Nihoner

有島武郎 Takeo Arishima 1878.03.04〜1923.06.09

火事とポチ

かじとポチ

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ポチの鳴なき声ごえでぼくは目がさめた。

ねむたくてたまらなかったから、うるさいなとその鳴なき声ごえをおこっているまもなく、真赤まっかな火が目に映うつったので、おどろいて両方りょうほうの目をしっかり開いて見たら、戸とだなの中じゅうが火になっているので、二度おどろいて飛び起きた。そうしたらぼくのそばに寝ねているはずのおばあさまが何か黒ぐろい布きれのようなもので、夢中むちゅうになって戸とだなの火をたたいていた。なんだか知れないけれどもぼくはおばあさまの様子ようすがこっけいにも見え、おそろしくも見えて、思わずその方ほうに駆かけよった。そうしたらおばあさまはだまったままでうるさそうにぼくをはらいのけておいてその布のようなものをめったやたらにふり回した。それがぼくの手にさわったらぐしょぐしょにぬれているのが知れた。

「おばあさま、どうしたの?」

と聞いてみた。おばあさまは戸とだなの中の火の方ばかり見て答えようともしない。ぼくは火事かじじゃないかと思った。

ポチが戸の外で気きちがいのように鳴いている。

部屋へやの中は、障子しょうじも、壁かべも、床とこの間まも、ちがいだなも、昼間ちゅうかんのように明るくなっていた。おばあさまの影法師かげぼうしが大きくそれに映うつって、怪物ばけものか何かのように動いていた。ただおばあさまがぼくに一言ひとことも物をいわないのが変だった。急に唖おしになったのだろうか。そしていつものようにはかわいがってくれずに、ぼくが近寄ってもじゃま者あつかいにする。

これはどうしても大変たあいへんだとぼくは思った。ぼくは夢中むちゅうになっておばあさまにかじりつこうとした。そうしたらあんなに弱よわいおばあさまがだまったままで、いやというほどぼくをはらいのけたのでぼくはふすまのところまでけし飛ばされた。

火事かじなんだ。おばあさまが一人ひとりで消そうとしているんだ。それがわかるとおばあさま一人ひとりではだめだと思ったから、ぼくはすぐ部屋へやを飛とび出だして、おとうさんとおかあさんとが寝ねている離はなれの所へ行って、

「おとうさん……おかあさん……」

と思おもいきり大おおきな声を出した。

ぼくの部屋へやの外で鳴いていると思ったポチがいつのまにかそこに来ていて、きゃんきゃんとひどく鳴いていた。ぼくが大おおきな声を出だすか出さないかに、おかあさんが寝巻ねまきのままで飛とび出だして来た。

「どうしたというの?」

とおかあさんはないしょ話のような小ちいさな声で、ぼくの両肩りょうかたをしっかりおさえてぼくに聞いた。

「たいへんなの……」

「たいへんなの、ぼくの部屋へやが火事かじになったよう」といおうとしたが、どうしても「大変たあいへんなの」きりであとは声が出なかった。

おかあさんの手はふるえていた。その手がぼくの手を引いて、ぼくの部屋へやの方に行ったが、あけっぱなしになっているふすまの所から火が見えたら、おかあさんはいきなり「あれえ」といって、ぼくの手をふりはなすなり、その部屋へやに飛びこもうとした。ぼくはがむしゃらにおかあさんにかじりついた。その時おかあさんははじめてそこにぼくのいるのに気がついたように、うつ向いてぼくの耳の所に口をつけて、

「早く早くおとうさんをお起おこしして……それからお隣となりに行って、……お隣のおじさんを起こすんです、火事かじですって……いいかい、早くさ」

そんなことをおかあさんはいったようだった。

そこにおとうさんも走って来た。ぼくはおとうさんにはなんにもいわないで、すぐ上あがり口くちに行った。そこは真暗まっくらだった。はだしで土間どまに飛びおりて、かけがねをはずして戸をあけることができた。すぐ飛び出そうとしたけれども、はだしだと足をけがしておそろしい病気びょうきになるとおかあさんから聞いていたから、暗くらやみの中で手てさぐりにさぐったら大おおきなぞうりがあったから、だれのだか知らないけれどもそれをはいて戸外そとに飛とび出でるした。戸外そとも真暗まっくらで寒かった。ふだんなら気味きみが悪くって、とても夜中よなかにひとりで歩あるくことなんかできないのだけれども、その晩だけはなんともなかった。ただ何かにつまずいてころびそうなので、思おもいきり足を高く上あげながら走った。ぼくを悪者わるものとでも思ったのか、いきなりポチが走って来て、ほえながら飛びつこうとしたが、すぐぼくだと知しれると、ぼくの前になったりあとになったりして、門の所まで追っかけて来た。そしてぼくが門を出たら、しばらくぼくを見ていたが、すぐ変な鳴なき声ごえを立てながら家の方に帰っていってしまった。

ぼくも夢中むちゅうで駆かけた。お隣となりのおじさんの門をたたいて、

「火事かじだよう!」

と二、三度どなった。その次の家も起おこすほうがいいと思ってぼくは次の家の門をたたいてまたどなった。その次にも行った。そして自分じぶんの家の方を見みると、さっきまで真暗まっくらだったのに、屋根やねの下の所あたりから火がちょろちょろと燃もえ出だしていた。ぱちぱちとたき火びのような音も聞こえていた。ポチの鳴なき声ごえもよく聞こえていた。

ぼくの家は町からずっとはなれた高台たかだいにある官舎町かんしゃまちにあったから、ぼくが「火事かじだよう」といって歩いた家はみんな知った人の家だった。あとをふりかえって見みると、二人ふたり三人黒ぐろい人影ひとかげがぼくの家の方に走って行ゆくのが見まみえる。ぼくはそれがうれしくって、なおのこと、次の家から次の家へとどなって歩いた。

二十にじゅう軒けんぐらいもそうやってどなって歩いたら、自分じぶんの家からずいぶん遠とおくに来てしまっていた。すこし気味きみが悪くなってぼくは立ちどまってしまった。そしてもう一度ひとたび家の方を見た。もう火はだいぶ燃え上がって、そこいらの木や板いたべいなんかがはっきりと絵にかいたように見えた。風がないので、火はまっすぐに上の方に燃もえて、火の子が空の方に高く上がって行った。ぱちぱちという音のほかに、ぱんぱんと鉄砲てっぽうをうつような音も聞こえていた。立ちどまってみると、ぼくのからだはぶるぶるふるえて、ひざ小僧こぞうと下したあごとががちがち音を立たてるかと思おもうほどだった。急に家がこいしくなった。おばあさまも、おとうさんも、おかあさんも、妹や弟たちもどうしているだろうと思おもうと、とてもその先までどなって歩あるく気にはなれないで、いきなり来た道を夢中むちゅうで走はしりだした。走はしりながらもぼくは燃もえ上あがる火から目をはなさなかった。真暗まっくらななかに、ぼくの家だけがたき火びのように明るかった。顔までほてってるようだった。何か大おおきな声でわめき合あう人の声がした。そしてポチの気きちがいのように鳴なく声が。

町の方からは半鐘はんしょうも鳴らないし、ポンプも来ない。ぼくはもうすっかり焼やけてしまうと思った。明日あすからは何を食べて、どこに寝ねるのだろうと思おもいながら、早くみんなの顔が見たさにいっしょうけんめいに走った。

家のすこし手前てまえで、ぼくは一人ひとりの大おおきな男がこっちに走って来くるのに会った。よく見みるとその男は、ぼくの妹と弟とを両脇りょうわきにしっかりとかかえていた。妹も弟も大おおきな声を出だして泣ないていた。ぼくはいきなりその大おおきな男は人ひとさらいだと思った。官舎町かんしゃまちの後うしろは山になっていて、大おおきな森の中の古寺ふるでらに一人ひとりの乞食こじきが住んでいた。ぼくたちが戦いくさごっこをしに山に遊あそびに行って、その乞食こつじきを遠とおくにでも見つけたら最後さいご、大急おういそぎで、「人ひとさらいが来たぞ」といいながらにげるのだった。その乞食こじきの人はどんなことがあっても駆かけるということをしないで、ぼろを引きずったまま、のそりのそりと歩いていたから、それにとらえられる気づかいはなかったけれども、遠とおくの方からぼくたちのにげるのを見ながら、牛のような声でおどかすことがあった。ぼくたちはその乞食こつじきを何よりもこわがった。ぼくはその乞食こつじきが妹と弟とをさらって行ゆくのだと思った。うまいことには、その人はぼくのそこにいるのには気がつかないほどあわてていたとみえて、知らん顔をして、ぼくのそばを通りぬけて行った。ぼくはその人をやりすごして、すこしの間どうしようかと思っていたが、妹や弟のいどころが知れなくなってしまっては大変たあいへんだと気がつくと、家に帰かえるのはやめて、大急おういそぎでその男のあとを追いかけた。その人はほんとうに早かった。はいている大おおきなぞうりがじゃまになってぬぎすてたくなるほどだった。

その人は、大おおきな声で泣なきつづけている妹たちをこわきにかかえたまま、どんどん石垣いしがきのある横町よこちょうへと曲がって行ゆくので、ぼくはだんだん気味きみが悪くなってきたけれども、火事かじどころのさわぎではないと思って、ほおかぶりをして尻しりをはしょったその人の後うしろから、気づかれないようにくっついて行った。そうしたらその人はやがて橋本はしもとさんという家の高だかい石段いしだんをのぼり始はじめた。見みるとその石段いしだんの上には、橋本はしもとさんの人たちが大おおぜい立って、ぼくの家の方を向むかいて火事かじをながめていた。そこに乞食こつじきらしい人がのぼって行ゆくのだから、ぼくはすこし変だと思った。そうすると、橋本はしもとのおばさんが、上からいきなりその男の人に声をかけた。

「あなた帰っていらしったんですか……ひどくなりそうですね」

そうしたら、その乞食こじきらしい人が、

「子こどもさんたちがけんのんだから連ずれて来たよ。竹男たけおさんだけはどこに行ったかどうも見えなんだ」

と妹や弟を軽々とかつぎ上げながらいった。なんだ。乞食こつじきじゃなかったんだ。橋本はしもとのおじさんだったんだ。ぼくはすっかりうれしくなってしまって、すぐ石段いしだんを上って行った。

「あら、竹男たけおさんじゃありませんか」

と目め早くぼくを見つけてくれたおばさんがいった。橋本はしもとさんの人たちは家じゅうでぼくたちを家の中に連ずれこんだ。家の中には燈火あかりがかんかんとついて、真暗まっくらなところを長ながい間歩かんぽいていたぼくにはたいへんうれしかった。寒さむいだろうといった。葛湯くずゆをつくったり、丹前たんぜんを着せたりしてくれた。そうしたらぼくはなんだか急に悲しくなった。家にはいってから泣なきやんでいた妹たちも、ぼくがしくしく泣なきだすといっしょになって大おおきな声を出だしはじめた。

ぼくたちはその家の窓まどから、ぶるぶるふるえながら、自分じぶんの家の焼やけるのを見て夜を明かした。ぼくたちをおくとすぐまた出でかけて行った橋本はしもとのおじさんが、びっしょりぬれてどろだらけになって、人ひとちがいするほど顔がよごれて帰って来たころには、夜がすっかり明けはなれて、ぼくの家の所からは黒ぐろいけむりと白じろいけむりとが別々になって、よじれ合いながらもくもくと立ち上っていた。

「安心あんしんなさい。母屋おもやは焼やけたけれども離はなれだけは残って、おとうさんもおかあさんもみんなけがはなかったから……そのうちに連ずれて帰ってあげるよ。けさの寒さは格別かくべつだ。この一面いちめんの霜しもはどうだ」

といいながら、おじさんは井戸いどばたに立って、あたりをながめまわしていた。ほんとうに井戸いどがわまでが真白まっしろになっていた。

橋本はしもとさんで朝御飯あさごはんのごちそうになって、太陽たいようが茂木もぎの別荘べっそうの大おおきな槙まきの木の上に上ったころ、ぼくたちはおじさんに連ずれられて家に帰った。

いつのまに、どこからこんなに来たろうと思おもうほど大おおぜいの人がけんか腰ごしになって働いていた。どこからどこまで大雨おうあめのあとのようにびしょびしょなので、ぞうりがすぐ重くなって足のうらが気味きみ悪くぬれてしまった。

離はなれに行ったら、これがおばあさまか、これがおとうさんか、おかあさんかとおどろくほどにみんな変わっていた。おかあさんなんかは一度ひとたびも見たことのないような変な着物きものを着て、髪かみの毛なんかはめちゃくちゃになって、顔も手もくすぶったようになっていた。ぼくたちを見みるといきなり駆けよって来て、三人を胸むねのところに抱だきしめて、顔をぼくたちの顔にすりつけてむせるように泣なきはじめた。ぼくたちはすこし気味きみが悪く思ったくらいだった。

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Where this text comes from

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Source edition (底本)
底本:「一房の葡萄」角川文庫、角川書店


   1952(昭和27)年3月10日初版発行

   1968(昭和43)年5月10日改版初版発行

   1990(平成2)年5月30日改版37版発行

入力:鈴木厚司

校正:八木正三

1998年5月25日公開

2007年8月21日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
鈴木厚司
Proofread by (校正)
八木正三

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