Nihoner

江戸川乱歩 Ranpo Edogawa 1894.10.21〜1965.07.28

赤い部屋

あかいへや

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異常いじょうな興奮こうふんを求もとめて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人ひとりだった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤あかい部屋へや」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深ぶかい肘掛ひじかけ椅子いすに凭もたれ込んで、今晩こんばんの話手が何事なにごとか怪異かいいな物語ものがたりを話はなし出だすのを、今か今かと待構まちかまえていた。

七人の真中まなかには、これも緋色ひいろの天鵞絨びろうどで覆おおわれた一つの大おおきな円卓子まるテーブルの上に、古風こふうな彫刻ちょうこくのある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太ふとい蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺ゆれながら燃もえていた。

部屋へやの四周ししゅうには、窓や入口いりぐちのドアさえ残ざんさないで、天井てんせいから床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊ゆたかな襞ひだを作って懸かけられていた。ロマンチックな蝋燭ろうそくの光が、その静脈じょうみゃくから流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒ぐろい色をした垂絹たれぎぬの表に、我々七人の異様いように大おおきな影法師かげぼうしを投なげていた。そして、その影法師ほうしは、蝋燭ろうそくの焔につれて、幾つかの巨大きょだいな昆虫こんちゅうでもあるかの様に、垂絹たれぎぬの襞の曲線きょくせんの上を、伸のびたり縮んだりしながら這い歩いていた。

いつもながらその部屋へやは、私を、丁度ちょうどとほうもなく大おおきな生物せいぶつの心臓しんぞうの中に坐ってでもいる様な気持きもちにした。私にはその心臓しんぞうが、大きさに相応そうおうしたのろさを以もって、ドキンドキンと脈みゃくうつ音さえ感かんじられる様に思えた。

誰も物を云わなかった。私は蝋燭ろうそくをすかして、向側むかいがわに腰掛こしかけけた人達の赤黒く見まみえる影の多おおい顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議ふしぎにも、お能の面の様に無表情ひょうじょうに微動びどうさえしないかと思われた。

やがて、今晩こんばんの話手と定さだめられた新入しんにゅう会員かいいんのT氏は、腰掛こしかけたままで、じっと蝋燭ろうそくの火を見つめながら、次の様に話はなし始はじめた。私は、陰影いんえいの加減かげんで骸骨がいこつの様に見まみえる彼かの顎が、物を云いう度にガクガクと物淋しく合あわさる様子ようすを、奇怪きっかいなからくり仕掛じかけの生人形にんぎょうでも見みる様な気持きもちで眺ながめていた。

私は、自分じぶんでは確たしかに正気しょうきの積ずもりでいますし、人も亦またその様に取扱とりあつかいって呉くれていますけれど、真実まったく正気しょうきなのかどうか分わかりません。狂人きょうじんかも知れません。それ程でないとしても、何かの精神せいしん病者びょうしゃという様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間じんかんは、不思議ふしぎな程この世よの中なかがつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈たいくつで退屈たいくつで仕様しようがないのです。

初はじめの間うちは、でも、人並なみに色々の道楽どうらくに耽ふけった時代じだいもありましたけれど、それが何一つ私の生うまれつきの退屈たいくつを慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世よの中なかの面白おもしろいいことというものはお仕舞しまいなのか、なあんだつまらないという失望しつぼうばかりが残のこるのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例たとえば、これこれの遊あそびは面白おもしろい、きっとお前まえを有頂天うちょうてんにして呉くれるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速さそくやって見ようと乗気のりきになる代りに、まず頭の中でその面白おもしろいさを色々と想像そうぞうして見みるのです。そして、さんざん想像そうぞうを廻めぐらした結果けっかは、いつも「なあに大たいしたことはない」とみくびって了しまうのです。

そんな風で、一時いちじ私は文字もんじ通とおり何もしないで、ただ飯めしを食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮くらしていました。そして、頭の中丈だけで色々な空想くうそうを廻らしては、これもつまらない、あれも退屈たいくつだと、片端かたはしからけなしつけながら、死しぬよりも辛からい、それでいて人目ひとめには此上このうえもなく安易あんいな生活せいかつを送っていました。

これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇きょうぐうだったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強こわいられた労働ろうどうにしろ、兎とに角かく何かすることがあれば幸福こうふくです。それとも又、私が飛切とびきりの大金持かねもちででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金たいきんの力で、歴史上しじょうの暴君達きんだちがやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯ゆうぎや、その他様々の楽たのしみに耽ふけることが出来しゅったいたでありましょうが、勿論もちろんそれもかなわぬ願ねがいだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭ものぐさ太郎たろうの様に、一層いっそう死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮くらす他はないのでした。

こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併しかし世よの中なかの事柄ことがらに退屈たいくつし切っている点では我々だって決けっしてお前まえにひけを取とりはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常いじょうな興奮こうふんを求めようとしているのではないか。お前まえもよくよく退屈たいくつなればこそ、今、我々の仲間なかまへ入って来たのであろう。それはもう、お前まえの退屈たいくつしていることは、今更いまさらら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違そういありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈たいくつの説明せつめいをする必要ひつようはないのでした。そして、あなた方がたが、そんな風に退屈たいくつがどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜こんやこの席に列して、私の変へんてこな身みの上うえ話をお話はなしようと決心けっしんしたのでした。

私はこの階下かいかのレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然じねんここにいらっしゃる御主人みうしとも御心安く、大分おういた以前いぜんからこの「赤あかい部屋へや」の会のことを聞知ぶんちっていたばかりでなく、一再いっさいならず入会かいすることを勧すすめられてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈たいくつ屋の私が、今日きょうまで入会いりあいしなかったのは、私が、失礼しつれいな申分もうしぶんかも知れませんけれど、皆さんなどとは比くらべものにならぬ程退屈たいくつし切っていたからです。退屈たいくつし過すぎていたからです。

犯罪はんざいと探偵たんていの遊戯ゆうぎですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊しんれい上の様々の実験じっけんですか、Obscene Picture の活動かつどう写真しゃしんや実演じつえんやその他のセンジュアルな遊戯ゆうぎですか、刑務所むしょや、瘋癲ふうてん病院びょういんや、解剖かいぼう学教室きょうしつなどの参観さんかんですか、まだそういうものに幾いくらかでも興味きょうみを持もち得うるあなた方がたは幸福こうふくです。私は、皆さんが死刑しけい執行しゅぎょうのすき見みを企くわだてていられると聞いた時でさえ、少すこしも驚おどろきはしませんでした。といいますのは、私は御主人みうしからそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽あき飽あきしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯ゆうぎ、といっては少すこし空恐そらおそろしい気がしますけれど、私にとっては遊戯ゆうぎといってもよい一つの事柄ことがらを発見はっけんして、その楽たのしみに夢中むちゅうになっていたからです。

その遊戯ゆうぎというのは、突然とつぜん申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺ひとごろしなんです。ほんとうの殺人さつじんなんです。しかも、私はその遊戯ゆうぎを発見はっけんしてから今日きょうまでに百人に近い男や女や子供こどもの命を、ただ退屈たいくつをまぎらす目的もくてきの為ばかりに、奪って来たのです。あなた方がたは、では、私が今その恐おそろしい罪悪ざいあくを悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点がってんなさるかも知れませんが、ところが、決けっしてそうではないのです。私は少すこしも悔悟かいごなぞしてはいません。犯した罪を恐おそれてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃ちかごろになってその人殺ひとごろしという血腥ちなまぐさい刺戟しげきにすら、もう飽あきあきして了ったのです。そして、今度こんどは他人たにんではなくて自分じぶん自身おのれを殺ころす様な事柄ことがらに、あの阿片アヘンの喫煙きつえんに耽り始はじめたのです。流石さすがにこれ丈たけは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢がまんに我慢がまんをして来たのですけれど、人殺ひとごろしさえあきはてては、もう自殺じさつでも目論もくろむ外には、刺戟しげきの求もとめ様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片あへんの毒の為に命をとられて了じまうでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来できる間に、私は誰だれかに私のやって来た事を打開だかいけて置おき度いのです。それには、この「赤あかい部屋へや」の方々が一番いちばんふさわしくはないでしょうか。

そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間なかま入いりがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身みの上うえ話を聞いて貰もらい度いばかりに、会員かいいんの一人ひとりに加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入しんにゅう会の者は必かならず最初さいしょの晩に、何か会の主旨しゅしに副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩こんばんその私の望のぞみを果はたす機会きかいをとらえることが出来しゅったいた次第しだいなのです。

それは今からざっと三年計ばかり以前いぜんのことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟しげきに飽あきはてて何どの生甲斐いきがいもなく、丁度ちょうど一匹の退屈たいくつという名前なまいを持った動物どうぶつででもある様に、ノラリクラリと日を暮くらしていたのですが、その年の春、といってもまだ寒さむい時分じぶんでしたから多分たぶん二月の終おわりか三月の始はじめ頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事できごとにぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実げにその晩の出来事できごとが動機どうきを為なしたのでした。

どこかで夜更よふかしをした私は、もう一時いちじ頃でしたろうか。少すこし酔っぱらっていたと思います。寒さむい夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路いえじを辿っていました。もう一つ横町よこちょうを曲きょくると一町ばかりで私の家だという、その横町よこちょうを何気なくヒョイと曲まがりますと、出会頭であいがしらに一人ひとりの男が、何か狼狽ろうばいしている様子ようすで慌ててこちらへやって来くるのにバッタリぶつかりました。私も驚おどろきましたが男は一層いっそう驚いたと見えて暫しばらく黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈がいとうの光で私の姿を認したためるといきなり「この辺に医者いしゃはないか」と尋たずねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男は自動じどう車の運転うんてん手で、今そこで一人ひとりの老人ろうじんを(こんな夜中やちゅうに一人ひとりでうろついていた所を見みると多分たぶん浮浪ふろうの徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我けがをさせたというのです。なる程ほど見れば、すぐ二三間みつま向むかうに一台の自動じどう車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒たおれてウーウーと幽かすかにうめいています。交番こうばんといっても大分おういた遠方えんぽうですし、それに負傷者しょうしゃの苦しみがひどいので、運転うんてん手は何はさて置き先まず医者いしゃを探そうとしたのに相違そういありません。

私はその辺の地理ちりは、自宅じたくの近所きんじょのことですから、医院いいんの所在しょざいなどもよく弁わきまえていましたので早速さそくこう教えてやりました。

「ここを左の方へ二町ばかり行ゆくと左側さそくに赤あかい軒燈の点ついた家がある。M医院いいんというのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」

すると運転うんてん手はすぐ様助手じょしゅに手伝わせて、負傷者しょうしゃをそのM医院いいんの方へ運んで行きました。私は彼等の後うしろ姿すがたが闇の中に消きえるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独ひとり者ものなんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。

実際じっさい何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件じけんを忘わすれて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日あくるひ眼を醒さました時、私は前夜ぜんやの一寸ちょっとした出来事できごとをまだ覚おぼえていました。そしてあの怪我けが人は助かったかしらなどと、要もないことまで考かんがえ始はじめたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。

「ヤ、俺は大変たあいへんな間違まちがいをして了ったぞ」

私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決けっして正気しょうきを失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我けが人をM医院いいんなどへ担ぎ込ませたのでしょう。

「ここを左の方へ二町ばかり行ゆくと左側さそくに赤あかい軒燈の点いた家がある……」

というその時の言葉ことばもすっかり覚おぼえています。なぜその代りに、

「ここを右の方へ一町ばかり行ゆくとK病院びょういんという外科げか専門せんもんの医者いしゃがある」

と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判ひょうばんの藪やぶ医者いしゃで、しかも外科げかの方は出来できるかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対はんたいの方角ほうがくでMよりはもっと近い所に、立派りっぱに設備せつびの整ったKという外科げか病院びょういんがあるではありませんか。無論むろん私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故なぜ間違ったことを教えたか。その時の不思議ふしぎな心理しんり状態じょうたいは、今になってもまだよく分わかりませんが、恐おそらく胴忘どうわすれとでも云いうのでしょうか。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「新青年」博文館、1925(大正14)年4月
Source edition (底本)
底本:「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」光文社文庫、光文社

   2004(平成16)年7月20日初版1刷発行

   2012(平成24)年8月15日7刷発行

底本の親本:「江戸川乱歩全集 第七巻」平凡社

   1931(昭和6)年12月

初出:「新青年」博文館

   1925(大正14)年4月

※初出時の表題は「連続短篇探偵小説(三)」です。

※「飽き飽き」と「飽きあき」、「深切」と「親切」の混在は、底本通りです。

※底本巻末の編者による語注は省略しました。

入力:門田裕志

校正:岡村和彦

2016年6月10日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
Typed by (入力)
門田裕志
Proofread by (校正)
岡村和彦

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