Nihoner

島崎藤村 Toson Shimazaki 1872.03.25〜1943.08.22

足袋

たび

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「比佐ひささんも好いけれど、アスが太過すぎる……」

仙台せんだい名影町なかげまちの吉田屋たやという旅人宿ひとやど兼下宿げしゅくの奥二階にかいで、そこからある学校がっこうへ通っている年の若わかい教師きょうしの客をつかまえて、頬辺ほっぺたの紅あかい宿の娘がそんなことを言って笑った。シとスと取違えた訛なまりのある仙台せんだい弁で。

この田舎娘いなかむすめの調戯からかい半分はんぶんに言ったことは比佐ひさを喫驚びっくりさせた。彼は自分じぶんの足に気がついた……堅く飛出とびでした「つとわら」の肉に気がついた……怒ったような青筋あおすじに気がついた……彼かの二にの腕うでのあたりはまだまだ繊細かぼそい、生白なまじろいもので、これから漸ようやく肉も着こうというところで有ったが、その身体しんたいの割合わりあいには、足だけはまるで別の物でも継ぎ合わせたように太く頑固がんこに発達はったつしていた……彼は真実ほんとうに喫驚きっきょうした。

散々歩いた足あしだ。一年ひととせあまりも心の暗ぐらい旅をつづけて、諸国しょこくの町々や、港や、海岸かいがんや、それから知らない山道さんどうなどを草臥くたびれるほど歩き廻った足あしだ。貧まずしい母を養おうとして、僅わずかな銭取ぜにとりのために毎日まいにち二里ほどずつも東京とうきょうの市街まちの中を歩いて通ったこともある足あしだ。兄や叔父おじの入った未決檻みけつかんの方へもよく引擦ひきずって行った足あしだ。歩いて歩いて、終しまいにはどうにもこうにも前へ出なく成って了った足あしだ。日の映あたった寝床ねどこの上に器械きかいのように投出して、生いきる望のぞみもなく震ふるえていた足あしだ……

その足で、比佐ひさは漸ようやくこの仙台せんだいへ辿たどり着いた。宿屋やどやの娘にそれを言われるまでは実は彼自身おのれにも気が着かなかった。

ここへ来て比佐ひさは初はじめて月給げっきゅうらしい月給げっきゅうにもありついた。東京とうきょうから持って来た柳行李やなぎごうりには碌ろくな着物きもの一枚入っていない。その中には洗い晒さらした飛白かすりの単衣ひとえだの、中古ちゅうぶるで買求もとめて来た袴はかまなどがある。それでも母が旅の仕度したくだと言って、根気こんきに洗濯せんたくしたり、縫い返したりしてくれたものだ。比佐ひさの教えに行ゆく学校がっこうには沢山だくさん亜米利加アメリカ人の教師きょうしも居て、皆みんな揃そろった服装なりをして出掛でかけて来くる。なにがし大学だいがくを卒業そつぎょうして来たばかりのような若わかい亜米利加あめりか人の服装ふくそうなどは殊ことに目につく。そういう中で、比佐ひさは人並に揃った羽織はおり袴も持っていなかった。月給げっきゅうの中ちゅうから黒ぐろい背広せびろを新規しんきに誂あつらえて、降っても照ってもそれを着て学校がっこうへ通かようことにした。しかし、その新調しんちょうの背広せびろを着て見みることすら、彼には初はじめてだ。

「どうかして、一度ひとたび、白足袋たびを穿はいて見たい」

そんなことすら長ながい年月としつきの間、非常ひじょうな贅沢ぜいたくな願ねがいのように考かんがえられていた。でも、白足袋しろたびぐらいのことは叶かなえられる時が来た。

比佐ひさは名影町の宿屋やどやを出て、雲斎底うんさいぞこを一足いっそく買い求めてきた。足袋屋たびやの小僧しょうそうが木の型に入れて指先ゆびさきの形を好すくしてくれたり、滑なめらかな石の上に折重ねて小ちいさな槌つちでコンコン叩たたいてくれたりした、その白じろい新鮮しんせんな感かんじのする足袋たびの綴とじ紙を引き切って、甲高こうだかな、不恰好ぶかっこうな足に宛行あてがって見た。

「どうして、田舎娘いなかむすめだなんて、真実ほんとに馬鹿ばかに成らない……人の足の太ふといところなんか、何時ときの間まに見つけたんだろう……」

醜みにくいほど大おおきな足をそこへ投出しながら、言って見た。

仙台せんだいで出来しゅったいた同僚どうりょうの友達ともだちは広瀬川せかわの岸の方で比佐ひさを待まつ時だった。漸ようやく貧まずしいものに願ねがいが叶った。初はじめて白足袋しろたびを穿いて見た。それに軽かるい新あたらしい麻裏あさうら草履ぞうりをも穿いた。彼は足に力を入れて、往来おうらいの土を踏みしめ踏みしめ、雀躍こおどりしながら若わかい友達ともだちの方へ急いだ。

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Source edition (底本)
底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社


   1969(昭和44)年2月15日初版発行

   1970(昭和45)年2月15日2刷

入力:紅邪鬼

校正:富田倫生

1999年12月11日公開

2003年10月29日修正

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