Nihoner

夏目漱石 Soseki Natsume 1867.02.09〜1916.12.09

京に着ける夕

きょうにつけるゆうべ

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汽車きしゃは流星ながれぼしの疾はやきに、二百里ひゃくりの春を貫つらぬいて、行ゆくわれを七条しちじょうのプラットフォームの上に振ふり落おとす。余よが踵かかとの堅き叩たたきに薄寒く響いたとき、黒きものは、黒き咽喉のどから火の粉こをぱっと吐はいて、暗ぐらい国へ轟ごうと去った。

たださえ京は淋さびしい所である。原に真葛まくず、川に加茂かも、山に比叡ひえと愛宕あたごと鞍馬くらま、ことごとく昔のままの原と川と山である。昔のままの原と川と山の間にある、一条いちじょう、二条にじょう、三条さんじょうをつくして、九条くじょうに至いたっても十条じゅうじょうに至いたっても、皆昔のままである。数えて百条に至り、生きて千年ちとしに至いたるとも京は依然いぜんとして淋しかろう。この淋さびしい京を、春寒はるさむの宵よいに、とく走はしる汽車きしゃから会釈えしゃくなく振り落された余は、淋さびしいながら、寒さむいながら通らねばならぬ。南から北へ――町が尽きて、家が尽きて、灯ひが尽つきる北きたの果はてまで通らねばならぬ。

「遠とおいよ」と主人しゅじんが後うしろから云いう。「遠とおいぜ」と居士こじが前から云いう。余は中の車に乗って顫ふるえている。東京とうきょうを立だつ時は日本にぽんにこんな寒さむい所があるとは思わなかった。昨日きのうまでは擦すれ合あう身体からだから火花ひばなが出て、むくむくと血管けっかんを無理むりに越こす熱き血が、汗を吹いて総身そうみに煮浸にじみ出はせぬかと感じた。東京とうきょうはさほどに烈はげしい所である。この刺激しげきの強こわい都を去って、突然とつぜんと太古たいこの京へ飛び下りた余は、あたかも三伏さんぷくの日に照りつけられた焼石やきいしが、緑の底に空を映さぬ暗ぐらい池へ、落ち込んだようなものだ。余はしゅっと云いう音と共に、倏忽しゅっこつとわれを去さる熱気ねっきが、静なる京の夜に震動しんどうを起おこしはせぬかと心配しんぱいした。

「遠とおいよ」と云った人の車と、「遠とおいぜ」と云った人の車と、顫えている余の車は長き轅かじを長く連つらねて、狭せばく細こまい路みちを北へ北へと行ゆく。静しずかな夜よを、聞かざるかと輪りんを鳴らして行ゆく。鳴なる音は狭き路を左右さゆうに遮さえぎられて、高く空に響ひびく。かんかららん、かんかららん、と云いう。石に逢あえばかかん、かからんと云いう。陰気いんきな音ではない。しかし寒さむい響である。風は北から吹ふく。

細こまい路を窮屈きゅうくつに両側りょうがわから仕切じきる家はことごとく黒ぐろい。戸は残りなく鎖とざされている。ところどころの軒下のきしたに大おおきな小田原提灯おだわらぢょうちんが見まみえる。赤くぜんざいとかいてある。人気ひとけのない軒下のきしたにぜんざいはそもそも何を待まちつつ赤く染まっているのかしらん。春寒はるさむの夜よを深ふかみ、加茂川かもがわの水さえ死しぬ頃を見計らって桓武天皇かんむてんのうの亡魂ぼうこんでも食くいに来くる気かも知れぬ。

桓武かんむ天皇てんのうの御宇ぎょうに、ぜんざいが軒下のきしたに赤く染そめ抜かれていたかは、わかりやすからぬ歴史上しじょうの疑問ぎもんである。しかし赤あかいぜんざいと京都きょうととはとうてい離されない。離されない以上いじょうは千年ちとしの歴史れきしを有ゆうする京都きょうとに千年ちとしの歴史れきしを有ゆうするぜんざいが無くてはならぬ。ぜんざいを召したまえる桓武かんむ天皇てんのうの昔はしらず、余とぜんざいと京都きょうととは有史ゆうし以前いぜんから深ぶかい因縁いんねんで互に結びつけられている。始はじめて京都きょうとに来たのは十五六ごろく年の昔である。その時は正岡子規まさおかしきといっしょであった。麩屋町ふやまちの柊屋ひいらぎやとか云いう家へ着いて、子規しきと共に京都きょうとの夜よるを見物けんぶつに出たとき、始はじめて余の目に映ったのは、この赤あかいぜんざいの大提灯ちょうちんである。この大提灯ちょうちんを見て、余は何故なにゆえかこれが京都きょうとだなと感かんじたぎり、明治あきはる四十しじゅう年の今日こんにちに至いたるまでけっして動かない。ぜんざいは京都きょうとで、京都きょうとはぜんざいであるとは余が当時とうじに受けた第一だいいち印象いんしょうでまた最後さいごの印象いんしょうである。子規しきは死んだ。余はいまだに、ぜんざいを食った事がない。実はぜんざいの何物なにものたるかをさえ弁わきまえぬ。汁粉しるこであるか煮小豆ゆであずきであるか眼前がんぜんに髣髴ほうふつする材料ざいりょうもないのに、あの赤あかい下品げぼんな肉太にくぶとな字を見みると、京都きょうとを稲妻いなずまの迅すみやかなる閃ひらめきのうちに思おもい出だす。同時どうじに――ああ子規しきは死んでしまった。糸瓜へちまのごとく干枯ひからびて死んでしまった。――提灯ちょうちんはいまだに暗ぐらい軒下のきしたにぶらぶらしている。余は寒さむい首を縮ちぢめて京都きょうとを南から北へ抜ける。

車はかんかららんに桓武かんむ天皇てんのうの亡魂ぼうこんを驚おどろかし奉たてまつって、しきりに馳かける。前なる居士こじは黙って乗っている。後うしろなる主人しゅじんも言葉ことばをかける気色けしきがない。車夫しゃふはただ細長ほそながい通とおりをどこまでもかんかららんと北へ走はしる。なるほど遠とうい。遠とおいほど風に当らねばならぬ。馳けるほど顫ふるえねばならぬ。余の膝掛ひざかけと洋傘ようがさとは余が汽車きしゃから振り落されたとき居士こじが拾ってしまった。洋傘ようがさは拾われても雨が降らねばいらぬ。この寒さむいのに膝掛ひざかけを拾われては東京とうきょうを出でるとき二十二とうに円五十ごじゅう銭を奮発ふんぱつした甲斐かいがない。

子規しきと来たときはかように寒くはなかった。子規しきはセル、余はフランネルの制服せいふくを着て得意とくいに人通ひとどうりの多おおい所を歩行あるいた事を記憶きおくしている。その時子規しきはどこからか夏蜜柑なつみかんを買かうて来て、これを一つ食えと云って余に渡した。余は夏蜜柑なつみかんの皮を剥むいて、一房ひとふさごとに裂いては噛かみ、裂いては噛んで、あてどもなくさまようていると、いつの間まにやら幅一間ぐらいの小路しょうじに出た。この小路こうじの左右さゆうに並ならぶ家には門並かどなみ方一尺ばかりの穴を戸にあけてある。そうしてその穴の中ちゅうから、もしもしと云いう声がする。始はじめは偶然ぐうぜんだと思おもうていたが行ゆくほどに、穴のあるほどに、申し合せたように、左右さゆうの穴からもしもしと云いう。知らぬ顔をして行ゆき過すぎると穴から手を出だして捕とらまえそうに烈はげしい呼び方をする。子規しきを顧かえりみて何だと聞きくと妓楼ぎろうだと答えた。余は夏蜜柑みかんを食くいながら、目分量めぶんりょうで一間幅の道路どうろを中央ちゅうおうから等分とうぶんして、その等分とうぶんした線の上を、綱渡つなわたりをする気分きぶんで、不偏不党ふへんふとうに練ねって行った。穴から手を出だして制服せいふくの尻でも捕まえられては容易たやすいならんと思ったからである。子規しきは笑っていた。膝掛ひざかけをとられて顫ふるえている今の余を見たら、子規しきはまた笑わらうであろう。しかし死んだものは笑わらいたくても、顫えているものは笑われたくても、相談そうだんにはならん。

かんかららんは長ながい橋の袂たもとを左へ切きれて長ながい橋を一つ渡って、ほのかに見まみえる白じろい河原かわらを越こえて、藁葺わらぶきとも思われる不揃ふそろいな家の間を通とうり抜ぬけて、梶棒かじぼうを横に切ったと思ったら、四抱よかかえか五抱いつかかえもある大樹たいじゅの幾本となく提灯ちょうちんの火にうつる鼻先はなさきで、ぴたりと留まった。寒さむい町を通とうり抜ぬけて、よくよく寒さむい所へ来たのである。遥はるかなる頭の上に見上みあげる空は、枝のために遮さえぎられて、手の平ひらほどの奥に料峭りょうしょうたる星ほしの影がきらりと光を放った時、余は車を降りながら、元来がんらいどこへ寝ねるのだろうと考かんがえた。

「これが加茂かもの森もりだ」と主人しゅじんが云いう。「加茂かもの森がわれわれの庭だ」と居士こじが云いう。大樹たいじゅを繞めぐって、逆ぎゃくに戻もどると玄関げんかんに灯ひが見まみえる。なるほど家があるなと気がついた。

玄関げんかんに待まつ野明のあきさんは坊主頭ぼうずあたまである。台所だいどころから首を出した爺さんも坊主ぼうず頭である。主人しゅじんは哲学者がくしゃである。居士こじは洪川和尚こうせんおしょうの会下えかである。そうして家は森の中にある。後うしろは竹藪たけやぶである。顫えながら飛び込んだ客は寒がりである。

子規しきと来て、ぜんざいと京都きょうとを同おんなじものと思ったのはもう十五六ごろく年の昔になる。夏の夜よの月円まるきに乗じて、清水きよみずの堂を徘徊はいかいして、明あきらかならぬ夜よるの色をゆかしきもののように、遠とおく眼まなこを微茫びぼうの底に放って、幾点の紅灯こうとうに夢のごとく柔やわらかなる空想くうそうを縦ほしいままに酔えわしめたるは、制服せいふくの釦ボタンの真鍮しんちゅうと知りつつも、黄金こがねと強しいたる時代じだいである。真鍮しんちゅうは真鍮しんちゅうと悟ったとき、われらは制服せいふくを捨てて赤裸まるはだかのまま世よの中なかへ飛とび出でるした。子規しきは血を嘔はいて新聞屋ぶんやとなる、余は尻を端折はしょって西国さいこくへ出奔しゅっぽんする。御互の世は御互に物騒ぶっそうになった。物騒ぶっそうの極きょく子規しきはとうとう骨になった。その骨も今は腐れつつある。子規しきの骨が腐れつつある今日こんにちに至いたって、よもや、漱石そうせきが教師きょうしをやめて新聞屋ぶんやになろうとは思わなかったろう。漱石そうせきが教師きょうしをやめて、寒さむい京都きょうとへ遊あそびに来たと聞いたら、円山まるやまへ登った時を思い出しはせぬかと云うだろう。新聞屋ぶんやになって、糺ただすの森もりの奥に、哲学者がくしゃと、禅居士ぜんこじと、若わかい坊主ぼうず頭と、古ふるい坊主ぼうず頭と、いっしょに、ひっそり閑かんと暮くらしておると聞いたら、それはと驚くだろう。やっぱり気取っているんだと冷笑れいしょうするかも知れぬ。子規しきは冷笑れいしょうが好すきな男であった。

若わかい坊さんが「御湯に御這入おはいり」と云いう。主人しゅじんと居士こじは余が顫ふるえているのを見兼みかぬて「公こう、まず這入れ」と云いう。加茂かもの水の透すき徹とおるなかに全身ぜんしんを浸つけたときは歯の根が合わぬくらいであった。湯に入いって顫えたものは古往今来こおうこんらいたくさんあるまいと思おもう。湯から出たら「公まず眠ねぶれ」と云いう。若わかい坊さんが厚あつい蒲団ふとんを十二とうに畳の部屋へやに担かつぎ込こむ。「郡内ぐんないか」と聞いたら「太織ふとおりだ」と答えた。「公のために新調しんちょうしたのだ」と説明せつめいがある上は安心あんしんして、わがものと心得こころえて、差支さしつかえなしと考かんがえた故、御免ごめんを蒙こうぶって寝ねる。

寝心地ねごこちはすこぶる嬉うれしかったが、上に掛がける二枚も、下へ敷しく二枚も、ことごとく蒲団ふとんなので肩のあたりへ糺の森の風がひやりひやりと吹いて来くる。車に寒く、湯に寒く、果はては蒲団ふとんにまで寒かったのは心得こころえぬ。京都きょうとでは袖そでのある夜着よぎはつくらぬものの由を主人しゅじんから承うけたまわって、京都きょうとはよくよく人を寒がらせる所だと思おもう。

真夜まよ中頃なかごろに、枕頭まくらもとの違棚ちがいだなに据すえてある、四角しかくの紫檀製したんせいの枠わくに嵌はめ込こまれた十八世紀せいきの置時計とけいが、チーンと銀椀ぎんわんを象牙ぞうげの箸はしで打つような音を立てて鳴った。夢のうちにこの響を聞いて、はっと眼を醒さましたら、時計とけいはとくに鳴なりやんだが、頭のなかはまだ鳴っている。しかもその鳴なりかたが、しだいに細く、しだいに遠とおく、しだいに濃こまやかに、耳から、耳の奥へ、耳の奥から、脳のなかへ、脳のなかから、心の底へ浸しみ渡わたって、心の底から、心のつながるところで、しかも心の尾ついて行ゆく事のできぬ、遐はるかなる国へ抜け出して行ゆくように思われた。この涼しき鈴りんの音ねが、わが肉体にくたいを貫つらぬいて、わが心を透すかして無限むげんの幽境ゆうきょうに赴おもむくからは、身も魂も氷盤ひょうばんのごとく清く、雪甌せつおうのごとく冷ひややかでなくてはならぬ。太織ふとおりの夜具やぐのなかなる余はいよいよ寒かった。

暁あかつきは高だかい欅けやきの梢こずえに鳴なく烏からすで再度さいどの夢を破られた。この烏はかあとは鳴かぬ。きゃけえ、くうと曲折きょくせつして鳴なく。単純たんじゅんなる烏ではない。への字烏、くの字烏である。加茂かもの明神みょうじんがかく鳴かしめて、うき我われをいとど寒がらしめ玉うの神意しんいかも知れぬ。

かくして太織ふとおりの蒲団ふとんを離はなれたる余は、顫えつつ窓を開けば、依稀いきたる細雨さいうは、濃かに糺の森を罩こめて、糺の森はわが家やを遶めぐりて、わが家やの寂然せきぜんたる十二とうに畳は、われを封ふうじて、余は幾重いくえともなく寒さむいものに取り囲まれていた。

春寒はるさむの社頭しゃとうに鶴を夢ゆめみけり

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Where this text comes from

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First published
「大阪朝日新聞」1907(明治40)年4月9日~11日
Source edition (底本)
底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房

   1988(昭和63)年7月26日第1刷発行

底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房

   1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月

入力:柴田卓治

校正:大野晋

1999年5月12日公開

2011年5月25日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
柴田卓治
Proofread by (校正)
大野晋

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