Nihoner

島崎藤村 Toson Shimazaki 1872.03.25〜1943.08.22

幸福

しあわせ

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「幸福しあわせ」がいろいろな家へ訪たずねて行きました。

誰でも幸福こうふくの欲しくない人はありませんから、どこの家を訪ねましても、みんな大喜おうよろこびで迎むかえてくれるにちがいありません。けれども、それでは人の心がよく分わかりません。そこで「幸福こうふく」は貧まずしい貧まずしい乞食こじきのような服装なりをしました。誰か聞いたら、自分じぶんは「幸福こうふく」だと言わずに「貧乏びんぼう」だと言ゆうつもりでした。そんな貧まずしい服装ふくそうをしていても、それでも自分じぶんをよく迎むかえてくれる人がありましたら、その人のところへ幸福こうふくを分わけて置いて来くるつもりでした。

この「幸福こうふく」がいろいろな家へ訪ねて行きますと、犬の飼ってある家がありました。その家の前へ行って「幸福こうふく」が立ちました。

そこの家の人は「幸福こうふく」が来たとは知りませんから、貧まずしい貧まずしい乞食こつじきのようなものが家の前にいるのを見て、

「お前まえさんは誰ですか。」

と尋ねました。

「わたしは「貧乏びんぼう」でございます。」

「ああ、「貧乏びんぼう」か。「貧乏びんぼう」は吾家うちじゃお断りだ。」

とそこの家の人は戸をぴしゃんとしめてしまいました。おまけに、そこの家に飼ってある犬がおそろしい声で追おい立たてるように鳴きました。

「幸福こうふく」は早速さそくごめんを蒙こうむりまして、今度こんどは鶏の飼ってある家の前へ行って立ちました。

そこの家の人も「幸福こうふく」が来たとは知らなかったと見えて、いやなものでも家の前に立たったように顔をしかめて、

「お前まえさんは誰ですか。」

と尋ねました。

「わたしは「貧乏びんぼう」でございます。」

「ああ、「貧乏びんぼう」か、「貧乏びんぼう」は吾家うちじゃ沢山だくさんだ。」

とそこの家の人は深ぶかい溜息ためいきをつきました。それから飼ってある鶏に気をつけました。貧まずしい貧まずしい乞食こつじきのようなものが来て鶏を盗んで行きはしないかと思ったのでしょう。

「コッ、コッ、コッ、コッ。」

とそこの

家の鶏は用心深こころふかい声を出だして鳴きました。

「幸福こうふく」はまたそこの家でもごめんを蒙りまして、今度こんどは兎うさぎの飼ってある家の前へ行って立ちました。

「お前まえさんは誰ですか。」

「わたしは「貧乏びんぼう」でございます。」

「ああ、「貧乏びんぼう」か。」

と言いましたが、そこの家の人が出て見みると、貧まずしい貧まずしい乞食こつじきのようなものが表に立っていました。そこの家の人も「幸福こうふく」が来たとは知らないようでしたが、なさけというものがあると見えて、台所だいどころの方からおむすびを一つ握って来て、

「さあ、これをおあがり。」

と言ってくれました。そこの家の人は、黄色い沢庵たくあんのおこうこまでそのおむすびに添そえてくれました。

「グウ、グウ、グウ、グウ。」

と兎は高だかいいびきをかいて、さも楽しそうに昼寝ひるねをしていました。

「幸福こうふく」にはそこの家の人の心がよく分わかりました。おむすび一つ、沢庵たくあん一切ひときれにも、人の心の奥は知しれるものです。それをうれしく思おもいまして、その兎の飼ってある家へ幸福こうふくを分わけて置いて来ました。

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Where this text comes from

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First published
「婦人之友」1921(大正10)年1月
Source edition (底本)
底本:「日本児童文学名作集(下)〔全2冊〕」岩波文庫、岩波書店

   1994(平成6)年3月16日第1刷発行

   2001(平成12)年5月7日第12刷発行

底本の親本:「藤村全集第九卷」筑摩書房

   1967(昭和42)年7月10日発行

初出:「婦人之友」

   1921(大正10)年1月

入力:門田裕志

校正:えにしだ

2019年2月22日作成

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門田裕志
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えにしだ

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