Nihoner

森鴎外 Ogai Mori 1862.02.17〜1922.07.09

寒山拾得

かんざんじっとく

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唐とうの貞観じょうがんのころだというから、西洋せいようは七世紀せいきの初はじめ日本にぽんは年号ねんごうというもののやっと出来しゅったいかかったときである。閭丘胤りょきゅういんという官吏かんりがいたそうである。もっともそんな人はいなかったらしいと言ゆう人もある。なぜかと言ゆうと、閭は台州の主簿しゅぼになっていたと言いい伝つたえられているのに、新旧しんきゅうの唐書とうじょに伝が見えない。主簿しゅぼといえば、刺史ししとか太守たいしゅとかいうと同おんなじ官である。支那しな全国ぜんこくが道に分れ、道が州または郡に分れ、それが県に分れ、県の下に郷があり郷の下に里がある。州には刺史ししといい、郡には太守たいしゅという。一体いったい日本にぽんで県より小ちいさいものに郡の名をつけているのは不都合つごうだと、吉田よしだ東伍とうごさんなんぞは不服ふふくを唱えている。閭がはたして台州の主簿しゅぼであったとすると日本にぽんの府県ふけん知事ちじくらいの官吏かんりである。そうしてみると、唐書とうじょの列伝れつでんに出ているはずだというのである。しかし閭がいなくては話が成り立たぬから、ともかくもいたことにしておくのである。

さて閭が台州に着任ちゃくにんしてから三日目にちもくになった。長安ちょうあんで北支ほくし那あの土埃つちほこりをかぶって、濁った水を飲んでいた男が台州に来て中央ちゅうおう支那しなの肥えた土を踏み、澄んだ水を飲のむことになったので、上機嫌きげんである。それにこの三日の間に、多人数にんずうの下役したやくが来て謁見えっけんをする。受持うけもち受持うけもちの事務じむを形式けいしき的に報告ほうこくする。そのあわただしい中に、地方じかた長官ちょうかんの威勢いせいの大おおきいことを味わって、意気いき揚々としているのである。

閭は前日ぜんじつに下役したやくのものに言っておいて、今朝けさは早く起きて、天台てんだい県の国清くにきよ寺をさして出でかけることにした。これは長安ちょうあんにいたときから、台州に着いたら早速さそく往こうときめていたのである。

何どの用事ようじがあって国清くにきよ寺へ往いくかというと、それには因縁いんねんがある。閭が長安ちょうあんで主簿しゅぼの任命にんめいを受うけて、これから任地にんちへ旅立とうとしたとき、あいにくこらえられぬほどの頭痛ずつうが起った。単純たんじゅんなレウマチス性の頭痛ずつうではあったが、閭は平生へいぜいから少すこし神経しんけい質であったので、かかりつけの医者いしゃの薬を飲んでもなかなかなおらない。これでは旅立たびだちの日を延ばさなくてはなるまいかと言って、女房にょうぼうと相談そうだんしていると、そこへ小女こおんなが来て、「只今ただいまご門の前へ乞食坊主こじきぼうずがまいりまして、ご主人しゅじんにお目にかかりたいと申しますがいかがいたしましょう」と言った。

「ふん、坊主ぼうずか」と言って閭はしばらく考かんがえたが、「とにかく逢ってみるから、ここへ通せ」と言いつけた。そして女房にょうぼうを奧へ引っ込ませた。

元来がんらい閭は科挙かきょに応おうずるために、経書けいしょを読んで、五言ごごんの詩を作ずくることを習ったばかりで、仏典ぶってんを読んだこともなく、老子おいごを研究けんきゅうしたこともない。しかし僧侶そうりょや道士どうしというものに対しては、なぜということもなく尊敬そんけいの念を持っている。自分じぶんの会得えとくせぬものに対たいする、盲目めくらの尊敬そんけいとでも言おうか。そこで坊主ぼうずと聞いて逢おうと言ったのである。

まもなくはいって来たのは、一人ひとりの背の高だかい僧であった。垢あかつき弊やぶれた法衣ほうえを着て、長く伸のびた髪を、眉の上で切っている。目にかぶさってうるさくなるまで打ちやっておいたものと見まみえる。手には鉄鉢てっぱつを持っている。

僧は黙って立っているので閭が問とうてみた。「わたしに逢いたいと言われたそうだが、なんのご用かな」

僧は言った。「あなたは台州へおいでなさることにおなりなすったそうでございますね。それに頭痛ずつうに悩んでおいでなさると申もうすことでございます。わたくしはそれを直なおして進ぜようと思って参まいりました」

「いかにも言われる通とおりで、その頭痛ずつうのために出立しゅったつの日を延ばそうかと思っていますが、どうして直なおしてくれられるつもりか。何か薬方やくほうでもご存ぞんじか」

「いや。四大しだいの身を悩なやます病は幻でございます。ただ清浄しょうじょうな水がこの受糧器に一いっぱいあればよろしい。咒まじないで直なおして進ぜます」

「はあ咒をなさるのか」こう言って少すこし考かんがえたが「仔細しさいあるまい、一つまじなって下さい」と言った。これは医道いどうのことなどは平生へいぜい深く考かんがえてもおらぬので、どういう治療ちりょうならさせる、どういう治療ちりょうならさせぬという定見ていけんがないから、ただ自分じぶんの悟性ごせいに依頼いらいして、その折おり折おりに判断はんだんするのであった。もちろんそういう人だから、かかりつけの医者いしゃというのもよく人選じんせんをしたわけではなかった。素問そもんや霊枢れいすうでも読むような医者いしゃを捜してきめていたのではなく、近所きんじょに住んでいて呼よぶのに面倒めんどうのない医者いしゃにかかっていたのだから、ろくな薬は飲ませてもらうことが出来しゅったいなかったのである。今乞食こつじき坊主ぼうずに頼たのむ気になったのは、なんとなくえらそうに見まみえる坊主ぼうずの態度たいどに信を起おこしたのと、水一いっぱいでする咒なら間違ったところで危険きけんなこともあるまいと思ったのとのためである。ちょうど東京とうきょうで高等こうとう官連中れんじゅうが紅療治べにりょうじや気合きあい術に依頼いらいするのと同おんなじことである。

閭は小女こおんなを呼んで、汲くみたての水を鉢はちに入れて来いと命じた。水が来た。僧はそれを受け取って、胸に捧げて、じっと閭を見つめた。清浄しょうじょうな水でもよければ、不潔ふけつな水でもいい、湯でも茶でもいいのである。不潔ふけつな水でなかったのは、閭がためには勿怪もっけの幸いであった。しばらく見つめているうちに、閭は覚おぼえず精神せいしんを僧の捧げている水に集注しゅうちゅうした。

このとき僧は鉄鉢てつばちの水を口にふくんで、突然とつぜんふっと閭の頭に吹きかけた。

閭はびっくりして、背中せなかに冷ひや汗あせが出た。

「お頭痛ずつうは」と僧が問うた。

「あ。癒なおりました」実際じっさい閭はこれまで頭痛ずつうがする、頭痛ずつうがすると気にしていて、どうしても癒らせずにいた頭痛ずつうを、坊主ぼうずの水に気を取られて、取り逃がしてしまったのである。

僧はしずかに鉢に残った水を床に傾けた。そして「そんならこれでお暇いとまをいたします」と言ゆうや否や、くるりと閭に背中せなかを向けて、戸口ここうの方へ歩あるき出でるした。

「まあ、ちょっと」と閭が呼び留めた。

僧は振り返った。「何かご用で」

「寸志すんしのお礼がいたしたいのですが」

「いや。わたくしは群生ぐんしょうを福利ふくりし、慢きょうまんを折伏しゃくぶくするために、乞食こつじきはいたしますが、療治りょうじ代はいただきませぬ」

「なるほど。それでは強しいては申しますまい。あなたはどちらのお方か、それを伺っておきたいのですが」

「これまでおったところでございますか。それは天台てんだいの国清くにきよ寺で」

「はあ。天台てんだいにおられたのですな。お名は」

「豊干ぶかんと申します」

「天台てんだい国清くにきよ寺の豊干とおっしゃる」閭はしっかりおぼえておこうと努力どりょくするように、眉をひそめた。「わたしもこれから台州へ往いくものであってみれば、ことさらお懐なつかしい。ついでだから伺うかがいたいが、台州には逢いに往ってためになるような、えらい人はおられませんかな」

「さようでございます。国清くにきよ寺に拾得じっとくと申もうすものがおります。実は普賢ふげんでございます。それから寺の西の方に、寒巌という石窟せきくつがあって、そこに寒山かんざんと申もうすものがおります。実は文殊もんじゅでございます。さようならお暇いとまをいたします」こう言ってしまって、ついと出て行った。

こういう因縁いんねんがあるので、閭は天台てんだいの国清くにきよ寺をさして出でかけるのである。

――――――――――――

全体ぜんたい世よの中なかの人の、道とか宗教しゅうきょうとかいうものに対たいする態度たいどに三通とおりある。自分じぶんの職業しょくぎょうに気を取られて、ただ営々役々えきえきと年月としつきを送っている人は、道というものを顧みない。これは読書人しょじんでも同おんなじことである。もちろん書を読んで深く考かんがえたら、道に到達とうたつせずにはいられまい。しかしそうまで考かんがえないでも、日々の務めだけは弁じて行かれよう。これは全く無頓着むとんじゃくな人である。

つぎに着意ちゃくいして道を求もとめる人がある。専念せんねんに道を求もとめて、万事ばんじをなげうつこともあれば、日々の務めは怠らずに、たえず道に志していることもある。儒学じゅがくに入っても、道教どうきょうに入っても、仏法ぶっぽうに入っても基督クリスト教に入っても同おんなじことである。こういう人が深くはいり込こむと日々の務めがすなわち道そのものになってしまう。つづめて言えばこれは皆道を求もとめる人である。

この無頓着とんじゃくな人と、道を求もとめる人との中間ちゅうかんに、道というものの存在そんざいを客観きゃっかん的に認したためていて、それに対して全く無頓着とんじゃくだというわけでもなく、さればと言ってみずから進んで道を求もとめるでもなく、自分じぶんをば道に疎遠そえんな人だと諦念あきらめ、別に道に親密しんみつな人がいるように思って、それを尊敬けいする人がある。尊敬そんけいはどの種類しゅるいの人にもあるが、単たんに同おんなじ対象たいしょうを尊敬けいする場合ばあいを顧慮こりょして言ってみると、道を求もとめる人なら遅おくれているものが進んでいるものを尊敬けいすることになり、ここに言ゆう中間ちゅうかん人物じんぶつなら、自分じぶんのわからぬもの、会得とくすることの出来しゅったいぬものを尊敬けいすることになる。そこに盲目めくらの尊敬そんけいが生しょうずる。盲目めくらの尊敬そんけいでは、たまたまそれをさし向むける対象たいしょうが正鵠せいこくを得ていても、なんにもならぬのである。

――――――――――――

閭は衣服いふくを改あらため輿よに乗って、台州の官舍を出た。従者じゅうしゃが数十すうじゅう人ある。

時は冬の初はじめで、霜が少すこし降っている。椒江しょうこうの支流しりゅうで、始豊渓しほうけいという川の左岸さがんを迂回うかいしつつ北へ進んで行ゆく。初はじめ陰くもっていた空がようよう晴はれて、蒼白あおじろい日が岸の紅葉もみじを照している。路みちで出合であう老幼ろうようは、皆輿よを避けてひざまずく。輿の中では閭がひどくいい心持こころもちになっている。牧民ぼくみんの職にいて賢者けんじゃを礼するというのが、手柄てがらのように思われて、閭に満足まんぞくを与あたえるのである。

台州から天台てんだい県までは六十ろくじゅう里半ほどである。日本にぽんの六里半ほどである。ゆるゆる輿を舁かかせて来たので、県から役人やくにんの迎むかえに出たのに逢ったとき、もう午ひるを過すぎていた。知県ちけんの官舎かんしゃで休んで、馳走ちそうになりつつ聞いてみると、ここから国清くにきよ寺までは、爪尖上つまさきあがりの道がまた六十ろくじゅう里ある。往いき着つくまでには夜に入いりそうである。そこで閭は知県ちけんの官舎かんしゃに泊とまることにした。

翌朝よくあさ知県ちけんに送られて出た。きょうもきのうに変らぬ天気てんきである。一体いったい天台てんだい一万八千はっせん丈とは、いつ誰が測量そくりょうしたにしても、所詮しょせん高過すぎるようだが、とにかく虎のいる山である。道はなかなかきのうのようには捗はかどらない。途中とちゅうで午飯ひるめしを食って、日が西に傾きかかったころ、国清くにきよ寺の三門みかどに着いた。智者ちしゃ大師だいしの滅後めつごに、隋ずいの煬帝ようだいが立てたという寺である。

寺でも主簿しゅぼのご参詣さんけいだというので、おろそかにはしない。道翹どうぎょうという僧が出迎でむかえて、閭を客間きゃくまに案内あんないした。さて茶菓ちゃかの饗応きょうおうが済すむと、閭が問うた。「当寺とうじに豊干という僧がおられましたか」

道翹が答えた。「豊干とおっしゃいますか。それはさきころまで、本堂ほんどうの背後うしろの僧院そういんにおられましたが、行脚あんぎゃに出られたきり、帰られませぬ」

「当寺とうじではどういうことをしておられましたか」

「さようでございます。僧どもの食たべる米を舂ついておられました」

「はあ。そして何かほかの僧たちと変ったことはなかったのですか」

「いえ。それがございましたので、初はじめただ骨惜ほねおしみをしない、親切しんせつな同宿どうしゅくだと存ぞんじていました豊干さんを、わたくしどもが大切たいせつにいたすようになりました。するとある日ふいと出て行ってしまわれました」

「それはどういうことがあったのですか」

「全く不思議ふしぎなことでございました。ある日山ひやまから虎に騎のって帰って参られたのでございます。そしてそのまま廊下ろうかへはいって、虎の背で詩を吟じて歩かれました。一体いったい詩を吟ぎんずることの好すきな人で、裏の僧院そういんでも、夜になると詩を吟ぜられました」

「はあ。活きた阿羅漢あらかんですな。その僧院そういんの址あとはどうなっていますか」

「只今ただいまもあき家やになっておりますが、折おり折おり夜になると、虎が参って吼ほえております」

「そんならご苦労くろうながら、そこへご案内あんないを願ねがいましょう」こう言って、閭は座を起った。

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Source edition (底本)
底本:「日本の文学3 森鴎外(二)」中央公論社


   1967(昭和42)年2月4日初版発行

入力:佐野良二

校正:伊藤時也

2000年9月12日公開

2004年12月4日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
佐野良二
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