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坂口安吾 Ango Sakaguchi 1906.10.20〜1955.02.17

阿部定という女 (浅田一博士へ)

あべさだというおんな

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御手紙てがみ本日ほんじつ廻送かいそう、うれしく拝見はいけん致しました。先日せんじつ色々御教示きょうし仰ぎました探偵たんてい小説しょうせつは目下めした『日本にぽん小説しょうせつ』という雑誌ざっしへ連載れんさいしておりますが、全部ぜんぶまとまりましたら、御送付そうふ致いたすつもりでおります。

先日せんじつ、ある雑誌ざっしの依頼いらいで例の阿部あべ定さんと対談たいだんしましたが、私には、非常ひじょうに有益ゆうえきなものでした。だいたい、女というものは男次第しだいで生長せいちょう変化へんかのあるものだろうと思いますが、相手あいての吉さんという男にはマゾヒズムの傾向けいこうがあったと思いますが、お定さださんは極きわめて当あたり前まえな、つまり、一番いちばん女らしい女のように思われます。東京とうきょうの下町育ち、花柳かりゅう界や妾などもしていましたから、一般いっぱんの主婦しゅふとは違っていますが、然しかしまア最もっとも平凡へいぼんな女という感かんじを受うけました。

トンチンカンな対談たいだんですが、お定さださんが大変たあいへんマジメで、面白おもしろいかったのです。

いつごろから恋をしましたか、と私がきゝましたら、吉さんとあゝなるまで、つまり三十三じゅうそうかの年まで恋をしたことはなかった。あれが自分じぶんには一代いちだいの恋だった。然しかし、もし、これからでも、恋ができるなら、したいとは思っている。

そのときお定さださんはこう附けたして言いました。世よの中なかの大概たいげいの女の人は一度ひとたびも恋をしないで死しぬ人も多おおいのだから、私は幸福こうふくなのだろう、と。

然しかし、お定さださんは男が好すきになった。そして、その男にだまされた、そういうことは十六七ろくしちから何度もあったのですが、それを恋愛れんあいとは考かんがえていないのです。そして、自分じぶんの愛あいする人に自分じぶんも亦愛された、相思そうし相愛そうあい、つまり吉さんとの場合ばあいだけが恋であり、三十さんじゅういくつで一代いちだいの恋を始はじめて知った。世の多くの女の人は恋を知らずに死しぬ人も多おおい、そう申しておるのであります。

又、お定さださんは、自分じぶんはあのことは実際じっさいは少すこしも後悔こうかいしていない、世よの中なかの女の人はみんな、もし本当ほんとに恋をすればあゝなるだろうと思っている、みんな、同おんなじものを持っている筈と申していました。

事実じじつ、あの出来事できごとには犯罪はんざい性というものは全く無なあいように思われます。吉さんの方にはマゾヒズムの傾向けいこうがあって房事ぼうじの折に首をしめて貰もらう。殆ほとんど窒息ちっそくに近いまで常に首をしめて貰もらう例だそうで、たまたま本当ほんとに死んでしまった、お定さださんは始はじめは気がつかなかった程で、そういうクライマックスで死んでいった吉さんを殺ころしたような気がしないのは自然じねんであり、むしろそのまま死んでしまった吉さんに無限むげんの愛情あいじょうを覚おぼえざるを得なかったのは当然とうぜんだろうと思います。まったく二人ふたりだけの至高しこうの世界せかいに於おける一つの愛情あいじょうの完結かんけつみたいなもので、吉さんが死して自分じぶんと共に一つに帰したような思おもいもしたろうと思われます。

そういうアゲクに吉さんの虚むなしい屍体したいを置き残して立たち去さるとすれば、最愛さいあいの形見かたみに一物いちぶつを斬きりとることも自然じねんであり、最もっとも女らしい犯罪はんざい、女の弱さそのものゝ姿で、まことに同情どうじょうすべきものゝ如くに思われます。

八百屋やおやお七しちを娘の狂恋きょうれんとすれば、お定さださんは女の恋であり、この二つはむしろ多く可憐かれんなる要素ようそを含ふくむもので、特とくに現実げんじつの女としてのお定さださんというものは、たゞ弱く、ひたむきな、そして案外あんがいにもつゝましやかな女、極きわめて平凡へいぼんそのものゝ女、そういう感かんじの可憐かれんな人でありました。

私はお定さださんのような事件じけんは正ただしい意味いみで世間せけんの人々が理解りかいする必要ひつようがあると考かんがえていますが、だいたい男女なんにょの肉体にくたい生活せいかつの合理性りせいというものが、もっと公開こうかい的に論議せられることが望のぞましいと思おもうものです。

我々の精神せいしん文化ぶんか、精神せいしん上の良心りょうしん、正義せいぎというようなものが、肉体にくたい生活せいかつの合理性りせいまで隠蔽いんぺいの上で、からくも歪められた在り方をとゝのえている、それでは魂の平衡へいこうは在り得ず、健全けんぜんな精神せいしん生活せいかつも在り得ない。

私の文学ぶんがくの真意しんいは多く誤読ごどくされていると思いますが、私は然しかしこの過渡かと期には、まだまだ絶望ぜつぼうはしていません。むしろ希望きぼうをいだいております。

私は精神せいしん分析ぶんせき学を高く評価ひょうかするものですが、我々の精神せいしん肉体にくたいの合理ごうり的な平衡へいこうを増大ぞうだいするためにはタブーというものを合理ごうり的になしくずしに減へらして行ゆく、そういう理性りせい的な発掘はっくつと建築けんちく作業さぎょうが行ぎょうわれなければならないと思おもうものです。

いずれ又、お目にかゝって、ゆっくり色々お話をうかゞいたいと思います。私は三十さんじゅう一日ついたちから、約一カ月げつぐらい仕事しごとのために温泉おんせんへ行きますが(東京とうきょうは電燈でんとうがつきませんので)いずれ帰京ききょうの上、お目にかゝる日をたのしみに致しております。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「Gメン 第二巻第一号」Gメン社、1948(昭和23)年1月1日
Source edition (底本)
底本:「坂口安吾全集 06」筑摩書房


   1998(平成10)年7月20日初版第1刷発行

底本の親本:「Gメン 第二巻第一号」Gメン社

   1948(昭和23)年1月1日発行

初出:「Gメン 第二巻第一号」Gメン社

   1948(昭和23)年1月1日発行

入力:tatsuki

校正:noriko saito

2008年11月16日作成

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Typed by (入力)
tatsuki
Proofread by (校正)
noriko saito

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