Nihoner

夏目漱石 Soseki Natsume 1867.02.09〜1916.12.09

思い出す事など

おもいだすことなど

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一

ようやくの事でまた病院びょういんまで帰って来た。思おもい出だすとここで暑あつい朝夕あさゆうを送ったのももう三カ月げつの昔になる。その頃ころは二階にかいの廂ひさしから六尺に余あまるほどの長ながい葭簀よしずを日除ひよけに差さし出だして、熱ほてりの強こわい縁側えんがわを幾分いくぶんか暗くしてあった。その縁側えんがわに是公ぜこうから貰った楓かえでの盆栽ぼんさいと、時々人の見舞みまいに持って来てくれる草花くさばななどを置いて、退屈たいくつも凌しのぎ暑さも紛まぎらしていた。向むこうに見まみえる高だかい宿屋やどやの物干ものほしに真裸まっぱだかの男が二人出ひとでて、日盛ひざかりを事ともせず、欄干らんかんの上を危あぶなく渡ったり、または細長ほそながい横木おうぼくの上にわざと仰向あおむけに寝たりして、ふざけまわる様子ようすを見て自分じぶんもいつか一度ひとたびはもう一遍いっぺんあんな逞たくましい体格たいかくになって見たいと羨うらやんだ事もあった。今はすべてが過去かこに化してしまった。再ふたたび眼の前に現あらわれぬと云いう不慥ふたしかな点において、夢と同おなじくはかない過去かこである。

病院びょういんを出でる時の余は医師くすしの勧すすめに従って転地てんちする覚悟かくごはあった。けれども、転地先ちさきで再度さいどの病やまいに罹かかって、寝たまま東京とうきょうへ戻って来こようとは思わなかった。東京とうきょうへ戻ってもすぐ自分じぶんの家の門は潜くぐらずに釣台つりだいに乗ったまま、また当時とうじの病院びょういんに落おちつく運命うんめいになろうとはなおさら思いがけなかった。

帰かえる日は立だつ修善寺しゅぜんじも雨、着つく東京とうきょうも雨であった。扶たすけられて汽車きしゃを下おりるときわざわざ出迎でむかえてくれた人の顔は半分はんぶんも眼に入いらなかった。目礼もくれいをする事のできたのはその中うちの二三にさんに過すぎなかった。思おもうほどの会釈えしゃくもならないうちに余は早く釣台つりだいの上に横よこたえられていた。黄昏たそがれの雨を防ふせぐために釣台つりだいには桐油とうゆを掛けた。余は坑あなの底に寝かされたような心持こころもちで、時々暗ぐらい中で眼を開あいた。鼻には桐油とうゆの臭がした。耳には桐油とうゆを撲うつ雨の音と、釣台つりだいに付添つきそうて来くるらしい人の声が微かすかながらとぎれとぎれに聞えた。けれども眼には何物なにものも映らなかった。汽車きしゃの中で森成もりなりさんが枕元まくらもとの信玄袋しんげんぶくろの口に挿さし込んでくれた大おおきな野菊のぎくの枝は、降おりる混雑こんざつの際に折れてしまったろう。

釣台つりだいに野菊のぎくも見えぬ桐油とうゆ哉かな

これはその時の光景こうけいを後から十七字にちぢめたものである。余はこの釣台つりだいに乗ったまま病院びょういんの二階にかいへ舁かき上あげられて、三カ月前ぜんに親しんだ白じろいベッドの上に、安やすらかに瘠やせた手足しゅそくを延のべた。雨の音の多おおい静しずかな夜であった。余の病室びょうしつのある棟むねには患者かんじゃが三四さんし名しかいないので、人声ひとごえも自然じねん絶え勝に、秋は修善寺しゅぜんじよりもかえってひっそりしていた。

この静しずかな宵よいを心地ここちよく白じろい毛布もうふの中に二時間じかんほど送った時、余は看護かんご婦から二通の電報でんぽうを受取った。一通いっつうを開けて見みると「無事ぶじ御帰京ききょうを祝しゅくす」と書いてあった。そうしてその差出さしで人は満洲まんしゅうにいる中村是公なかむらぜこうであった。他の一通いっつうを開けて見みると、やはり無事ぶじ御帰京ききょうを祝しゅくすと云いう文句もんくで、前のと一字の相違そういもなかった。余は平凡へいぼんながらこの暗合あんごうを面白く眺ながめつつ、誰が打ってくれたのだろうと考かんがえて差出さしで人の名前なまいを見た。ところがステトとあるばかりでいっこうに要領ようりょうを得なかった。ただかけた局が名古屋なごやとあるのでようやく判断はんだんがついた。ステトと云いうのは、鈴木禎次すずきていじと鈴木時子すずきときこの頭文字かしらもじを組み合わしたもので、妻さいの妹いもととその夫おっとの事であった。余は二ツの電報でんぽうを折り重ねて、明朝あすまた来きたるべき妻の顔を見たら、まずこの話をしようかと思い定めた。

病室びょうしつは畳も青かった。襖ふすまも張はり易かえてあった。壁も新あらたに塗ったばかりであった。万よろず居心いごころよく整っていた。杉本すぎもと副院長いんちょうが再度さいど修善寺しゅぜんじへ診察しんさつに来た時、畳替たたみがえをして待っていますと妻に云い置かれた言葉ことばをすぐに思おもい出でしたほど奇麗きれいである。その約束やくそくの日から指を折って勘定かんじょうして見みると、すでに十六七ろくしち日目にちもくになる。青あおい畳もだいぶ久しく人を待ったらしい。

思おもいけりすでに幾夜いくよの蟋蟀きりぎりす

その夜から余は当分とうぶんまたこの病院びょういんを第二の家とする事にした。

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Where this text comes from

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First published
「朝日新聞」1910(明治43)年10月~1911(明治44)年4月
Source edition (底本)
底本:「夏目漱石全集7」ちくま文庫、筑摩書房

   1988(昭和63)年4月26日第1刷発行

底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房

   1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:柴田卓治

校正:伊藤時也

1999年6月26日公開

2011年1月13日修正

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Typed by (入力)
柴田卓治
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伊藤時也

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