Nihoner

国木田独歩 Doppo Kunikida 1871.08.30〜1908.06.23

あの時分

あのじぶん

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さて、明治あきはるの御代みよもいや栄さかえて、あの時分じぶんはおもしろかったなどと、学校がっこう時代じだいの事を語かたり合あう事のできる紳士しんしがたくさんできました。

落おち合あうごとに、いろいろの話が出ます。何度となく繰り返されます。繰くり返かえしても繰くり返かえしても飽くを知らぬのは、またこの懐旧かいきゅう談で、浮うき世よの波にもまれて、眉目びもくのどこかにか苦闘くとうのあとを残のこすかたがたも、「あの時分じぶん」の話になると、われ知らず、青春せいしゅんの血潮ちしおが今ひとたびそのほおにのぼり、目もかがやき、声までがつやをもち、やさしや、涙さえ催されます。

私が来た十九の時でした、城北じょうほく大学だいがくといえば今では天下てんかを三分してその一を保たもつとでも言いそうな勢いきおいで、校舎こうしゃも立派りっぱになり、その周囲しゅういの田も畑もいつしか町ちょうにまでなってしまいましたがいわゆる、「あの時分じぶん」です、それこそ今のおかたには想像そうぞうにも及ばぬことで、じゃんと就業しゅうぎょうの鐘が鳴なる、それが田や林や、畑を越こえて響ひびく、それ鐘がと素人下宿しろとげしゅくを上ぞうりのまま飛とび出だす、田たんぼの小道こみちで肥えをかついだ百姓ひゃくせいに道を譲ってもらうなどいうありさまでした。

ある日樋口ひぐちという同宿どうしゅくの青年ひとが、どこからか鸚鵡おうむを一羽、美うつくしいかごに入れたまま持って帰がえりました。

この青年ひとは、なぜかそのころ学校がっこうを休んで、何とはなしに日を送っていましたが、私には別に不思議ふしぎにも見えませんでした。

午後ごご三時ごろ、学校がっこうから帰かえると、私の部屋へやに三人、友ともだちが集まっています、その一人ひとりは同室どうしつに机を並なべている木村きむらという無口むくちな九州きゅうしゅうの青年ひと、他の二人ふたりは同おんなじこの家に下宿げしゅくしている青年ひとで、政治せいじ科および法律ほうりつ科にいる血気けっきの連中れんじゅうでした。私を見みるや、政治せいじ科の鷹見たかみが、

「窪田くぼた君、窪田くぼた君、珍談ちんだんがあるよ」と声を低く、「きのうから出ていない樋口ひぐちが、どこからか鸚鵡おうむを持って来たが、君まだ見みまい、早く見て来たまえ」と言いますから、私はすぐ樋口ひぐちの部屋へやに行きました。裏の畑に向むかいた六畳の間に、樋口ひぐちとこの家やの主人あるじの後家ごけの四十しじゅう七八しちはちになる人とが、さし向かいで何か話をしているところでした。この後家ごけの事を、私どもはみなおッ母かさんとよんでいました。

おッ母かさんはすこぶるむずかしい顔をして樋口ひぐちの顔を見ています、樋口ひぐちはいつもの癖で、下したくちびるをかんではまた舌の先でなめて、下を向むかいています。そして鸚鵡おうむのかごが本箱ほんばこの上に置いてあります。

「樋口ひぐちさん樋口ひぐちさん」と突然とつぜん鸚鵡おうむが間のぬけた調子ちょうしで鳴いたので、

「や、こいつは奇体きたいだ、樋口ひぐち君、どこから買って来たのだ、こいつはおもしろい」と、私はまだ子供こどもです、実際じっさいおもしろかった、かごのそばに寄ってながめました。

「うん、おもしろい鳥だろう」と、樋口ひぐちはさびしい笑わらいをもらしてちょっと振ふり向むきましたが、すぐまた、下を向むかいてしまいました、

なぜかおッ母かさんは、泣なき面つらです、そして私をしかるように「窪田くぼたさん、そんなものをごらんになるならあっちへ持っていらっしゃい」

「いいかい君、」と、私は持もち主ぬしの樋口ひぐちに聞ききますと、樋口ひぐちは黙ってうなずいて軽くため息いきをしました。

私が鸚鵡おうむを持って来たので、ねそべっていた政法の二人ふたりははね起きました、

「どうした」と鷹見たかみは鸚鵡おうむのかごと私の顔を見比べて、しかも笑わらいながら、聞ききますから、「どうしたって、どうした」

「樋口ひぐちの部屋へやにおッ母かさんがいたろう」

「いたよ」と、私は何げなく答えましたが、様子ようすの変であったことは別に言いませんでした。しかし政法の二人ふたりは顔を見合わして笑わらいました、声は出だしません。そしてかごの上に結んである緋縮緬ひぢりめんのくけ紐ひもをひねくりながら、「こんな紐ひもなぞつけて来くるからなおいけない、露見ろけんのもとだ、何よりの証拠しょうこだ」と、法科ほうかの上田じょうでんがその四角しかくの顔をさらにもっともらしくして言いますと、鷹見たかみが、

「しかし樋口ひぐちには何よりこの紐がうれしいのだろう、かいでみたまえ、どんなにおいがするか」

「ばか言え、樋口ひぐちじゃあるまいし」と、上田じょうでんの声が少すこし高かったので、鸚鵡おうむが一声高く「樋口ひぐちさん」と叫さけびました。

「このちくしょう?」と鷹見たかみがうなるように言いましたが、鸚鵡おうむはいっさい平気へいきで、

「お玉たまさん」

「人をばかにしている!」と上田じょうでんが目を丸くしますと、「お玉たまさん、……樋口ひぐちさん……お玉たまさん……樋口ひぐちさん……」と響ひびき渡わたる高だかい調子ちょうしで鸚鵡おうむは続つずけざま叫さけび出したので、政法も木村きむらも私もあっけに取られていますと、駆けこんで来たのが四郎しろうという十五になるこの家うちの子です。

「鸚鵡おうむをくださいって」と、かごを取って去ってしまいました。この四郎しろうさんは私と仲なかよしで、近いうちに裏の田たんぼで雁がんをつる約束やくそくがしてあったのです、ところがその晩、おッ母かアと樋口ひぐちは某坂なにざかの町に買かい物ものがあるとて出てゆき、政法の二人ふたりは校堂でやる生徒せいと仲間なかまの演説えんぜつ会にゆき、木村きむらは祈祷会きとうかいにゆき、家に残ったのは、下女しもおんな代がわりに来ている親類しんるいの娘と、四郎しろうと私だけで、すこぶるさびしくなりましたから、雁つりの実行じっこうに取とりかかりました。

かねて四郎しろうと二人ふたりで用意よういしておいた――すなわち田溝たみぞで捕えておいたどじょうを鉤はりにつけて、家を西へ出でるとすぐある田のここかしこにまきました。田はその昔、ある大名たいめいの下屋敷しもやしきの池であったのを埋めたのでしょう、まわりは築山つきやまらしいのがいくつか凸起とっきしているので、雁にはよき隠かくれ場ばであるので、そのころ毎晩まいばんのように一群ひとむれの雁がおりたものです。

恋しき父母ちちはは兄弟けいていに離はなれ、はるばると都に来て、燃ゆるがごとき功名こうみょうの心にむちうち、学問がくもんする身にてありながら、私はまだ、ほんのこどもでしたから、こういういたずらも四郎しろうと同おんなじ心のおもしろさを持っていたのです。

十幾本ほんの鉤はりを凧糸たこいとにつけて、その根を一本いっぽんにまとめて、これを栗くりの木の幹に結むすび、これでよしと、四郎しろうと二人ふたりが思わず星影ほしかげ寒き大空おうぞらの一方いっぽうを望んだ時の心持こころもちはいつまでも忘わすれる事ができません。

もちろん雁のつれるわけがないので、その後二晩ばかりやってみましたが、人々に笑われるばかり、四郎しろうも私も断念だんねんしました。悲かなしい事にはこの四郎しろうはその後まもなく脊髄病せきずいびょうにかかって、不具かたわ同様どうようの命を二三にさん年保っていたそうですが、死しにました。そして私は、その墓がどこにあるかも今では知りません。あきらめられそうでいてて、さて思おもい起おこすごとにあきらめ得ない哀別のこころに沈しずむのはこの類の事です、そして私は「縁が薄うすい」という言葉ことばの悲哀ひあいを、つくづく身に感かんじます。

ツイ近ちかごろのことです、私は校友こうゆう会の席で、久しぶりで鷹見たかみや上田じょうでんに会いました。もっともこの二人ふたりは、それぞれ東京とうきょうで職を持って相応そうおうに身を立てていますから、年に二度三度会わたらいいますが、私とは方面ほうめんが違たがうので、あまり親しく往来おうらいはしないのです。けれども、会えばいつも以前いぜんのままの学友がくゆう気質きしつで、無遠慮えんりょな口をきき合あうのです。この日も鷹見たかみは、帰路かえりみちにぜひ寄れと勧すすめますから、上田じょうでんとともに三人連れ立って行って、夫人ふじんのお手料理りょうりとしては少すこし上等じょうとうすぎる馳走ちそうになって、酒も飲んで「あの時分じぶん」が始はじまりましたが、鷹見たかみはもとの快活かいかつな調子ちょうしで、

「時に樋口ひぐちという男はどうしたろう」と話が鸚鵡おうむの一件になりました。

「どうなるものかね、いなかにくすぼっているか、それとも死んだかも知れない、長生ながいきをしそうもない男であった。」と法律ほうりつの上田じょうでんは、やはりもとのごとくきびしいことを言います。

「かあいそうなことを言ゆう、しかし実際じっさいあの男は、どことなく影が薄いような人であったね、窪田くぼた君。」

と鷹見たかみの言葉ことばのごとく、私も同意どういせざるを得ないのです。口数くちかずをあまりきかない、顔色がんしょくの生白なまじろい、額の狭せまい小づくりな、年は二十一といちか二の青年わかものを思い出しますと、どうもその身の周囲しゅういに生いき生いきした色がありません、灰色はいいろの霧が包んでいるように思われます。

「けれども艶福えんぷくの点において、われわれは樋口ひぐちに遠とおく及ばなかった」と、上田じょうでんは冷ひややかに笑わらいます、鷹見たかみは、

「イヤ、あんな男に限って、女にかあいがられるものサ、女の言いなりほうだいになっていて、それでやはり男だから、チョイと突つっ張ぱってみる、いわゆる張はりだね、女はそういうふうな男を勝手かってにしたり、また勝手かってにされてみたりすると、夢中むちゅうになるものだ。だから見たまえ、あの五十ごじゅう面づらのばあさんが、まるで恥も外聞がいぶんも忘わすれていたじゃあないか。鸚鵡おうむの持もち主ぬしはどんな女だか知らないがきっと、海山うみやま千年ちとしの女郎じょうろだろうと僕は鑑定かんていする。」

「まアそんな事だろう、なにしろ後家ごけばあさん、大おおいに通つうをきかしたつもりで樋口ひぐちを遊ばしたからおもしろい、鷹見たかみ君のいわゆる、あれが勝手かってにされてみたのだろうが、鸚鵡おうむまで持もちこまれて、『お玉たまさん樋口ひぐちさん』の掛合かけあいまで聞かされたものだから、かあいそうに、ばあさんすっかりもてあましてしまって、樋口ひぐちのいない留守るすに鸚鵡おうむを逃がしたもんだ、窪田くぼた君、あの滑稽こっけいを覚おぼえているかえ。」

私はうなずきました、樋口ひぐちが鸚鵡おうむを持もちこんだ日から二日目にちもくか三日目にちもくです、今では上田じょうでんも鷹見たかみもばあさんと言っています、かの時分じぶんのおッ母かさんが、鸚鵡おうむのかごをあけて鳥を追おい出でるしたものです。すると樋口ひぐちが帰って来て、非常ひじょうに怒った様子ようすでしたが、まもなく鸚鵡おうむがひとりでにかごへ帰って来たので、それなりに納まったらしいのです。

「けれども君は、かの後の事はよく知しるまい、まもなく君は木村きむらと二人ふたりで転宿てんしゅくしてしまったから……なんでも君と木村きむらが去ってしまって一週間しゅうかんもたたないうちだよ、ばあさんたまらなくなって、とうとう樋口ひぐちをくどいて国郷くにに帰してしまったのは。ばアさん、泣なきの涙かなんかでかあいい男を新橋しんきょうまで送ったのは、今から思おもうと滑稽こっけいだが、かあいそうだ、それでなくてあの気の抜けたような樋口ひぐちがますますぼんやりして青くなって、鸚鵡おうむのかごといっしょに人車くるまに乗って、あの薄うすぎたない門を出てゆく後うしろ姿すがたは、まだ僕の目にちらついている。」とさすがの上田じょうでんも感に堪えないふうでした。

それから樋口ひぐちの話ばかりでなく、木村きむらの事なども話題わだいにのぼり、夜の十一時いちじごろまでおもしろく話はなして別わかれましたが、私は帰路かえりみちに木村きむらの事を思い出して、なつかしくなってたまりませんでした、どうして彼はいるだろう、どうかして会ってみたいものだ、たれに聞き合わすればあの人の様子ようすや居所いどころがわかるだろうなどいろいろ考かんがえながら帰がえりました。

私がおッ母かさんの素人下宿しろとげしゅくを出たのは全く木村きむらに勧すすめられたからです。鸚鵡おうむの一件で木村きむらは初はじめてにがにがしい事情じじょうを知って、私に、それとなく、言葉少ことばずくなに転宿てんしゅくをすすめ、私も同意どういして、二人ふたりで他の下宿げしゅくに移りました。

木村きむらは細長ほそながい顔の、目めじりの長く切きれた、口の小ちいさな男で、背せたけは人並なみに高く、やせてひょろりとした上につんつるてんの着物きものを着ていましたから、ずいぶんと見みすぼらしいふうでしたけれども、私の目にはそれがなんとなくありがたくって、聖者しょうじゃのおもかげを見みる気がしたのです。朝一度ひとたび晩一度ひとたび、彼は必かならず聖書バイブルを読みました。そして日曜にちようの朝の礼拝れいはいにも、金曜日ようびの夜の祈祷会きとうかいにも必かならず出席しゅっせきして、日曜にちようの夜の説教せっきょうまで聞きに行ゆくのでした。

他の下宿げしゅくに移ってまもなくの事でありました、木村きむらが、今夜こんや、説教せっきょうを聞きに行かないかと言います。それもたって勧すすめるではなく、彼かの癖として少すこし顔を赤らめて、もじもじして、丁寧ていねいに一言ひとこと「行きませんか」と言ったのです。

私はいやと言うことができないどころでなく、うれしいような気がして、すぐ同意どういしました。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

Source edition (底本)
底本:「号外・少年の悲哀 他六編」岩波文庫、岩波書店


   1939(昭和14)年4月17日第1刷発行

   1960(昭和35)年1月25日第14刷改版発行

   1981(昭和56)年4月10日第34刷発行

入力:紅 邪鬼

校正:LUNA CAT

2000年8月21日公開

2006年5月19日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
紅邪鬼
Proofread by (校正)
LUNA CAT

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