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国木田独歩 Doppo Kunikida 1871.08.30〜1908.06.23

初孫

ういまご

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この度たびは貞夫さだおに結構けっこうなる御おん品御おん贈り下されありがたく存ぞんじ候、お約束やくそくの写真しゃしんようよう昨日さくじつでき上あがり候間二枚さし上げ申し候、内一枚は上田じょうでんの姉に御おん届とどけ下されたく候、ご覧らんのごとくますます肥え太りてもはや祖父じい様のお手には荷が少々勝かち過すぎるように相成り候、さればこのごろはただお膝ひざの上にはい上がりてだだをこねおり候、この分にては小生しょうせいが小供こどもの時きき候と同おんなじ昔噺むかしばなしを貞坊が聞きき候ことも遠とうざかるまじと思われ候、これを思えば悲かなしいともうれしいとも申しようなき感これありこれ必かならず悲喜ひき両方りょうほうと存ぞんじ候、父上は何を申もうすも七十しちじゅう歳いかに強壮きょうそうにましますとも百年のご寿命じゅみょうは望のぞみ難く、去年こぞまでは父上父上と申し上げ候を貞夫さだおでき候て後われら夫妻ふさいがいつとなく祖父じい様とお呼び申もうすよう相成り候以来いらい、父上ご自身おのれも急に祖父そふ様らしくなられ候て初孫ういまごあやしホクホク喜よろこびたもうを見てはむしろ涙にござ候、しかし涙は不吉ふきつ不吉ふきつ、ご覧らん候えわれら一家かずやのいかばかり楽しく暮くらし候かを、父上母上及およびわれら夫妻ふさいと貞夫さだおの五人! 春霞はるがすみたなびく野辺べといえどもわが家やののどけさには及およぶまじく候

ここに父上の祖父じい様らしくなられ候に引ひき換かえて母上はますます元気げんきよろしくことに近ちかごろは『ワッペウさん』というあだ名なまで取られ候て、折おり折おり『おしゃべり』と衝突しょうとつなされ候ことこれまた貞夫さだおよりの事と思えばおかしく候、『おしゃべり』と申せば皆様すぐと小生しょうせいの事に思おぼし召され候わば大違おうちがいに候、妻さいのことに候、あの言葉ことば少なき女が貞夫さだおでき候て以来いらい急に口数くちかず多く相成り近来きんらいはますますはげしく候、そしてそのおしゃべりの対手あいてが貞夫さだおというに至いたっては実げに滑稽こっけいにござ候、先夜せんやも次つぎの間まにて貞夫さだおを相手あいてに何かわからぬことを申しおり候間小生しょうせい、さような事を言うとも小供こどもにはわからぬ少すこし黙っていておくれと申し候ところ

『ソラごらん、坊ぼうやがやかましいことをお言いだから父とう様のご用のお邪魔じゃまになるとサ』

『坊ぼうやがやかましいのではないお前まえがしゃべるのだよ』

『オヤオヤ今度こんどは母様かあさんがしかられましたよ、ね坊ぼうや父様が、「やかましッ」て、こわいことねえ、だから黙ってねんねおし』

「困こまるね、そんな事を言っても坊にゃわからないのだからお前まえさえ黙ればいいんだよ』

『貞坊ぼうや、坊ぼうやはお話がわからないとサ、「わかりますッ」てお言い、坊ぼうやわかりますよッて』

右の始末しまつに候間小生しょうせいもついに『おしゃべり』のあだ名なを与えてもはや彼かの勝手かってに任しおり候

おしゃべりはともかくも小供こどものためにあの仲のよい姑しゅうとめと嫁がどうして衝突しょうとつを、と驚かれ候わんかなれど決けっしてご心配しんぱいには及ばず候、これには奇々妙々の理由わけあることにて、天保てんぽう十四年生うまれの母上の方が明治あきはる十二とうに年生うまれの妻さいよりも育児いくじの上においてむしろ開化かいか主義しゅぎたり急進きゅうしん党なることこそその原因げんいんに候なれ、妻はご存ぞんじの田舎者いなかものにて当今とうぎんの女学校がっこうに入学にゅうがくせしことなければ、育児いくじ学など申もうす学問がくもんいたせしにもあらず、言ゆわば昔風の家に育ちしただの女が初はじめて子を持もちしまでゆえ、無論むろん小児しょうにを育そだてる上に不行ゆき届とどききのこと多きに引ひき換かえ、母上は例の何事なにごとも後あとへは退ひかぬご気性きしょうなるが上に孫かあいさのあまり平生へいぜいはさまで信仰しんこうしたまわぬ今の医師くすし及および産婆さんばの注意ちゅういの一から十まで真まっ正直しょうじきに受うけたもうて、それはそれは寝ねるから起おきるから乳を飲のます時間じかんから何やかと用意ようい周到しゅうとうのほど驚おどろくばかりに候、さらに驚おどろくべきは小生しょうせいが妻のためにとて求もとめ来たりし育児いくじに関かんする書籍しょじゃくなどを妻はまだろくろく見もせぬうちに、母上は老眼ろうがんに眼鏡めがねかけながら暇さえあれば片かたっ端ぱしより読まれ候てなるほどなるほどと感心かんしんいたされ候ことに候、右等の事情じじょうより自然じねん未熟みじゅくなる妻の不注意ちゅういをはなはだ気にしたもうという次第しだいしかるに妻はまた『母かあさまそれは「母の務め」の何枚目に書いてありました』などとまぜ返しを申し候ことなり、いよいよ母上はやっきとなりたもうて『お前まえはカラ旧癖きゅうへいだから困こまる』と答えられ候、『世は逆さかさまになりかけた』と祖父じい様大笑おうわらいいたされ候も無理むりならぬ事にござ候

先日せんじつ貞夫さだお少々風邪かぜの気けありし時、母上目うわめを丸くし

『小児しょうにが六歳までの間に死しにます数は実げにおびただしいものでワッペウ氏の表には平均へいきん百人の中うち十五人三分と記しるしてござります』

と講義こうぎ録の口調くちょうそっくりで申され候間、小生しょうせいも思わずふきだし候、天保てんぽ生うまれの女の口からワッペウなどいう外国人こくじんの名前なまいを一種いっしゅ変へんてこりんな発音はつおんにて聞かされ候ことゆえそのおかしさまた格別かくべつなりしかば、ついに『ワッペウさん』の尊号そんごうを母上に奉たてまつることと相成り候、祖父そふ様の貞夫さだおをあやしたもう時にも

『ワッピョーワッピョー鳩ッぽッぽウ』

と調子ちょうしを取られ候くらい、母上もまたあえて自みずからワッペウ氏をもって任じおられ候、天保てんぽできの女ワッペウと明治あきはる生うまれの旧弊きゅうへい人との育児いくじ的衝突しょうとつと来ては実げに珍無類むるいの滑稽こっけいにて、一家常かじょうに笑声しょうせい多く、笑わらう門かどには福来ふくらいたるの諺ことわざで行けば、おいおいと百千ひゃくせん万両まんりょう何なんのその、岩崎いわさき三井みついにも少々融通ゆうずうしてやるよう相成なるべきかと内々ないない楽たのしみにいたしおり候

しかし今は弁当べんとう官吏かんりの身みの上うえ、一つのうば車ぐるまさえ考かんがえものという始末しまつなれど、祖父じい様には貞夫さだおもはや重く抱かれかね候えば、乳母うば車に乗のせてそこらを押しまわしたきお望のぞみに候間近々大憤発ふんぱつをもって一つ新調しんちょうをいたすはずに候

一輛りょうのうば車ぐるまで小児しょうにも喜よろこび老人ろうじんもまた小児しょうにのごとく喜よろこびたもうかと思えば、福はすでにわが家やの門内もんないに巣食いおり候、この上過分かぶんの福はいらぬ事に候

今夜こんやは雨降あめふりてまことに静しずかなる晩に候、祖父じい様と貞夫さだおはすでに夢もなげに眠ねむり、母上と妻さいは次の室まにて何事なにごとか小声こごえに語かたり合あい、折おり折おり忍しのびやかに笑わらうさま、小児こどものことのほか別に心配しんぱいもなさそうに候

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Where this text comes from

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First published
「太平洋」1900(明治33)年12月
Source edition (底本)
底本:「武蔵野」岩波文庫、岩波書店


   1939(昭和14)年2月15日第1刷発行

   1972(昭和47)年8月16日第37刷改版発行

   2002(平成14)年4月5日第77刷発行

底本の親本:「武蔵野」民友社

   1901(明治34)年3月

初出:「太平洋」

   1900(明治33)年12月

入力:土屋隆

校正:蒋龍

2009年4月8日作成

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Typed by (入力)
土屋隆
Proofread by (校正)
蒋龍

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