Nihoner

国木田独歩 Doppo Kunikida 1871.08.30〜1908.06.23

置土産

おきみやげ

  • Demanding
  • 6,936 characters
  • about 17 min
  • 2 sections
  • Public domain

餅もちは円形まるきが普通なみなるわざと三角さんかくにひねりて客の目を惹ひかんと企たくみしようなれど実は餡あんをつつむに手数てすうのかからぬ工夫こうふ不思議ふしぎにあたりて、三角餅かくもちの名いつしかその近在きんざいに広ひろまり、この茶店ちゃやの小ちいさいに似合にあいわぬ繁盛はんじょう、しかし餅ばかりでは上戸じょうごが困こまるとの若連中わかれんじゅうの勧告すすめもありて、何はなくとも地酒じざけ一杯いっぱい飲のめるようにせしはツイ近ちかごろの事なりと。

戸数こすう五百ごひゃくに足らぬ一筋ひとすじ町の東の外はずれに石橋いしばしあり、それを渡れば商家あきんとやでもなく百姓ひゃくせい家でもない藁葺わらぶき屋根やねの左右さゆう両側りょうそくに建たち並ならぶこと一丁いっちょばかり、そこに八幡宮はちまんぐうありて、その鳥居とりいの前からが片側町かたかわまち、三角餅かくもちの茶店ちゃやはこの外はずれにあるなり。前は青田あおた、青田あおたが尽きて塩浜しおはま、堤高ていこうくして海面うみづらこそ見えね、間近き沖には大島おうしま小島こじまの趣も備わりて、まず眺望ながめには乏しからぬ好地位ちいを占むるがこの店繁盛はんじょうの一理由りゆうなるべし。それに町の出口でぐち入いり口ぐちなれば村の者にも町の者にも、旅の者にも一休息ひとやすみ腰を下おろすに下おろしよく、ちょっと一ぷくが一杯いっぱいとなり、章魚たこの足を肴さかなに一本いっぽん倒せばそのまま横よこになりたく、置座おきざの半分はんぶん遠慮えんりょしながら窮屈きゅうくつそうに寝ころんで前後ぜんご正体せいたいなき、ありうちの事ぞかし。

永年ながねんの繁盛はんじょうゆえ、かいなき茶店ちゃみせながらも利得としえは積んで山林さんりん田畑でんぱたの幾町歩ちょうぶは内々できていそうに思わるれど、ここの主人あるじに一つの癖あり、とかく塩浜しおはまに手を出だしたがり餅でもうけた金を塩の方で失なくすという始末しまつ、俳諧はいかいの一つもやる風流ふうりゅう気ぎはありながら店にすわっていて塩焼やく烟けむりの見ゆるだけにすぐもうけの方に思おもい付つくとはよくよくの事と親類しんるい縁者えんじゃも今では意見いけんする者なく、店は女房にょうぼうまかせ、これを助たすけて働はたらく者はお絹きぬお常つねとて一人ひとりは主人あるじの姪めい、一人ひとりは女房にょうぼうの姪、お絹きぬはやせ形がたの年上としうえ、お常つねは丸く肥ふとりて色白く、都ならば看板かんばん娘の役なれどこの二人ふたりは衣装なりにも振ふりにも頓着とんちゃくなく、糯米もちごめを磨とぐことから小豆あずきを煮にること餅を舂つくことまで男のように働はたらき、それで苦情くじょう一つ言わずいやな顔一つせず客にはよけいなお世辞せじの空笑そらわらいできぬ代がわり愛相あいそよく茶もくんで出だす、何を楽たのしみでかくも働はたらくことかと問われそうで問とう人もなく、感心かんしんな女とほめられそうで別に評判ひょうばんにも上のぼらず、『いつもご精が出ます』くらいの定きまり文句もんくの挨拶あいさつをかけられ『どういたしまして』と軽く応いらえてすぐ鼻唄はなうたに移うつる、昨日きのうも今日きょうもかくのごとく、かくて春去り秋逝ゆくとはさすがにのどかなる田舎いなかなりけり。

茶店ちゃみせのことゆえ夜よに入れば商売しょうばいなく、冬ならば宵から戸を閉しめてしまうなれど夏はそうもできず、置座おきざを店の向むこう側がわなる田のそばまで出だしての夕涼ゆうすずみ、お絹きぬお常つねもこの時ばかりは全くの用なし主人あるじの姪らしく、八時過すぎには何も片づけてしまい九時前には湯を済まして白地しろじの浴衣ゆかたに着かえ団扇うちわを持って置座に出たところやはりどことなく艶なまめかしく年としごろの娘なり。

よそから毎晩まいばんのようにこの置座に集あつまり来くる者二、三人はあり、その一人ひとりは八幡はちまん宮神主かんぬしの忰せがれ一人ひとりは吉次きちじとて油の小売こうり小こまめにかせぎ親もなく女房にょうぼうもない気楽きらく者その他ほかにもちょいちょい顔を出だす者あれどまずこの二人ふたりを常連じょうれんと見て可なるべし。二十にじゅう七年の夏も半なかばを過すぎて盆の十七日踊おどりの晩、お絹きぬと吉次きちじとが何かこそこそ親しげに話はなして田圃たんぼの方へ隠がくれたを見たと、さも怪しそうにうわさせし者ありたれど恐おそらくそれは誤解ごかいならん。なるほど二人ふたりは内密話ないしょばなししながら露繁しげき田道をたどりしやも知れねど吉次きちじがこのごろの胸はそれどころにあらず、軍夫ぐんぷとなりてかの地に渡わたり一かせぎ大きくもうけて帰がえり、同おんなじ油を売うるならば資本もとでをおろして一構がまえの店を出だしたき心願しんがん、少すこし偏屈へんくつな男ゆえかかる場合ばあいに相談そうだん相手あいてとするほどの友ともだちもなく、打ぶちまけて置座会議かいぎに上のぼして見みるほどの気軽きがるの天稟うまれにもあらず、いろいろ独ひとりで考かんがえた末が日ひごろ何かに付けて親切しんせつに言ゆうてくれるお絹きぬお常つねにだけ明かして見ようとまずお絹きぬから初そめるつもりにてかくはふるまいしまでなり、うたてや吉次きちじは身みの上うえ話を少すこしばかり愚痴ぐちのように語がたりしのみにてついにその夜は軍夫ぐんぷの一件を打ぶっち明ゃけ得ずしてやみぬ。何どのことぞとお絹きぬも少すこしは怪しく思いたれど、さりとて別に気にもとめざりしようなり。

その次の夜よも次の夜も吉次きちじの姿見えず、三日目にちもくの夜の十時過すぎて、いつもならば九時前には吉次きちじの出て来くるはずなるを、どうした事やらきのうも今日きょうも油さえ売うりにあるかぬは、ことによると風邪かぜでも引いたか、明日あすは一つ様子ようすを見に行ってやろうとうわさをすれば影もありありと白昼ひるまのような月の光を浴びてそこに現あらわれ、

『皆さん今晩は』といつになきまじめなる挨拶あいさつ、黙って来て黙って腰をかけあくびの一つもするがこの男の柄なるを、さりとは変なと気づきし者もあり気づかない者もあり、その内にもお絹きぬはすこぶる平気へいきにて、

『吉さんどうかしたの。』

『少すこし風邪かぜを引いて二日ばかり休やすみました』と自みずから欺き人をごまかすことのできざる性分しょうぶんのくせに嘘うそをつけば、人々疑わず、それはそれはしかしもうさっぱりしたかねとみんなよりいたわられてかえってまごつき、

『ありがとう、もうさっぱりとしました。』

『それは結構けっこうだ。時に吉さん女房にょうぼを持もつ気はないかね』と、突然だしぬけにおかしな事を言いい出でるされて吉次きちじはあきれ、茶店ちゃみせの主人あるじ幸衛門こうえもんの顔をのぞくようにして見みるに戯談じょうだんとも思われぬところあり。

『ヘイ女房にょうぼうね。』

『女房にょうぼうをサ、何もそんなに感心かんしんする事はなかろう、今度こんどのようなちよっとした風邪かぜでも独身者ひとりものならこそ商売あきないもできないが女房にょうぼうがいれば世話せわもしてもらえる店で商売しょうばいもできるというものだ、そうじゃアないか』と、もっともなる事を言われて、二十にじゅう八歳の若者わかもの、これが普通なみならば別に赤あかい顔もせず何分なにぶんよろしくとまじめで頼まぬまでも笑顔えがおでうけるくらいはありそうなところなれど吉次きちじは浮かぬ顔でよそを向むき

『どうして養いましょう今もらって。』

『アハハハハハ麦飯ばくはんを食わして共稼ともかせぎをすればよかろう、何もごちそうをして天神てんじん様のお馬じゃアあるまいし大事だいじに飼って置くこともない。』

『吉さんはきっとおかみさんを大事だいじにするよ』と、女は女だけの鑑定みたてをしてお常つね正直しょうじきなるところを言えばお絹きぬも同意どういし

『そうらしいねエ』と、これもお世辞せじにあらず。

『イヤこれは驚いた、そんなら早はやい話がお絹きぬさんお常つねさんどちらでもよい、吉さんのところへ押おしかけるとしたらどんな者だろう』と、神主かんぬしの忰せがれの若旦那わかだんなと言わるるだけに無遠慮えんりょなる言いい草ぐさ、お絹きぬは何と聞ききしか

『そんならわたしが押しかけて行こうか、吉きっさんいけないかね。』

『アハハハハハばかを言ってる、ドラ寝ねるとしよう、皆さんごゆっくり』と、幸衛門えもんの叔父おじさん歳としよりも早く禿はげし頭をなでながら内に入いりぬ。

『わたしも帰って戦争せんそうの夢でも見みるかな』と、罪のない若旦那だんなの起たちかかるを止とめるように

『戦争せんそうはまだ永く続きそうでございますかな』と吉次きちじが座興ざきょうならぬ口ぶり、軽く受うけて続つずくとも続つずくともほんとの戦争せんそうはこれからなりと起たち上がり

『また明日あすの新聞しんぶんが楽しみだ、これで敗戦まけいくさだと張はり合あいがないけれど我軍こっちの景気けいきがよいのだから同おんなじ待まつにも心持こころもちが違たがうよ。』お寝やすみと帰ってしまえば後あとは娘二人ふたりと吉次きちじのみ、置座おきざにわかに広うなりぬ。夜はふけ月さえぬれど、そよ吹ふく風さえなければムッとして蒸し熱き晩なり。吉次きちじは投なげるように身を横にして手荒く団扇うちわを使つかいホッとつく嘆息ためいきを紛らせばお絹きぬ

『吉きっさんまだ風邪かぜがさっぱりしないのじゃアないのかね。』

『風邪かぜを引いたというのは嘘うそだよ。』

『オヤ嘘なの、そんならどうしたの。』

『どうもしないのだよ。』

『おかしな人だ人に心配しんぱいさせて』とお絹きぬは笑わらうて済すますをお常つねは

『イヤ何か吉さんは案じていなさるようだ。』

『吉さんだって少すこしは案じ事もあろうよ、案じ事のないものは馬鹿ばかと馬鹿うましかだというから。』

『まだある若旦那だんな』と小ちいさな声で言ゆうお常つねもその仲間なかまなるべし。

それよりか海に行いこうとお絹きぬの高だかい声に、店の内にて、もう遅おそいゆえやめよというは叔父おじなり、

『叔父おじさんまだ起きていたの、今汐しおがいっぱいだからちょっと浴びて来ます浅あさいところで。』

『危険あぶない危険あぶない遅おそいから。』

『吉さんにいっしょに行ってもらいます。』

『そんならいいけれども。』

さアと促されて吉次きちじも仕方なく連ずれだって行けば、お絹きぬは先に立ち往来おうらいを外はずれ田の畔くろをたどり、堤の腰を回めぐるとすぐ海なり。沖はよく和なぎて漣さざなみの皺しわもなく島山しまやまの黒き影に囲まれてその寂しずかなるは深山みやまの湖水こすいかとも思わるるばかり、足あしもとまで月影つきかげ澄み遠浅とおあさの砂白く水底みなそこに光れり。磯いそ高く曳ひき上あげし舟の中にお絹きぬお常つねは浴衣ゆかたを脱ぎすてて心地ここちよげに水を踏み、ほんに砂粒すなつぶまで数えらるるようなと、海近ちかく育ちて水に慣なれたれば何どのこわいこともなく沖の方へずんずんと乳の辺あたりまで出いずるを吉次きちじは見て懐ふところに入れし鼈甲べっこうの櫛くし二板紙いたがみに包くるんだままをそっと袂たもとに入いれ換かえて手早く衣服きものを脱ぬぎ、そう沖へ出ないがいいと言い言い二人ふたりのそばまで行けば

『吉さんごらんよ、そら足の爪つめまで見まみえるから』とお常つねが言ゆうに吉次きちじ

『もうここらで帰ろうよ。』

『背のとどかないところまで出ないと游およいだ気がしないからわたしはもすこし沖へ出でるよ』とお絹きぬはお常つねを誘さそうて二人ふたりの身体からだ軽かろく浮かびて見みる見みる十四、五間先へ出いでぬ。

『いい心持こころもちちだ吉さんおいでよ』と呼よぶはお絹きぬなり、吉次きちじは腕を組んで二人ふたりの游およぐを見つめたるまま何とも答えず。いつもならばかえって二人ふたりに止とどめらるるほど沖へ出てここまでおいでとからかい半分はんぶんおもしろう游およぐだけの遠慮えんりょない仲なれど、軍夫ぐんぷを思い立ちてより何事なにごとも心に染まず、十七日の晩お絹きぬに話はなしそこねて後はわれ知らずこの女に気が置かれ相談そうだんできず、独ひとりで二日三にっさん日商売しょうばいもやめて考かんがえた末、いよいよ明日あすの朝早く広島ひろしまへ向けて立だつに決ぎめはしたものの餅屋もちやの者にまるっきり黙ってゆく訳にゆかず、今宵こよいこそ幸衛門えもんにもお絹きぬお常つねにも大略あらまし話はなして止とどめても止まらぬ覚悟かくごを見せん、運悪く流れ弾だまに中あたるか病気びょうきにでもなるならば帰らぬ旅の見納みおさめと悲かなしいことまで考かんがえて、せめてもの置土産おきみやげにといろいろ工夫こうふしたあげく櫛二枚を買い求め懐ふところにして来たのに、幸衛門えもんから女房にょうぼうをもらえと先方せんぽうは本気ほんきか知らねど自分じぶんには戯談じょうだんよりもつまらぬ話を持ち出されてまず言いそこね、せっかくお常つねから案じ事のあるらしゅう言われたを機会しおに今ぞと思おもうより早くまたもくだらぬ方に話を外はずされ、櫛を出だすどころか、心はいよいよ重うなり、游およぐどころか、つまらないやら情なさけないやら今游およぐならば手足しゅそくすくみてそのまま魚の餌えばともなりなん。

『吉きっさんおいでよ』とまたもやお絹きぬ呼びぬ。

『わたしは先へ帰かえるよ』と吉次きちじは早々そうそう陸おかへ上あがる後うしろよりそんならわたしたちも上あがる待っていてと呼よびかけられ、待まつはずの吉次きちじ、敵かたきにでも追われて逃にげるような心持こころもちになり、衣服きものを着きるさえあわただしく、お絹きぬお常つねの首のみ水みずより現あらわれて白銀しろかねの波をかき分け陸おかへと游およぐをちょっと見みやりしのみ、途みちをかえて堤へ上のぼり左右さゆうに繁しげる萱かやの間を足あしばやに八幡はちまん宮の方へと急ぎぬ。

老松おいまつ樹たちこめて神々こうごうしき社やしろなれば月影つきかげのもるるは拝殿はいでん階段きざはしの辺あたりのみ、物すごき木この下闇したやみを潜くぐりて吉次きちじは階段きざはしの下もとに進すすみ、うやうやしく額ぬかづきて祈いのる意こころに誠をこめ、まず今日きょうが日にちまでの息災そくさいを謝し奉り、これよりは知らぬ国に渡わたりて軍いくさの巷ちまた危うきを犯し、露に伏し雨風あめかぜに打たるる身みの上うえを守まもりたまえと祈念きねんし、さてその次にはめでたく帰国きこくするまで幸衛門えもんを初はじめお絹きぬお常つねらの身に異変いへんなく来年らいねんの夏またあの置座おきざにて夕ゆうべ涼しく団居まどいする中なかにわれをも加えたまえと祈り終おわりてしばしは頭かしらを得上あげざりしが、ふと気が付いて懐ふところを探さぐり紙包みのまま櫛二枚を賽銭箱さいせんばこの上に置おき、他ほかの人が早く来て拾えばその人にやるばかり彼二人ふたりがいつものように朝あさまだき薄暗うすぐらいき中に参詣さんけいするならば多分たぶん拾ひろうてくれそうなものとおぼつかなき事にまで思おもいをのこしてすごすごと立ち去りけり。

1 / 2 Next →

Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「太陽」1900(明治33)年12月
Source edition (底本)
底本:「武蔵野」岩波文庫、岩波書店


   1939(昭和14)年2月15日第1刷発行

   1972(昭和47)年8月16日第37刷改版発行

   2002(平成14)年4月5日第77刷発行

底本の親本:「武蔵野」民友社

   1901(明治34)年3月

初出:「太陽」

   1900(明治33)年12月

入力:土屋隆

校正:蒋龍

2009年3月28日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
Typed by (入力)
土屋隆
Proofread by (校正)
蒋龍

Aozora library card for this work ↗ · How Nihoner sources and licenses its content

More by 国木田独歩

Browse the whole library →