Nihoner

梶井基次郎 Motojiro Kajii 1901.02.17〜1932.03.24

筧の話

かけいのはなし

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私は散歩さんぽに出でるのに二つの路を持っていた。一つは渓たにに沿った街道かいどうで、もう一つは街道かいどうの傍から渓に懸った吊橋つりばしを渡って入ってゆく山径さんけいだった。街道かいどうは展望てんぼうを持っていたがそんな道の性質せいしつとして気が散り易かった。それに比くらべて山径さんけいの方は陰気いんきではあったが心を静しずかにした。どちらへ出でるかはその日その日の気持きもちが決ぎめた。

しかし、いま私の話は静しずかな山径さんけいの方をえらばなければならない。

吊橋つりばしを渡ったところから径は杉林すぎばやしのなかへ入ってゆく。杉の梢こずえが日にちを遮さえぎり、この径にはいつも冷つめたい湿っぽさがあった。ゴチック建築けんちくのなかを辿たどってゆくときのような、犇ひしひしと迫って来くる静寂せいじゃくと孤独こどくとが感かんじられた。私の眼はひとりでに下へ落おちた。径の傍かたわらには種々の実生みしょうや蘚苔せんたい、羊歯しだの類がはえていた。この径ではそういった矮小わいしょうな自然じねんがなんとなく親しく――彼らが陰湿いんしつな会話かいわをはじめるお伽噺とぎばなしのなかでのように、眺ながめられた。また径の縁には赤土あかつちの露出ろしゅつが雨滴うてきにたたかれて、ちょうど風化ふうか作用さように骨立たった岩石がんせきそっくりの恰好かっこになっているところがあった。その削り立たった峰の頂いただきにはみな一つ宛小石こいしが載っかっていた。ここへは、しかし、日がまったく射して来ないのではなかった。梢の隙間すきまを洩れて来くる日光にっこうが、径のそこここや杉の幹へ、蝋燭ろうそくで照らしたような弱よわい日ひなたを作っていた。歩いてゆく私の頭の影や肩先かたさきの影がそんななかへ現あらわれては消えた。なかには「まさかこれまでが」と思おもうほど淡あわいのが草の葉などに染まっていた。試ためしに杖をあげて見みるとささくれまでがはっきりと写った。

この径を知ってから間もなくの頃、ある期待きたいのために心を緊張きんちょうさせながら、私はこの静しずけさのなかをことにしばしば歩いた。私が目めざしてゆくのは杉林すぎばやしの間からいつも氷室ひむろから来くるような冷気れいきが径へ通っているところだった。一本いっぽんの古ふるびた筧かけひがその奥の小暗おぐらいなかからおりて来ていた。耳を澄まして聴きくと、幽かすかなせせらぎの音がそのなかにきこえた。私の期待きたいはその水音みずおとだった。

どうしたわけで私の心がそんなものに惹ひきつけられるのか。心がわけても静しずかだったある日、それを聞き澄ましていた私の耳がふとそのなかに不思議ふしぎな魅惑みわくがこもっているのを知ったのである。その後追あとおいおいに気づいていったことなのであるが、この美うつくしい水音みずおとを聴いていると、その辺あたりの風景ふうけいのなかに変な錯誤さくごが感かんじられて来くるのであった。香もなく花も貧まずしいのぎ蘭らんがそのところどころに生えているばかりで、杉の根方ねかたはどこも暗く湿っぽかった。そして筧といえばやはりあたりと一帯いったいの古ふるび朽ちたものをその間に横たえているに過すぎないのだった。「そのなかからだ」と私の理性りせいが信じていても、澄み透とおった水音みずおとにしばらく耳を傾けていると、聴覚ちょうかくと視覚しかくとの統一とういつはすぐばらばらになってしまって、変な錯誤さくごの感かんじとともに、訝いぶかしい魅惑みわくが私の心を充たして来くるのだった。

私はそれによく似た感情かんじょうを、露草つゆくさの青あおい花を眼にするとき経験けんすることがある。草叢くさむらの緑とまぎれやすいその青は不思議ふしぎな惑わしを持っている。私はそれを、露草つゆくさの花が青空あおぞらや海と共通きょうつうの色を持っているところから起おこる一種いっしゅの錯覚さっかくだと快く信じているのであるが、見えない水音みずおとの醸かもし出す魅惑みわくはそれにどこか似通っていた。

すばしこく枝移えだうつりする小鳥ことりのような不定ふじょうさは私をいらだたせた。蜃気楼しんきろうのようなはかなさは私を切なくした。そして深祕はだんだん深まってゆくのだった。私に課せられている暗鬱あんうつな周囲しゅういのなかで、やがてそれは幻聴げんちょうのように鳴なりはじめた。束つかの間の閃光せんこうが私の生命いのちを輝かがやかす。そのたび私はあっあっと思った。それは、しかし、無限むげんの生命いのちに眩惑げんわくされるためではなかった。私は深ぶかい絶望ぜつぼうをまのあたりに見なければならなかったのである。何という錯誤さくごだろう! 私は物体ぶったいが二つに見まみえる酔よっ払ぱらいのように、同おんなじ現実げんじつから二つの表象ひょうしょうを見なければならなかったのだ。しかもその一方いっぽうは理想りそうの光に輝かされ、もう一方いっぽうは暗黒あんこくの絶望ぜつぼうを背負せおいっていた。そしてそれらは私がはっきりと見ようとする途端とたん一つに重なって、またもとの退屈たいくつな現実げんじつに帰ってしまうのだった。

筧かけひは雨がしばらく降らないと水が涸かれてしまう。また私の耳も日によってはまるっきり無感覚かんかくのことがあった。そして花の盛さかりが過すぎてゆくのと同じように、いつの頃からか筧にはその深祕がなくなってしまい、私ももうその傍に佇たたずむことをしなくなった。しかし私はこの山径さんけいを散歩さんぽしそこを通とおりかかるたびに自分じぶんの宿命しゅくめいについて次のようなことを考かんがえないではいられなかった。

「課せられているのは永遠えいえんの退屈たいくつだ。生の幻影げんえいは絶望ぜつぼうと重なっている」

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「近代風景」1928(昭和3)年4月号
Source edition (底本)
底本:「檸檬・ある心の風景 他二十編」旺文社文庫、旺文社

   1972(昭和47)年12月10日初版発行

   1974(昭和49)年第4刷発行

初出:「近代風景」

   1928(昭和3)年4月号

※表題は底本では、「筧(かけひ)の話」となっています。

※編集部による傍注は省略しました。

入力:j.utiyama

校正:福地博文

1998年11月27日公開

2016年7月5日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
j.utiyama
Proofread by (校正)
福地博文

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