Nihoner

太宰治 Osamu Dazai 1909.06.19〜1948.06.13

朝

あさ

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私は遊あそぶ事が何よりも好すきなので、家で仕事しごとをしていながらも、友あり遠方えんぽうより来くるのをいつもひそかに心待こころまちにしている状態じょうたいで、玄関げんかんが、がらっとあくと眉まゆをひそめ、口をゆがめて、けれども実は胸をおどらせ、書かきかけの原稿げんこう用紙ようしをさっそく取とりかたづけて、その客を迎むかえる。

「あ、これは、お仕事しごと中ですね。」

「いや、なに。」

そうしてその客と一緒いっしょに遊あそびに出でる。

けれども、それではいつまでも何も仕事しごとが出来しゅったいないので、某所ぼうしょに秘密ひみつの仕事部屋しごとべやを設もうける事にしたのである。それはどこにあるのか、家の者にも知しらせていない。毎朝まいあさ、九時頃ごろ、私は家の者に弁当べんとうを作らせ、それを持ってその仕事部屋しごとべやに出勤しゅっきんする。さすがにその秘密ひみつの仕事部屋しごとべやには訪おとずれて来くるひとも無なあいので、私の仕事しごともたいてい予定よていどおりに進行しんこうする。しかし、午後ごごの三時頃になると、疲つかれても来くるし、ひとが恋しくもなるし、遊あそびたくなって、頃合ころあいのところで仕事しごとを切きり上あげ、家へ帰かえる。帰かえる途中とちゅうで、おでんやなどに引かかって、深夜しんやの帰宅きたくになる事もある。

仕事部屋しごとべや。

しかし、その部屋へやは、女のひとの部屋へやなのである。その若わかい女のひとが、朝早く日本橋にっぽんばしの或ある銀行ぎんこうに出勤しゅっきんする。そのあとに私が行ぎょうって、そうして四、五時間じかんそこで仕事しごとをして、女のひとが銀行ぎんこうから帰って来くる前に退出たいしゅつする。

愛人あいじんとか何とか、そんなものでは無なあい。私がそのひとのお母さんを知っていて、そうしてそのお母さんは、或ある事情じじょうで、その娘さんとわかれわかれになって、いまは東北とうほくのほうで暮くらしているのである。そうして時ときたま私に手紙てがみを寄こして、その娘の縁談えんだんに就いて、私の意見いけんを求もとめたりなどして、私もその候補こうほ者の青年せいねんと逢あい、あれならいいお婿むこさんでしょう、賛成さんせいです、なんてひとかどの苦労くろう人の言いそうな事を書いて送ってやった事もあった。

しかし、いまではそのお母さんよりも、娘さんのほうが、よけいに私を信頼しんらいしているように、どうも、そうらしく私には思われて来た。

「キクちゃん。こないだ、あなたの未来みらいの旦那だんなさんに逢ったよ。」

「そう? どうでした? すこうし、キザね。そうでしょう?」

「まあ、でも、あんなところさ。そりゃもう、僕ぼくにくらべたら、どんな男でも、あほらしく見まみえるんだからね。我慢がまんしな。」

「そりゃ、そうね。」

娘さんは、その青年せいねんとあっさり結婚けっこんする気でいるようであった。

先夜せんや、私は大酒おうざけを飲んだ。いや、大酒おうざけを飲のむのは、毎夜まいよの事であって、なにも珍めずらしい事ではないけれども、その日、仕事場しごとばからの帰がえりに、駅のところで久し振ふりの友人ゆうじんと逢い、さっそく私のなじみのおでんやに案内あんないして大おおいに飲のみ、そろそろ酒が苦痛くつうになりかけて来た時に、雑誌ざっし社の編輯者へんしゅうしゃが、たぶんここだろうと思った、と言ってウイスキー持参じさんであらわれ、その編輯へんしゅう者の相手あいてをしてまたそのウイスキーを一本いっぽん飲のみつくして、こりゃもう吐つくのではなかろうか、どうなるのだろう、と自分じぶんながら、そらおそろしくなって来て、さすがにもう、このへんでよそうと思っても、こんどは友人ゆうじんが、席をあらためて僕にこれからおごらせてくれ、と言いい出でるし、電車でんしゃに乗って、その友人ゆうじんのなじみの小料理りょうり屋にひっぱって行かれ、そこでまた日本にぽん酒を飲のみ、やっとその友人ゆうじん、編輯へんしゅう者の両人りょうにんとわかれた時には、私はもう、歩けないくらいに酔っていた。

「とめてくれ。うちまで歩いて行けそうもないんだ。このままで、寝ちまうからね。たのむよ。」

私は、こたつに足をつっこみ、二重廻にじゅうまわしを着たままで寝た。

夜中やちゅうに、ふと眼がさめた。まっくらである。数秒間びょうかん、私は自分じぶんのうちで寝ているような気がしていた。足を少すこしうごかして、自分じぶんが足袋たびをはいているままで寝ているのに気附きづいてはっとした。しまった! いけねえ!

ああ、このような経験けいけんを、私はこれまで、何百なんびゃく回、何千なんぜん回、くりかえした事か。

私は、唸うなった。

「お寒くありません?」

と、キクちゃんが、くらやみの中で言った。

私と直角ちょっかくに、こたつに足を突込んで寝ているようである。

「いや、寒くない。」

私は上半身はんしんを起おこして、

「窓から小便しょうべんしてもいいかね。」

と言った。

「かまいませんわ。そのほうが簡単かんたんでいいわ。」

「キクちゃんも、時々やるんじゃねえか。」

私は立上って、電燈でんとうのスイッチをひねった。つかない。

「停電ていでんですの。」

とキクちゃんが小声こごえで言った。

私は手てさぐりで、そろそろ窓のほうに行き、キクちゃんのからだに躓つまずいた。キクちゃんは、じっとしていた。

「こりゃ、いけねえ。」

と私はひとりごとのように呟つぶやき、やっと窓のカアテンに触って、それを排して窓を少すこしあけ、流水りゅうすいの音をたてた。

「キクちゃんの机の上に、クレーヴの奥方おくがたという本があったね。」

私はまた以前いぜんのとおりに、からだを横たえながら言ゆう。

「あの頃の貴婦人ふじんはね、宮殿くうでんのお庭や、また廊下ろうかの階段かいだんの下の暗ぐらいところなどで、平気へいきで小便しょうべんをしたものなんだ。窓から小便しょうべんをするという事も、だから、本来ほんらいは貴族きぞく的な事なんだ。」

「お酒お飲のみになるんだったら、ありますわ。貴族きぞくは、寝ながら飲のむんでしょう?」

飲のみたかった。しかし、飲んだら、あぶないと思った。

「いや、貴族きぞくは暗黒あんこくをいとうものだ、元来がんらいが臆病おくびょうなんだからね。暗ぐらいと、こわくて駄目だめなんだ。蝋燭ろうそくが無なあいかね。蝋燭ろうそくをつけてくれたら、飲んでもいい。」

キクちゃんは黙って起きた。

そうして、蝋燭ろうそくに火が点ぜられた。私は、ほっとした。もうこれで今夜こんやは、何事なにごとも仕出かさずにすむと思った。

「どこへ置おきましょう。」

「燭台しょくだいは高きに置け、とバイブルに在あるから、高だかいところがいい。その本箱ほんばこの上へどうだろう。」

「お酒は? コップで?」

「深夜しんやの酒は、コップに注つげ、とバイブルに在ある。」

私は嘘うそを言った。

キクちゃんは、にやにや笑わらいながら、大おおきいコップにお酒をなみなみと注いで持って来た。

「まだ、もう一いっぱいぶんくらい、ございますわ。」

「いや、これだけでいい。」

私はコップを受け取って、ぐいぐい飲んで、飲みほし、仰向に寝た。

「さあ、もう一眠ひとねむりだ。キクちゃんも、おやすみ。」

キクちゃんも仰向あおむけに、私と直角ちょっかくに寝て、そうしてまつげの長ながい大おおきい眼を、しきりにパチパチさせて眠ねむりそうもない。

私は黙って本箱ほんばこの上の、蝋燭ろうそくの焔ほのおを見た。焔は生いき物もののように、伸のびたりちぢんだりして、うごいている。見ているうちに、私は、ふと或ある事に思い到いたり、恐怖きょうふした。

「この蝋燭ろうそくは短みじかいね。もうすぐ、なくなるよ。もっと長ながい蝋燭ろうそくが無なあいのかね。」

「それだけですの。」

私は黙した。天に祈りたい気持きもちであった。あの蝋燭ろうそくが尽きないうちに私が眠ねぶるか、またはコップ一いっぱいの酔よいが覚めてしまうか、どちらかでないと、キクちゃんが、あぶない。

焔はちろちろ燃もえて、少すこしずつ少すこしずつ短かくなって行ゆくけれども、私はちっとも眠くならず、またコップ酒の酔よいもさめるどころか、五体ごたいを熱くして、ずんずん私を大胆だいたんにするばかりなのである。

思わず、私は溜息ためいきをもらした。

「足袋たびをおぬぎになったら?」

「なぜ?」

「そのほうが、あたたかいわよ。」

私は言われるままに足袋たびを脱いだ。

これはもういけない。蝋燭ろうそくが消えたら、それまでだ。

私は覚悟かくごしかけた。

焔は暗くなり、それから身悶みもだえするように左右さゆうにうごいて、一瞬いっしゅん大きく、あかるくなり、それから、じじと音を立てて、みるみる小さくいじけて行って、消えた。

しらじらと夜が明あけていたのである。

部屋へやは薄明るく、もはや、くらやみではなかったのである。

私は起きて、帰かえる身支度したくをした。

(「新思潮しちょう」昭和二かずじ十二とうに年七月ふみつき号)

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First published
「新思潮」1947(昭和22)年7月号
Source edition (底本)
底本:「グッド・バイ」新潮文庫、新潮社


   1972(昭和47)年7月30日発行

   1989(平成1)年3月20日37刷改版

   1999(平成11)年6月10日56刷

入力:蒋龍

校正:鈴木厚司

2004年2月19日作成

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Typed by (入力)
蒋龍
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鈴木厚司

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