Nihoner

江戸川乱歩 Ranpo Edogawa 1894.10.21〜1965.07.28

暗黒星

あんこくせい

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恐ろしき前兆

東京とうきょう旧市内しないの、震災しんさいの大火たいかにあわなかった地域ちいきには、その後発展はってんした新あたらしい大東京とうきょうの場末ばすえなどよりも、遥はるかに淋さびしい場所ばしょがいくつもある。東京とうきょうのまん中なかに、荒れ果はてた原はらっぱ、倒たおれた塀、明治あきはる時代じだいの赤煉瓦あかれんがの建築けんちくが、廃墟はいきょのように取とり残のこるされているのだ。

麻布あざぶのK町もそういう大都会とかいの廃墟はいきょの一つであった。震災しんさいに焼きはらわれた数十すうじゅう軒の家屋かおくのあとが、一面いちめんの草原くさはらに取り囲まれるようにして、青苔あおごけの生えた煉瓦れんが塀がつづき、その中の広ひろい地所じしょに、時代じだいのために黒くくすんだ奇妙きみょうな赤煉瓦れんがの西洋館ようかんが建っている。化ばけもの屋敷やしきのように建っている。

明治あきはる時代じだい、物好ものずきな西洋人ひろとが住宅じゅうたくとして建てたものであろう。普通ふつうの西洋館ようかんではなくて、建物たてもんの一方いっぽうに、やはり赤煉瓦れんがの円塔のようなものが聳そびえているし、建物たてもん全体ぜんたいの感かんじが、明治あきはる時代じだいの、つまり十九世紀せいき末のものではなくて、それよりも一世紀せいきも昔の、西洋画ようがなどでよく見みる、まあお城といった方がふさわしいような感かんじの奇妙きみょうな建物たてもんであった。

そこは大おおきな屋敷やしきばかり並んだ町に囲まれているので、めったに通とおりかかる人もないような、大都会とかいの盲点もうてんともいうべき場所ばしょであったが、もしわれわれが道にでも迷って、その西洋館ようかんの前を通ったとすれば、突然とつぜん夢の世界せかいへはいったような感かんじがしたに違いない。ああ、これが東京とうきょうなのかしらと、狐きつねにつままれたように思ったことであろう。それほど、その場所ばしょと建物たてもんとは、異国いこく的で、現代げんだいばなれがしていた。

年代としよをはっきりしるすことは差さし控ひかえるが、ある年の春も半なかばのどんよりと曇った夜のことであった。その奇妙きみょうな赤煉瓦れんがの建物たてもんの中に、五、六人のしめやかな集まりがもよおされていた。といっても、廃墟はいきょに巣すくう盗賊とうぞくなどのたぐいではない。その西洋館ようかんに住すむ家族かぞくたちの集まりなのである。この古城こじょうのような建物たてもんには、人が住んでいたのだ。奇人きじん資産しさん家として人にも知られた伊志田いしだ鉄造てつぞう氏一家かずやのものが住んでいたのだ。近所きんじょの人はその伊志田いしだ氏の姓を取って、この怪西洋館ようかんを「伊志田いしだ屋敷やしき」とも「伊志田いしださんのお城」とも呼んでいた。

「お城」には五、六人の家族かぞくと、三、四人の召使めしつかいとが住んでいるらしかったが、夜になれば、どの窓も明あかりが消えて、建物たてもん全体ぜんたいがまっ黒くろな大入道にゅうどうのように見えた。昼間ちゅうかんでも、「お城」はひっそりと静まり返っていて、建物たてもんの広ひろいせいもあったのだろうが、二階にかいの窓に人の影の映うつることも稀まれで、そとからはまるで空あき家やのように感かんじられた。時ときたま窓から人の顔などが覗のぞいていると、なんだか物ものの怪けのように無気味きみで、通とおりかかる付近ふきんの人を怖がらせるほどであった。

そういうお城の中の、一いちばん広ひろい客間きゃくまに、五、六人の人影ひとかげが、声もなく腰かけていた。電燈でんとうは消えて、まっ暗くらな闇やみの中に、それらの人影ひとかげはほとんど身動みうごきもせず、じっと静まり返っていた。

「兄さま、どうなすったの? 早くしなくちゃあ……」

闇の中ちゅうから可愛かわいらしい少女しょうじょの声が、叱しかるような調子ちょうしで響いた。

「ウン、すぐだよ。なんだか今夜こんやは器械きかいがいうことを聞かないんだ。よしっ、さあはじめるよ」

若々しくやさしい男の声が答えたかと思おもうと、突然とつぜんジーンとモーターの回転かいてんする音がして、カタカタカタと歯車はぐるまが鳴なり出した。そして、部屋へやの一方いっぽうの壁が一間けん四方しかたほどボーッと薄明かるくなって、そこに人の姿がうごめきはじめた。

十六ミリの映写えいしゃがはじまったのだ。なんでもないことなのだ。しかし、それが果はたしてなんでもない映画えいが鑑賞かんしょうとして終ったかどうか。その夜は何かしら家族かぞくの人たちを脅えさせるようなものが、その部屋へやの闇の中にたちこめていた。

十六ミリのフィルムには伊志田いしだ家の家族かぞくの人たちが写っていた。広ひろい庭の樹立こだちを背景はいけいにして、余あまりはっきりしない人影ひとかげが、五十ごじゅう歳ほどのでっぷりしたひげのある紳士しんしや、その夫人ふじんらしい人や、二十にじゅう二、三の美うつくしい令嬢れいじょうや、十六、七歳の可愛かわいらしい女子じょし学生がくせいや、腰の二つに折れたようになったひどい年寄としよりのお婆さんなどが、まるで幽霊ゆうれいのように、暗ぐらい樹立こだちの前を妙にノロノロと右往うおう左往さおうしていた。

「ほら、僕の大写おううつしだよ」

器械きかいをあつかっていた黒ぐろい影が、又やさしい声で言ったかと思おもうと、スクリーンの画面がめんがパッと明かるくなって、一間四方しかた一杯いっぱいの大おおきな人の顔が現あらわれた。まるで女のように美うつくしい二十歳はたちあまりの青年せいねんの顔である。長ながいつやつやした髪をオールバックにして、派手はでな縞しまのダブル・ブレストを着ている。まっ白しろなワイシャツの襟えり、大柄おうがらな模様もようのネクタイ。「僕の大写おううつしだよ」と言ったのをみると、今映写えいしゃ機のそばに立って技師ぎしを勤ずとめているのが、この美貌びぼうの持もち主ぬしに違いない。

スクリーンの美うつくしい顔がニッコリした。睫毛まつげの長ながい一重かずしげ瞼まぶたが夢見ゆめみるように細くなって、片頬かたほおに愛あいらしいえくぼができて、花弁かべんのような唇から、ニッと白じろい歯が覗のぞいた。だが、その笑わらいがまだ完成かんせいしない前に、どうしたことか、カタカタと鳴っていた歯車はぐるまが、何かにつかえたように、音を止とどめて、同時どうじにスクリーンの巨大きょだいな美貌びぼうが、笑いかけたままの表情ひょうじょうで、生命いのちを失ったかの如ごとく静止せいししてしまった。

美青年せいねんの技師ぎしが不慣ふなれであったせいか、咄嗟とっさの場合ばあい、映写えいしゃ機の電燈でんとうを消けすのを忘わすれて、ぼんやりしていたものだから、レンズの焦点しょうてんの烈はげしい熱が、たちまちフィルムを焼やきはじめ、先まず美青年せいねんの右の眼にポッツリと黒ぐろい点が発生はっせいしたかと思おもうと、みるみる、それがひろがって、眼全体ぜんたいを空虚くうきょな穴にしてしまった。美うつくしい右の眼は内障眼そこひのように視力しりょくを失ってしまった。

一瞬いっしゅんにして眼球がんきゅうが溶けくずれ、眼窩がんかの漿液しょうえきが流ながれ出だすように、その焼やけ穴あなは眼の下から頬にかけて、無気味きみにひろがって行き、愛あいらしいえくぼをも蔽おおいつくしてしまった。美青年せいねんの半面はんめんはいまわしい病のためにくずれるように、眼も眉まゆも口も一つに流ながれゆがんで行った。

「兄さま、いけないわ。早く!」

少女しょうじょの甲高かんだかい声と、ほとんど同時どうじに、カチッとスイッチを切ぎる音がして、たちまちスクリーンが闇に蔽われ、醜みにくい歪ゆがんだ顔の大写おううつしは、幻のように消え去った。やっと技師ぎしが映写えいしゃ機の電燈でんとうを消したのである。

「電燈でんとうをつけましょうか」

これは、闇の中ちゅうからの中年ちゅうねんの婦人ふじんの声であった。

「なあに、大丈夫だいじょぶです。すぐ映うつりますよ」

そして、何かしばらく映写えいしゃ機をいじくっていたが、間もなくカタカタという歯車はぐるまの音が起こって、スクリーンに次の場面ばめんが映うつりはじめた。

一分いちぶんほどは何事なにごともなく、家族かぞくらしい人たちの動作どうさが次々と映うつし出でるされたが、やがて、又大写おううつしの場面ばめんがきた。今度こんどは美青年せいねんとほとんど同年輩ねんぱいに見まみえる美しいお嬢さんの顔であった。美青年せいねんの美しさを凄艶せいえんと言い得えるならば、このお嬢さんの美しさは華麗かれいであった。桃色ももいろの牡丹ぼたんの花が今咲きそめたようにあでやかであった。

だが、なんという不思議ふしぎな偶然ぐうぜんであろう。画面がめんの大写おううつしとなるや否や、又しても映写えいしゃ機の回転かいてんがピッタリと止まった。そして、人々がギョッとしたようにスクリーンを見つめているうちに、そのお嬢さんの牡丹ぼたんのように美うつくしい顔の唇の辺に、ポツリと黒点こくてんが現あらわれたかと思おもうと、まるで夕立ゆうだち雲がひろがりでもするように、ジワジワと、しかも非常ひじょうな速さで、恐おそろしい焼やけ焦こげの痕あとが唇全体ぜんたいを蔽い消していった。

唇のなくなったお嬢さんの巨大きょだいな顔が、眼と頬ほおだけで笑っていた。あでやかに笑っていた。だが、それがあでやかであればあるほど、溶けて流ながれた唇のあとが物凄ものすごく恐ろしかった。しかもその溶解ようかいは唇だけにとどまらず、ちょうど口からおびただしい液体えきたいが流ながれ出だす感かんじで、みるみる下顎したあご全体ぜんたいを蔽い尽し、たちまち美うつくしい笑顔えがおの下半分はんぶんを身震みぶるいするような化物ばけものの形相けいそうに変えてしまった。

一間四方しかたの巨大きょだいな顔が、しかもそれを見物けんぶつしている人自身おのれの顔が、ハッとする間に、なんともえたいの知れぬ怪物かいぶつに変って行ゆく恐ろしさ。フィルム面上おもての焼やけ焦こげは、二ミリか三ミリなのだ。それがかすかな焔ほのおを発して燃もえるのだ。しかし、スクリーンの上には、千倍万倍に拡大かくだいされて写される。燃もえひろがる早さも、焼やけ焦こげ独特どくとくのジワジワした感かんじであるが、それが千倍万倍の速さになって、顔面がんめんの皮膚ひふを這はいひろがるのだ。溶けただれて行ゆくように、虫に喰くわれて行ゆくように、一瞬いっしゅんにしてわが相好そうごうの変って行ゆく恐ろしさ。そのなんとも言えぬ恐怖きょうふは、自分じぶん自身おのれの大写おううつしの映画えいが面が焼やけて行ゆくのを、実際じっさいに見た人でなければ、想像そうぞうできないかもしれぬ。

それは、血ちみどろになって手術しゅじゅつを受うける恐ろしさ、わが顔が醜悪しゅうあくなる怪物かいぶつになって汚されてゆく無気味きみさ、いや、そういう現実げんじつ的なものでなくて、思わずうめき声ごえを立たてるような悪夢あくむの世界せかいでのみ経験けいけんし得える戦慄せんりつであった。

美青年せいねんの映写えいしゃ技師ぎしは、今度こんどは前よりもすばやく器械きかいのスイッチを切ったのだが、その咄嗟とっさのあいだに、スクリーンの美うつくしい顔は半分はんぶん以上いじょう溶け流ながれていたのである。

「怖こわいわ、怖こわいわ、兄さま」

可愛かわいらしい少女しょうじょの声が、闇やみの中ちゅうから脅えたような、甘あまえるような調子ちょうしで聞こえた。

「よそう。もうよしましょう。僕もなんだかいやな気持きもちになった。お母さま、電気でんきをつけてください」

一つの黒ぐろい影が、無言むごんで立ち上がって、壁のスイッチに近づいたかと思おもうと、パッと室内しつないが明かるくなった。今までの暗さに比くらべて、まるで真昼まひるのように明あかるかった。

「どうして止よすんだ。つづけてやればいいじゃないか」

家族かぞくたちの一方いっぽうの端に腰かけていた人物じんぶつが、美青年せいねんを詰なじるように言った。その人物じんぶつは、さいぜんスクリーンの中を歩いていた、あのでっぷり太った、口くちひげのある五十ごじゅう恰好かっこうの紳士しんしであった。この家の主人しゅじん伊志田いしだ鉄造てつぞう氏である。

「でも、お父さま、僕、なんだかいやあな気持きもちなんです。恐おそろしいのです」

スクリーンで見たと同おんなじ、あの凄艶せいえんといってもよいほど美うつくしい、ダブル・ブレストの青年せいねんが映写えいしゃ機のそばを離はなれながら、青あおい顔をして答えた。

「恐おそろしいって?」伊志田いしだ氏は又かと言わぬばかりの苦にがい顔をした。「一郎いちろう、お前まえこのごろどうかしているんじゃないのかい。病気びょうきなのじゃないのかい。妙なことばかり言っている」

「ほんとうよ。一郎いちろうさん病人びょうにんみたいよ。まっ青さおだわ」

これも今スクリーンで見たばかりのあの美しいお嬢さんであった。この家の長女おさめ、美青年せいねん一郎いちろうの姉、綾子あやこである。

「僕のこの気持きもちは、なんといって説明せつめいしていいかわからないのです。前兆ぜんちょうとしか考かんがえられないのです。僕たちのこの家に、何かしら恐おそろしい禍わざわいの起おこる前兆ぜんちょうとしか考かんがえられないのです。今もあの映画えいがを写うつしつづければ、きっと僕とお姉さまだけでなくて、お父さまも、鞠子まりこも、大写おううつしの顔が出でるたびに、同おんなじ事が起こったに違ちげいないんだ。僕はちゃんとそれを知っていたんだ。あの夢で幾度も見て知っていたんだ」

青ざめた美青年せいねんは物狂わしく言い張った。

「夢って、お前まえ、どんな夢を見ましたの?」

母夫人ふじんが心配そうに顔を曇らして、おずおずと訊たずねた。この人もスクリーンに現あらわれた人物じんぶつの一人ひとりであった。髪形かみかたちや服装ふくそうは主人しゅじん鉄造てつぞう氏の年配ねんぱいにふさわしい地味ちみなものを身につけていたが、よく見れば、その頬ほおはつやつやしく、まだ四十しじゅう歳には間のあるらしい、上品じょうぼんな美うつくしい人であった。

「恐おそろしい夢です。僕は今まで誰にも言わなかったけれど、それは口に出だすさえ恐ろしかったからです」

「よしなさい。お前まえは本を読よみ過すぎたのだ。神秘しんぴ宗教しゅうきょうだとか、心霊学れいがくだとか、妙な本ばかり読よみふけるものだから、つまらない夢を見みるのだ。さあ、もういいから、みんなあちらの居間いまへ行こう」

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First published
「講談倶楽部」1939(昭和14)年1月号~12月号
Source edition (底本)
底本:「暗黒星」角川ホラー文庫、角川書店

   1994(平成6)年4月10日改訂初版発行

底本の親本:「暗黒星」角川文庫、角川書店

   1975(昭和50)年11月

初出:「講談倶楽部」

   1939(昭和14)年1月号~12月号

入力:入江幹夫

校正:大久保ゆう

2022年9月26日作成

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
入江幹夫
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大久保ゆう

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