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新美南吉 Nankichi Niimi 1913.07.30〜1943.03.22

赤とんぼ

あかとんぼ

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赤あかとんぼは、三回ほど空をまわって、いつも休やすむ一本いっぽんの垣根かきねの竹の上に、チョイととまりました。

山里やまざとの昼は静しずかです。

そして、初夏しょかの山里やまざとは、真実ほんとうに緑につつまれています。

赤あかとんぼは、クルリと眼玉めだまを転てんじました。

赤あかとんぼの休んでいる竹には、朝顔あさがおのつるがまきついています。昨年さくねんの夏、この別荘べっそうの主人しゅじんが植うえていった朝顔あさがおの結んだ実が、また生はえたんだろう――と赤あかとんぼは思いました。

今はこの家には誰だれもいないので、雨戸あまどが淋さびしくしまっています。

赤あかとんぼは、ツイと竹の先からからだを離はなして、高だかい空に舞まい上がりました。

三四さんし人の人が、こっちへやって来ます。

赤あかとんぼは、さっきの竹にまたとまって、じっと近づいて来くる人々を見ていました。

一番いちばん最初さいしょにかけて来たのは、赤あかいリボンの帽子ぼうしをかぶったかあいいおじょうちゃんでした。それから、おじょうちゃんのお母さん、荷物にもつをドッサリ持った書生しょせいさん――と、こう三人です。

赤あかとんぼは、かあいいおじょうちゃんの赤あかいリボンにとまってみたくなりました。

でも、おじょうちゃんが怒おこるとこわいな――と、赤あかとんぼは頭をかたげました。

けど、とうとう、おじょうちゃんが前へ来たとき、赤あかとんぼは、おじょうちゃんの赤あかいリボンに飛びうつりました。

「あッ、おじょうさん、帽子ぼうしに赤あかとんぼがとまりましたよ。」と、書生しょせいさんがさけびました。

赤あかとんぼは、今におじょうちゃんの手が、自分じぶんをつかまえに来やしないかと思って、すぐ飛とぶ用意よういをしました。

しかし、おじょうちゃんは、赤あかとんぼをつかまえようともせず、

「まア、あたしの帽子ぼうしに! うれしいわ!」といって、うれしさに跳とび上がりました。

つばくらが、風のようにかけて行きます。

かあいいおじょうちゃんは、今まで空家あきやだったその家に住すみこみました。もちろん、お母さんや書生しょせいさんもいっしょです。

赤あかとんぼは、今日きょうも空をまわっています。

夕陽ゆうひが、その羽はねをいっそう赤くしています。

「とんぼとんぼ

赤あかとんぼ

すすきの中は

あぶないよ」

あどけない声で、こんな歌をうたっているのが、聞こえて来ました。

赤あかとんぼは、あのおじょうちゃんだろうと思って、そのまま、声のする方へ飛んで行きました。

思った通とおり、うたってるのは、あのおじょうちゃんでした。

おじょうちゃんは、庭で行水ぎょうずいをしながら、一人ひとりうたってたのです。

赤あかとんぼが、頭の上へ来くると、おじょうちゃんは、持ってたおもちゃの金魚きんぎょをにぎったまま、

「あたしの赤あかとんぼ!」とさけんで、両手りょうてを高くさし上げました。

赤あかとんぼは、とても愉快ゆかいです。

書生しょせいさんが、シャボンを持ってやって来ました。

「おじょうさん、背中せなかを洗あらいましょうか?」

「いや――」

「だって――」

「いや! いや! お母さんでなくっちゃ――」

「困こまったおじょうさん。」

書生しょせいさんは、頭をかきながら歩あるき出でるしましたが、朝顔あさがおの葉にとまって、ふたりの話をきいてる赤あかとんぼを見みつけると、右手みぎてを大きくグルーッと一回まわしました。

妙みょうな事をするな――と思って、赤あかとんぼはその指先ゆびさきを見ていました。

つづけて、グルグルと書生しょせいさんは右手みぎてをまわします。そして、だんだん、その円を小さくして赤あかとんぼに近づいて来ます。

赤あかとんぼは、大おおきな眼めをギョロギョロ動かして、書生しょせいさんの指先ゆびさきをみつめています。

だんだん、円は小さく近ちかく、そして早くまわって来ます。

赤あかとんぼは、眼めまいをしてしまいました。

つぎの瞬間しゅんかん、赤あかとんぼは、書生しょせいさんの大おおきな指にはさまれていました。

「おじょうさん、赤あかとんぼをつかまえましたよ。あげましょうか?」

「ばか! あたしの赤あかとんぼをつかまえたりなんかして――山田やまだのばか!」

おじょうちゃんは、口をとがらして、湯ゆを書生しょせいさんにぶっかけました。

書生しょせいさんは、赤あかとんぼをはなして逃にげて行きました。

赤あかとんぼは、ホッとして空へ飛とび上あがりました。良いおじょうちゃんだな、と思おもいながら――

空は真青まっさおに晴はれています。どこまでも澄すんでいます。

赤あかとんぼは、窓まどに羽はねを休めて、書生しょせいさんのお話に耳をかたむけています、かあいいおじょうちゃんと同じように。

「それからね、そのとんぼは、怒おこって大蜘蛛ぐものやつにくいかかりました。くいつかれた大蜘蛛ぐもは、痛いたい! 痛いたい! 助たすけてくれってね、大声たいせいにさけんだのですよ。すると、出て来たわ、出て来たわ、小ちいさな蜘蛛くもが、雲のように出て来ました。けれども、とんぼは、もともと強いんですから、片端かたはしから蜘蛛くもにくいついて、とうとう一匹ぴき残のこらず殺ころしてしまいました。ホッとしてそのとんぼが、自分じぶんの姿すがたを見みると、これはまあどうでしょう、蜘蛛くもの血が、まっかについてるじゃありませんか。さあ大変たあいへんだって、とんぼは、泉へ飛んで行って、からだを洗あらいました。が、赤あかい血はちっともとれません。で、神様にお願ねがいしてみると、お前まえは、罪つみの無なあい蜘蛛くもをたくさん殺ころしたから、そのたたりでそんなになったんだと、叱しかられてしまいました。そのとんぼが今の赤あかとんぼなんですよ。だから、赤あかとんぼは良くないとんぼです。」

書生しょせいさんのお話は終おわりました。

私わたしは、そんな酷むごい事をしたおぼえはないがと、赤あかとんぼが、首をひねって考かんがえましたとき、おじょうちゃんが大声たいせいでさけびました。

「嘘うそだ嘘うそだ! 山田やまだのお話は、みんな嘘うそだよ。あんなかあいらしい赤あかとんぼが、そんな酷むごい事をするなんて、蜘蛛くもの赤血せっけつだなんて――みんな嘘うそだよ。」

赤あかとんぼは、真実ほんとうにうれしく思いました。

例の書生しょせいさんは、顔をあかくして行ってしまいました。

窓まどから離はなれて、赤あかとんぼは、おじょうちゃんの肩かたにつかまりました。

「まア! あたしの赤あかとんぼ! かあいい赤あかとんぼ!」

おじょうちゃんの瞳ひとみは、黒く澄すんでいました。

暑あつかった夏は、いつの間にかすぎさってしまいました。

朝顔あさがおは、垣根かきねにまきついたまま、しおれました。

鈴虫すずむしが、涼すずしい声でなくようになりました。

今日きょうも、赤あかとんぼは、おじょうちゃんに会いにやって来ました。

赤あかとんぼは、ちょっとびっくりしました。それは、いつも開いている窓まどが、皆みなしまっているからです。

どうしたのかしら? と、赤あかとんぼが考かんがえたとき、玄関げんかんから誰だれか跳とび出だして来ました。

おじょうちゃんです。あのかあいいおじょうちゃんです。

けれども、今日きょうのおじょうちゃんは、悲かなしい顔かおつきでした。そして、この別荘べっそうへはじめて来たときかぶってた、赤あかいリボンの帽子ぼうしを着け、きれいな服ふくを着ていました。

赤あかとんぼはいつものように飛んで行って、おじょうちゃんの肩かたにとまりました。

「あたしの赤あかとんぼ……かあいい赤あかとんぼ……あたし、東京とうきょうへ帰かえるのよ、もうお別れよ。」

おじょうちゃんは、小ちいさい細こまい声で泣なくように言いました。

赤あかとんぼは悲しくなりました。自分じぶんもおじょうちゃんといっしょに東京とうきょうへ行きたいなと思いました。

そのとき、おじょうちゃんのお母さんと、赤あかとんぼにいたずらをした書生しょせいさんが、出てまいりました。

「ではまいりましょう。」

皆みな、歩あるき出でるしました。

赤あかとんぼは、やがておじょうちゃんの肩かたを離はなれて、垣根かきねの竹の先にうつりました。

「あたしの赤あかとんぼよ、さようなら――」

かあいいおじょうちゃんは、なんべんもふりかえっていいました。

けど、とうとう、皆みなの姿すがたは見えなくなってしまったのです。

もう、これからは、この家は空家あきやになるのかな――赤あかとんぼは、しずかに首をかたむけました。

淋さびしい秋の夕方ゆうがたなど、赤あかとんぼは、尾花おばなの穂先ほさきにとまって、あのかあいいおじょうちゃんを思い出しています。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

Source edition (底本)
底本:「ごんぎつね 新美南吉童話作品集1」てのり文庫、大日本図書


   1988(昭和63)年7月8日第1刷発行

親本:「校定 新美南吉全集」大日本図書

入力:もりみつじゅんじ

校正:鈴木厚司

2003年5月18日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
Typed by (入力)
もりみつじゅんじ
Proofread by (校正)
鈴木厚司

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