かあさんはいいました。海蔵かいぞうさんは、せんだって利助りすけさんが、山林さんりんでたいそうなお金かねを儲もうけたそうなときいたことをおもいだしました。

ひと風呂ふろあびてから、海蔵かいぞうさんは牛車曳ぎゅうしゃひきの利助りすけさんの家いえへ出でかけました。

うしろ山やまで、ほオほオと梟ふくろうが鳴ないていて、崖がけの上うえの仁左にざエ門もんさんの家いえでは、念仏講ねんぶつこうがあるのか、障子しょうじにあかりがさし、木魚もくぎょの音おとが、崖がけの下したのみちまでこぼれていました。もう夜よるでありました。行いってみると、働はたらき者ものの利助りすけさんは、まだ牛小屋うしごやの中なかのくらやみで、ごそごそと何なにかしていました。

「えらい精せいが出でるのオ。」

と、海蔵かいぞうさんがいいました。

「なに、あれから二へん半田はんだまで通かよってのオ、ちょっとおくれただてや。」

といいながら、牛うしの腹はらの下したをくぐって利助りすけさんが出でて来きました。

二人ふたりが縁えんばなに腰こしをかけると、海蔵かいぞうさんが、

「なに、きょうのしんたのむねのことだがのオ。」

と、話はなしはじめました。

「あの道みちばたに井戸いどを一つ掘ほったら、みんながたすかると思おもうがのオ。」

と、海蔵かいぞうさんがもちかけました。

「そりゃ、たすかるのオ。」

と、利助りすけさんがうけました。

「牛うしが椿つばきの葉はをくっちまうまで知しらんどったのは、清水しみずが道みちから遠とおすぎるからだのオ。」

「そりゃ、そうだのオ。」

「三十さんじゅう円えんありゃ、あそこに井戸いどがひとつ掘ほれるだがのオ。」

「ほオ、三十さんじゅう円えんのオ。」

「ああ、三十さんじゅう円えんありゃええだげな。」

「三十さんじゅう円えんありゃのオ。」

こんなふうにいっていても、いっこう利助りすけさんが、こちらの心こころをくみとってくれないので、海蔵かいぞうさんは、はっきりいってみました。

「それだけ、利助りすけさ、ふんぱつしてくれないかエ。きけば、お前まえ、だいぶ山林さんりんでもうかったそうだが。」

利助りすけさんは、いままで調子ちょうしよくしゃべっていましたが、きゅうに黙だまってしまいました。そして、じぶんのほっぺたをつねっていました。

「どうだエ、利助りすけさ。」

と、海蔵かいぞうさんは、しばらくして答こたえをうながしました。

それでも利助りすけさんは、岩いわのように黙だまっていました。どうやら、こんな話はなしは利助りすけさんには面白おもしろくなさそうでした。

「三十さんじゅう円えんで、できるげながのオ。」

と、また海蔵かいぞうさんがいいました。

「その三十さんじゅう円えんをどうしておれが出だすのかエ。おれだけがその水みずをのむなら話はなしがわかるが、ほかのもんもみんなのむ井戸いどに、どうしておれが金かねを出だすのか、そこがおれにはよくのみこめんがのオ。」

と、やがて利助りすけさんはいいました。

海蔵かいぞうさんは、人々ひとびとのためだということを、いろいろと説ときましたが、どうしても利助りすけさんには「のみこめ」ませんでした。しまいには利助りすけさんは、もうこんな話はなしはいやだというように、

「おかか、めしのしたくしろよ。おれ、腹はらがへっとるで。」

と、家いえの中なかへむかってどなりました。

海蔵かいぞうさんは腰こしをあげました。利助りすけさんが、夜よるおそくまでせっせと働はたらくのは、じぶんだけのためだということがよくわかったのです。

ひとりで夜よみちを歩あるきながら、海蔵かいぞうさんは思おもいました。――こりゃ、ひとにたよっていちゃだめだ、じぶんの力ちからでしなけりゃ、と。

三

旅たびの人ひとや、町まちへゆく人ひとは、しんたのむねの下したの椿つばきの木きに、賽銭箱さいせんばこのようなものが吊つるされてあるのを見みました。それには札ふだがついていて、こう書かいてありました。

「ここに井戸いどを掘ほって旅たびの人ひとにのんでもらおうと思おもいます。志こころざしのある方かたは一銭せんでも五厘りんでも喜捨きしゃして下ください。」

これは海蔵かいぞうさんのしわざでありました。それがしょうこに、それから五、六日にちのち、海蔵かいぞうさんは、椿つばきの木きに向むかいあった崖がけの上うえにはらばいになって、えにしだの下したから首くびったまだけ出だし、人々ひとびとの喜捨きしゃのしようを見みていました。

やがて半田はんだの町まちの方ほうからお婆ばあさんがひとり、乳母車うばぐるまを押おしてきました。花はなを売うって帰かえるところでしょう。お婆ばあさんは箱はこに目めをとめて、しばらく札ふだをながめていました。しかし、お婆ばあさんは字じを読よんだのではなかったのです。なぜなら、こんなひとりごとをいいました。

「地蔵じぞうさんも何なにもないのに、なんでこんなとこに賽銭箱さいせんばこがあるのじゃろ。」そしてお婆ばあさんは行いってしまいました。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「少國民文化」1943(昭和18)年6月
Source edition (底本)
底本:「少年少女日本文学館第十五巻 ごんぎつね・夕鶴」講談社


   1986(昭和61)年4月18日第1刷発行

   1993(平成5)年2月25日第13刷発行

入力:田浦亜矢子

校正:もりみつじゅんじ

1999年10月25日公開

2009年1月18日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
田浦亜矢子
Proofread by (校正)
もりみつじゅんじ

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