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有島武郎 Takeo Arishima 1878.03.04〜1923.06.09

小作人への告別

こさくにんへのこくべつ

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八月十七日私は自分じぶんの農場のうじょうの小作人さくにんに集会所かいしょに集まってもらい、左の告別こくべつの言葉ことばを述べた。これはいわば私の私事しじではあるけれども、その当時とうじの新聞しんぶん紙が、それについて多少たしょうの報道ほうどうを公おうやけにしたのであるが、また聞ぎきのことでもあるから全く誤謬ごびゅうがないとはいえない。こうなる以上いじょうは、私の所言しょげんを発表はっぴょうして、読者どくしゃにお知しらせしておくのが便利べんりと考かんがえられる。

農繁のうはんの時節じせつにわざわざ集まってくださってありがたく思います。しかし今日はぜひ諸君しょくんに聞いていただかねばならぬ用事ようじがあったことですから悪しからず許ゆるしてください。

私がこの農場のうじょうを何とか処分しょぶんするとのことは新聞しんぶんにも出たから、諸君しょくんもどうすることかといろいろ考かんがえておられたろうし、また先さきごろは農場のうじょう監督かんとくの吉川きっかわ氏から、氏としての考かんがえを述べられたはずだから、私の処分しょぶんについての、だいたいの様子ようすはわかっておられたかとも思います。けれどもこの事柄ことがらは私の口くちずから申もうし出でないと落ち着かない種類しゅるいのものと信じますから、私は東京とうきょうから出て来ました。

第一だいいち、第二の農場のうじょうを合して、約四百しひゃく五十ごじゅう町歩ちょうぶの地積ちせきに、諸君しょくんは小作人さくにんとして七十しちじゅう戸に近い戸数こすうをもっています。今日きょうになってみると、開墾かいこんしうべきところはたいてい開墾かいこんされて、立派りっぱに生産せいさんに役立やくだつ土地とちになっていますが、開墾かいこん当初とうしょのことを考かんがえると、一時代じだい時代じだいが隔たっているような感かんじがします。ここから見渡みわたすことのできる一面いちめんの土地とちは、丈たけ高だかい熊笹くまざさと雑草ざっそうの生い茂った密林みつりんでした。それが私の父がこの土地とちの貸かし下さげを北海ほっかい道庁どうちょうから受けた当時とうじのこの辺のありさまだったのです。食料しょくりょう品はもとよりすべての物資ぶっしは東倶知安くっちゃんから馬の背で運んで来ねばならぬ交通こうつう不便ふべんのところでした。それが明治あきはる三十三じゅうそう年としごろのことです。爾来じらい諸君しょくんはこの農場のうじょうを貫通かんつうする川の沿岸えんがんに堀立小屋ほったてごやを営いとなみ、あらゆる艱難かんなんと戦って、この土地とちを開拓かいたくし、ついに今日きょうのような美うつくしい農作のうさく地を見みるに至りました。もとより開墾かいこんの初期しょきに草分くさわけとしてはいった数人の人は、今は一人ひとりも残ってはいませんが、その後毎年まいとしはいってくれた人々は、草分くさわけの人々のあとを嗣ついで、ついにこの土地とちの無料むりょう付与ふよを道庁どうちょうから許可きょかされるまでの成績せいせきを挙あげてくれられたのです。

この土地とちの開墾かいこんについては資金しきんを必要ひつようとしたことに疑うたがいはありません。父は道庁どうちょうへの交渉こうしょうと資金しきんの供給きょうきゅうとに当あたりました。そのほか父はその老躯ろうくをたびたびここに運んで、成墾に尽力じんりょくしました。父は、私が農学のうがくを研究けんきゅうしていたものだから、私の発展はってんさせていくべき仕事しごとの緒口いとぐちをここに定さだめておくつもりであり、また私たち兄弟けいていの中に、不幸ふこうに遭遇そうぐうして身動みうごきのできなくなったものができたら、この農場のうじょうにころがり込こむことによって、とにかく餓死がしだけは免まぬがれることができようとの、親の慈悲じひ心から、この農場のうじょうの経営けいえいを決心けっしんしたらしく見えます。親心おやごころとしてこれはありがたい親心おやごころだと私は今でも考かんがえています。けれども、私は親から譲られたこの農場のうじょうを持もち続つずけていく気持きもちがなくなってしまったのです。で、私は母や弟妹おとうとに私の心持こころもちを打ぶっち明ゃけた上、その了解りょうかいを得て、この土地とち全部ぜんぶを無償むしょうで諸君しょくんの所有しょゆうに移うつすことになったのです。

こう申もうし出でたとて、誤解ごかいをしてもらいたくないのは、この土地とちを諸君しょくんの頭数とうすうに分割ぶんかつして、諸君しょくんの私有しゆうにするという意味いみではないのです。諸君しょくんが合同ごうどうしてこの土地とち全体ぜんたいを共有ゆうするようにお願ねがいするのです。誰でも少すこし物を考かんがえる力のある人ならすぐわかることだと思いますが、生産せいさんの大本おうもととなる自然じねん物、すなわち空気くうき、水、土のごとき類のものは、人間じんかん全体ぜんたいで使用しようすべきもので、あるいはその使用しようの結果けっかが人間じんかん全体ぜんたいに役立やくだつよう仕向しむけられなければならないもので、一個人こじんの利益りえきばかりのために、個人こじんによって私有しゆうさるべきものではありません。しかるに今の世よの中なかでは、土地とちは役に立つようなところは大部分ぶぶん個人こじんによって私有しゆうされているありさまです。そこから人類じんるいに大害たいがいをなすような事柄ことがらが数えきれないほど生うまれています。それゆえこの農場のうじょうも、諸君しょくん全体ぜんたいの共有きょうゆうにして、諸君しょくん全体ぜんたいがこの土地とちに責任せきにんを感かんじ、助け合って、その生産せいさんを計はかるよう仕向しむけていってもらいたいと願ねがうのです。

単たんに利害りがい勘定かんじょうからいっても、私の父がこの土地とちに投入とうにゅうした資金しきんと、その後の維持いじ、改良かいりょう、納税のうぜいのために支払った金とを合算がっさんしてみても、今日きょうまでの間毎年まいとし諸君しょくんから徴集ちょうしゅうしていた小作こさく料金りょうきんに比べればまことにわずかなものです。私がこれ以上いじょう諸君しょくんから収おさめるのは、さすがに私としても忍しのび難がたいところです。それから開墾かいこん当時とうじの地価ちかと、今日きょうの地価ちかとの大おおきな相違そういはどうして起こってきたかと考かんがえてみると、それはもちろん私の父の勤労きんろうや投入とうにゅう資金しきんの利子としこやが計上けいじょうされた結果けっかとして、価格かかくの高まったことになったには違ちげいありませんが、そればかりが唯一ただいちの原因げんいんと考かんがえるのは大おおきな間違まちがいであって、外界がいかいの事情じじょうが進すすむに従って、こちらでは手を束つかねているうちに、いつか知らず地価ちかが高まった結果けっかを来たしているのです。かく高まった地価ちかというものは、いわば社会しゃかいが生み出してくれたもので、私の功績こうせきでないばかりでなく、諸君しょくんの功績こうせきだともいいかねる性質せいしつのものです。このことを考かんがえてみれば、土地とちを私有ゆうする理窟りくつはますます立たないわけになるのです。

しかしながら、もし私がほかに何どの仕事しごともできない人間じんかんで、諸君しょくんに依頼いらいしなければ、今日きょう今日きょうを食っていけないようでしたら、現在げんざいのような仕組しくみの世よの中なかでは、あるいは非を知りながらも諸君しょくんに依頼いらいして、パンを食くうような道に従って生きようとしたかもしれません。ところが私には一つの仕事しごとがあって、他の人はどういおうと、私としてはこの上なく楽しく思おもう仕事しごとですし、またその仕事しごとから、とにかく親子おやこ四人が食っていくだけの収入しゅうにゅうは得られています。明日あすはどうなるか知らず、今日は得られています。かかる保証ほしょうを有もちながら、私が所しょ有地ありち解放かいほうを断行だんこうしなかったのは、私としてはなはだ怠慢たいまんであったので、諸君しょくんに対しことさら面目めんぼくない次第しだいです。

だいたい以上いじょうの理由りゆうのもとに、私はこの土地とちの全体ぜんたいを諸君しょくん全体ぜんたいに無償むしょうで譲ゆずり渡わたします。ただし正確せいかくにいうと、私の徴集ちょうしゅうした小作料さくりょうのうち過剰かじょうの分をも諸君しょくんに返済せねば無償むしょうということができぬのですが、それはこの際勘弁かんべんしていただくことにしたいと思います。

なおこの土地とちに住んでいる人の中にも、永く住んでいる人、きわめて短みじかい人、勤勉きんべんであった人、勤勉きんべんであることのできなかった人等の差別さべつがあるわけですが、それらを多少たしょう斟酌しんしゃくして、この際私からお礼をするつもりでいます。ただし、いったんこの土地とちを共有きょうゆうした以上いじょうは、かかる差別さべつは消滅しょうめつして、ともに平等びょうどうの立場たちばに立つのだということを覚悟かくごしてもらわねばなりません。

また私に対して負債ふさいをしておられる向むきもあって、その高は相当そうとうの額に達たっしています。これは適当てきとうの方法ほうほうをもって必かならず皆済すましていただかねばなりません。私はそれを諸君しょくん全体ぜんたいに寄付きふして、向後こうごの費途ひとに充あてるよう取とり計はからうつもりでいます。

つまり今後こんごの諸君しょくんのこの土地とちにおける生活せいかつは、諸君しょくんが組織そしきする自由じゆうな組合くみあいというような形になると思いますが、その運用うんようには相当そうとうの習練しゅうれんが必要ひつようです。それには、従来じゅうらい永年えいねんこの農場のうじょうの差配さはいを担任たんにんしていた監督かんとくの吉川きっかわ氏が、諸君しょくんの境遇きょうぐうも知悉ちしつし、周囲しゅういの事情じじょうにも明あきらかなことですから、幾年かの間氏をわずらわして(もとより一組合くみあい員の資格しかくをもって)実務じつむに当たってもらうのがいちばんいいかと私は思っています。永年えいねんの交際こうさいにおいて、私は氏がその任務にんむをはずかしめるような人ではないと信じますから一言いちごんします。

けれどもこれら巨細きょさいにわたった施設しせつに関しては、札幌さっぽろ農科大学だいがく経済けいざい部に依頼いらいし、具体ぐたい案を作製さくせいしてもらうことになっていますから、それができ上がった時、諸君しょくんがそれを研究けんきゅうして、適当てきとうだと思ったらそれを採用さいようされたなら、少なからず実際じっさいの上に便利べんりでしょう。

具体ぐたい案ができ上がったら、私は全然ぜんぜんこの農場のうじょうから手を引ひくことにします。私も今後こんごは経済けいざい的には自分じぶんの力だけの範囲はんいで生活せいかつする覚悟かくごでいますが、従来じゅうらい親譲おやゆずりの遺産いさんによって衣食いしょくしてきた関係かんけい上、思おもうようにいかない境遇きょうぐうに追いつめられるかもしれません。そんな時が来ても、私がこの農場のうじょうを解放かいほうしたのを悔くいるようなことは断じてないつもりです。昔なつかしさに、たまに遊あそびにでもやって来た時、諸君しょくんが私に数日の宿を惜しまれなかったら、それは私にとって望外ぼうがいの喜よろこびとするところです。

この上いうことはないように思います。終おわりに臨んで諸君しょくんの将来しょうらいが、協力きょうりょく一致いっちと相互そうご扶助ふじょとの観念かんねんによって導かれ、現代げんだいの悪制度せいどの中にあっても、それに動かされないだけの堅固けんごな基礎きそを作ずくり、諸君しょくんの精神せいしんと生活せいかつとが、自然じねんに周囲しゅういに働いて、周囲しゅういの状況じょうきょうをも変化かする結果けっかになるようにと祈ります。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「泉」1922(大正11)年10月
Source edition (底本)
底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店


   1969(昭和44)年1月30日改版初版

   1979(昭和54)年4月30日発行改版14版

初出:「泉」

   1922(大正11)年10月

入力:鈴木厚司

1999年2月13日公開

2005年11月18日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
鈴木厚司

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