Nihoner

太宰治 Osamu Dazai 1909.06.19〜1948.06.13

青森

あおもり

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青森あおもりには、四年いました。青森あおもり中学ちゅうがくに通っていたのです。親戚しんせきの豊田とよた様のお家に、ずっと世話せわになっていました。寺町てらまちの呉服屋ふくやの、豊田とよた様であります。豊田とよたの、なくなった「お父どさ」は、私にずいぶん力ちからこぶを入れて、何かとはげまして下さいました。私も、「おどさ」に、ずいぶん甘あまえていました。

「おどさ」は、いい人でした。私が馬鹿ばかな事ばかりやらかして、ちっとも立派りっぱな仕事しごとをせぬうちになくなって、残念ざんねんでなりません。もう五年、十年生きていてもらって、私が多少たしょうでもいい仕事しごとをして、お父どさに喜んでもらいたかった、とそればかり思います。いま考かんがえると「おどさ」の有難ありがたいところばかり思おもい出でされ、残念ざんねんでなりません。私が中学校がっこうで少すこしでも佳よい成績せいせきをとると、おどさは、世界せかい中の誰よりも喜んで下さいました。

私が中学ちゅうがくの二年生の頃、寺町てらまちの小ちいさい花屋はなやに洋画ようがが五、六枚かざられていて、私は子供こども心にも、その画に少すこし感心かんしんしました。そのうちの一枚を、二円で買いました。この画はいまにきっと高くなります、と生意気いきな事を言って、豊田とよたの「おどさ」にあげました。おどさは笑っていました。あの画は、今も豊田とよた様のお家に、あると思います。いまでは百円でも安すぎるでしょう。棟方むなかた志功しこう氏の、初期しょきの傑作けっさくでした。

棟方むなかた志功しこう氏の姿は、東京とうきょうで時折ときおり、見みかけますが、あんまり颯爽さっそうと歩いているので、私はいつでも知らぬ振ふりをしています。けれども、あの頃の志功しこう氏の画は、なかなか佳かったと思っています。もう、二十にじゅう年ちかく昔の話になりました。豊田とよた様のお家の、あの画が、もっと、うんと、高くなってくれたらいいと思って居ります。

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Source edition (底本)
底本:「もの思う葦」新潮文庫、新潮社


   1980(昭和55)年9月25日発行

   1998(平成10)年10月15日39刷

入力:蒋龍

校正:土屋隆

2006年11月15日作成

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Typed by (入力)
蒋龍
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土屋隆

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