Nihoner

国木田独歩 Doppo Kunikida 1871.08.30〜1908.06.23

窮死

きゅうし

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九段くだん坂の最寄もよりにけちなめし屋やがある。春の末の夕暮ゆうぐれに一人ひとりの男が大儀たいぎそうに敷居しきいをまたげた。すでに三人の客がある。まだランプをつけないので薄暗うすくらい土間どまに居並いならぶ人影ひとかげもおぼろである。

先客せんきゃくの三人も今来こんらいた一人ひとりも、みな土方どかたか立たちんぼうぐらいのごく下等かとうな労働ろうどう者である。よほど都合つごうのいい日でないと白馬どぶろくもろくろくは飲めない仲間なかまらしい。けれどもせんの三人は、いくらかよかったと見えて、思い思いに飲やっていた。

「文公ぶんこう、そうだ君の名は文さんとか言ったね。からだはどうだね。」と角かどばった顔の性質ひとのよさそうな四十しじゅうを越した男がすみから声をかけた。

「ありがとう、どうせ長くはあるまい。」と今来こんらいた男は捨すてばちに言って、投なげるように腰掛こしかけに身をおろして、両手りょうてで額を押え、苦くるしい咳せきをした。年としごろは三十さんじゅう前後ぜんごである。

「そう気を落おとすものじゃアない、しっかりなさい」と、この店の亭主ていしゅが言った。それぎりでたれもなんとも言わない、心のうちでは「長くあるまい」と言ゆうのに同意どういをしているのである。

「六銭しかない、これでなんでもいいから……」と言いさして、咳せきで、食わしてもらいたいという言葉ことばが出ない。文公ぶんこうは頭の毛を両手りょうてでつかんでもがいている。

めそめそ泣いている赤あかんぼを背負ったおかみさんは、ランプをつけながら、

「苦しそうだ、水をあげようか。」と振ふり向むけるいた。文公ぶんこうは頭を横に振った。

「水よりかこのほうがいい、これなら元気げんきがつく」と三人の一人ひとりの大男おうおとこが言った。この男はこの店にはなじみでないと見えてさっきから口をきかなかったのである。突つき出でるしたのが白馬どぶろくの杯さかずき。文公ぶんこうはまたも頭を横に振った。

「一本いっぽんつけよう。やっぱりこれでないと元気げんきがつかない。代だいはいつでもいいから飲やったほうがよかろう。」と亭主あるじは文公ぶんこうがなんとも返事へんじせぬうちに白馬どぶろくを一本いっぽんつけた。すると角かどばった顔の男が、

「なアに文公ぶんこうが払えない時は、わしがどうにでもする。えッ、文公ぶんこう、だから一ツ飲やってみな。」

それでも文公ぶんこうは頭を押えたまま黙っていると、まもなく白馬しろうま一本いっぽんと野菜やさいの煮につけを少すこしばかり載せた小ざら一つが文公ぶんこうの前に置かれた。この時やっと頭を上あげて、

「親方おやかたどうも済まない。」と弱よわい声で言ってまたも咳せきをしてホッとため息いきをついた。長おもてのやせこけた顔で、頭は五分刈かりがそのまま伸のびるだけ伸のびて、ももくちゃになって少すこしのつやもなく、灰色はいいろがかっている。

文公ぶんこうのおかげで陰気いんきがちになるのもしかたがない、しかしたれもそれを不平ふへいに思おもう者はないらしい。文公ぶんこうは続つずけざまに三四さんし杯ひっかけてまたも頭を押えたが、人々の親切しんせつを思わぬでもなく、また深く思おもうでもない。まるで別の世界せかいから言葉ことばをかけられたような気持きもちもするし、うれしいけれど、それがそれまでの事である事を知っているから「どうせ長くはない」との感かんじを、しばしの間でもよいから忘わすれたくても忘わすれる事ができないのである。

からだにも心にも、ぽかんとしたような絶望ぜつぼう的無我ぶがが霧のように重く、あらゆる光をさえぎって立ちこめている。

すき腹はらに飲んだので、まもなく酔よいがまわり、やや元気げんきづいて来た。顔を上あげて我われ知らずにやりと笑った時は、四角しかくの顔がすぐ、

「そら見ろ、気持きもちが直ったろう。飲やれ飲やれ、一本いっぽんで足りなきゃアもう一本いっぽん飲やれ、わしが引ひき受うけるから。なんでも元気げんきをつけるにゃアこれに限かぎるッて事よ!」と御自身おのれのほうが大元気げんきになって来たのである。

この時、外から二人ふたりの男が駆けこんで来た。いずれも土方どかたふうの者である。

「とうとう降やって来やアがった。」と叫んで思い思いに席を取った。文公ぶんこうの来くる前から西の空がまっ黒くろに曇くもり、遠雷えんらいさえとどろきて、ただならぬけしきであったのである。

「なに、すぐ晴あがります。だけど今時分じぶんの夕立ゆうだちなんて、よっぽど気きまぐれだ。」と亭主あるじが言った。

二人ふたりが飛びこんでから急ににぎおうて来て、いつしか文公ぶんこうに気をつける者もなくなった。外はどしゃ降りである。二つのランプの光は赤くかすかに、陰かげは暗くあまねくこのすすけた土間どまをこめて、荒あらくれ男おとこのあから顔だけが右に左に動いている。

文公ぶんこうは恵まれた白馬どぶろく一本いっぽんをちびちび飲のみ終おわると飯を初はじめた、これも赤あかんぼをおぶった女主人かみさんの親切しんせつでたらふく食った。そして、出でかけると急に亭主ていしゅがこっちを向むかいて、

「まだ降ってるだろう、やんでから行きな。」

「たいしたことはあるまい。みなさん、どうもありがとう」と、穴だらけの外套がいとうを頭からかぶって外へ出た。もう晴あがりぎわの小降こぶりである。ともかくも路地ろじをたどって通とおりへ出た。亭主ていしゅは雨がやんでから行きなと言ったが、どこへ行ゆく? 文公ぶんこうは路地ろじ口の軒下のきしたに身を寄よせて往来おうらいの上下かみしもを見た。幌人車ほろぐるまが威勢いせいよく駆かけている。店々のともし火びが道に映っている。一二いちに丁先の大通おうどうりを電車でんしゃが通とおる。さて文公ぶんこうはどこへ行ゆく?

めし屋やの連中れんじゅうも文公ぶんこうがどこへ行ゆくか、もちろん知らないがしかしどこへ行こうと、それは問題もんだいでない。なぜなれば居残っている者のうちでも、今夜こんやはどこへ泊とまるかを決ぎめていないものがある。この人々は大概たいげい、いわゆる居所きょしょ不明ふめい、もしくは不定ふじょうな連中れんじゅうであるから文公ぶんこうの今夜こんやの行ゆく先さきなど気にしないのも無理むりはない。しかしあの容態ようたいでは遠からずまいってしまうだろうとは文公ぶんこうの去ったあとでのうわさであった。

「かわいそうに。養育よういく院へでもはいればいい。」と亭主あるじが言った。

「ところがその養育よういく院というやつは、めんどうくさくってなかなかはいられないという事だぜ。」と客の土方どかたの一人ひとりが言ゆう。

「それじゃア行ゆき倒だおれだ!」と一人ひとりが言ゆう。

「たれか引ひき取とり手てがないものかナ。ぜんたい野郎やろうはどこの者だ。」と一人ひとりが言ゆう。

「自分じぶんでも知しるまい。」

実際じっさい文公ぶんこうは自分じぶんがどこで生うまれたのか全く知らない、親も兄弟けいていもあるのかないのかすら知らない、文公ぶんこうという名も、たれ言ゆうとなくひとりでにできたのである。十二とうに歳ごろの時、浮浪ふろう少年しょうねんとのかどで、しばらく監獄かんごくに飼われていたが、いろいろの身のためになるお話を聞かされた後、門から追おい出でるされた。それから三十さんじゅういくつになるまで種々な労働ろうどうに身を任して、やはり以前いぜんの浮浪ふろう生活せいかつを続つずけて来たのである。この冬に肺を病んでから薬一滴飲のむことすらできず、土方どかたにせよ、立たちん坊ぼにせよ、それを休めばすぐ食うことができないのであった。

「もうだめだ」と、十日ぐらい前から文公ぶんこうは思っていた。それでもかせげるだけはかせがなければならぬ。それできょうも朝五銭、午後ひるに六銭だけようやくかせいで、その六銭を今めし屋やでつかってしまった。五銭は昼ひるめしになっているから一文もんも残らない。

さて文公ぶんこうはどこへ行ゆく? ぼんやり軒下のきしたに立って目の前のこの世よのさまをじっと見ているうちに、

「アヽいっそ死んでしまいたいなア」と思った。この時、悪寒おかんが身みうちに行きわたって、ぶるぶるッとふるえた、そして続つずけざまに苦くるしい咳せきをしてむせび入った。

ふと思いついたのは、今から二月前げつぜんに日本橋にっぽんばしのある所で土方どかたをした時知しり合あいになった弁公べんこうという若者わかいのがこの近所きんじょに住んでいることであった。道悪みちわるを七八丁はっちょう飯田町いいだまちの河岸かしのほうへ歩いて暗ぐらい狭せまい路地ろじをはいると突つき当あたりにブリキ葺ぶきの棟むねの低ひくい家がある。もう雨戸あまどが引きよせてある。

たどり着いて、それでも思い切って、

「弁公べんこう、家うちか。」

「たれだい。」と内からすぐ返事へんじがした。

「文公ぶんこうだ。」

戸があいて「なんの用だ。」

「一晩泊めてくれ。」と言われて弁公べんこうすぐ身を横によけて

「まアこれを見みてくれ、どこへ寝られる?」

見ればなるほど三畳敷たたみじきの一間ひとまに名ばかりの板いたの間まと、上あがり口くちにようやく下駄げたを脱ぬぐだけの土間どまとがあるばかり、その三畳敷たたみじきに寝床ねどこが二つ敷いてあって、豆ランプが板いたの間まの箱の上に載せてある。その薄うすい光で一ツの寝床ねどこに寝ている弁公べんこうの親父おやじの頭がおぼろに見まみえる。

文公ぶんこうの黙っているのを見て、

「いつものばばアの宿へなんで行かねえ?」

「文もんなしだ。」

「三晩や四晩借かりたってなんだ。」

「ウンと借かりができて、もう行けねえんだ。」と言いさま、咳せきをして苦くるしい息を内に引ひくや、思わずホッと疲つかれ果はてたため息いきをもらした。

「からだもよくないようだナ。」と、弁公べんこう初はじめて気がつく。

「すっかりだめになっちゃった。」

「そいつは気きの毒どくだなア」と内と外でしばし無言むごんでつっ立っている。するとまだ寝つかれないでいた親父しんぷが頭をもたげて、

「弁公べんこう、泊めてやれ、二人ふたり寝ねるのも三人寝ねるのも同おんなじことだ。」

「同おんなじことは一つこった。それじゃア足を洗うんだ。この磨滅下駄ちびげたを持って、そこの水道すいどうで洗って来な、」と弁公べんこう景気けいきよく言って、土間どまを探さぐり、下駄げたを拾って渡した。

そこで文公ぶんこうはやっと宿を得て、二人ふたりの足のすそに丸くなった。親父おやじも弁公べんこうも昼間ちゅうかんの激はげしい労働ろうどうで熟睡うまいしたが文公ぶんこうは熱と咳せきとで終夜しゅうや苦しめられ、明あけ方がた近ちかくなってやっと寝入った。

短夜みじかよの明あけやすく、四時しじ半には弁公べんこう引ひき窓まどをあけて飯をたきはじめた。親父しんぷもまもなく起きて身じたくをする。

飯ができるや、まず弁公べんこうはその日の弁当べんとう、親父しんぷと自分じぶんとの一度ひとたび分をこしらえる。終わって二人ふたりは朝飯あさめしを食くいながら親父しんぷは低ひくい声で、

「この若者わかいのはよっぽどからだを痛めているようだ。きょうは一日ついたちそっとしておいて仕事しごとを休やすますほうがよかろう。」

弁公べんこうはほおばって首を縦に二三にさん度振ふる。

「そして出でがけに、飯もたいてあるから勝手かってに食べて一日ついたち休めと言え。」

弁公べんこうはうなずいた、親父しんぷは一段いちだん声を潜めて、

「他人事ひとごとと思おもうな、おれなんぞもう死のうと思った時、仲間なかまの者に助たすけられたなア一度ひとたびや二度じゃアない。助たすけてくれるのはいつも仲間なかまのうちだ、てめえもこの若者わかいのは仲間なかまだ、助たすけておけ。」

弁公べんこうは口をもごもごしながら親父しんぷの耳に口を寄よせて、

「でも文公ぶんこうは長くないよ。」

親父しんぷは急に箸はしを立てて、にらみつけて、

「だから、なお助たすけるのだ。」

弁公べんこうはまたもすなおにうなずいた。出でがけに文公ぶんこうを揺り起こして、

「オイちょっと起きねえ、これから、おいらは仕事しごとに出でるが、兄あにきは一日ついたち休やすむがいい。飯もたいてあるからナア、イイカ留守るすを頼んだよ。」

文公ぶんこうは不意ふいに起こされたので、驚いて起き上がりかけたのを弁公べんこうが止とどめたので、また寝て、その言ゆうことを聞いてただうなずいた。

あまり当てにならない留守るす番だから、雨戸あまどを引きよせて親子おやこは出て行った。文公ぶんこうは留守るす居と言われたのですぐ起きていたいと思ったが、ころがっているのがつまり楽なので、十時ごろまで目だけさめて起き上がろうともしなかったが、腹がへったので、苦くるしいながら起き直って、飯を食ってまたごろりとして、夢ゆめうつつで正午しょうご近ちかくなるとまた腹がへる。それでまた食ってごろついた。

弁公べんこう親子おやこはある親分おやぶんについて市の埋うめ立たて工事こうじの土方どかたをかせいでいたのである。弁公べんこうは堀ほりを埋うめる組、親父おやじは下水用すいようの土管どかんを埋うめるための深ぶかいみぞを掘ほる組。それでこの日は親父しんぷはみぞを掘っていると、午後ごご三時ごろ、親父しんぷのはね上げた土が、おりしも通りかかった車夫くるまひきのすねにぶつかった。この車夫くるまひきは車も衣装みなりも立派りっぱで、乗のせていた客も紳士しんしであったが、いきなり人車くるまを止とどめて、「何をしやアがるんだ、」と言いさま、みぞの中の親父しんぷに土の塊かたまりを投げつけた。

「気をつけろ、間抜ぬけめ」と言ゆうのが捨すてぜりふで、そのまま行こうとすると、親父しんぷは承知しょうちしない。

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Where this text comes from

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First published
「文芸倶楽部」1907(明治40)年5月
Source edition (底本)
底本:「号外・少年の悲哀 他六篇」岩波文庫、岩波書店


   1939(昭和14)年4月17日 第1刷発行

   1960(昭和35)年1月25日 第14刷改版発行

   1981(昭和56)年4月10日 第34刷発行

入力:紅 邪鬼

校正:鈴木厚司

2000年7月5日公開

2004年6月22日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
紅邪鬼
Proofread by (校正)
鈴木厚司

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