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坂口安吾 Ango Sakaguchi 1906.10.20〜1955.02.17

諦めている子供たち

あきらめているこどもたち

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雪の晩ばんげに道を歩あるくと雪ジョロがでるすけオッカネぞとおらとこのオトトもオカカもオラたちに云いうてオッカナがらすろも、オラそんげのこと信用しんよしねわい。そらろもオレもオッキなってガキどもができると、そんげのこと云いうてオッカナがらすかも知れねな。人間じんかんてがんはショウがねもんだて。そらすけオラいまから諦あきらめてるて。

雪の夜道よみちを歩あるくと雪女郎じょうろがでるから怖おそろしいぞとオレのウチの父も母もオレたちに云ってこわがらすが、オレはそんなこと信用しんようしていない。けれどもオレも大きくなって子供こどもができると、そんなことを云ってこわがらすかも知れない。人間じんかんというものは仕様しようがないものだ。それだからオレはいまから諦あきらめてるよ。

小学校がっこう四五六ごろく年生くらいの子供こどもの言葉ことばと思っていただけばよい。新潟にいがた県は土地とち々々で非常ひじょうに方言ほうげんがちがい新発田しばたあたりだけはまるで仙台せんだい弁のように鼻にかかる少地域ちいきなぞが介在かいざいしたりするが、いま書いたのは新潟にいがた市の方言ほうげんだ。新潟にいがたの子供こどもたちは小にしてすでに甚しく諦観ていかんが発達はったつしており、こういう言い方をするのが決けっして珍しくはないのである。それというのが彼らのオトトやオカカが常にそういう見方みかたや感かんじ方や言い方をしているからで、要ようするに先祖せんぞ代々ずッとそうだということになる。

ここに方言ほうげんを書いただけではとうてい皆さんにお分わかりにならないことが一ツあるが、新潟にいがたの方言ほうげんにはまるで唄うたうような抑揚よくようがあって、是が非でも納得なっとくさせたいと哀願あいがんしているような哀あわれさと同時どうじに自分じぶん自身おのれを小バカにし卑屈ひくつにしてもてあそんでいるような諦あきらめとユーモアがある。

新潟にいがた市の盆唄ぼんうたは次の通とおり。

「盆らてがんね茄子なすの皮の雑炊ぞうすいら。あんまテッコモリで鼻の頭をやいたとさ」

お盆だというのにオレのウチの食くい物ものは茄子なすの皮の雑炊ぞうすいだとさ。あまり山盛やまもりで鼻のさきを焼いたとさ。というわけだ。自分じぶんをわざとわるくいやらしく表現ひょうげんして笑わせてよろこぶ気風きふうである。

新潟にいがた市だけの特例とくれいだが、冬になると「湯づけ」というものをたべる。冷飯ひやめしを湯でさッと煮てタクアンぐらいをオカズにカリカリゾロゾロとすする。まことにどうも哀あわれ惨たる食たべ物もので、腹があたたまるからと称しょうするけれども実はそれが雪国ゆきぐにの貧しさの象徴しょうちょうとでも申したいようなものだ。何どの風味ふうみもない。これを越後人こうじんは自嘲じちょうして「沼垂ぬたりのまでくると信濃川しなのがわの向むかうから湯づけの音がきこえてくる」という。沼垂ぬたりのは今では新潟にいがた市だが昔は新潟にいがた市ではなかった。両者りょうしゃ信濃川しなのがわをはさんでいる。察さっするに沼垂ぬたりのには湯づけの風習ふうしゅうがないらしく、沼垂ぬたりのまでくると川の向むかうから湯づけをすする音がきこえるというのだが、そのころ信濃川しなのがわの河口かわぐちは七町半もあった。洋々たる大河おうかわである。けだしこういう大おうゲサな表現ひょうげんはまた新潟にいがたの表現ひょうげんで、彼らは生れながらにして大おうゲサな表現ひょうげんが巧妙こうみょうである。彼らは人が自殺じさつした話をするにもユーモラスにしか語らない。しかしそれが少すこしも不愉快ゆかいにきこえないのは彼らは本来ほんらい自分じぶん自身おのれを何より悪くいやらしく滑稽こっけいにしか表現ひょうげんしない根性こんじょうが逞しく確立かくりつされそれが本筋ほんすじをなして一貫いっかんしているからで、人の最悪さいあくのことを面白おかしく話をしてもイヤ味みが感かんじられない。諦観ていかんのドン底ぞこをついておって自分じぶんの葬式そうしきまで笑わらいとばすような根性こんじょうが風土ふうど的に逞しく行き渡っているのである。それが少年しょうねん少女しょうじょに特とくに強くでる。なぜかというとオトトやオカカは自分じぶんの生活せいかつ苦があっていかに生うまれつきの持前もちまえでも多少たしょうは自分じぶんを笑わらいたくないような悲かなしいやつれがあるが、子供こどもにはそれがないから、彼らの諦観ていかんはむしろ大人おとなよりも野放図のほうずもなく逞しく表あらわれてくるのである。

こういう諦観ていかんはおそらく半年はんとし雪にとざされ太陽たいようから距てられてしまう風土ふうどの特色とくしょくと、も一つ新潟にいがたは生はえぬきの港町みなとまちで色町いろまちだった。つまり遊あそぶ町だ。絃歌げんかのさざめきを古来こらいイノチにしていたような町だ。だから「新潟にいがたには男おとこの子こと杉の木は育たない」と自みずから称している言葉ことばがあって、私が小学校がっこうの時は校長こうちょう先生せんせいの訓辞くんじはいつもそれだった。私の小学校がっこうの根津ねず校長こうちょう先生せんせいは大おおいに男おとこの子こも育てようと大おおきな願ねがいをいだいていられるように見受みうけられたが、その小学校がっこうにすらも野外やがい運動うんどう場が全くない。また他の小学校がっこうに於てもそうだ。屋外おくがい運動うんどうなど不用ふようというのは新潟にいがた市民しみんの諦観ていかんと同じように風土ふうど的、気質的しつてきな考かんがえ方で、つまり女子じょしの性行せいこうをもって男子だんしに当てはめ、男おとこの子こが屋外おくがいで泥どろんこに遊あそぶようなのは悪事あくじだとすら考かんがえ、屋外おくがいで遊あそびたがる子は末おそろしき子だぐらいに考かんがえる気風きふうがあるのだ。

先日せんじつ私が久しぶりに新潟にいがたへ行ってみたら、私の学んだ小学校がっこうはまだ昔そのままで、相変らず屋外おくがいに運動うんどう場のない姿であった。子供こどものために屋外おくがい運動うんどう場を新設しんせつしてやろうというような雄々しい考かんがえを二人ふたりや三人考かんがえても多くの市民しみんが相手あいてにしないであろうことは明あきらかで「そんげなもん、いらねわ」(そんなもの、いらないよ)とオトトもオカカも軽くかたづけてしまうことは明白めいはくなのだ。

先刻せんこく湯づけの話を書いたが、誤解ごかいのないように書かき添そえるが、新潟にいがたは古来こらい遊あそぶ町だから、独特どくとくのうまい食たべ物ものは非常ひじょうに多おおいところだ。特とくに冬向むきのものに多おおい。北海道ほっかいどうの「鮭ずし」は元来がんらい新潟にいがたのもので(北海道ほっかいどうは新潟にいがた人の出稼かせぎ人にんが最もっとも多く土着どちゃくした)似たような「鮎ずし」もあり、海の魚も川の魚も美味うまいだが、土地とちの魚は多くはとれないので一般いっぱん用はよその魚かも知れない。ソバも菓子かしもわるくない。独特どくとくなのに白砂糖さとうをつけてたべる「オヤキ」というのがあるが塩アズキだから冬でも一日ついたちしかもたない。冬以外いがいはつくれない。この塩アズキに砂糖さとうをつける味が独特どくとくで、不便ふべんを承知しょうちで、ぜったいにアズキと砂糖さとうを一いっしょに煮ないところがこの土地とちの良さ、よく味覚みかくを知っているところと云いえるだろう。その点は良心的しんてきな町柄である。

『暮くらしの手帖てちょう』昭

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Where this text comes from

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First published
「暮らしの手帳」1955(昭和30)年3月
Source edition (底本)
底本:「坂口安吾選集 第十巻エッセイ1」講談社


   1982(昭和57)年8月12日第1刷発行

初出:「暮らしの手帖」

   1955(昭和30)年3月号

入力:高田農業高校生産技術科流通経済コース

校正:小林繁雄

2006年9月16日作成

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Typed by (入力)
高田農業高校生産技術科流通経済コース
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小林繁雄

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