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夏目漱石 Soseki Natsume 1867.02.09〜1916.12.09

カーライル博物館

カーライルはくぶつかん

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公園こうえんの片隅かたすみに通りがかりの人を相手あいてに演説えんぜつをしている者がある。向むかうから来た釜形かまがたの尖とがった帽子ぼうしを被かずいて古ぼけた外套がいとうを猫背ねこぜに着た爺じいさんがそこへ歩あゆみを佇とどめて演説えんぜつ者を見みる。演説えんぜつ者はぴたりと演説えんぜつをやめてつかつかとこの村夫子そんぷうしのたたずめる前に出て来くる。二人ふたりの視線しせんがひたと行ゆき当あたる。演説えんぜつ者は濁にごりたる田舎調子いなかぢょうしにて御前ごぜんはカーライルじゃないかと問とう。いかにもわしはカーライルじゃと村夫子ふうしが答こたえる。チェルシーの哲人セージと人が言囃いいはやすのは御前ごぜんの事かと問とう。なるほど世間せけんではわしの事をチェルシーの哲人セージと云いうようじゃ。セージと云いうは鳥の名だに、人間じんかんのセージとは珍めずらしいなと演説えんぜつ者はからからと笑わらう。村夫子ふうしはなるほど猫も杓子しゃくしも同おんなじ人間じんかんじゃのにことさらに哲人セージなどと異名いみょうをつけるのは、あれは鳥じゃと渾名あだなすると同じようなものだのう。人間じんかんはやはり当あたり前まえの人間じんかんで善よかりそうなものだのに。と答えてこれもからからと笑わらう。

余は晩餐ばんさん前に公園こうえんを散歩さんぽするたびに川縁かわべりの椅子いすに腰を卸おろして向側むかいがわを眺ながめる。倫敦ロンドンに固有こゆうなる濃霧のうむはことに岸辺きしべに多おおい。余が桜の杖に頤あごを支ささえて真正面しょうめんを見ていると、遥はるかに対岸たいがんの往来おうらいを這はい廻まわる霧の影は次第しだいに濃くなって五階立だての町続まちつずきの下からぜんぜんこの揺曳たなびくものの裏うちに薄れ去って来くる。しまいには遠き未来みらいの世を眼前がんぜんに引き出いだしたるように窈然ようぜんたる空の中うちにとりとめのつかぬ鳶色とびいろの影が残のこる。その時この鳶色とびいろの奥にぽたりぽたりと鈍き光ひかりが滴したたるように見みえ初そめる。三層四層五層共ともに瓦斯ガスを点じたのである。余は桜の杖をついて下宿げしゅくの方へ帰かえる。帰かえる時必かならずカーライルと演説えんぜつ使つかいの話はなしを思おもいだす。かの溟濛めいもうたる瓦斯がすの霧に混こんずる所が往時おうじこの村夫子そんぷうしの住んでおったチェルシーなのである。

カーライルはおらぬ。演説えんぜつ者も死んだであろう。しかしチェルシーは以前いぜんのごとく存在そんざいしている。否いな彼かの多年たねん住み古した家屋敷いえやしきさえ今なお儼然げんぜんと保存ほぞんせられてある。千七百しちひゃく八年チェイン・ロウが出来しゅったいてより以来いらい幾多いくたの主人しゅじんを迎むかえ幾多いくたの主人しゅじんを送ったかは知らぬがとにかく今日こんにちまで昔のままで残っている。カーライルの歿後ぼつごは有志家しけの発起ほっきで彼かの生前せいぜん使用しようしたる器物いれもの調度ちょうど図書ずしょ典籍てんせきを蒐あつめてこれを各室かくしつに按排あんばいし好事こうずのものにはいつでも縦覧じゅうらんせしむる便宜べんぎさえ謀はかられた。

文学者がくしゃでチェルシーに縁故えんこのあるものを挙あげると昔むかしはトマス・モア、下くだってスモレット、なお下ってカーライルと同時代じだいにはリ・ハントなどがもっとも著名ちょめいである。ハントの家はカーライルの直じき近傍きんぼうで、現げんにカーライルがこの家いえに引き移った晩尋たずねて来たという事がカーライルの記録きろくに書いてある。またハントがカーライルの細君さいくんにシェレーの塑像そぞうを贈ったという事も知れている。このほかにエリオットのおった家とロセッチの住んだ邸やしきがすぐ傍そばの川端かわばたに向むかいた通とおりにある。しかしこれらは皆すでに代だいがかわって現げんに人が這入はいっているから見物けんぶつは出来しゅったいぬ。ただカーライルの旧廬きゅうろのみは六ペンスを払えば何人なんびとでもまた何時なんどきでも随意ずいいに観覧かんらんが出来できる。

チェイン・ローは河岸端かしっぱたの往来おうらいを南に折おれる小路こうじでカーライルの家はその右側うそくの中頃なかごろに在ある。番地ばんちは二十にじゅう四番地ばんちだ。

毎日まいにちのように川を隔へだてて霧の中にチェルシーを眺ながめた余はある朝ついに橋を渡ってその有名ゆうめいなる庵いおりを叩たたいた。

庵りというと物寂ものさびた感かんじがある。少なくとも瀟洒しょうしゃとか風流ふうりゅうとかいう念と伴ともなう。しかしカーライルの庵いおりはそんな脂やにっこい華奢きゃしゃなものではない。往来おうらいから直ただちに戸が敲たたけるほどの道傍みちばたに建てられた四階造づくりの真四角しかくな家である。

出張った所も引き込んだ所もないのべつに真直まっすぐに立っている。まるで大製造せいぞう場の煙突えんとつの根本こんぼんを切ってきてこれに天井てんせいを張って窓をつけたように見まみえる。

これが彼が北きたの田舎いなかから始はじめて倫敦ロンドンへ出て来て探しに探し抜いて漸々ようようの事で探し宛あてた家である。彼は西を探し南を探しハンプステッドの北まで探してついに恰好かっこうの家を探さがし出だす事が出来しゅったいず、最後さいごにチェイン・ローへ来てこの家を見てもまだすぐに取とりきめるほどの勇気ゆうきはなかったのである。四千万せんまんの愚物ぐぶつと天下てんかを罵ののしった彼も住家すみかには閉口へいこうしたと見えて、その愚物ぐぶつの中に当然とうぜん勘定かんじょうせらるべき妻君さいくんへ向けて委細いさいを報知ほうちしてその意向いこうを確めた。細君さいくんの答に「御申越の借家しゃくやは二軒共不都合つごうもなき様被存ぞんぜられ候えば私倫敦ろんどんへ上のぼり候迄そろまで双方そうほう共御明あけ置願度おきねがいたく若もし又それ迄に取極とりきめ候そろ必要ひつよう相生じ候節そろせつは御一存いちぞんにて如何いかがとも御取計とりはからい被下度候くだされたくそろとあった。カーライルは書物しょもつの上でこそ自分じぶん独ひとりわかったような事をいうが、家をきめるには細君さいくんの助たすけに依らなくては駄目だめと覚悟かくごをしたものと見えて、夫人ふじんの上京じょうきょうするまで手を束つかねて待っていた。四五日しごんちすると夫人ふじんが来くる。そこで今度こんどは二人ふたりしてまた東西とうざい南北なんぼくを馳かけ廻った揚句あげくの果はてやはりチェイン・ローが善いいという事になった。両人ふたりがここに引き越したのは千八せんぱち百三十さんじゅう四年の六月むつき十日で、引越ひっこしの途中とちゅうに下女しもおんなの持っていたカナリヤが籠かごの中で囀さえずったという事まで知れている。夫人ふじんがこの家いえを撰えらんだのは大おおいに気に入ったものかほかに相当そうとうなのがなくてやむをえなんだのか、いずれにもせよこの煙突えんとつのごとく四角しかくな家は年に三百さんびゃく五十ごじゅう円の家賃やちんをもってこの新世しんせい帯の夫婦ふうふを迎むかえたのである。カーライルはこのクロムウェルのごときフレデリック大王だいおうのごときまた製造せいぞう場の煙突えんとつのごとき家の中でクロムウェルを著わしフレデリック大王だいおうを著わしディスレリーの周旋しゅうせんにかかる年給ねんきゅうを擯しりぞけて四角しかく四面しめんに暮したのである。

余は今この四角しかくな家の石階いしだんの上に立って鬼の面のノッカーをコツコツと敲たたく。しばらくすると内から五十ごじゅう恰好かっこうの肥った婆さんが出て来て御這入おはいりと云いう。最初さいしょから見物けんぶつ人と思っているらしい。婆さんはやがて名簿めいぼのようなものを出だして御名前なまいをと云いう。余は倫敦ろんどん滞留たいりゅう中四たびこの家に入いり四たびこの名簿めいぼに余が名を記録きろくした覚おぼえがある。この時は実げに余の名の記入きにゅう初はじめであった。なるべく丁寧ていねいに書かくつもりであったが例に因よってはなはだ見苦みぐるしい字が出来上った。前の方を繰りひろげて見みると日本人ほんにんの姓名せいめいは一人ひとりもない。して見みると日本人ほんにんでここへ来たのは余が始はじめてだなと下らぬ事が嬉しく感ぜられる。婆さんがこちらへと云いうから左手ひだりての戸をあけて町に向むかいた部屋へやに這入はいる。これは昔し客間きゃくまであったそうだ。色々なものが並なべてある。壁に画えやら写真しゃしんやらがある。大概たいげいはカーライル夫婦ふうふの肖像ちょさんのようだ。後うしろの部屋へやにカーライルの意匠いしょうに成ったという書棚しょだながある。それに書物しょもつが沢山だくさん詰まっている。むずかしい本がある。下らぬ本がある。古ふるびた本がある。読めそうもない本がある。そのほかにカーライルの八十はちじゅうの誕生たんじょう日の記念きねんのために鋳いたという銀牌ぎんぱいと銅牌どうはいがある。金牌きんぱいは一つもなかったようだ。すべての牌はいと名のつくものがむやみにかちかちしていつまでも平気へいきに残っているのを、もろうた者の煙のごとき寿命じゅみょうと対照たいしょうして考かんがえると妙な感かんじがする。それから二階にかいへ上のぼれる。ここにまた大おおきな本棚ほんだながあって本が例のごとくいっぱい詰まっている。やはり読めそうもない本、聞いた事のなさそうな本、入いりそうもない本が多おおい。勘定かんじょうをしたら百三十さんじゅう五部あった。この部屋へやも一時いちじは客間きゃくまになっておったそうだ。ビスマークがカーライルに送った手紙てがみと普露西プロシアの勲章くんしょうがある。フレデリック大王だいおう伝の御蔭おかげと見まみえる。細君さいくんの用いた寝台ねだいがある。すこぶる不器用きような飾かざり気けのないものである。

案内あんない者はいずれの国でも同おんなじものと見まみえる。先さっきから婆さんは室内しつないの絵画かいが器具きぐについて一々説明せつめいを与あたえる。五十ごじゅう年間ねんかん案内あんない者を専門せんもんに修業しゅぎょうしたものでもあるまいが非常ひじょうに熟練じゅくれんしたものである。何年なにどし何月何日にどうしたこうしたとあたかも口から出で任まかせに喋舌しゃべっているようである。しかもその流暢りゅうちょうな弁舌べんぜつに抑揚よくようがあり節奏せっそうがある。調子ちょうしが面白おもしろいからその方ほうばかり聴いていると何を言っているのか分らなくなる。始はじめのうちは聞きき返かえしたり問い返したりして見たがしまいには面倒めんどうになったから御前ごぜんは御前ごぜんで勝手かってに口上こうじょうを述べなさい、わしはわしで自由じゆうに見物ものするからという態度たいどをとった。婆さんは人が聞こうが聞きくまいが口上こうじょうだけは必かならず述べますという風で別段べつだん厭あきた景色けしきもなく怠おこたる様子ようすもなく何年なにどし何月何日をやっている。

余は東側ひがしがわの窓から首を出だしてちょっと近所きんじょを見渡みわたした。眼の下に十坪ほどの庭がある。右も左もまた向むかうも石の高塀たかかべで仕切しきりられてその形はやはり四角しかくである。四角しかくはどこまでもこの家の附属ふぞく物かと思おもう。カーライルの顔は決けっして四角しかくではなかった。彼はむしろ懸崖けんがいの中途ちゅうとが陥落かんらくして草原くさはらの上に伏しかかったような容貌ようぼうであった。細君さいくんは上出来じょうできの辣韮らっきょうのように見受みうけらるる。今余の案内あんないをしている婆さんはあんぱんのごとく丸まるい。余が婆さんの顔を見てなるほど丸まるいなと思おもうとき婆さんはまた何年なにどし何月何日を誦じゅし出した。余は再ふたたび窓から首を出した。

カーライル云いう。裏の窓より見渡せば見ゆるものは茂しげる葉の木株、碧みどりなる野原のはら、及およびその間に点綴てんてつする勾配こうばいの急なる赤き屋根やねのみ。西風せいふうの吹ふくこの頃ころの眺ながめはいと晴はれやかに心地よし。

余は茂しげる葉を見ようと思おもい、青き野を眺ながめようと思おもうて実は裏の窓から首を出したのである。首はすでに二返へんばかり出したが青あおいものも何なんにも見えぬ。右に家が見まみえる。左ひだりに家が見まみえる。向むこうにも家が見まみえる。その上には鉛色なまりいろの空が一面いちめんに胃病いびょうやみのように不精無精ふしょうぶしょうに垂たれかかっているのみである。余は首を縮めて窓より中へ引き込めた。案内あんない者はまだ何年なにどし何月何日の続きを朗ほがらかに読誦どくじゅしている。

カーライルまた云いう倫敦ロンドンの方かたを見れば眼に入いるものはウェストミンスター・アベーとセント・ポールズの高塔の頂いただきのみ。その他幻まぼろしのごとき殿宇でんうは煤すすを含ふくむ雲の影の去さるに任せて隠見みなす。

「倫敦ろんどんの方」とはすでに時代じだい後おくれの話である。今日こんにちチェルシーに来て倫敦ろんどんの方を見みるのは家の中うちに坐って家の方かたを見みると同おんなじ理窟りくつで、自分じぶんの眼で自分じぶんの見当けんとうを眺ながめると云いうのと大たいした差違さいはない。しかしカーライルは自みずから倫敦ろんどんに住んでいるとは思わなかったのである。彼は田舎いなかに閑居かんきょして都の中央ちゅうおうにある大伽藍だいがらんを遥はるかに眺ながめたつもりであった。余は三度みたび首を出した。そして彼かのいわゆる「倫敦ろんどんの方」へと視線しせんを延ばした。しかしウェストミンスターも見えぬ、セント・ポールズも見えぬ。数万の家、数十すうじゅう万の人、数百すうひゃく万の物音ものおとは余と堂宇どううとの間に立ちつつある、漾ただよいつつある、動うごきつつある。千八せんぱち百三十さんじゅう四年のチェルシーと今日きょうのチェルシーとはまるで別物べつものである。余はまた首を引き込めた。婆さんは黙然もくねんとして余の背後うしろに佇立ちょりつしている。

三階に上あがる。部屋へやの隅を見みると冷ひやかにカーライルの寝台ねだいが横よこたわっている。青き戸帳とばりが物静ものしずかに垂たれて空むなしき臥床ふしどの裡うちは寂然せきぜんとして薄暗うすくらい。木は何どの木か知らぬが細工さいくはただ無器用きようで素朴そぼくであるというほかに何どちらの特色とくしょくもない。その上に身を横えた人の身みの上うえも思い合わさるる。傍かたわらには彼が平生へいぜい使用しようした風呂桶ふろおけが九鼎きゅうていのごとく尊げに置かれてある。

風呂桶ふろおけとはいうもののバケツの大おおきいものに過ぎぬ。彼がこの大鍋おおなべの中で倫敦ろんどんの煤すすを洗い落したかと思うとますますその人ひととなりが偲しのばるる。ふと首を上あげると壁の上に彼が往生おうじょうした時に取ったという漆喰しっくい製せいの面型マスクがある。この顔だなと思おもう。この炬燵こたつ櫓やぐらぐらいの高さの風呂ふろに入はいってこの質素しっそな寝台しんだいの上に寝て四十しじゅう年間ねんかんやかましい小言こごとを吐き続つずけに吐いた顔はこれだなと思おもう。婆さんの淀よどみなき口上こうじょうが電話でんわ口で横浜よこはまの人の挨拶あいさつを聞きくように聞きこえる。

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This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

Source edition (底本)
底本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房


   1987(昭和62)年10月27日第1刷発行

底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房

   1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月

入力:柴田卓治

校正:LUNA CAT

2000年8月31日公開

2004年2月26日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
柴田卓治
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