Nihoner

森鴎外 Ogai Mori 1862.02.17〜1922.07.09

雁

がん

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壱()

古ふるい話である。僕は偶然ぐうぜんそれが明治あきはる十三じゅうそう年の出来事できごとだと云いうことを記憶きおくしている。どうして年をはっきり覚おぼえているかと云いうと、その頃僕は東京とうきょう大学だいがくの鉄門てつもんの真向まむかいにあった、上条かみじょうと云いう下宿屋やどやに、この話の主人しゅじん公と壁一つ隔へだてた隣同士どうしになって住んでいたからである。その上条かみじょうが明治あきはる十四年に自火じかで焼やけた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。その火事かじのあった前年ぜんねんの出来事できごとだと云いうことを、僕は覚おぼえているからである。

上条かみじょうに下宿げしゅくしているものは大抵たいてい医科いか大学だいがくの学生がくせいばかりで、その外ほかは大学だいがくの附属ふぞく病院びょういんに通かよう患者かんじゃなんぞであった。大抵たいていどの下宿屋やどやにも特別とくべつに幅を利かせている客があるもので、そう云いう客は第一だいいち金廻まわりが好すく、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢ひばちを控ひかえて据わっている前の廊下ろうかを通とおるときは、きっと声を掛がける。時々はその箱火鉢ひばちの向側むこうがわにしゃがんで、世間せけん話の一つもする。部屋へやで酒盛さかもりをして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上かみさんに面倒めんどうを見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場ちょうばに得の附つくようにする。先まずざっとこう云いう性たちの男が尊敬そんけいを受うけ、それに乗じて威福いふくを擅ほしいままにすると云いうのが常である。然しかるに上条かみじょうで幅を利かせている、僕の壁隣かべどなりの男は頗すこぶる趣を殊ことにしていた。

この男は岡田おかだと云いう学生がくせいで、僕より一学年がくねん若わかいのだから、とにかくもう卒業そつぎょうに手が届いていた。岡田おかだがどんな男だと云いうことを説明せつめいするには、その手近てじかな、際立たった性質せいしつから語がたり始はじめなくてはならない。それは美男びなんだと云いうことである。色の蒼あおい、ひょろひょろした美男びなんではない。血色けっしょくが好すくて、体格たいかくががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ほとんど無なあい。強しいて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年せいねん時代じだいの川上眉山かわかみびさんと心安くなった。あのとうとう窮境きゅうきょうに陥って悲惨ひいさんの最期さいごを遂げた文士ぶんしの川上かおれである。あれの青年せいねん時代じだいが一寸ちょっと岡田おかだに似ていた。尤もっとも当時とうじ競漕きょうそうの選手せんしゅになっていた岡田おかだは、体格たいかくでははるはるかに川上かおれなんぞに優まさっていたのである。

容貌ようぼうはその持主もちぬしを何人なんぴとにも推薦すいせんする。しかしそればかりでは下宿屋やどやで幅を利きかすことは出来しゅったいない。そこで性行せいこうはどうかと云いうと、僕は当時とうじ岡田おかだ程均衡きんこうを保った書生しょせい生活せいかつをしている男は少かろうと思っていた。学期がっき毎に試験しけんの点数てんすうを争って、特待とくたい生を狙ねらう勉強べんきょう家ではない。遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊あそぶ時間じかんは極きまって遊あそぶ。夕食ゆうげ後に必かならず散歩さんぽに出て、十時前には間違なく帰かえる。日曜日ようびには舟を漕こぎに行ゆくか、そうでないときは遠足えんそくをする。競漕きょうそう前に選手せんしゅ仲間なかまと向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中しょちゅう休暇きゅうかに故郷こきょうに帰かえるとかの外は、壁隣かべどなりの部屋へやに主人しゅじんのいる時刻じこくと、留守るすになっている時刻じこくとが狂わない。誰でも時計とけいを号砲どんに合あわせることを忘わすれた時には岡田おかだの部屋へやへ問といに行ゆく。上条かみじょうの帳場ちょうばの時計とけいも折々岡田おかだの懐中かいちゅう時計とけいに拠よって匡ただされるのである。周囲しゅういの人の心には、久しくこの男の行動こうどうを見ていればいる程、あれは信頼しんらいすべき男だと云いう感かんじが強くなる。上条かみじょうのお上かみさんがお世辞せじを言わない、破格はかくな金遣かねずかいをしない岡田おかだを褒ほめ始はじめたのは、この信頼しんらいに本もとづいている。それには月々の勘定かんじょうをきちんとすると云いう事実じじつが与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。「岡田おかださんを御覧ごらんなさい」と云いう詞ことばが、屡々しばしばお上かみさんの口から出でる。

「どうせ僕は岡田おかだ君のようなわけには行ぎょうかないさ」と先を越して云いう学生がくせいがある。此かくの如くにして岡田おかだはいつとなく上条かみじょうの標準ひょうじゅん的下宿げしゅく人になったのである。

岡田おかだの日々にちにちの散歩さんぽは大抵たいてい道筋みちすじが極まっていた。寂さびしい無縁むえん坂を降りて、藍染川あいそめがわのお歯黒はぐろのような水の流ながれ込こむ不忍しのばずの池の北側きたがわを廻って、上野かんつけのの山をぶらつく。それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路ひろこうじ、狭せまい賑にぎやかな仲町なかちょうを通って、湯島ゆしま天神てんじんの社内しゃないに這入はいって、陰気いんきな臭橘寺からたちでらの角を曲がって帰かえる。しかし仲町なかちょうを右へ折れて、無縁むえん坂から帰かえることもある。これが一つの道筋みちすじである。或ある時は大学だいがくの中を抜ぬけて赤門あかもんに出でる。鉄門てつもんは早く鎖とざされるので、患者かんじゃの出入しゅつにゅうする長屋ながや門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋ながや門が取り払われたので、今春木町はるきちょうから衝つき当る処ところにある、あの新あたらしい黒ぐろい門が出来しゅったいたのである。赤門あかもんを出てから本郷ほんごう通とおりを歩いて、粟餅あわもちの曲擣きょくづきをしている店の前を通って、神田かんだ明神みょうじんの境内けいだいに這入はいる。そのころまで目新しかった目金橋めがねばしへ降りて、柳原やなぎはらの片側町かたかわまちを少すこし歩あるく。それからお成道なりみちへ戻って、狭せまい西側にしがわの横町よこちょうのどれかを穿うがって、矢張やはり臭橘寺の前に出でる。これが一つの道筋みちすじである。これより外の道筋みちすじはめったに歩かない。

この散歩さんぽの途中とちゅうで、岡田おかだが何をするかと云いうと、ちょいちょい古本屋ほんやの店を覗のぞいて歩あるく位のものであった。上野かんつけの広小路ひろこうじと仲町なかちょうとの古本屋ほんやは、その頃のが今も二三にさん軒残っている。お成道じょうどうにも当時とうじそのままの店がある。柳原やなぎはらのは全く廃絶はいぜつしてしまった。本郷ほんごう通のは殆ほとんど皆場所ばしょも持主もちぬしも代っている。岡田おかだが赤門あかもんから出て右へ曲きょくることのめったにないのは、一体いったい森川もりかわ町は町幅まちはばも狭く、窮屈きゅうくつな処であったからでもあるが、当時とうじ古本屋ほんやが西側にしがわに一軒しかなかったのも一つの理由りゆうであった。

岡田おかだが古本屋ほんやを覗のぞくのは、今の詞で云えば、文学ぶんがく趣味しゅみがあるからであった。しかしまだ新あたらしい小説しょうせつや脚本きゃくほんは出ていぬし、抒情詩じょじょうしでは子規しきの俳句はいくや、鉄幹てっかんの歌の生れぬ先であったから、誰でも唐紙とうしに摺すった花月かげつ新誌や白紙はくしに摺った桂林一枝けいりんいっしのような雑誌ざっしを読んで、槐南かいなん、夢香むこうなんぞの香奩体こうれんたいの詩を最もっとも気の利いた物だと思おもう位の事であった。僕も花月かげつ新誌の愛読者どくしゃであったから、記憶きおくしている。西洋せいよう小説しょうせつの翻訳ほんやくと云いうものは、あの雑誌ざっしが始はじめて出したのである。なんでも西洋せいようの或ある大学だいがくの学生がくせいが、帰省きせいする途中とちゅうで殺される話で、それを談話だんわ体に訳した人は神田かんだ孝平こうへいさんであったと思おもう。それが僕の西洋せいよう小説しょうせつと云いうものを読んだ始であったようだ。そう云いう時代じだいだから、岡田おかだの文学ぶんがく趣味しゅみも漢学者がくしゃが新あたらしい世間せけんの出来事できごとを詩文しぶんに書いたのを、面白おもしろいがって読よむ位に過すぎなかったのである。

僕は人附合つきあいの余あまり好くない性たちであったから、学校がっこうの構内こうないで好すく逢あう人にでも、用事ようじがなくては話をしない。同おんなじ下宿屋やどやにいる学生がくせいなんぞには、帽を脱いで礼をするようなことも少かった。それが岡田おかだと少すこし心安くなったのは、古本屋ほんやが媒なかだちをしたのである。僕の散歩さんぽに歩あるく道筋みちすじは、岡田おかだのように極まってはいなかったが、脚が達者たっしゃで縦横たてよこに本郷ほんごうから下谷したや、神田かんだを掛かけて歩いて、古本屋ほんやがあれば足を止とどめて見みる。そう云いう時に、度々岡田おかだと店先みせさきで落おち合あう。

「好すく古本屋ほんやで出でくわすじゃないか」と云いうような事を、どっちからか言いい出でるしたのが、親しげに物を言った始である。

その頃神田かんだ明神みょうじん前の坂を降りた曲角まがりかどに、鉤かぎなりに縁台えんだいを出だして、古本こほんを曝さらしている店があった。そこで或ある時僕が唐本とうほんの金瓶梅きんぺいばいを見附みつけけて亭主ていしゅに値を問とうと、七円だと云った。五円に負まけてくれと云いうと、「先刻せんこく岡田おかださんが六円なら買かうと仰おっしゃいましたが、おことわり申したのです」と云いう。偶然ぐうぜん僕は工面くめんが好かったので言値で買った。二三にさん日立ひたちってから、岡田おかだに逢あうと、向むかうからこう云い出した。

「君はひどい人だね。僕が切角見附みつけけて置いた金瓶きんぺい梅を買ってしまったじゃないか」

「そうそう君が値を附けて折り合わなかったと、本屋ほんやが云っていたよ。君欲ほしいのなら譲って上げよう」

「なに。隣だから君の読んだ跡を貸かして貰えば好いいさ」

僕は喜んで承諾しょうだくした。こんな風で、今まで長ながい間壁隣かべどなりに住すまいながら、交際せずにいた岡田おかだと僕とは、往いったり来たりするようになったのである。

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First published
壱、弐、参「スバル 第三年九号」1911(明治44)年9月、肆、伍「スバル 第三年十号」1911(明治44)年10月、陸、漆「スバル 第三年十一号」1911(明治44)年11月、捌、玖「スバル 第三年十二号」1911(明治44)年12月、拾、拾壱「スバル 第四年二号」1912(明治45)年2月、拾弐「スバル 第四年三号」1912(明治45)年3月、拾参、拾肆「スバル 第四年四号」1912(明治45)年4月、拾伍、拾陸「スバル 第四年六号」1912(明治45)年6月、拾漆、拾捌「スバル 第四年七号」1912(明治45)年7月、拾玖「スバル 第四年九号」1912(大正1)年9月、弐拾「スバル 第五年三号」1913(大正2)年3月、弐拾壱「スバル 第五年五号」1913(大正2)年5月、弐拾弐、弐拾参、弐拾肆「雁」籾山書店1915(大正4)年5月
Source edition (底本)
底本:「雁」新潮文庫、新潮社

   1948(昭和23)年12月5日発行

   1985(昭和60)年11月15日第76刷改版

   1988(昭和63)年8月15日82刷

初出:壱、弐、参「スバル 第三年九号」

   1911(明治44)年9月

   肆、伍「スバル 第三年十号」

   1911(明治44)年10月

   陸、漆「スバル 第三年十一号」

   1911(明治44)年11月

   捌、玖「スバル 第三年十二号」

   1911(明治44)年12月

   拾、拾壱「スバル 第四年二号」

   1912(明治45)年2月

   拾弐「スバル 第四年三号」

   1912(明治45)年3月

   拾参、拾肆「スバル 第四年四号」

   1912(明治45)年4月

   拾伍、拾陸「スバル 第四年六号」

   1912(明治45)年6月

   拾漆、拾捌「スバル 第四年七号」

   1912(明治45)年7月

   拾玖「スバル 第四年九号」

   1912(大正1)年9月

   弐拾「スバル 第五年三号」

   1913(大正2)年3月

   弐拾壱「スバル 第五年五号」

   1913(大正2)年5月

   弐拾弐、弐拾参、弐拾肆「雁」籾山書店

   1915(大正4)年5月

入力:kompass

校正:浅原庸子

2005年10月17日作成

2014年7月28日修正

青空文庫作成ファイル:

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浅原庸子

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