Nihoner

島崎藤村 Toson Shimazaki 1872.03.25〜1943.08.22

三人の訪問者

さんにんのほうもんしゃ

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「冬」が訪ねて来た。

私が待受けて居たのは正直しょうじきに言ゆうと、もっと光沢つやのない、単調たんちょうな眠そうな、貧しそうに震ふるえた、醜く皺枯れた老婆ろうばであった。私は自分じぶんの側に来たものの顔をつくづくと眺ながめて、まるで自分じぶんの先入せんにゅう主となった物の考かんがえ方や自分じぶんの予想よそうして居たものとは反対はんたいであるのに驚かされた。私は尋たずねて見た。

「お前まえが『冬』か。」

「そういうお前は一体いったい私を誰だと思おもうのだ。そんなにお前まえは私を見損なって居たのか。」

と「冬」が答えた。

「冬」は私にいろいろな樹木じゅもくを指さして見せた。あの満天星どうだんを御覧ごらん、と言われて見みると旧ふるい霜葉しもははもう疾とくに落尽して了ったが、茶色ちゃいろを帯びた細く若わかい枝の一つ一つには既すでに新生しんせいの芽が見られて、そのみずみずしい光沢こうたくのある若枝わかえだにも、勢いこんで出て来たような新芽しんめにも、冬の焔が流ながれて来て居た。満天まんてん星ばかりではない、梅の素生すばえは濃こい緑色みどりいろに延のびて、早はや一尺に及およぶのもある。ちいさくなって蹲踞しゃがんで居おるのは躑躅つつじだが、でもがつがつ震ふるえるような様子ようすはすこしも見えない。あの椿の樹を御覧ごらんと「冬」が私に言った。日を受うけて光ひかる冬の緑葉みどりばには言ゆうに言われぬかがやきがあって、密集みっしゅうした葉と葉の間からは大おおきな蕾が顔を出だして居た。何かの深ぶかい微笑えみのように咲さくあの椿の花の中には霜の来くる前に早はや開落かいらくしたのさえあった。

「冬」は私に八やつ手での樹を指さして見せた。そこにはまた白に近い淡緑たんりょくの色彩しきさいの新しさがあって、その力のある花の形は周囲しゅういの単調たんちょうを破って居た。

三年の間、私は異郷いきょうの客舎きゃくしゃの方で暗ぐらい冬を送って来た。寒さむい雨でも来て障子そうじの暗ぐらい日なぞにはよくあの巴里ぱりの冬を思出おもいだす。そこでは一年ひととせのうちの最もっとも日の短みじかいという冬至とうじ前後ぜんごになると、朝の九時頃に漸ようやく夜が明あけて午後ごごの三時半には既すでに日が暮くれて了った。あのボオドレエルの詩の中にあるような赤熱しゃくねつの色に燃もえてしかも凍り果はてるという太陽たいようは、必かならずしも北極ほっきょくの果はてを想像そうぞうしない迄も、巴里ぱりの町を歩いて居てよく見らるるものであった。枯々としたマロニエの並木この間まに冬が来ても青々として枯かれずに居おる草地くさちの眺ながめばかりは、特別とくべつな冬景色けいしょくではあったけれども、あの灰色はいいろな深ぶかい静寂せいじゃくなシャンヌの「冬」の色調しきちょうこそ彼地の自然じねんにはふさわしいものであった。

久しぶりで東京とうきょうの郊外こうがいに冬籠ふゆごもりした。冬の日の光が屋内おくないまで輝かがやき満みちるようなことは三年の旅の間なかったことだ。この季節きせつに、底青く開けた空を望のぞみ得えるということも、めずらしい。私の側へ来てささやいて居たのは、たしかに武蔵野むさしのの「冬」だった。

「冬」はそれから毎年まいとしのように訪ねて来たが、麻生おふの方で冬籠ふゆごもりりするように成ってからは一層いっそうこの訪問ほうもん者を見直みなおすようになった。「冬」で思出おもいだす。かつて信濃しなので逢った「冬」は私に取って一番いちばん親したしみが深ぶかい。毎年まいとし五ヵ月の長ながい間も私は「冬」と一緒いっしょに暮くらした。けれどもあの山の上では一切いっさいのものは皆みんな潜み隠れてしまって、ついぞ私は「冬」の笑顔えがおというものを見たこともなかった。十一といち月の上旬じょうじゅんといえば早はや山々へは初雪はつゆきが来た。そして暗く寂さびしい雪空ゆきぞらに、日ひのめを仰あおぐことも稀な頃になると浅間あさまのけぶりも隠がくれて見えなかった。千曲ちくま川の流れですら氷に閉された。私の周囲しゅういには降ふりつもる深ぶかい溶けない一面いちめんの雪があるばかりであった。その雪は私の旧ふるい住居すまいの庭をも埋めた。どうかすると北向の縁側えんがわよりも庭の雪の方が高かった。軒に垂たれる剣のような氷柱つららの長さは二尺にも三尺さんじゃくにも及んだ。長ながい寒さむい夜なぞは凍しみ裂さける部屋へやの柱の音を聞ききながら、唯もう穴に隠かくれる虫のようにちいさくなって居た。

この「冬」が私には先入せんにゅう主になってしまった。私はあの山の上で七度も「冬」を迎むかえた。私の眼に映うつる「冬」は唯灰色はいいろのものだった。巴里ぱりの方で逢った「冬」はそれほど雪深ゆきぶかいものではなかったが、でも灰色はいいろな色調しきちょうに於いては信濃しなのの山の上に劣らなかった。私は遠とおい旅から帰って、久しぶりで自分じぶんのところへ訪ねて来て呉れたものの顔を見た時、それが「冬」だとは奈何どうしても信じられないくらいに思った。

遠とおい旅から帰って三度目の「冬」を迎むかえた年ほど私も常盤ときわ樹の若葉わかばをしみじみとよく見たためしはなかった。今まで私は黄落する霜葉しもはの方に気を取られて冬の初はじめに見られる常盤ときわ樹の新葉しんばにはそれほどの注意ちゅういも払わずに居た。あの初冬しょとうの若葉わかばは一年ひととせを通とおして樹木じゅもくの世界せかいを見みる最もっとも美うるわしいものの一つだ。「冬」はその年も槇の緑葉みどりばだの、紅あかい実を垂たれた万両まんりょうなぞを私に指さして見せた。万両まんりょうの実げには白もある。ああいう濃こい珠のような光沢こうたくは冬季とうきでなければ見られない。あのの樹を御覧ごらんと云って「冬」がまた私に指さして呉れたのを見みると、黒ずんでしっかりとした幹や、細くても強健きょうけんな姿を失わないあの枝は、まるでゴシック風の建築けんちく物に見みる感かんじだ。おまけに冬の日をうけたの若葉わかばには言ゆうに言われぬ深ぶかいかがやきがあった。

「冬」は私に言った。

「お前まえは是までそんなに私を見損なって居たのか。今年ことしはお前まえの小ちいさな娘のところへ土産どさんまで持って来た。あの児の紅あかい頬辺ほっぺたもこの私のこころざしだ。」と。

「貧」が訪ねて来た。

子供こどもの時分じぶんからの馴染なじみのような顔付かおつきをした斯この訪問ほうもん者が、復た忸々なれ/\しく私の側へ来た。正直しょうじきに言ゆうと、この足繁しげく訪ねて来くる客の顔を見みる度に、私は「冬」以上いじょうの醜さを感かんじて居た。「お前まえとは旧ふるい馴染なじみだ」とでも言いたげなこの客に対したばかりでも、私の頭は下ってしまった。とても私には長くこの客を眺ながめては居られなかった。その私が自分じぶんの側へ来たものの顔をよく見て居おるうちに、今迄思おもいもよらなかったような優やさしい微笑えみをすら見つけた。私は以前いぜんに「冬」に言ったと同おんなじ調子ちょうしで、この客に尋たずねて見ずには居られなかった。

「お前まえが『貧』か。」

「そういうお前は私を誰だと思おもう。そんなに長くお前まえは私を知らずに居たのか。」

と「貧」が答えた。

「めずらしいことだ。今迄私はお前まえの笑顔えがおというものを見たこともない。お前まえにそんな笑顔えがおがあろうとは、思って見たことすら無なあい。私はお前まえが笑わないものだとばかり思って居た。稀にお前まえに笑われると、私は身が縮ちじむように厭な気がしたものだ。唯、私はお前まえに忸れたかして、お前まえが側に居て呉くれると、一番いちばん安心あんしんする。」斯こう私が言ゆうと、「貧」は笑って、

「私に忸れてはいけない。もっと私を尊敬そんけいしてほしい。よく私に清きよいという言葉ことばをつけて、『清貧せいひん』と私を呼んで呉くれる人もあるが、ほんとうの私はそんな冷かなものでは無なあい。私は自分じぶんの歩いた足跡あしあとに花を咲かせることも出来できる。私は自分じぶんの住居すまいを宮殿くうでんに変かえることも出来できる。私は一種いっしゅの幻術者じゅつしゃだ。斯こう見えても私は世に所謂しょい「富」なぞの考かんがえるよりは、もっと遠とおい夢を見て居おる。」

「老」が訪ねて来た。

これこそ私が「貧」以上いじょうに醜く考かんがえて居たものだ。不思議ふしぎにも、「老」までが私に微笑んで見せた。私はまた「貧」に尋たずねて見たと同おんなじ調子ちょうしで、

「お前まえが『老』か。」

と言わずには居られなかった。

私の側へ来たものの顔をよく見みると、今迄私が胸に描いて居たものは真実しんじつの「老」ではなくて、「萎縮いしゅく」であったことが分って来た。自分じぶんの側へ来たものは、もっと光ったものだ。もっと難有ありがたし味のあるものだ。

しかし斯この訪問ほうもん者が私のところへ来くるようになってから、まだ日が浅あさい。私はもっとよく話はなして見なければ、ほんとうに斯この客のことは分らない。唯、私には「老」の微笑えみということが分って来ただけだ。どうかして私はこの客をよく知りたい。そして自分じぶんもほんとうに年を取とりたいものだと思って居おる。

まだ誰か訊ねて来たような気がする。それが私の家の戸口ここうに佇たたずんで居おるような気がする。私はそれが「死」であることを感知かんちする。おそらく私が以上いじょうの三人の訪問ほうもん者から自分じぶんの先入せんにゅう主となった物の考かんがえ方の間違って居たことを教えられたように、「死」もまた思おもいもよらないことを私に教おしえるかも知れない。……

(一九いっく一九いっく年一としかず月「開拓かいたく者」)

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Where this text comes from

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First published
「開拓者」1919(大正8)年1月
Source edition (底本)
底本:「世界教養全集 別巻1 日本随筆・随想集」平凡社


   1962(昭和37)年11月20日初版発行

   1963(昭和38)年8月15日再版発行

初出:「開拓者」

   1919(大正8)年1月号

入力:sogo

校正:林 幸雄

2010年3月14日作成

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
sogo
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林幸雄

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