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国木田独歩 Doppo Kunikida 1871.08.30〜1908.06.23

運命論者

うんめいろんしゃ

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一

秋の中過なかばすぎ、冬近くなると何いずれの海浜かいひんを問とわず、大方おうかたは淋さびれて来くる、鎌倉かまくらも其その通とおりで、自分じぶんのように年中ねんじゅう住んで居いる者の外ほかは、浜へ出て見ても、里の子、浦の子、地曳網じびきあみの男、或あるいは浜づたいに往通ゆきかよう行商あきんどを見みるばかり、都人士とじんしらしい者の姿を見みるのは稀まれなのである。

或日あるひ自分じぶんは何時いつものように滑川なめりがわの辺ほとりまで散歩さんぽして、さて砂山すなやまに登のぼると、思おもいの外、北風きたかぜが身に沁しむので直すぐ麓ふもとに下おりて其処そこら日ひあたりの可よい所、身体からだを伸のばして楽に書ほんの読めそうな所と四辺あたりを見廻みまわしたが、思おもうようなところがないので、彼方此方あちらこちらと探し歩いた、すると一個所かしょ、面白おもしろい場所ばしょを発見みつけた。

砂山すなやまが急に崩ほげて草くさの根ねで僅わずかにそれを支ささえ、其その下したが崕がけのようになって居いる、其根方ねかたに座って両足りょうあしを投なげ出だすと、背は後うしろの砂山すなやまに靠もたれ、右の臂ひじは傍かたわらの小高こだかいところに懸かかり、恰度ちょうどソハに倚よったようで、真まことに心持こころもちの佳よい場処ばしょである。

自分じぶんは持もって来た小説しょうせつを懐ふところから出だして心長閑のどかに読んで居おると、日は暖あたたかに照てり空は高く晴はれ此処ここよりは海も見えず、人声ひとごえも聞えず、汀なぎさに転ころがる波音なみおとの穏おだやかに重々しく聞きこえる外ほかは四囲あたり寂然ひっそりとして居おるので、何時いつしか心を全然すっかり書籍ほんに取られて了しまった。

然しかるにふと物音ものおとの為したようであるから何心なにごころなく頭を上あげると、自分じぶんから四五間ごけん離はなれた処ところに人が立たって居たのである。何時なんどき此処ここへ来て、何処どこから現あらわれたのか少すこしも気がつかなかったので、恰あだかも地の底から湧出わきでたかのように思われ、自分じぶんは驚いて能よく見みると年輩としは三十さんじゅうばかり、面長おもながの鼻の高だかい男、背はすらりとした形やさがた、衣装みなりといい品ひんといい、一見いちげんして別荘べっそうに来て居おる人か、それとも旅宿やどを取って滞留たいりゅうして居おる紳士しんしと知れた。

彼は其処そこにつッ立って自分じぶんの方を凝じっと見て居おる其その眼めつきを見て自分じぶんは更さらに驚おどろき且かつ怪しんだ。敵かたきを見みる怒いかりの眼か、それにしては力薄し。人を疑うたがう猜忌さいぎの眼か、それにしては光鈍し。たゞ何心なにごころなく他を眺ながむる眼にしては甚はなは

だ凄味すごみを帯ぶ。

妙な奴やつだと自分じぶんも見返みかえして居おること暫しばし、彼は忽たちまち眼を砂の上に転じて、一歩かずほ一歩かずほ、静しずかに歩きだした。されども此この窪地くぼちの外に出ようとは仕しないで、たゞ其処そこらをブラブラ歩いて居おる、そして時々凄すごい眼で自分じぶんの方を見みる、一たいの様子ようすが尋常じんじょうでないので、自分じぶんは心持こころもちが悪くなり、場所ばしょを変かわる積つもりで其処そこを起たち、砂山すなやまの上まで来て、後うしろを顧かえりみると、如何どうだろう怪あやしの男は早くも自分じぶんの座って居た場処ばしょに身体からだを投なげて居た! そして自分じぶんを見送って居おる筈はずが、そうでなく立たてた膝ひざの上に腕組うでぐみをして突伏つッぷして顔を腕の間に埋うずめて居た。

余あまりの不思議ふしぎさに自分じぶんは様子ようすを見てやる気きになって、兎とある小蔭こかげに枯草かれくさを敷て這はいつくばい、書ほんを見ながら、折々頭を挙あげて彼かの男を覗うかがって居いた。

彼はやゝ暫しばらく顔を上あげなかった。けれども十分とは自分じぶんを待またさなかった、彼かの起たちあがるや病人びょうにんの如ごとく、何となく力なげであったが、起たったと思おもうと其その儘ままくるりと後向うしろむきになって、砂山すなやまの崕がけに面と向むき、右の手で其麓ふもとを掘ほりはじめた。

取とり出だした物は大おおきな罎びん、彼は袂たもとからハンケチを出だして罎の砂を払はらい、更さらに小な洋盃コップ様のものを出だして、罎の栓せんを抜ぬくや、一盃いっぱい一盃、三四さんし杯続つずけさまに飲んだが、罎を静しずかに下に置おき、手に杯を持たまゝ、昂然こうぜんと頭こうべをあげて大空おうぞらを眺ながめて居た。

そして又また一杯飲んだ。そして端はしなく眼まなこを自分じぶんの方へ転じたと思おもうと、洋杯コップを手にしたまゝ自分じぶんの方へ大股おおまたで歩いて来くる、其歩武ほぶの気力きりょくある様は以前いぜんの様子ようすと全然まるで違たがうて居た。

自分じぶんは驚いて逃げ出そうかと思った。然しかし直すぐ思い返して其そのまゝ横になって居おると、彼は間もなく自分じぶんの傍そばまで来て、怪あやしげな笑味えみを浮べながら

「貴様あなたは僕が今何を為したか見て居たでしょう?」

と言った声は少すこし嗄しわがれて居た。

「見て居ました。」と自分じぶんは判然はっきり答えた。

「貴様きさまは他人ひとの秘密ひみつを覗うかがって可よいと思いますか。」と彼は益ますます怪げな笑味えみを深くする。

「可よいとは思おもいません。」

「それなら何故なぜ僕の秘密ひみつを覗うかがいました。」

「僕は此処ここで書籍ほんを読よむの自由じゆうを持もって居ます。」

「それは別問題もんだいです。」と彼は一寸ちょっと眼を自分じぶんの書籍ほんの上に注いだ。

「別問題もんだいではありません。貴様きさまが何なにを為しようと僕が何を為しようと、それが他人ひとに害を及ぼさぬ限かぎりはお互の自由じゆうです。若もし貴様あなたに秘密ひみつがあるなら自みずから先まず秘密ひみつに為したら可よいでしょう。」

彼は急にそわ/\して左の手で頭の毛を揉むしるように掻かきながら、

「そうです、そうです。けれども彼あれが僕の做なし得えるかぎりの秘密ひみつなんです。」と言って暫しばらく言葉ことばを途切とぎらし、気を塞つめて居たが、

「僕が貴様きさまを責せめたのは悪う御座ございました、けれども何乎どうか今御覧ごらんになったことを秘密ひみつに仕して下さいませんかお願いですが。」

「お頼たのみとあれば秘密ひみつにします。別に僕の関したことではありませんから。」

「難有ありがとう御座ございます。それで僕も安心あんしんしました。イヤ真まことに失礼しつれいしました匆卒いきなり貴様きさまを詰とがめまして……」と彼は人を圧おしつけようとする最初さいしょの気勢きせいとは打うって変り、如何いかにも力なげに詫わびたのを見て、自分じぶんも気きの毒どくになり、

「何もそう謝あやまるには及およびません、僕も実は貴様きさまが先刻せんこく僕の前に佇立つったって僕ばかり見て居いた時の風が何なんとなく怪あやしかったから、それで此処ここへ来て貴様あなたの為することを覗うかごうて居たのです。矢張やはり貴様きさまを覗がったのです。けれども彼あの事が貴様きさまの秘密ひみつとあれば、堅く僕は其その秘密ひみつを守まもりますから御安心あんしんなさい。」

彼は黙って自分じぶんの顔を見て居たが、

「貴様きさまは必定きっと守って下くださる方です。」と声をふるわし、

「如何どうでしょう、一つ僕の杯さかずきを受うけて下さいませんか。」

「酒ですか、酒なら僕は飲ないほうが可よいのです。」

「飲まないほうが! 飲まないほうが! 無論むろんそうです。もう飲まないで済すむことなら僕とても飲まないほうが可いいのです。けれども僕は飲のむのです。それが僕の秘密ひみつなんです。如何いかでしょう、僕と貴様きさまと斯こうやって話をするのも何かの運命うんめいです、怪あやしい運命うんめいですから、不思議ふしぎな縁ですから一つ僕の秘密ひみつの杯を受うけて下さいませんか、え、如何いかでしょう、受うけて下さいませんか。」という言葉ことばの節々、其その声音こわね、其眼元めもと、其顔色がんしょくは実げに大おおいなる秘密ひみつ、痛いたましい秘密ひみつを包んで居いるように思われた。

「よろしゅう御座ございます、それでは一つ戴いただきましょう。」と自分じぶんの答うるや直すぐ彼は先に立たって元の場処ばしょへと引返かえすので、自分じぶんも其後あとに従った。

二

「これは上等じょうとうのブランデーです。自分じぶんで上等じょうとうも無なあいもんですが、先日せんじつ上京じょうきょうした時、銀座ぎんざの亀屋かめやへ行って最上さいじょうのを呉くれろと内証ないしょうで三本みもと買かって来て此処ここへ匿かくして置いたのです、一本いっぽんは最早もうたいらげて空罎あきびんは滑川なめりがわに投なげ込こみました。これが二本目ほんめです、未まだ一本いっぽんこの砂の中に埋うずめてあります、無くなれば又買って来ます。」

自分じぶんは彼かの差した杯さかずきを受うけ、少すこしずつ啜すすりながら彼かの言ゆう処ところを聞きいて居たが、聞きくに連ずれて自分じぶんは彼を怪あやしむ念の益々ますます高たかまるを禁じ得なかった。けれども決けっして彼かの秘密ひみつに立入たちいろうとは思なかった。

「それで先刻せんこく僕が此処ここへ来て見みると、意外いがいにも貴様あなたが既すでに此この場処ばしょを占領せんりょうして居たのです、驚おどろきましたね、怪けしからん人もあるものだ僕の酒庫を犯し、僕の酒宴しゅえんの莚むしろを奪いながら平気へいきで書籍ほんを読んで居おるなんてと、僕はそれで貴様きさまを見つめながら此処ここを去らなかったのです。」と彼は微笑して言った、其その眼元めもとには心の底に潜ひそんで居おる彼かの優やさしい、正直しょうじきな人柄ひとがらの光さえ髣髴ほのめいて、自分じぶんには更さらに其それが惨いたましげに見えた、其処そこで自分じぶんも笑わらいを含ふくみ、

「そうでしょう、それでなければあんな眼めつきで僕を御覧ごらんになる訳は御座いません。さも恨めしそうでした。」

「イヤ恨めしくは御座いません、情なかったのです。オヤ/\乃公おれは隠かくして置いた酒さえも何時いつか他人ひとの尻しりの下に敷しかれて了しまうのか、と自分じぶんの運命うんめいを詛のろったのです。詛のろうと言えば凄すごく聞えますが、実は僕にはそんな凄すごい了見りょうけんも亦また気力きりょくもありません。運命うんめいが僕を詛のろうて居いるのです――貴様あなたは運命うんめいということを信じますか? え、運命うんめいということ。如何どうです、も一ひとつ」と彼は罎びんを上げたので

「イヤ僕は最早もう戴いただきますまい。」と杯さかずきを彼に返がえし「僕は運命うんめい論者ろんしゃではありません。」

彼は手酌てしゃくで飲のみ、酒気しゅきを吐いて、

「それでは偶然ぐうぜん論者ろんしゃですか。」

「原因げんいん結果けっかの理法りほうを信しんずるばかりです。」

「けれども其その原因げんいんは人間じんかんの力より発し、そして其結果けっかが人間じんかんの頭上ずじょうに落おち来くるばかりでなく、人間じんかんの力以上いじょうに原因げんいんしたる結果けっかを人間じんかんが受うける場合ばあいが沢山だくさんある。その時、貴様きさまは運命うんめいという人間じんかんの力以上いじょうの者を感かんじませんか。」

「感かんじます、けれども其それは自然じねんの力です。そして自然じねん界は原因げんいん結果けっかの理法りほう以外いがいには働かないものと僕は信じて居ますから、運命うんめいという如ごとき神秘しんぴらしい名目みょうもくを其その力に加くわえることは出来しゅったいません。」

「そうですか、そうですか、解わかりました。それでは貴様あなたは宇宙うちゅうに神秘しんぴなしと言うお考かんがえなのです、要之つまり、貴様きさまには此この宇宙うちゅうに寄よする此人生じんせいの意義いぎが、極ごく平易へいい明亮めいりょうなので、貴様きさまの頭は二々ににんが四しで、一切いっせつが間まに合あうのです。貴様きさまの宇宙うちゅうは立体りったいでなく平面へいめんです。無窮むきゅう無限むげんという事実じじつも貴様きさまには何等なんら、感興かんきょうと畏懼いくと沈思ちんしとを喚よび起す当面とうめんの大おおいなる事実じじつではなく、数の連続れんぞくを以もってインフィニテー(無限むげん)を式で示そうとする数学者がくしゃのお仲間なかまでしょう。」と言って苦しそうな嘆息たんそくを洩もらし、冷ひややかな、嘲あざけるような語気ごきで、

「けれども、実は其方そちが幸福こうふくなのです。僕の言葉ことばで言えば貴様きさまは運命うんめいに祝福しゅくふくされて居おる方、貴様きさまの言葉ことばで言えば僕は不幸ふこうな結果けっかを身に受うけて居おる男です。」

「それでは此これで失礼しつれいします。」と自分じぶんは起上たちあがった、すると彼は狼狽あわてて自分じぶんを引止め、「ま、ま、貴様きさま怒ったのですか。若もし僕の言った事がお気に触ったら御勘弁かんべんを願います。つい其その自分じぶんで勝手かってに苦くるしんで勝手かってに色々なことを、馬鹿ばかな訳にも立たん事を考かんがえて居おるもんですから、つい見境みさかいもなく饒舌しゃべるのです。否いいえ、誰だれにも斯そんなことを言った事はないのです。けれども何なんだか貴様あなたには言って見とう感かんじましたから遠慮えんりょもなく勝手かってな熱を吹いたので、貴様きさまには笑われるかも知れませんが。僕にはやはり怪あやしの運命うんめいが僕と貴様きさまを引着ひきつけたように感ぜられるのです。不幸ふしあわせな男と思って、もすこしお話はなし下さいませんか、もすこし……」

「けれども別にお話しするようなことも僕には有ありませんが……」

「そう言わないで何卒どうかもすこし此処ここに居いて下さいな、もすこし……。噫ああ! 如何どうして斯こう僕は無理むりばかり言ゆうのでしょう! 酔よったのでしょうか。運命うんめいです、運命うんめいです、可よう御座ございます、貴様きさまにお話がないなら僕が話はなします。僕が話はなすから聞いて下さい、せめて聴きいて下さい、僕の不幸ふしあわせな運命うんめいを!」

此この苦痛くつうの叫さけびを聞いて何人なんびとか心を動かさざらん。自分じぶんは其その儘まま止とどまって、

「聞ききましょうとも。僕が聴きいてお差支さしつかえがなければ何事なにごとでも承うけたまわりましょう。」

「聴いて下さいますか。それならお話はなしましょう。けれども僕の運命うんめいの怪しき力に惑まどうて居おる者ですから、其積つもりで聴いて下さい。若もし原因げんいん結果けっかの理法りほうと貴様あなたが言うならそれでも可よう御座ございます。たゞ其原因げんいん結果けっかの発展はってんが余あまりに人意の外そとに出て居て、其為ために一人ひとりの若わかい男が無限むげんの苦悩くのうに沈んで居おる事実じじつを貴様きさまが知りましたなら、それを僕が怪しき運命うんめいの力と思おもうのも無理むりの無なあいことだけは承知しょうち下くださるだろうと思います、で貴様きさまに聞ききますが此処ここに一人ひとりの男があって、其男が何心なにごころなく途みちを歩いて居おると、何処どこからとも知れず一ひとつの石が飛んで来て其男の頭に命中あたり、即死そくしする、そのために其男の妻子さいしは餓うえに沈しずみ、其為ために母と子は争あらそい、其為に親子おやこは血を流ながす程の惨劇さんげきを演えんずるという事実じじつが、此世に有あり得えることと貴様あなたは信しんずるでしょうか。」

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「山比古 第十號」1903(明治36)年3月5日
Source edition (底本)
底本:「日本の文学6 武蔵野・春の鳥」ほるぷ出版


   1985(昭和60)年8月1日初版第1刷発行

底本の親本:「運命」左久良書房

   1906(明治39)年3月18日発行

      「國木田獨歩全集 第三卷」学習研究社

   1964(昭和39)年10月30日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※疑問点の確認にあたっては、「國木田獨歩全集 第三卷」1964(昭和39)年10月30日発行を参照しました。

入力:Mt.fuji

校正:福地博文

1999年5月13日公開

2004年6月28日修正

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
Typed by (入力)
Mt.fuji
Proofread by (校正)
福地博文

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