Nihoner

太宰治 Osamu Dazai 1909.06.19〜1948.06.13

一灯

いっとう

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芸術げいじゅつ家というものは、つくづく困った種族しゅぞくである。鳥籠とりかご一つを、必死ひっしにかかえて、うろうろしている。その鳥籠とりかごを取りあげられたら、彼は舌を噛かんで死しぬだろう。なるべくなら、取りあげないで、ほしいのである。

誰だって、それは、考かんがえている。何とかして、明るく生きたいと精一せいいちぱいに努めている。昔から、芸術げいじゅつの一等いっとう品というものは、つねに世の人に希望きぼうを与え、怺こらえて生きて行ゆく力を貸かしてくれるものに、きまっていた。私たちの、すべての努力どりょくは、その一等いっとう品を創つくる事にのみ向けられていた筈はずだ。至難しなんの事業じぎょうである。けれども、何とかして、そこに、到達とうたつしたい。右往うおうも左往さおうも出来しゅったいない窮極きゅうきょくの場所ばしょに坐って、私たちは、その事に努めていた筈である。それを続つずけて行ゆくより他は無なあい。持物もちものは、神から貰った鳥籠とりかご一つだけである。つねに、それだけである。

大君たいくんの辺へにこそ、とは日本にぽんのひと全部ぜんぶの、ひそかな祈願きがんの筈である。さして行ゆく笠置かさぎの山、と仰おおせられては、藤原ふじはら季房すえふさならずとも、泣なき伏ふすにきまっている。あまりの事に、はにかんで、言えないだけなのである。わかり切った事である。鳴かぬ蛍ほたるは、何とかと言ゆうではないか。これだけ言ってさえも、なんだか、ひどく残念ざんねんな気がするのである。

けれども、いまは、はにかんでばかりも居られない。黙って、まごついて、それ故に、非国民くにたみなどと言われては、これ以上いじょうに残念ざんねんの事は無なあい。たまったものでない。私は、私の流儀りゅうぎで、この機会きかいに貧者ひんじゃ一燈いっとうを、更さらにはっきり、ともして置おきます。

八年前の話である。神田かんだの宿の薄暗うすくらい一室いっしつで、私は兄に、ひどく叱られていた。昭和しょうわ八年十二とうに月二十三じゅうそう日の夕暮ゆうぐれの事である。私は、その翌年よくとしの春、大学だいがくを卒業そつぎょうする筈になっていたのだが、試験しけんには一つも出席しゅっせきせず、卒業そつぎょう論文ろんぶんも提出せず、てんで卒業そつぎょうの見込みこみの無なあい事が、田舎いなかの長兄ちょうけいに見破られ、神田かんだの、兄の定宿じょうやどに呼よびつけられて、それこそ目めの玉たまが飛とび出でる程に激しく叱られていたのである。癇癖かんぺきの強こわい兄である。こんな場合ばあいは、目前もくぜんの、間抜まぬけた弟の一挙手きょしゅ一投足とうそく、ことごとくが気にいらなくなってしまうのである。私が両膝りょうひざをそろえて、きちんと坐すわり、火鉢ひばちから余程よほどはなれて震ふるえていると、

「なんだ。おまえは、大臣おとどの前にでも坐っているつもりなのか。」と言って、機嫌きげんが悪わるい。

あまり卑下ひげしていても、いけないのである。それでは、と膝を崩くずして、やや顔を上あげ、少すこし笑って見みせると、こんどは、横着おうちゃくな奴だと言って叱られる。これはならぬと、あわてて膝を固くして、うなだれると、意気いき地が無なあいと言って叱られる。どんなにしても、だめであった。私は、私自身おのれを持もて余あました。兄の怒いかりは、募つのる一方いっぽうである。

幽かすかに、表の街路がいろのほうから、人のざわめきが聞えて来くる。しばらくして、宿の廊下ろうかが、急にどたばた騒がしくなり、女中じょちゅうさんたちの囁ささやき、低ひくい笑声しょうせいも聞きこえる。私は、兄の叱咤しったの言よりも、そのほうに、そっと耳をすましていた。ふっと一言いちごん、聴取ちょうしゅ出来しゅったいた。私は、敢然かんぜんと顔を挙あげ、

「提燈ちょうちん行列ぎょうれつです。」と兄に報告ほうこくした。

兄は一瞬いっしゅん、へんな顔をした。とたんに、群集ぐんしゅうのバンザイが、部屋へやの障子しょうじが破やぶれるばかりに強く響いた。

皇太子こうたいし殿下でんか、昭和しょうわ八年十二とうに月二十三じゅうそう日御誕生たんじょう。その、国を挙あげてのよろこびの日に、私ひとりは、先刻せんこくから兄に叱られ、私は二重に悲しく、やりきれなくていたのである。兄は、落ちつき払って、卓上たくじょう電話でんわを取とり上あげ、帳場ちょうばに、自動じどう車を言いつけた。私は、しめた、と思った。

兄は、けれども少すこしも笑わずに顔をそむけ、立ち上ってドテラを脱ぬぎ、ひとりで外出そとでの仕度したくをはじめた。

「街へ出て見よう。」

「はあ。」ずるい弟は、しんから嬉しかった。

街は、暮れかけていた。兄は、自動じどう車の窓から、街の奉祝ほうしゅくの有様ありさまを、むさぼるように眺ながめていた。国旗こっきの洪水こうずいである。おさえにおさえて、どっと爆発ばくはつした歓喜かんぎの情が、よくわかるのである。バンザイ以外いがいに、表現ひょうげんが無なあい。しばらくして兄は、

「よかった!」と一言いちごん、小ちいさい声で呟つぶやいて、深く肩で息をした。それから、そっと眼鏡めがねをはずした。

私は、危く噴ふき出だしそうになった。大正たいしょう十四年、私が中学校がっこう三年の時、照宮てるのみやさまがお生うまれになった。そのころは、私も学校がっこうの成績せいせきが悪くなかったので、この兄の一いちばんのお気に入いりであった。父に早く死なれたので、兄と私の関係かんけいは、父子ちちこのようなものであった。私は冬季とうき休暇きゅうかで、生家せいかに帰がえり、嫂あによめと、つい先日せんじつの御誕生たんじょうのことを話はなし合あい、どういうものだか涙が出て困ったという述懐じゅっかいに於て一致いっちした。あの時、私は床屋とこやにいて散髪さんぱつの最中さなかであったのだが、知しらせの花火はなびの音を聞いているうちに我慢がまん出来しゅったいなくなり、非常ひじょうに困ったのである。嫂も、あの時、針仕事はりしごとをしていたのだそうであるが、花火はなびの音を聞いたら、針仕事はりしごとを続つずけることが出来しゅったいなくなって、困ってしまったそうである。兄は、私たちの述懐じゅっかいを傍で聞いていて、

「おれは、泣かなかった。」と強がったのである。

「そうでしょうか。」

「そうかなあ。」嫂も、私も、てんで信用しんようしなかった。

「泣なきませんでした。」兄は、笑わらいながら主張しゅちょうした。

その兄が、いま、そっと眼鏡がんきょうをはずしたのである。私は噴ふき出だしそうなのを怺こらえて、顔をそむけ、見ない振ふりをした。

兄は、京橋きょうばしの手前てまえで、自動じどう車から降りた。

銀座ぎんざは、たいへんな人出ひとでであった。逢あう人、逢あう人、みんなにこにこ笑っている。

「よかった。日本にぽんは、もう、これでいいのだよ。よかった。」と兄は、ほとんど一歩かずほ毎に呟いて、ひとり首肯うなずき、先刻せんこくの怒いかりは、残りなく失念しつねんしてしまっている様子ようすであった。ずるい弟は、全く蘇生そせいの思おもいで、その兄の後を、足が地につかぬ感かんじで、ぴょんぴょん附いて歩いた。

A新聞しんぶん社の前では、大勢たいせいの人が立ちどまり、ちらちら光って走はしる電光でんこうニュウスの片仮名かたかなを一字一字、小ちいさい声をたてて読んでいる。兄も、私も、その人ひとごみのうしろに永ながいこと立ちどまり、繰くり返かえし繰くり返かえし綴つづられる同おんなじ文章ぶんしょうを、何度でも飽あきずに読よむのである。

とうとう兄は、銀座ぎんざ裏の、おでんやに入った。兄は私にも酒を、すすめた。

「よかった。これで、もう、いいのだ。」兄は、そう言ってハンケチで顔の汗を、やたらに拭いた。

おでんやでも、大騒おうさわぎであった。モオニングの紳士しんしが、ひどくいい機嫌きげんではいって来て、

「やあ、諸君しょくん、おめでとう!」と言った。

兄も笑顔えがおで、その紳士しんしを迎むかえた。その紳士しんしは、御誕生たんじょうのことを聞きくや、すぐさまモオニングを着て、近所きんじょにお礼まわりに歩いたというのである。

「お礼まわりは、へんですね。」と私は、兄に小声こごえで言ったら、兄は酒を噴ふき出でるした。

日本にぽん全国ぜんこく、どんな山奥やまおくの村でも、いまごろは国旗こっきを建て皆にこにこしながら提燈行列ぎょうれつをして、バンザイを叫んでいるのだろうと思ったら、私は、その有様ありさまが眼に見まみえるようで、その遠とおい小ちいさい美しさに、うっとりした。

「皇室こうしつ典範てんぱんに拠れば、――」と、れいの紳士しんしが大声たいせいで言いはじめた。

「皇室こうしつ典範てんぱんとは、また、大きく出たじゃないか。」こんどは兄が、私に小声こごえで言って、心の底から嬉しそうに笑わらい咽むせんだ。

そのおでんやを出て、また、別のところへ行き、私たちは、その夜おそくまで、奉祝ほうしゅくの上機嫌きげんな市民しみんの中を、もまれて歩いた。提燈行列ぎょうれつの火の波が、幾組も幾組も、私たちの目の前を、ゆらゆら通過つうかした。兄は、ついに、群集ぐんしゅうと共にバンザイを叫んだ。あんなに浮かれた兄を、見た事が無なあい。

あのように純一じゅんいちな、こだわらず、蒼穹そうきゅうにもとどく程の全国ぜんこく民の歓喜かんぎと感謝かんしゃの声を聞きく事は、これからは、なかなかむずかしいだろうと思われる。願わくは、いま一度ひとたび。誰に言われずとも、しばらくは、辛抱しんぼうせずばなるまい。

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Where this text comes from

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First published
「文芸世紀」1940(昭和15)年11月
Source edition (底本)
底本:「太宰治全集3」ちくま文庫、筑摩書房


   1988(昭和63)年10月25日第1刷発行

底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房

   1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月刊行

入力:柴田卓治

校正:渥美浩子

2000年4月27日公開

2005年10月24日修正

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Typed by (入力)
柴田卓治
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渥美浩子

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