Nihoner

国木田独歩 Doppo Kunikida 1871.08.30〜1908.06.23

郊外

こうがい

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一

時田ときだ先生せんせい、名は立派りっぱなれど村立そんりつ小学校がっこうの教員きょういんである、それも四角しかくな顔の、太ふとい眉まゆの、大おおきい口の、骨格こっかくのたくましい、背せいの低ひくい、言ゆうまでもなく若わかい女などにはあまり好かれない方の男。

そのくせ生徒せいとにも父兄ふけいにも村長そんちょうにもきわめて評判ひょうばんのよいのは、どこか言ゆうに言われぬ優やさしいところがあるので、口数くちかずの少ずくない代がわりには嘘うそを言ゆうことのできない性分しょうぶん、それは目でわかる、いつも笑えみを含んでいるので。

嫁を世話せわをしよう一人ひとりいいのがあると勧すすめた者は村長そんちょうばかりではない、しかしまじめな挨拶あいさつをしたことなく、今年ことし三十一といちで下宿げしゅく住すまい、このごろは人もこれを怪しまないほどになった。

梅むめちゃん、先生せんせいの下宿げしゅくはこの娘のいる家うちの、別室はなれの中ちゅう二階にかいである。下は物置ものおきで、土間どまからすぐ梯子段はしごだんが付いている、八畳一間ぎり、食事しょくじは運んで上あげましょというのを、それには及ばないと、母屋おもやに食べに行いく、大概たいげいはみんなと一同いっしょに膳ぜんを並なべて食くうので、何を食べささりょうと頓着とんちゃくしない。

梅ちゃんは十歳とおの年から世話せわになったが、卒業そつぎょうしないで退校ひいても先生別せいべつに止とどめもしなかった、今は弟の時坊が尋常二つねじ年で、先生せんせいの厄介やっかいになっている、宅うちへ帰かえると甘あまえてしかたがないが学校がっこうでは畏おそれている。

先生せんせいの中二階にかいからはその屋根やねが少すこしばかりしか見えないが音はよく聞きこえる水車すいしゃ、そこに幸こうちゃんという息子むすこがある、これも先生せんせいの厄介やっかいになッた一人ひとりで、卒業そつぎょうしてから先生せんせいの宅うちへ夜分やぶん外史がいしを習ならいに来たが今はよして水車すいしゃの方を働いている、もっとも水車すいしゃといっても都の近在きんざいだけに山国さんこくの小ちいさな小屋しょうおくとは一つにならない。月に十四、五両も上あがる臼うすが幾個いくつとかあって米を運はこぶ車を曳ひく馬の六、七頭も飼ッてある。たいしたものだと梅ちゃんの母親ははおやなどはしょっちゅううらやんでいるくらいで。

『そんならこちらでも水車すいしゃをやったらどうだろう、』と先生せんせいに似合わないことをある時まじめで言いだした。

『幸こうちゃんとこのようにですか、だってあれは株ですものう、水車すいしゃがそういつだってできるもんならたれだってやりますわ。』おかみさんは情けなそうに笑って言った。

『なるほど場処ばしょがないからねエ。』先生せんせいはまじめに感心かんしんしてそれで水車すいしゃの話はやんで幸ちゃんのうわさに移ッた。

お神かみさんはしきりと幸ちゃんをほめて、実はこれは毎度まいどのことであるが、そして今度こんどの継母ままはははどうやら人が悪そうだからきっと、幸ちゃんにはつらく当あたるだろうと言ッた。

『いい歳としをしてもう今度こんどで三度めですよ、第一だいいち小供こどもがかあいそうでさア。』

『三度め!』先生せんせいは二度めとばかり思ッていたのである。

『もっとも幸ちゃんの母親おふくろは亡なくなッたんですけれども。』

この時、のそり挨拶あいさつなしに土間どまに現あらわれたのが二十にじゅう四、五の、小づくりな色の浅あさぐろい、目元めもとの優やさしい男。

『オヤ幸ちゃんが! 今お前まえさんのうわさをしていたのよ。』実はお神かみさん少すこし驚いてまごついたのである。

『先生せんせい今日は。』

『この二、三日見えないようであったね。』

『相変わらず忙せわしいもんですから。』

『マアお上かみがんなさいな、今日こんにちはどちらへ。』お神かみさんは幸吉こうきちの衣装なりに目をつけて言った。

『神田かんだの叔父おじの処へちょっと行って来ました、先生せんせい今晩こんばんお宅たくでしょうか。』幸吉こうきちの言葉ことばは何となく沈んでいる。

『在宅いるとも、何なんか用だろうか。』

『ナニ別に、ただ少すこしばかし……』

『今夜こんや宅うちで浪花節なにわぶしをやらすはずだから幸ちゃんもおいでなさいな、そらいつかの梅竜ばいりゅう』お神かみさんは卒然そつぜん言葉ことばをはさんだ。

『そうですか、来ましょう、それじゃあまた晩に』と言って幸吉こうきちは帰ってしまった。

『幸ちゃん今日きょうはどうかしているよ』とお神かみさんは言ったが、先生別せいべつに返事へんじをしないで立て膝ひざをしながらお神かみさんの手元てもとをながめていた。お神かみさんは時田ときたのシャツの破綻ほころびを繕っている。

夜食やしょくが済すむと座敷ざしきを取とり片付づけるので母屋おもやの方は騒いでいたが、それが済すむと長屋ながやの者や近所きんじょの者がそろそろ集まって来て、がやがやしゃべるのが聞きこえる。日はとっぷり暮くれたが月はまだ登らない、時田ときたは燈火ひも点つけないで片足かたあしを敷居しきいの上に延ばし、柱に倚よりかかりながら、茫然ぼんやり外面そとをながめている。

『先生せんせい!』梅ちゃんの声らしい、時田ときたは黙って返事へんじをしない。『オヤいないのだよ』と去いってしまった、それから五分も経たったか、その間身動みうごきもしないで東の森をながめていたが、月の光がちらちらともれて来たのを見て、彼は悠然やおら立って着衣きものの前を丁寧ていねいに合わして、床とこに放棄ほうってあった鳥打とりうち帽を取どるや、すたこらと梯子段はしごだんを下おりた。

生垣いけがきを回まわると突然だしぬけに出っくわしたのがお梅うめである。お梅うめはきゃんな声で

『知らないよ。いいジャアないかあたしがだれのうわさをしようがお前まえさんの関かまった事ジャアないよ、ねエ先生せんせい!』

時田ときたは驚いて木この下闇したやみを見みると、一人ひとりの男が立っていたが、ツイと長屋ながやの裏の方へ消えてしまった。

『だれ。』時田ときたは訊たずねた。

『源公の野郎やろう、ほんとにこの節は生意気いきになったよ。先生せんせい散歩さんぽ?』お梅うめは時田ときたのそばに寄って顔をのぞくようにして見た。

『あの幸ちゃんが来たら散歩さんぽに行ったって、そしてすぐ帰かえるからッて言っておくれ、』と時田ときたは門を出た。お梅うめは後あとについて来て、

『すぐお帰んなさいナもう梅竜ばいりゅうが来ましたから。あらお月さま!』お梅うめは立ち止まった。時田ときたは橋を渡って野の方へと行ってしまった。

二時間じかんも経たったろうか、時田ときたの帰って来たのは。月影つきかげにすかして見みると橋の上に立っているのはお梅うめである。

『先生せんせいどこを歩いていました今まで、幸ちゃんがさっきから待っていますよ。』

『梅ちゃんここで何してたの。』

『先生せんせいを待っていました、幸ちゃんの用ッて何でしょう。』

『何だか知らない。何だってよいジャあないか。』

『だって何だか沈鬱ふさいでいるようだから……もしかと思って。』

『ああ少すこし寒くなって来た。』

二人ふたりは連ずれだって中二階にかいの前まで来たが、母屋おもやでは浪花節なにわぶしの二切ふたきりめで、大夫たゆうの声がするばかり、みんな耳を澄ましていると見えて粛然しんとしている。

『幸ちゃんに今帰ったからッて、そ言っておくれ、』と時田ときたは庭の耳門くぐりへ入はいった、お梅うめはばたばたと母屋おもやの方へ駆かけ出して土間どまへそっと入いると、幸吉こうきちが土間どまの入口いりぐちに立っている。

『帰って?』幸吉こうきちは低ひくい声で言った。

『今帰ってよ、用が済んだらまたお寄んなさいナ。』お梅うめの声もささやくよう。

『ありがとう。』幸吉こうきちは急いで中二階にかいの方へ行った、しかし頭を垂たれたまま。お梅うめは座敷ざしきの隅すみの方の薄暗うすくらい所に蹲居つくなんで浪花なにわ節を聞いていたが、みんなが笑わらう時でも笑顔えがお一つしなかった。二切きりめが済すむと座敷ざしきはにわかににぎやかになって、煙草たばこを吸すうやら便所べんじょに立だつやら大騒おうさわぎ。

『お梅うめ。』母親おふくろがきょろきょろと見回みまわすと、

『なに。』お梅うめは大おおきな声で返事へんじをした。

『どこにいたのさっきから。』

『ここで聴きいていたのよ、そして頭が痛いたくって……』と顔をしかめて頭をこつこつと軽くたたく。

『奥へ行って、寝やすみな、寝てたッて聞きこえるよ。』母親おふくろは心配そうに言ゆう。それでもお梅うめは返事へんじをしないでそのまま蹲居つくなんでいた。そのうち三切みきりめが初はじまるとお梅うめはしばらく聴いていたが、そッと立って土間どまへ下おりると母親おふくろが見つけて、低ひくい声で、

『奥でお寝やすみな。』半なかばしかるように言った。お梅うめは泣なき出だしそうな顔をして頭を振って外面そとへ出た。月は冴さえに冴さえ、まるで秋かとも思われるよう。庭木にわきの影がはっきりと地に印いんしている。足を爪立つまだてるようにして中二階にかいの前の生垣いけがきのそばまで来て、垣根かきね越ごしに上を見あげた。二階にかいはしんとしている。この時母屋おもやでドッと笑わらい声ごえがした。お梅うめはいまいましそうに舌したうちをして、ほんとにいつまでやってるんだろうとつぶやきながら道へ出た。橋の上で話はなし声ごえが聞きこえるようだから、もしかと思って来くると先生せんせい一人ひとり、欄干らんかんに倚よっかかッて空を仰いでいた。

『オヤお一人ひとり?』

『あア。』気のない返事へんじ。

『幸ちゃん帰がえりましたの?』お梅うめも欄干らんかんに倚よって時田ときたの顔をじっと見ている。

『今帰ったよ、』と大おおあくびをして『梅ちゃんどうして浪花なにわ節聴かないの、僕一つ聴いて来ようか。』

『およしなさいよつまらない! あたし聴いてたけど頭が痛くなって逃にげ出でるしたの。』

二人ふたりはしばし黙っていた。水車すいしゃへ水を取どるので橋から少すこし下流かりゅうに井堰いせきがある、そのため水がよどんで細長ほそながい池のようになっている、その岸は雑木ぞうきが茂って水の上に差さし出でているのが暗ぐらい影を映しまた月の光が落おちているところは鏡のよう。たぶん羽虫はむしが飛とぶのであろう折おり折おり小ちいさな波紋はもんが消えてはまた現あらわれている、お梅うめはじっと水を見ていたが、ついに

『幸ちゃんの話は何でした。』

『神田かんだの叔父おじの方へしばらく往いっていたいがどうしたもんだろうと相談そうだんに来たのサ。』

『先生せんせい何と言ってやりました。』お梅うめは時田ときたの顔を見て言ったがその声は少すこし震ふるえていた、しかし時田ときたはそんなことには気がつかないかして、すこぶる平気へいきで、

『なるべくは家うちにいた方がよかろう、そうしないとなおの事継母おふくろとの間がむずかしくなるからッて、留めてやった、かあいそうに泣いていたよ。』

『泣いて? まアかあいそうに。』お梅うめは涙ぐんで黙ってしまった。それも時田ときたには気が付かない、

『なんでも詳くわしい事は聞かなんだが、今度こんどの継母おふくろに娘があってそれが海軍かいぐん少将しょうしょうとかに奉公ほうこうしている、そいつを幸ちゃんの嫁にしたいと思っているらしい、幸ちゃんはそれがいやでたまらない、それを継母おふくろが感づいてつらく当あたるらしい、だから幸ちゃんの身になって見みるとたまらないサ。』

『そうなのよ、わたしもその事はちょっと聞いてよ、そうなのよ、だってあんまりそれは無理むりだわ……』まだ何か言いそうな時、突然とつぜん橋の上に通り掛かった男、お梅うめの顔をのぞき込んで

『オヤ梅ちゃん、今晩は、』と意味いみありげに声を掛かけて行き過ぎた。橋を渡ったと思おもうとちょっと振り向いて、

『忘わすれていた、幸ちゃんによろしく。』

『知らないわ、お菊さんが待ってるよ。』

『ハハハハありがとう。』いううち姿が見えなくなった。

『お菊さんて踏切ふみきりの八百屋やおやの娘だろうか。』時田ときたは訊たずねた。お梅うめはうなずいたぎり黙っていた。

二

この日は近ちかごろ珍めずらしいいい天気てんきであったが、次の日は梅雨つゆ前のこととて、朝から空模様もよう怪しく、午後ごごはじめじめ降りだした。普通ふつうの人ならせっかくの日曜にちようをめちゃめちゃにしてしまったと不平ふへいを並ならべるところだが、時田ときた先生せんせい、全く無頓着むとんじゃくである。机の前に端座たんざして生徒せいとの清書せいしょを点検てんけんしたり、作文さくぶんを観みたり、出席しゅっせき簿を調しらべたり、倦くたぶれた時はごろりとそこに寝ころんで天井てんせいをながめたりしている。

午後ごご二時、この降ふるのに訪たずねて来て、中二階にかいの三段目から『時田ときた!』と首を出したのは江藤えとうという画家えかきである、時田ときたよりは四つ五つ年下とししたの、これもどこか変物へんぶつらしい顔かおつき、語調ものいいと体度みのこなしとが時田ときたよりも快活かいかつらしいばかり、共に青山御家人あおやまごけにんの息子むすこで小供こどもの時から親の代からの朋輩ほうばい同士どうしである。

時田ときたは朱筆しゅふでを投げやって仰向あおむけになりながら、

『君先せんだって頼んで置いたのはできたかね。』

江藤えとうは火鉢ひばちのそばに座すわって勝手かってに茶を飲のみ、とぼけた顔をして、

『なんだッたかしら。』

『そら手本てほんサ。』

『すっかり忘わすれていた、失敬しっけい失敬しっけい、それよりか君に見せたい物があるのだ、』と風呂敷ふろしきに包んでその下をまた新聞しんぶん紙で包んである、画板がはんを取とり出だして、時田ときたに渡した。時田ときたは黙って見ていたが、

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Where this text comes from

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First published
「太陽」1900(明治33)年10月
Source edition (底本)
底本:「武蔵野」岩波文庫、岩波書店


   1939(昭和14)年2月15日第1刷発行

   1972(昭和47)年8月16日第37刷改版発行

   1983(昭和58)年4月10日第47刷発行

底本の親本:「武蔵野」民友社

   1901(明治34)年3月発行

初出:「太陽」

   1900(明治33)年10月発行

入力:h.saikawa

校正:noriko saito

2004年9月25日作成

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
h.saikawa
Proofread by (校正)
noriko saito

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