Nihoner

島崎藤村 Toson Shimazaki 1872.03.25〜1943.08.22

家 01 (上)

いえ

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一

橋本はしもとの家の台所だいどころでは昼飯ひるの仕度したくに忙しかった。平素ふだんですら男の奉公ほうこう人だけでも、大番頭ばんがしらから小僧しょうそうまで入れて、都合つごう六人のものが口を預けている。そこへ東京とうきょうからの客がある。家族かぞくを合あわせると、十三じゅうそう人の食くう物は作らねばならぬ。三度々々この仕度したくをするのは、主婦しゅふのお種たねに取って、一仕事ひとしごとであった。とはいえ、こういう生活せいかつに慣なれて来たお種たねは、娘や下婢おんなを相手あいてにして、まめまめしく働いた。

炉辺ろばたは広かった。その一部分ぶぶんは艶々つやつやと光ひかる戸棚とだなや、清潔せいけつな板いたの間まで、流許ながしもとで用意よういしたものは直にそれを炉の方へ運はこぶことが出来しゅったいた。暗ぐらい屋根裏やねうらからは、煤すすけた竹筒たけずつの自在鍵じざいかぎが釣つるしてあって、その下で夏でも火が燃もえた。この大おおきな、古風こふうな、どこか厳いかめしい屋造やづくりの内へ静しずかな光線こうせんを導みちびくものは、高だかい明窓あかりまどで、その小障子そうじの開いたところから青く透き徹とおるような空が見まみえる。

「カルサン」という労働ろうどうの袴はかまを着けた百姓ひゃくせいが、裏の井戸いどから冷つめたい水を汲くんで、流許へ担かついで来た。お種たねはこの隠居いんきょにも食わせることを忘わすれてはいなかった。

お種たねは夫と一緒いっしょに都会とかいの生活せいかつを送ったことも有あり――娘のお仙せんが生れたのは丁度ちょうどその東京とうきょう時代じだいであったが、こうして地方じかたにも最早もう長ながいこと暮くらしているので、話はなす言葉ことばが種々いろいろに混って出て来くる。

「お春はるや」とお種たねは下婢げじょの名を呼んで尋たずねてみた。「正太しょうたはどうしたろう」

「若旦那だんな様かなし。あの山瀬やませへお出いでたぞなし」

こう十七ばかりに成なるお春はるが答えたが、その娘らしい頬ほおは何どの意味いみもなく紅あかく成った。

「また御友達ともだちのところで話し込んでると見まみえる」とお種たねは考かんがえ深ぶかい眼付めつきをして、やがて娘のお仙せんの方を見て、「山瀬やませへ行ゆくと、いつでも長ながいから、昼飯ひるには帰かえるまい――兄さんのお膳ぜんは別にして置けや」

お仙せんは母の言うなりに従順すなおに動いた。最早もはや処女おとめの盛さかりを思わせる年頃としごろで、背は母よりも高だかい位であるが、子供こどもの時分じぶんに一度ひとたび煩わずらったことがあって、それから精神こころの発育はついくが遅おくれた。自然じねんと親の側そばを離かれることの出来しゅったいないものに成っている。お種たねは絶えず娘の保護ほごを怠らないという風で、物を言付ことずけるにも、なるべく静しずかな、解わかり易やすい調子ちょうしで言って、無邪気むじゃきな頭脳あたまの内部なかを混雑こんざつさせまいとした。お種たねは又、娘の友達ともだちにもと思って、普通ふつうの下婢げじょのようにはお春はるを取扱とりあつかいっていなかった。髪もお仙せんの結ゆう度たびに結わせ、夜はお仙せんと同おんなじ部屋へやに寝かしてやった。

主人あるじや客をはじめ、奉公ほうこう人の膳が各自めいめいの順でそこへ並べられた。心の好いお仙せんは自分じぶんより年少とししたの下婢げじょの機嫌きげんをも損そこねまいとする風である。

仕度したくの出来しゅったいた頃、母はお春はると一緒いっしょに働いている娘の有様ありさまを人形にんぎょうのように眺ながめながら、

「お仙せんや、仕度したくが出来しゅったいましたからね、御客様にそう言っていらっしゃい」

と言われて、お仙せんはそれを告げに奥の部屋へやの方へ行った。

東京とうきょうからの客というは、お種たねが一番いちばん末の弟にあたる三吉さんきちと、ある知人しりびとの子息むすことであった。この子息しそくの方は直樹なおきと言って、中学ちゅうがくへ通っている青年せいねんで、三吉さんきちのことを「兄さん、兄さん」と呼んでいる。都会とかいで成長せいちょうした直樹なおきは、初はじめて旅らしい旅をして、初はじめて父母ちちははの故郷こきょうを見たと言っている。二人ふたりは橋本はしもとの家で一夏ひとなつを送ろうとして来たのであった。

「御客様は炉辺ろへんがめずらしいそうですから、ここで一緒いっしょに頂いただきましょう」

とお種たねはそこへ来て膳に就ついた夫の達雄たつおに言った。三吉さんきち、直樹なおきの二人ふたりもその傍に古風こふうな膳を控えた。

「正太しょうたは?」

と達雄たつおは、そこに自分じぶんの子息しそくが見えないのを物足らなく思おもうという風で、お種たねに聞いてみる。

「山瀬やませへ行ったそうですから、復また御呼よばれでしょう」

こうお種たねは答えた。

蠅はえは多かった。やがてお春はるの給仕きゅうじで、一同いちどう食事しょくじを始はじめた。御家大事だいじと勤ずとめ顔な大番頭ばんがしらの嘉助かすけ親子おやこ、年若としわかな幸作こうさく、その他手代てだい小僧しょうそうなども、旦那だんなや御新造ごしんぞの背後うしろを通って、各自めいめい定まった席に着いた。奉公ほうこう人の中には、二代、三代さんだいも前からこうして通って来くるのも有ある。この人達は、普通ふつうに雇やとい雇われる者とは違って、寧むしろ主従しゅじゅうの関係かんけいに近かった。

裏の畠はたけで働はたらく百姓ひゃくせいの隠居いんきょも、その時手拭てぬぐいで足を拭ふいて、板いたの間まのところにカシコマった。

「さあ、やっとくれや」

と達雄たつおは慰労ねぎらうように言った。隠居いんきょは幾度か御辞儀じぎをして、「頂戴ちょうだい」と山盛やまもりの飯を押頂いて、それから皆なと一緒いっしょに食くい始はじめた。

「三吉さんきち」とお種たねは弟の方を見て、「田舎いなかへ来て物を食たべると、子供こどもの時のことを思出おもいだすでしょう。直樹なおきさんやお前まえさんに色々食べさせたい物が有あるが、追々と御馳走ごちそうしますよ。お前まえさんが子供こどもの時には、ソラ、赤あかい芋茎ずいきの御漬物おつけものなどが大好だいすきで……今に吾家うちでも食べさせるぞや」

こんなことを言出したので、主人しゅじんも客も楽しく笑わらいながら食った。

お種たねがここへ嫁かたづいて来た頃は、三吉さんきちも郷里ごうりの方に居て、まだ極ごく幼少おさなかった。その頃は両親りょうしんとも生きていて、老祖母おばあさんまでも壮健たっしゃで、古ふるい大おおきな生家さとの建築物たてものが焼やけずに形を存していた。次第しだいに弟達は東京とうきょうの方へ引移って行った。こうして地方じかたに残って居おるものは、姉弟してい中でお種たね一人ひとりである。

「お春はる、お前まえは知しるまいが」とお種たねは久し振で弟と一緒いっしょに成ったことを、下婢おんなにまで話さずにはいられなかった。「彼あれが修業しゅぎょうに出た時分じぶんは、旦那だんなさんも私もやはり東京とうきょうに居た頃で、丁度ちょうど一年ひととせばかり一緒いっしょに暮くらしたが……あの頃は、お前まえ、まだ彼が鼻洟はなを垂らしていたよ。どうだい、それがあんな男に成って訪ねて来た――えらいもんじゃないか」

お春はるは団扇うちわで蠅を追いながら、皆みんなの顔を見比べて、娘らしく笑った。

旧むかしからの習慣しゅうかんとして、あだかも茶席ちゃせきへでも行ったように、主人しゅじんから奉公ほうこう人まで自分じぶん々々の膳の上の仕末しまつをした。食べ終ったものから順に茶碗ちゃわんや箸はしを拭ぬぐいて、布巾ふきんをその上に掩かぶせて、それから席を離はなれた。

この橋本はしもとの家は街道かいどうに近い町まちはずれの岡の上にあった。昼飯ひるの後、中学生がくせいの直樹なおきは谷の向側むかいがわにある親戚しんせきを訪ねようとして、勾配こうばいの急な崖がけについて、折れ曲った石段いしだんを降りて行った。

三吉さんきちは姉のお種たねに連ずれられて、めずらしそうに家の内部なかを見て廻った。

「三吉さんきち、ここへ来て見よや。これは私がお嫁に来くる時に出来しゅったいた部屋へやだ」

こう言ってお種たねが案内あんないしたは、奥座敷ざしきの横に建増たてました納戸なんどで、箪笥たんすだの、鏡台きょうだいだの、その他種々いろいろな道具どうぐが置並なべてある。襖ふすまには、亡なくなった橋本はしもとの老祖母そぼさんの里方さとかたの縁続えんつずきにあたる歌人かじんの短冊たんざくなどが張付けてある。

「私が橋本はしもとへ来くるに就いて、髪を結ゆう部屋へやが無くては都合つごうが悪かろうと言って、ここの老祖母そぼさんが心配しんぱいして造って下すった――老祖母そぼさんはナカナカ届いた人でしたからね」とお種たねは説き聞かせた。

「へえ、その時分じぶんは姉さんも若かったんでしょうネ」と三吉さんきちが笑った。

「そりゃそうサ、お前まえさん――」と言いかけて、お種たねも笑って、「考かんがえて御覧ごらんな――私がお嫁に来たのは、今のお仙せんより若わかい時なんですもの」

薬研やげんで物を刻おろす音が壁に響いて来くる。部屋へやの障子そうじの開いたところから、斜はすに中なかの間まの一部いちぶが見られる。そこには番頭ばんがしらや手代てだいが集って、先祖せんぞからこの家に伝わった製薬せいやくの仕事しごとを励んでいる。時々盛んな笑声しょうせいも起おこる……

「何かまた嘉助かすけが笑わしていると見まみえるわい」

と言いながら、お種たねは弟を導いて、奥座敷ざしきの暗ぐらい入口いりぐちから炉辺ろへんの方へ出た。大おおきな看板かんばんの置いてある店の横を通とうり過すぎると、坪庭つぼにわに向むかいた二間ばかりの表座敷ざしきがその隣にある。

三吉さんきちは眺め廻して、「心地こころもちの好い部屋へやだ――どうしても田舎いなかの普請ふしんは違いますナア」

「ここをお前まえさん達に貸かすわい」と姉が言った。「書籍ほんを読もうと、寝転ねころぼうと、どうなりと御勝手かってだ」

「姉さん、東京とうきょうからこういうところへ来くると、夏のような気はしませんね」

「平素ふだんはこの部屋へやは空あいてる。お客でもするとか、馬市うまいちでも立だつとか、何か特別とくべつの場合ばあいでなければ使用つかわない。お前まえさんと、直樹なおきさんと、正太しょうたと、三人ここに寝かそう」

「ア――木曾きそ川の音がよく聞きこえる」

三吉さんきちは耳を澄まして聞いた。

間もなくお種たねは弟を連ずれて、店先みせさきの庭の方へ降りた。正太しょうたが余暇よかに造ったという養鶏ようけい所だの、桑畠くわばたけだのを見て、一廻まわりして裏口うらぐちのところへ出でると、傾斜けいしゃは幾層かの畠に成っている。そこから小山おやまの上の方の耕された地所じしょまでも見上みあげることが出来できる。

二人ふたりは石段いしだんを上った。掩おおい冠さったような葡萄棚ぶどうだなの下には、清水きよみずが溢あふれ流れている。その横にある高だかい土蔵どぞうの壁は日をうけて白く光っている。百合ゆりの花の香においもして来くる。

姉は夏梨の棚の下に立って、弟の方を顧みながら、「この節は毎朝まいあさ早く起きて、こうして畠の上の方まで見て廻まわる。一頃ひところとは大違おうちがいで、床に就つくようなことは無くなった――私も強くなったぞや」

「姉さんは何処どこか悪かったんですか」と三吉さんきちは不審いぶかしそうに。

「ええ、持病じびょうで寝たり起きたりしてサ……」

「持病じびょうとは?」

姉は返事へんじに窮こまって、急に思い付いたように歩あるき出でるした。「まあ、病気びょうきの話なぞは止そう。それよりか私が丹精たんせいした畠でもお前まえさんに見て貰おう。御蔭おかげで今年ことしは野菜やさいも好すく出来しゅったいましたよ」

野菜畠なばたけを見せたいというお種たねの後に随ついて、弟も一緒いっしょに傾斜けいしゃを上った。坂の途中とちゅうを横に折おれると、百合ゆり、豆などの種類しゅるいが好すく整理せいりして植付けてある。青あおい暗ぐらい南瓜かぼちゃ棚の下を通って、二人ふたりは百姓ひゃくせいの隠居いんきょの働いているところへ出た。

石垣いしがきに近ちかく、花園かえんを歩あゆむような楽たのしい小径こみちもあった。そこから谷底たにそこの町の一部いちぶを下瞰みおろすことが出来できる。

お種たねは眺め入りながら、

「私も、橋本はしもとへ来てからこの歳に成なるまで、町へ出たことが無なあいと言っても可いい位……真実ほんとうに家うちの内なかにばかり引込ひっこみきりなんですよ……用が有ある時はどうするなんて、三吉さんきちなぞは不思議ふしぎに思おもうかも知れないが、買物かいものには小僧しょうそうも居れば、下婢おんなも居おる。嘉助かすけ始はじめ皆みんなで外の用を好すく達たしてくれる。ですから、私は家を出ないものとしていますよ……女というものは、お前まえさん、こうしたものですからね」

こんな話を弟にして聞かせて、それから直樹なおきが訪ねて行った親戚しんせきの家々を指さして見せた。いずれも風雪ふうせつを凌しのぐ為に石を載せた板屋根いたやねで、深ぶかい木曾きそ山中さんちゅうの空気くうきに好すく調和ちょうわして見まみえる。

「母親おっかさん、沢田さわださんがお出いでた」

とそこへお仙せんが客のあることを知しらせに来た。三人は一緒いっしょに母屋もやの方へ降りて行った。

物置ものおき蔵の側わきを帰りかけた頃、お種たねは娘と並んで歩きながら、

「お仙せんや、お前まえは三吉さんきち叔父おじさん、三吉さんきち叔父おじさんと、毎日まいにち言い暮していたッけが――どうだね、三吉さんきち叔父おじさんが被入いらしって嬉うれしいかね」

と母に言われて、お仙せんはどう思おもうことを言い表して可いいか解らないという風であった。この無邪気むじゃきな娘は、唯、「ええ、ええ」と力を入れて言っていた。

庭伝にわずたいに奥座敷ざしきへ上ってから、お種たねは沢田さわだという老人ろうじんを三吉さんきちに紹介しょうかいした。この老人ろうじんは、直樹なおきの叔父おじにあたる非常ひじょうな神経しんけい家で、潔癖けっぺきが嵩こうじて一種いっしゅの痼疾こしつのように成っていたが、平素ふだん癇かんの起らない時は口の利ききようなども至極しごく丁寧ていねいにする人である。

老人ろうじんは三吉さんきちに向って、よく直樹なおきを東京とうきょうから連ずれて来てくれたと言って、先まずその礼を述べた。

「三吉さんきち」と姉は引取ひきとりって、「この沢田さわださんは、やはりお前まえさんの父親おとっさんのように、国学こくがくや神道しんとうの御話が好すきで……父親ちちおやさんが生きてる時分じぶんには、よく沢田さわださんの御宅おたくへ伺っては、歌なぞを咏よんだものだぞや」

こうお種たねが言出したので、老人ろうじんも思出したように、

「ええ……左様さようだ……貴方きほうがたの父親ちちおやさんは、こう大おおきな懐ふところをして、一いっぱい書籍ほんを捩込ねじこんでは歩かっせる人で……」

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This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

Source edition (底本)
底本:「家(上)」新潮文庫、新潮社

   1955(昭和30)年5月10日発行

   1968(昭和43)年6月30日17刷改版

   1998(平成10)年9月5日51刷

※底本は、35ページ9行目で鳳凰の「凰」の「白」を「百」と作っています。作字上の誤りと判断し、「凰」をあてました。

入力:(株)モモ

校正:藤田禎宏

2000年12月2日公開

2010年11月2日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
(株)モモ
Proofread by (校正)
藤田禎宏

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