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国木田独歩 Doppo Kunikida 1871.08.30〜1908.06.23

牛肉と馬鈴薯

ぎゅうにくとばれいしょ

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明治あきはる倶楽部クラブとて芝区桜田さくらだ本郷ほんごう町のお堀辺ほりばたに西洋せいよう作づくりの余あまり立派りっぱではないが、それでも可かなりの建物たてもんがあった、建物たてもんは今でもある、しかし持主もちぬしが代って、今では明治あきはる倶楽部くらぶその者はなくなって了しまった。

この倶楽部くらぶが未まだ繁盛はんじょうしていた頃のことである、或ある年の冬の夜、珍らしくも二階にかいの食堂しょくどうに燈火あかりが点ついていて、時々おりおり高く笑わらう声が外面そとに漏れていた。元来いったいこの倶楽部くらぶは夜分やぶん人の集っていることは少ずくないので、ストーブの煙は平常いつも昼間ちゅうかんばかり立ちのぼっているのである。

然しかるに八時は先刻さっき打っても人々は未いまだなかなか散じそうな様子ようすも見えない。人力車くるまが六台玄関げんかんの横に並んでいたが、車夫しゃふどもは皆みんな勝手かっての方で例の一六いちろく勝負しょうぶ最中さなからしい。

すると一人ひとりの男、外套がいとうの襟えりを立てて中折帽なかおれぼうを面深まぶかに被かぶったのが、真暗まっくらな中ちゅうからひょっくり現あらわれて、いきなり手荒く呼鈴よびりんを押した。

内から戸が開あくと、

「竹内たけのうち君は来てお出いでですかね」と低ひくい声の沈重おちついた調子ちょうしで訊たずねた。

「ハア、お出で御座ございます、貴様あなたは?」と片眼かための細顔の、和服わふくを着た受付うけつけが丁寧ていねいに言った。

「これを」と出いだした名刺めいしには五号活字かつじで岡本おかもとの誠夫せいふとしてあるばかり、何どの肩書かたがきもない。受付うけつけはそれを受取り急いで二階にかいに上って去いったが間もなく降りて来て

「どうぞ此方こちらへ」と案内あんないした、導かれて二階にかいへ上のぼれると、煖炉ストーブを熾さかんに燃たいていたので、ムッとする程温あったかい。煖炉ストーブの前には三人、他の三人は少すこし離はなれて椅子いすに寄っている。傍かたわらの卓子テーブルにウイスキーの壜びんが上のっていてこっぷの飲み干したるもあり、注ついだままのもあり、人々は可いい加減かげんに酒が廻まわっていたのである。

岡本おかもとのの姿を見みるや竹内たけのうちは起たって、元気げんきよく

「まアこれへ掛かけ給え」と一ひとつの椅子いすをすすめた。

岡本おかもとのは容易たやすいに坐に就つかない。見廻みまわすとその中うちの五人は兼かねて一面識めんしき位はある人であるが、一人ひとり、色の白じろい中肉ちゅうにくの品の可よい紳士しんしは未いまだ見識みしらぬ人である。竹内たけのうちはそれと気がつき、

「ウン貴様あなたは未いまだこの方ほうを御存知ぞんじないだろう、紹介しょうかいしましょう、この方ほうは上村君かみむらさんと言って北海道ほっかいどう炭鉱たんこう会社かいしゃの社員しゃいんの方です、上村うえむら君、この方ほうは僕の極ごく旧ふるい朋友ともだちで岡本おかもとの君……」

と未いまだ言い了おわらぬに上村うえむらと呼よばれし紳士しんしは快活かいかつな調子ちょうしで

「ヤ、初はじめて……お書かきになった物は常に拝見はいけんしていますので……今後こんご御懇意こんいに……」

岡本おかもとのは唯ただ「どうかお心安く」と言ったぎり黙って了った。そして椅子いすに倚よった。

「サアその先を……」と綿貫わたぬきという背の低ひくい、真黒まっくろの頬髭ほおひげを生はやしている紳士しんしが言った。

「そうだ! 上村うえむら君、それから?」と井山いやまという眼のしょぼしょぼした頭髪あたまのけの薄うすい、痩方やせがたの紳士しんしが促した。

「イヤ岡本おかもとの君が見えたから急に行やりにくくなったハハハハ」と炭鉱たんこう会社かいしゃの紳士しんしは少すこし羞はにかんだような笑方をした。

「何ですか?」

岡本おかもとのは竹内たけのうちに問うた。

「イヤ至極しごく面白おもしろいいんだ、何かの話の具合ぐわいで我々の人生じんせい観を話はなすことになってね、まア聴きいて居給え名論めいろん卓説たくせつ、滾々こんこんとして尽きずだから」

「ナニ最早もう大概たいげい吐き尽したんですよ、貴様あなたは我々俗物ぞくぶつ党と違がって真物ほんものなんだから、幸さいわい貴様あなたのを聞ききましょう、ね諸君しょくん!」

と上村うえむらは逃にげかけた。

「いけないいけない、先まず君の説を終おえ給え!」

「是非ぜひ承わりたいものです」と岡本おかもとのはウイスキーを一杯いっぱい、下にも置かないで飲み干した。

「僕のは岡本おかもとの君さんの説とは恐おそらく正反対はんたいだろうと思おもうんでね、要之つまり、理想りそうと実際じっさいは一致いっちしない、到底とうてい一致いっちしない……」

「ヒヤヒヤ」と井山いやまが調子ちょうしを取った。

「果はたして一致いっちしないとならば、理想りそうに従したがうよりも実際じっさいに服ふくするのが僕の理想りそうだというのです」

「ただそれだけですか」と岡本おかもとのは第二の杯を手にして唸うなるように言った。

「だってねエ、理想りそうは喰たべられませんものを!」と言った上村うえむらの顔は兎うさぎのようであった。

「ハハハハビフテキじゃアあるまいし!」と竹内たけのうちは大口おうくちを開けて笑った。

「否いやビフテキです、実際じっさいはビフテキです、スチューです」

「オムレツかね!」と今まで黙って半分はんぶん眠りかけていた、真紅まっかな顔をしている松木まつき、坐中で一番いちばん年の若そうな紳士しんしが真面目まじめで言った。

「ハッハッハッハッ」と一坐が噴飯ふきだした。

「イヤ笑わらいごとじゃアないよ」と上村うえむらは少すこし躍起やっきになって、

「例たとえてみればそんなものなんで、理想りそうに従がえば芋いもばかし喰くっていなきゃアならない。ことによると馬鈴薯いもも喰えないことになる。諸君しょくんは牛肉ぎゅうにくと馬鈴薯いもとどっちが可いい?」

「牛肉ぎゅうにくが可いいねエ!」と松木まつきは又た眠むそうな声で真面目まじめに言った。

「然しかしビフテキに馬鈴薯いもは附属物つきものだよ」と頬髭ほおひげの紳士しんしが得意とくいらしく言った。

「そうですとも! 理想りそうは則すなわち実際じっさいの附属物つきものなんだ! 馬鈴薯いもも全まるきり無なあいと困こまる、しかし馬鈴薯じゃがいもばかりじゃア全く閉口へいこうする!」

と言って、上村うえむらはやや満足まんぞくしたらしく岡本おかもとのの顔を見た。

「だって北海道ほっかいどうは馬鈴薯じゃがいもが名物めいぶつだって言ゆうじゃアありませんか」と岡本おかもとのは平気へいきで訊たずねた。

「その馬鈴薯じゃがいもなんです、僕はその馬鈴薯じゃがいもには散々酷ひどい目に遇あったんです。ね、竹内たけのうち君は御存知ぞんじですが僕はこう見えても同志どうし社の旧ふるい卒業生ごうしょうなんで、矢張やはりその頃は熱心なアーメンの仲間なかまで、言い換ゆれば大々的馬鈴薯じゃがいも党だったんです!」

「君が?」とさも不審ふしんそうな顔色かおつきで井山いやまがしょぼしょぼ眼まなこを見張った。

「何も不思議ふしぎは無なあいサ、その頃はウラ若わかいんだからね、岡本おかもとの君はお幾歳いくつかしらんが、僕が同志どうし社を出たのは二十二とうにでした。十三じゅうそう年も昔なんです。それはお目に掛かけたいほど熱心ねっしんなる馬鈴薯じゃがいも党でしたがね、学校がっこうに居おる時分じぶんから僕は北海道ほっかいどうと聞きくと、ぞくぞくするほど惚ほれていたもんで、清教徒ピュリタンを以もって任じていたのだから堪たまらない!」

「大変たあいへんな清教徒ピュリタンだ!」と松木まつきが又た口を入れたのを、上村うえむらは一寸ちょっと腮あごで止とどめて、ウイスキーを嘗なめながら

「断然だんぜんこの汚けがれたる内地ないちを去って、北海道ほっかいどう自由じゆうの天地あめつちに投じようと思いましたね」と言った時、岡本おかもとのは凝然じっと上村うえむらの顔を見た。

「そしてやたらに北海道ほっかいどうの話を聞いて歩いたもんだ。伝道師みちのしの中うちに北海道ほっかいどうへ往いって来たという者があると直すぐ話を聴きに出掛でかけましたよ。ところが又先方せんぽうは甘うまいことを話はなして聞かすんです。やれ自然ネーチュールがどうだの、石狩川いしかりがわは洋々とした流ながれだの、見渡みわたすかぎり森又た森だの、堪ったもんじゃアない! 僕は全然すっかりまいッちまいました。そこで僕は色々と聞ききあつめたことを総合そうごうして如此こんなふうな想像そうぞうを描いていたもんだ。……先まず僕が自己じこの額に汗して森を開ひらき林を倒たおし、そしてこれに小豆あずきを撒まく、……」

「その百姓ひゃくせいが見たかったねエハッハッハッハッハッハッ」と竹内たけのうちは笑わらいだした。

「イヤ実地じっち行やったのサ、まア待まち給え、追おい追おい其処そこへ行ゆくから……、その内にだんだんと田園でんえんが出来しゅったいて来くる、重おもに馬鈴薯じゃがいもを作ずくる、馬鈴薯じゃがいもさえ有りゃア喰くうに困らん……」

「ソラ馬鈴薯じゃがいもが出た!」と松木まつきは又た口を入れた。

「其処そこで田園でんえんの中央まんなかに家がある、構造こうぞうは極きわめて粗末そまつだが一見いちげん米国風こくふうに出来しゅったいている、新英洲ニューイングランド殖民しょくみん地時代じだいそのままという風に出来しゅったいている、屋根やねがこう急勾配きゅうこうばいになって物々しい煙突えんとつが横の方に一ツ。窓を幾個いくつ附けたものかと僕は非常ひじょうに気を揉もんだことがあったッけ……」

「そして真個ほんとにその家が出来しゅったいたのかね」と井山いやまは又しょぼしょぼ眼まなこを見張った。

「イヤこれは京都きょうとに居た時の想像そうぞうだよ、窓で気を揉んだのは……そうだそうだ若王寺にゃくおうじへ散歩さんぽに往って帰かえる時だった!」

「それからどうしました?」と岡本おかもとのは真面目まじめで促がした。

「それから北きたの方かたへ防風林ふうりんを一区劃くかく、なるべくは林を多く取って置おくことにしました。それから水の澄み渡った小川こがわがこの防風林ふうりんの右の方からうねり出て屋敷やしきの前を流ながれる。無論むろんこの川で家鴨あひるや鵞鳥がちょうがその紫の羽や真白まっしろな背を浮べてるんですよ。この川に三寸厚サの一枚板で橋が懸かかっている。これに欄干らんかんを附けたものか附けないものかと色々工夫こうふしたが矢張やはり附けないほうが自然じねんだというんで附けないことに定さだめました……まア構造こうぞうはこんなものですが、僕の想像そうぞうはこれで満足まんぞくしなかったのだ……先まず冬になると……」

「ちょッとお話の途中とちゅうですが、貴様あなたはその『冬』という音おんにかぶれやアしませんでしたか?」と岡本おかもとのは訊たずねた。

上村うえむらは驚ろいた顔色がんしょくをして

「貴様きさまはどうしてそれを御存知ぞんじです、これは面白おもしろい! さすが貴様きさまは馬鈴薯じゃがいも党だ! 冬と聞いては全く堪たまりませんでしたよ、何だかその冬則すなわち自由じゆうというような気がしましてねエ! それに僕は例の熱心ねっしんなるアーメンでしょうクリスマス万歳ばんざいの仲間なかまでしょう、クリスマスと来くるとどうしても雪がイヤという程降って、軒から棒のような氷柱つららが下っていないと嘘うそのようでしてねエ。だから僕は北海道ほっかいどうの冬というよりか冬則すなわち北海道ほっかいどうという感が有ったのです。北海道ほっかいどうの話を聴きいても『冬になると……』とこういわれると、身体からだがこうぶるぶるッとなったものです。それで例の想像そうぞうにもです、冬になると雪が全然すっかり家を埋めて了しまう、そして夜は窓硝子まどガラスから赤あかい火影ほかげがチラチラと洩もれる、折おり折おり風がゴーッと吹いて来て林の梢こずえから雪がばたばたと墜おちる、牛部屋へやでホルスタイン種の牝牛めうしがモーッと唸うなる!」

「君は詩人しじんだ!」と叫けんで床を靴で蹶けったものがある。これは近藤こんどうといって岡本おかもとのがこの部屋へやに入って来て後のちも一言ごんを発しないで、唯ただウイスキーと首引くびっぴきをしていた背の高だかい、一癖ひとくせあるべき顔構つらがまえをした男である。

「ねエ岡本おかもとの君!」と言い足した。岡本おかもとのはただ、黙言だまって首肯うなずいたばかりであった。

「詩人しじん? そうサ、僕はその頃は詩人しじんサ、『山々霞かすみ入合いりあいの』ていうグレーのチャルチャードの飜訳ほんやくを愛読あいどくして自分じぶんで作ってみたものだアね、今日こんにちの新体しんたい詩人しじんから見みると僕は先輩せんぱいだアね」

「僕も新体しんたい詩なら作ったことがあるよ」と松木まつきが今度こんどは少すこし乗地のりじになって言った。

「ナーニ僕だって二ツ三ツ作やったものサ」と井山いやまが負まけぬ気になって真面目まじめで言った。

「綿貫わたぬき君、君はどうだね?」と竹内たけのうちが訊ねた。

「イヤお恥はずかしいことだが僕は御存知ぞんじの女気おんなけのない通とおり詩人しじん気は全くなかった、『権利けんり義務ぎむ』で一貫いっかんして了った、どうだろう僕は余程よほど俗骨ぞっこつが発達はったつしてるとみえる!」と綿貫わたぬきは頭を撫なでてみた。

「イヤ僕こそ甚はなはだお恥はずかしい話だがこれで矢張やはり作やったものだ、そして何かの雑誌ざっしに二ツ三ツ載せたことがあるんだ! ハッハッハッハッハッ」

「ハッハッハッハッハッ」と一同いちどうが噴飯ふきだして了った。

「そうすると諸君しょくんは皆詩人しじんの古手ふるてなんだね、ハッハッハッハッハッ奇談きだん々々!」と綿貫わたぬきが叫んだ。

「そうか、諸君しょくんも作やったのか、驚ろいた、その昔は皆みんな馬鈴薯じゃがいも党なんだね」と上村うえむらは大おおいに面目めんぼくを施こしたという顔色かおつき。

「お話の先を願ねがいたいものです」と岡本おかもとのは上村うえむらを促がした。

「そうだ、先をやり給え!」と近藤こんどうは殆ほとんど命令れいするように言った。

「宜よろしい! それから僕は卒業そつぎょうするや一年ひととせばかり東京とうきょうでマゴマゴしていたが、断然だんぜんと北海道ほっかいどうへ行ったその時の心持こころもちといったら無なあいね、何だかこう馬鹿ばか野郎やろう! というような心持こころもちがしてねエ、上野かんつけのの停車場ステーションで汽車きしゃへ乗って、ピューッと汽笛きてきが鳴って汽車きしゃが動うごきだすと僕は窓から頭を出だして東京とうきょうの方へ向むかいて唾つばきを吐きかけたもんだ。そして何とも言えない嬉うれしさがこみ上げて来て人知れずハンケチで涙を拭ふいたよ真実ほんとに!」

「一寸ちょっと君、一寸ちょっと『馬鹿ばか野郎やろう!』というような心持こころもちというのが僕には了解りょうかいが出来しゅったいないが……そのどういうんだね?」と権利けんり義務ぎむの綿貫わたぬきが真面目まじめで訊ねた。

「唯ただ東京とうきょうの奴等やつらを言ったのサ、名利みょうりに汲々きゅうきゅうとしているその醜態ざまは何だ! 馬鹿ばか野郎やろう! 乃公おれを見ろ! という心持こころもちサ」と上村うえむらもまた真面目まじめで註解ちゅうかいを加えた。

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This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

Source edition (底本)
底本:新潮文庫『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』

   1970(昭和45)年5月30日発行

入力:八木正三

校正:LUNA CAT

1998年5月23日公開

2011年5月23日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
八木正三
Proofread by (校正)
LUNA CAT

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