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坂口安吾 Ango Sakaguchi 1906.10.20〜1955.02.17

悪妻論

あくさいろん

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悪妻あくさいには一般いっぱん的な型はない。女房にょうぼうと亭主ていしゅの個性こせいの相対そうたい的なものであるから、わが平野謙ひらのけんの如ごとく(彼は僕らの仲間なかまでは大愛妻あいさい家という定説ていせつだ)先日せんじつ両手りょうてをホータイでまき、日本にぽんが木綿もめん不足ふそくで困っているなどとは想像そうぞうもできない物々しいホータイだ。肉がえぐられる深傷ふかでだという無慙むざんな話であるけれども、彼かの方が女房にょうぼうの横ッ面をヒッパたいたことすらもないという沈着ちんちゃくなる性格せいかく、深遠しんえんなる心境しんきょう、まさしく愛猫あいびょう家や愛妻あいさい家の心境しんきょうというものは凡俗ぼんぞくには理解りかいのできないものだ。

思おもうに多情たじょう淫奔いんぽんな細君さいくんは言ゆうまでもなく亭主ていしゅを困らせる。困らせられるけれども、困らせられる部分ぶぶんで魅力みりょくを感かんじている亭主ていしゅの方が多おおいので、浮気うわきな細君さいくんと別わかれた亭主ていしゅは、浮気うわきな亭主ていしゅと別わかれた女房にょうぼう同様どうように、概おおむね別わかれた人にミレンを残のこしているものだ。

ミレンを残のこすぐらいなら別わかれなければ良かろうものを、つまり、彼、彼女かのじょらは悪妻あくさいとか悪亭主ていしゅという世の一般いっぱんの通念つうねんや型をまもって、個性的せいてきな省察せいさつを忘わすれたのだ。悪妻あくさいに一般いっぱん的な型などあるべきものではなく、否いな、男女なんにょ関係かんけいのすべてに於おいて型はない。個性こせいと個性こせいの相対そうたい的な加減かげん乗除じょうじょがあるだけだ。わが平野ひらの謙の如く、戦争せんそうをその残酷ざんこくなる流血りゅうけつの故ゆえに呪のろい憎んでいても、その女房にょうぼうを戦争せんそう犯罪はんざい人などとは言わず惜しみなくホータイをまいて満足まんぞくしているから、さすがに文学者がくしゃ、沈着ちんちゃく深遠しんえん、深く物の実体じったいを究め、かりそめにも世の型の如きもので省察せいさつをにぶらせることがない。偉大いだい! かくあるべし。

然しかし、日本にぽんの亭主ていしゅは不幸ふこうであった。なぜなら、日本にぽんの女は愛妻あいさいとなる教育きょういくを受うけないから。彼女かのじょらは、姑しゅうとめに仕え、子を育て、主として、男の親に孝に、わが子に忠に、亭主ていしゅそのものへの愛情あいじょうに就ついてはハレモノにさわるように遠慮えんりょ深く教育きょういく訓練くんれんされている。日本にぽんの女を女房にょうぼうに、パリジャンヌを妾めかけに、という世界せかい的な説がある由よし、然しかし、悲かなしい日本にぽんの女よ、彼女かのじょらは世界せかい一の女房にょうぼうであっても、まさしく男がパリジャンヌを必要ひつようとする女房にょうぼうだ。日本人ほんにんの蓄妾癖ちくしょうへきは野蛮人ばんじんの証拠しょうこだなどとはマッカな偽いつわり、日本にぽんの女房にょうぼうの型、女大学だいがくの猛訓練くんれんは要ようするに亭主ていしゅをして女房にょうぼうに満足まんぞくさせず、妾をつくらずにいられなくなる性格せいかくを与あたえるためにシシとして勉強べんきょうしているようなものだ。

武家ぶけ政治せいじこのかた、日本にぽんには恋愛れんあいというものが封ふうじられ、恋愛れんあいは不義ふぎで、若気わかげのアヤマチなどと云いって、恋愛れんあいの心情しんじょうに対たいする省察せいさつも、若気わかげのアヤマチ以上いじょうに深入ふかいりして個別こべつ的に考かんがえられたこともない。恋愛れんあいに対たいする訓練くんれんがミジンもないから、お手々をつないで街を歩あるくこともできず、それでいきなり夫婦ふうふ、同衾どうきんとくるから、男女なんにょ関係かんけいは同衾どうきんだけで、まるでもう動物どうぶつの訓練くんれんを受うけているようなもの、日本にぽんの女房にょうぼうは、わびしい。暗ぐらい。悲かなしい。

女大学だいがくの訓練くんれんを受けたモハンの女房にょうぼうが良妻りょうさいであるか、そして、左様さような良妻りょうさいに対比たいひして、日本にぽん的な悪妻あくさいの型や見本みほんがあるなら、私はむしろ悪妻あくさいの型の方を良妻りょうさい也なりと断だんずる。

センタクしたり、掃除そうじをしたり、着物きものをぬったり、飯を炊いたり、労働ろうどうこそ神聖也せいやとアッパレ丈夫たけおの心掛こころがけ。けれども、遊あそぶことの好すきな女は、魅力みりょくがあるにきまってる。多情たじょう淫奔いんぽんではいささか迷惑めいわくするけれども、迷惑めいわく、不安ふあん、懊悩おうのう、大おおいに苦しめられても、それでも良妻りょうさいよりはいい。

人はなんでも平和へいわを愛せばいいと思うなら大間違まちがい、平和へいわ、平静へいせい、平安へいあん、私は然しかし、そんなものは好すきではない。不安ふあん、苦しみ、悲かなしみ、そういうものの方が私は好すきだ。

私は逆説ぎゃくせつを弄ろうしているわけではない。人生じんせいの不幸ふこう、悲かなしみ、苦しみというものは厭悪えんお、厭離えんりすべきものときめこんで疑うたぐることも知らぬ魂の方が不可解ふかかいだ。悲かなしみ、苦しみは人生じんせいの花だ。悲かなしみ苦しみを逆に花さかせ、たのしむことの発見はっけん、これをあるいは近代きんだいの発見はっけんと称してもよろしいかも知れぬ。

恋愛れんあいというと得恋とくれん、メデタシメデタシと考かんがえて、なんでもそうでなければならないものだときめているが、失恋しつれんなどというものも大おおいに趣味しゅみのあるもので、第一だいいち、得恋とくれんメデタシメデタシよりも、よっぽど退屈たいくつしない。ほんとだ。

先日せんじつ、本ほんの広告こうこくを見ていたら、人妻ひとずまとある詩人しじんの恋文こいぶみを、二人ふたりが恋しながら、肉体にくたいの関係かんけいのなかった故に神聖しんせいな恋だと書かれていた。おかしな神聖しんせいがあるものだ。精神せいしんの恋が清きよらかだなどとはインチキで、ゼスス様も仰有おっしゃる通とおり行きすぎの人妻ひとずまに目をくれても姦淫かんいんに変りはない。人間じんかんはみんな姦淫かんいんを犯しており、みんなインヘルノへ落おちるものにきまっている。地獄じごくの発見はっけんというものもこれ又ひとつの近代きんだいの発見はっけん、地獄じごくの火を花さかしめよ、地獄じごくに於て人生じんせいを生きよ、ここに於て必要ひつようなものは、本能ほんのうよりも知性ちせいだ。いわゆる良妻りょうさいというものは、知性ちせいなき存在そんざいで、知性ちせいあるところ、女は必かならず悪妻あくさいとなる。知性ちせいはいわば人間じんかん性への省察せいさつであるが、かかる省察せいさつのあるところ、思おもいやり、いたわりも大きく又深くなるかも知れぬが、同時どうじに衝突しょうとつの深度しんどが人間じんかん性の底に於て行われ、ぬきさしならぬものとなる。

人間じんかん性の省察せいさつは、夫婦ふうふの関係かんけいに於ては、いわば鬼の目の如きもので、夫婦ふうふはいわば、弱点じゃくてん、欠点けってんを知りあい、むしろ欠点けってんに於て関係かんけいや対立たいりつを深ふかめるようなものでもある。その対立たいりつはぬきさしならぬものとなり、憎にくしみは深ふかまり、安き心もない。知性ちせいあるところ、夫婦ふうふのつながりは、むしろ苦痛くつうが多く、平和へいわは少すくないものである。然しかし、かかる苦痛くつうこそ、まことの人生じんせいなのである。苦痛くつうをさけるべきではなく、むしろ、苦痛くつうのより大おおいなる、より鋭くより深ぶかいものを求もとめる方が正ただしい。夫婦ふうふは愛あいし合あうと共に憎にくみ合あうのが当然とうぜんであり、かかる憎にくしみを怖おそれてはならぬ。正しく憎にくみ合あうがよく、鋭く対立たいりつするがよい。

いわゆる良妻りょうさいの如く、知性ちせいなく、眠ねむれる魂の、良犬の如くに訓練くんれんされたドレイのような従順じゅうじゅんな女が、真実しんじつの意味いみに於て良妻りょうさいである筈はずはない。そしてかかる良妻りょうさいの附属品ふぞくひんたる平和へいわな家庭かていが、尊ばれるべきものでないのは言ゆうまでもない。男女なんにょの関係かんけいに平和へいわはない。人間じんかん関係かんけいには平和へいわは少すくない。平和へいわをもとめるなら孤独こどくをもとめるに限かぎる。そして坊主ぼうずになるがよい。出家遁世しゅっけとんせいという奴は平安へいあんへの唯一ただいちの道だ。

だいたい恋愛れんあいなどというものは、偶然ぐうぜんなもので、たまたま知り合ったがために恋し合あうにすぎず、知らなければそれまで、又、あらゆる人間じんかんを知っての上での選択せんたくではなく、少数しょうすうの周囲しゅういの人からの選択せんたくであるから、絶対ぜったいなどというものとは違たがう。その心情しんじょうの基盤きばんはきわめて薄弱はくじゃくなものだ。年月としつきがすぎれば退屈たいくつもするし、欠点けってんが分れば、いやにもなり、外ほかに心を惹ひかれる人があれば、顔を見みるのもイヤになる。それを押おしての夫妻ふさいであり、矛盾むじゅんをはらんでの人間じんかん関係かんけいであるから、平安へいあんよりも、苦痛くつうが多く、愛情あいじょうよりも憎にくしみや呪のろいが多くなり、関係かんけいの深かまるにつれて、むしろ、対立たいりつがはげしくなり、ぬきさしならぬものとなるのが当然とうぜんなのである。

夫婦ふうふは苦しめ合あい、苦しみ合あうのが当然とうぜんだ。慰め、いたわるよりも、むしろ苦しめ合あうのがよい。私はそう思おもう。人間じんかん関係かんけいは苦痛くつうをもたらす方が当然とうぜんなのだから。

ゼスス様は姦淫いんするなかれと仰有あるけれども、それは無理むりですよ。神様。人の心は姦淫かんいんを犯おかすのが自然じねんで、人の心が思おもいあたわぬ何物なにものもない。人の心には翼があるのだ。けれども、からだには翼がないから、天を翔かけるわけにも行かず、地上ちじょうに於て巣をいとなみ、夫婦ふうふとなり、姦淫いんするなかれ、とくる。それは無理むりだ。無理むりだから、苦くるしむ。あたりまえだ。こういう無理むりを重かさねながら、平安へいあんだったら、その平安へいあんはニセモノで、間まに合あわせの安物やすものにきまっているのだ。だから、良妻りょうさいなどというのは、ニセモノ、安物やすものにすぎないのである。

然しかし、しからば悪妻あくさいは良妻りょうさいなりやといえば、必かならずしもそうではない。知性ちせいなき悪妻あくさいは、これはほんとの悪妻あくさいだ。多情たじょう淫奔いんぽん、ただ動物どうぶつの本能ほんのうだけの悪妻あくさいは始末しまつにおえない。然しかし、それですら、その多情たじょう淫奔いんぽんの性によって魅力みりょくでもありうるので、そしてその故にミレンにひかれる人もあり、つまり悪妻あくさいというものには一般いっぱん的な型はない。もしも魅力みりょくによって人の心をひくうちは、悪妻あくさいではなく、良妻りょうさいだ。いかに亭主ていしゅを苦しめても、魅力みりょくによって亭主ていしゅの心を惹ひくうちは、良妻りょうさいなのだろう。

魅力みりょくのない女は、これはもう、決定けってい的に悪妻あくさいなのである、男女なんにょという性の別が存在そんざいし、異性いせいへの思慕しぼが人生じんせいの根幹こんかんをなしているのに、異性いせいに与あたえる魅力みりょくというものを考かんがえること、創案そうあんすることを知らない女は、もしもそれが頭の悪さのせいとすれば、この頭の悪さは問題もんだいの外ほかだ。

才媛さいえんというタイプがある。数学すうがくができるのだか、語学ごがくができるのだか、物理学りがくができるのだか知らないが、人間じんかん性というものへの省察せいさつに就てはゼロなのだ。つまり学問がくもんはあるかも知れぬが、知性ちせいがゼロだ。人間じんかん性の省察せいさつこそ、真実しんじつの教養きょうようのもとであり、この知性ちせいをもたぬ才媛さいえんは野蛮人ばんじん、原始げんし人、非文化ぶんか人と異ことならぬ。

まことの知性ちせいあるものに悪妻あくさいはない。そして、知性ちせいある女は、悪妻あくさいではないが、常に亭主ていしゅを苦しめ悩まし憎ませ、めったに平安へいあんなどは与あたえることがないだろう。

苦しめ、そして、苦くるしむのだ。それが人間じんかんの当然とうぜんな生活せいかつなのだから。然しかし、流血りゅうけつの惨は、どうかな? 平野ひらの君! ああ、戦争せんそうは野蛮やばんだ! 戦争せんそう犯罪はんざい人を検索けんさくしようよ。平野ひらの君!

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「婦人文庫 第二巻第七号」1947(昭和22)年7月1日
Source edition (底本)
底本:「堕落論・日本文化私観 他二十二篇」岩波文庫、岩波書店

   2008(平成20)年9月17日第1刷発行

   2013(平成25)年4月5日第6刷発行

底本の親本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房

   1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行

初出:「婦人文庫 第二巻第七号」

   1947(昭和22)年7月1日

入力:Nana ohbe

校正:酒井裕二

2016年3月4日作成

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
Nana ohbe
Proofread by (校正)
酒井裕二

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