Nihoner

有島武郎 Takeo Arishima 1878.03.04〜1923.06.09

溺れかけた兄妹

おぼれかけたきょうだい

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土用波どようなみという高だかい波が風もないのに海岸かいがんに打寄うちよせる頃ころになると、海水浴すいよくに来きている都みやこの人たちも段々別荘べっそうをしめて帰ってゆくようになります。今までは海岸かいがんの砂の上にも水の中にも、朝から晩まで、沢山だくさんの人が集って来て、砂山すなやまからでも見ていると、あんなに大勢たいせいな人間じんかんが一たい何所どこから出て来たのだろうと不思議ふしぎに思おもえるほどですが、九月にはいってから三日目にちもくになるその日には、見みわたすかぎり砂浜すなはまの何所にも人っ子こ一人ひとりいませんでした。

私わたしの友達ともだちのMと私と妹とはお名残なごりだといって海水浴すいよくにゆくことにしました。お婆様ばあさまが波が荒くなって来くるから行ゆかない方がよくはないかと仰有おっしゃったのですけれども、こんなにお天気けはいいし、風はなしするから大丈夫だいじょぶだといって仰有あることを聞かずに出でかけました。

丁度ちょうど昼少すこし過すぎで、上天気てんきで、空には雲一つありませんでした。昼間ちゅうかんでも草の中にはもう虫の音ねがしていましたが、それでも砂は熱くって、裸足はだしだと時々草の上に駈かけ上あがらなければいられないほどでした。Mはタオルを頭からかぶってどんどん飛んで行きました。私は麦稈帽子むぎわらぼうしを被かぶった妹の手を引いてあとから駈けました。少すこしでも早く海の中につかりたいので三人は気息いきを切って急いだのです。

紆波うねりといいますね、その波がうっていました。ちゃぷりちゃぷりと小ちいさな波が波打際なみうちぎわでくだけるのではなく、少すこし沖の方に細長ほそながい小山おやまのような波が出来しゅったいて、それが陸の方を向むかいて段々押寄おしよせて来くると、やがてその小山おやまのてっぺんが尖とがって来て、ざぶりと大おおきな音をたてて一度ひとたびに崩れかかるのです。そうすると暫しばらく間まをおいてまたあとの波が小山おやまのように打寄うちよせて来ます。そして崩れた波はひどい勢いきおいで砂の上に這はい上あがって、そこら中じゅうを白じろい泡で敷きつめたようにしてしまうのです。三人はそうした波の様子ようすを見みると少すこし気味きみ悪くも思いました。けれども折角せっかくそこまで来ていながら、そのまま引返ひきかえすのはどうしてもいやでした。で、妹に帽子ぼうしを脱ぬがせて、それを砂の上に仰向あおむけにおいて、衣物きものやタオルをその中に丸まるめこむと私たち三人は手をつなぎ合せて水の中にはいってゆきました。

「ひきがしどいね」

とMがいいました。本当ほんとにその通とおりでした。ひきとは水が沖の方に退ひいて行ゆく時の力のことです。それがその日は大変たあいへん強いように私たちは思ったのです。踝くるぶしくらいまでより水の来ない所に立っていても、その水が退いてゆく時にはまるで急な河の流ながれのようで、足の下の砂がどんどん掘ほれるものですから、うっかりしていると倒たおれそうになる位でした。その水の沖の方に動うごくのを見ていると眼めがふらふらしました。けれどもそれが私たちには面白くってならなかったのです。足の裏をくすむるように砂が掘れて足がどんどん深く埋うずまってゆくのがこの上なく面白おもしろいかったのです。三人は手をつないだまま少すこしずつ深ぶかい方にはいってゆきました。沖の方を向むかいて立っていると、膝ひざの所で足がくの字に曲まがりそうになります。陸の方を向むかいていると向脛むこうずねにあたる水が痛いたい位でした。両足りょうあしを揃そろえて真直まっすぐに立たったままどっちにも倒たおれないのを勝かちにして見たり、片足かたあしで立ちっこをして見たりして、三人は面白おもしろいがって人魚にんぎょのように跳はね廻まわりました。

その中うちにMが膝位ひざぐらいの深さの所まで行って見ました。そうすると紆波うねりが来くる度たびごとにMは脊延せのびをしなければならないほどでした。それがまた面白そうなので私たちも段々深味ふかみに進んでゆきました。そして私たちはとうとう波のない時には腰位まで水につかるほどの深味ふかみに出てしまいました。そこまで行ゆくと波が来たらただ立っていたままでは追付おっつきません。どうしてもふわりと浮き上あがらなければ水を呑のませられてしまうのです。

ふわりと浮上うきあがると私たちは大変たあいへん高だかい所に来たように思いました。波が行ぎょうってしまうので地面じめんに足をつけると海岸かいがんの方を見ても海岸かいがんは見えずに波の脊中せなかだけが見まみえるのでした。その中にその波がざぶんとくだけます。波打際なみうちぎわが一面めんに白くなって、いきなり砂山すなやまや妹の帽子ぼうしなどが手に取どるように見えます。それがまたこの上なく面白おもしろいかったのです。私たち三人は土用波どようなみがあぶないということも何も忘わすれてしまって波越なみこしの遊あそびを続つずけさまにやっていました。

「あら大おおきな波が来てよ」

と沖の方を見ていた妹が少すこし怖こわそうな声でこういきなりいいましたので、私たちも思わずその方ほうを見みると、妹の言葉ことば通とおりに、これまでのとはかけはなれて大おおきな波が、両手りょうてをひろげるような恰好かっこうで押寄せて来くるのでした。泳およぎの上手うわてなMも少すこし気味きみ悪そうに陸の方を向むかいていくらかでも浅あさい所まで遁にげようとした位でした。私たちはいうまでもありません。腰から上をのめるように前に出だして、両手りょうてをまたその前に突出つきだして泳およぐような恰好かっこをしながら歩こうとしたのですが、何なにしろひきがひどいので、足を上あげることも前にやることも思おもうようには出来しゅったいません。私たちはまるで夢の中で怖こわい奴やつに追いかけられている時のような気がしました。

後うしろから押寄せて来くる波は私たちが浅あさい所まで行ゆくのを待っていてはくれません。見みる見みる大きく近ちかくなって来て、そのてっぺんにはちらりちらりと白じろい泡がくだけ始はじめました。Mは後うしろから大声たいせいをあげて、

「そんなにそっちへ行ゆくと駄目だめだよ、波がくだけると捲まきこまれるよ。今の中うちに波を越こす方がいいよ」

といいました。そういわれればそうです。私と妹とは立止たちどまって仕方なく波の来くるのを待っていました。高だかい波が屏風びょうぶを立てつらねたように押寄せて来ました。私たち三人は丁度ちょうど具合ぐわいよくくだけない中に波の脊を越すことが出来しゅったいました。私たちは体をもまれるように感かんじながらもうまくその大波おうなみをやりすごすことだけは出来しゅったいたのでした。三人はようやく安心あんしんして泳およぎながら顔を見合せてにこにこしました。そして波が行ぎょうってしまうと三人ながら泳およぎをやめてもとのように底の砂の上に立とうとしました。

ところがどうでしょう、私たちは泳およぎをやめると一いっしょに、三人ながらずぼりと水の中に潜くぐってしまいました。水の中に潜っても足は砂にはつかないのです。私たちは驚おどろきました。慌あわてました。そして一生いっしょう懸命けんめいにめんかきをして、ようやく水の上に顔だけ出すことが出来しゅったいました。その時私たち三人が互たがいに見合せた眼といったら、顔といったらありません。顔は真青まっさおでした。眼は飛とび出でるしそうに見開いていました。今の波一つでどこか深ぶかい所に流されたのだということを私たちはいい合わさないでも知しることが出来しゅったいたのです。いい合わさないでも私たちは陸の方を眼がけて泳およげるだけ泳がなければならないということがわかったのです。

三人は黙ったままで体を横にして泳およぎはじめました。けれども私たちにどれほどの力があったかを考かんがえて見て下さい。Mは十四でした。私は十三じゅうそうでした。妹は十一といちでした。Mは毎年まいねん学校がっこうの水泳すいえい部に行っていたので、とにかくあたり前まえに泳およぐことを知っていましたが、私は横のし泳およぎを少すこしと、水の上に仰向あおむけに浮うくことを覚おぼえたばかりですし、妹はようやく板を離はなれて二、三間げん泳およぐことが出来できるだけなのです。

御覧ごらんなさい私たちは見みる見みる沖の方へ沖の方へと流されているのです。私は頭を半分はんぶん水の中につけて横のしでおよぎながら時々頭を上あげて見みると、その度ごとに妹は沖の方へと私から離はなれてゆき、友達ともだちのMはまた岸の方へと私から離はなれて行って、暫しばらくの後のちには三人はようやく声がとどく位ぐらいお互たがいに離はなればなれになってしまいました。そして波が来くるたんびに私は妹を見失ったりMを見失ったりしました。私の顔が見まみえると妹は後うしろの方からあらん限かぎりの声をしぼって

「兄さん来てよ……もう沈しずむ……苦くるしい」

と呼よびかけるのです。実際じっさい妹は鼻の所位ところぐらいまで水に沈しずみながら声を出そうとするのですから、その度ごとに水を呑のむと見えて真蒼まっさおな苦しそうな顔をして私を睨にらみつけるように見えます。私も前に泳およぎながら心は後うしろにばかり引かれました。幾度いくども妹のいる方へ泳いで行いこうかと思いました。けれども私は悪わるい人間じんかんだったと見えて、こうなると自分じぶんの命が助かりたかったのです。妹の所へ行ゆけば、二人ふたりとも一緒いっしょに沖に流されて命がないのは知れ切っていました。私はそれが恐ろしかったのです。何なにしろ早く岸について漁夫りょうしにでも助たすけに行ってもらう外ほかはないと思いました。今から思おもうとそれはずるい考かんがえだったようです。

でもとにかくそう思おもうと私はもう後うしろも向かずに無我むが夢中むちゅうで岸の方を向むかいて泳およぎ出でるしました。力が無くなりそうになると仰向あおむけに水の上に臥ねて暫しばらく気息いきをつきました。それでも岸は少すこしずつ近づいて来くるようでした。一生いっしょう懸命けんめいに……一生いっしょう懸命けんめいに……、そして立泳たちおよぎのようになって足を砂につけて見ようとしたら、またずぶりと頭まで潜くぐってしまいました。私は慌あわてました。そしてまた一生いっしょう懸命けんめいで泳およぎ出でるしました。

立って見たら水が膝ひざの所位しかない所まで泳いで来ていたのはそれからよほどたってのことでした。ほっと安心あんしんしたと思おもうと、もう夢中むちゅうで私は泣声なきごえを立てながら、

「助たすけてくれえ」

といって砂浜すなはまを気狂きちがいのように駈かけずり廻まわりました。見みるとMは遥はるかむこうの方で私と同じようなことをしています。私は駈けずりまわりながらも妹の方を見みることを忘わすれはしませんでした。波打なみうち際から随分ずいぶ遠とおい所に、波に隠がくれたり現あらわれたりして、可哀かあいそうな妹の頭だけが見えていました。

浜には船もいません、漁夫りょうしもいません。その時になって私はまた水の中に飛び込んで行きたいような心持こころもちになりました。大事だいじな妹を置おきっぱなしにして来たのがたまらなく悲しくなりました。

その時Mが遥はるかむこうから一人ひとりの若わかい男の袖そでを引ひっぱってこっちに走って来ました。私はそれを見みると何もかも忘わすれてそっちの方に駈かけ出でるしました。若わかい男というのは、土地とちの者ではありましょうが、漁夫ぎょふとも見えないような通りがかりの人で、肩に何か担になっていました。

「早く……早く行って助たすけて下さい……あすこだ、あすこだ」

私は、涙を流ながし放題ほうだいに流ながして、地じだんだをふまないばかりにせき立てて、震ふるえる手をのばして妹の頭がちょっぴり水の上に浮うかんでいる方を指しました。

若わかい男は私の指さす方を見定みさだめていましたが、やがて手早く担っていたものを砂の上に卸おろし、帯をくるくると解いて、衣物きものを一緒いっしょにその上におくと、ざぶりと波を切って海の中にはいって行ってくれました。

私はぶるぶる震ふるえて泣なきながら、両手りょうての指をそろえて口の中へ押おしこんで、それをぎゅっと歯でかみしめながら、その男がどんどん沖の方に遠ざかって行ゆくのを見送みおくりました。私の足がどんな所に立っているのだか、寒さむいのだか、暑あついのだか、すこしも私には分わかりません。手足しゅそくがあるのだかないのだかそれも分わかりませんでした。

抜手ぬきてを切って行ゆく若者わかものの頭も段々小さくなりまして、妹との距へだたりが見みる見みる近よって行きました。若者わかものの身みのまわりには白じろい泡がきらきらと光って、水を切った手が濡ぬれたまま飛魚とびうおが飛とぶように海の上に現あらわれたり隠がくれたりします。私はそんなことを一生いっしょう懸命けんめいに見つめていました。

とうとう若者わかものの頭と妹の頭とが一つになりました。私は思わず指を口の中ちゅうから放はなして、声を立てながら水の中にはいってゆきました。けれども二人ふたりがこっちに来くるののおそいことおそいこと。私はまた何なんの訳もなく砂の方に飛とび上あがりました。そしてまた海の中にはいって行きました。如何どうしてもじっとして待っていることが出来しゅったいないのです。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「婦人公論」1921(大正10)年7月
Source edition (底本)
底本:「一房の葡萄 他四篇」岩波文庫、岩波書店


   1988(昭和63)年12月16日改版第1刷

親本:「一房の葡萄」叢文閣

   1922(大正11)年6月

初出:「婦人公論」

   1921(大正10)年7月

入力:鈴木厚司

校正:地田尚

1999年9月27日公開

2005年11月18日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
鈴木厚司
Proofread by (校正)
地田尚

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