Nihoner

有島武郎 Takeo Arishima 1878.03.04〜1923.06.09

『聖書』の権威

せいしょのけんい

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私には口くちはばったい云い分かも知れませんが聖書せいしょと云いう外はありません。聖書せいしょが私を最もっとも感動かんどうせしめたのは矢張やはり私の青年せいねん時代じだいであったと思います。人には性の要求ようきゅうと生の疑問ぎもんとに、圧倒あっとうされる荷を負わされる青年せいねんと云いう時期じきがあります。私の心の中では聖書せいしょと性慾せいよくとが激はげしい争闘そうとうをしました。芸術げいじゅつ的の衝動しょうどうは性欲せいよくに加担かたんし、道義どうぎ的の衝動しょうどうは聖書せいしょに加担かたんしました。私の熱情ねつじょうはその間を如何どう調和ちょうわすべきかを知りませんでした。而しこうして悩なやみました。その頃の聖書せいしょは如何いかに強烈きょうれつな権威けんいを以て私を感動かんどうさせましたろう。聖書せいしょを隅から隅にまですがりついて凡すべての誘惑ゆうわくに対たいする唯一ただいちの武器ぶきとも鞭撻べんたつとも頼んだその頃を思おもいやると立脚りっきゃくの危さに肉が戦おののきます。

私の聖書せいしょに対たいする感動かんどうはその後薄らいだでしょうか。そうだとも云えます。そうでないとも云えます。聖書せいしょの内容ないようを生活せいかつとしっかり結び付けて読よむ時に、今でも驚異きょういの眼を張はり感動かんどうせずに居られません。然しかし今私は性欲せいよく生活せいかつにかけて童貞どうてい者でないように聖書せいしょに対してもファナティックではなくなりました。是これは悪わるい事であり又いい事でした。楽園らくえんを出たアダムは又楽園らくえんに帰かえる事は出来しゅったいません。其処そこには何等かの意味いみに於て自みずから額に汗せねばならぬ生活せいかつが待って居ます。私自身おのれの地上ちじょう生活せいかつ及および天上てんじょう生活せいかつが開かれ始はじめねばなりません。こう云いう所まで来て見みると聖書せいしょから嘗かつて得た感動かんどうは波の遠音とうねのように絶えず私の心耳を打って居ます。神学しんがくと伝説でんせつから切り放された救世きゅうせいの姿がおぼろながら私の心の中に描かれて来くるのを覚おぼえます。感動かんどうの潜入せんにゅうとでも云えばいいのですか。

何と云っても私を強く感動かんどうさせるものは大おおきな芸術げいじゅつです。然しかし聖書せいしょの内容ないようは畢竟ひっきょう凡すべての芸術げいじゅつ以上いじょうに私を動かします。芸術げいじゅつと宗教しゅうきょうとを併説する私の態度たいどが間違って居おるのか、聖書せいしょを一箇の芸術げいじゅつとのみ見得めいない私が間違って居おるのか私は知りません。

(大正たいしょう五年十月かんなずき)

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First published
「新潮」1916(大正5)年10月号
Source edition (底本)
底本:「日本の名随筆 別巻100 聖書」作品社

   1999(平成11)年6月25日第1刷発行

底本の親本:「有島武郎全集 第七巻」筑摩書房

   1980(昭和55)年4月

初出:「新潮」

   1916(大正5)年10月号

入力:加藤恭子

校正:門田裕志、小林繁雄

2005年5月3日作成

2014年1月17日修正

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Typed by (入力)
加藤恭子
Proofread by (校正)
小林繁雄、門田裕志

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