Nihoner

梶井基次郎 Motojiro Kajii 1901.02.17〜1932.03.24

愛撫

あいぶ

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猫の耳というものはまことに可笑おかしなものである。薄べったくて、冷たくて、竹たけの子この皮のように、表には絨毛じゅうもうが生えていて、裏はピカピカしている。硬かたいような、柔やわらかいような、なんともいえない一種いっしゅ特別とくべつの物質ぶっしつである。私は子供こどものときから、猫の耳というと、一度ひとたび「切符きっぷ切きり」でパチンとやってみたくて堪たまらなかった。これは残酷ざんこくな空想くうそうだろうか?

否。まったく猫の耳の持っている一種いっしゅ不可思議ふかしぎな示唆しさ力によるのである。私は、家へ来たある謹厳きんげんな客が、膝へあがって来た仔猫こねこの耳を、話をしながら、しきりに抓つねっていた光景こうけいを忘わすれることができない。

このような疑惑ぎわくは思おもいの外ほかに執念しゅうねん深ぶかいものである。「切符きっぷ切きり」でパチンとやるというような、児戯じぎに類した空想くうそうも、思い切って行為こういに移さない限かぎり、われわれのアンニュイのなかに、外観がいかん上の年齢ねんれいを遙はるかにながく生いき延のびる。とっくに分別ふんべつのできた大人おとなが、今もなお熱心ねっしんに――厚紙あつがみでサンドウィッチのように挾んだうえから一思ひとおもいに切ってみたら? ――こんなことを考かんがえているのである! ところが、最近さいきん、ふとしたことから、この空想くうそうの致命ちめい的な誤算ごさんが曝露ばくろしてしまった。

元来がんらい、猫は兎のように耳で吊つり下げられても、そう痛がらない。引ひっ張ぱるということに対しては、猫の耳は奇妙きみょうな構造こうぞうを持っている。というのは、一度ひとたび引ひっ張ぱるられて破やぶれたような痕跡こんせきが、どの猫の耳にもあるのである。その破やぶれた箇所かしょには、また巧妙こうみょうな補片つぎが当っていて、まったくそれは、創造そうぞう説を信しんじる人にとっても進化しんか論を信しんじる人にとっても、不可思議ふかしぎな、滑稽こっけいな耳たるを失わない。そしてその補片つぎが、耳を引ひっ張ぱるられるときの緩ゆるめになるにちがいないのである。そんなわけで、耳を引ひっ張ぱるられることに関しては、猫はいたって平気へいきだ。それでは、圧迫あっぱくに対してはどうかというと、これも指でつまむくらいでは、いくら強くしても痛がらない。さきほどの客のように抓つねって見たところで、ごく稀まれにしか悲鳴ひめいを発しないのである。こんなところから、猫の耳は不死身ふじみのような疑うたがいを受うけ、ひいては「切符きっぷ切きり」の危険きけんにも曝さらされるのであるが、ある日、私は猫と遊んでいる最中さなかに、とうとうその耳を噛かんでしまったのである。これが私の発見はっけんだったのである。噛まれるや否や、その下らない奴は、直ただちに悲鳴ひめいをあげた。私の古ふるい空想くうそうはその場で壊こわれてしまった。猫は耳を噛まれるのが一番いちばん痛いたいのである。悲鳴ひめいは最もっとも微かすかなところからはじまる。だんだん強くするほど、だんだん強く鳴なく。Crescendo のうまく出でる――なんだか木管もっかん楽器がっきのような気がする。

私のながらくの空想くうそうは、かくの如くにして消えてしまった。しかしこういうことにはきりがないと見まみえる。この頃ころ、私はまた別なことを空想くうそうしはじめている。

それは、猫の爪をみんな切ってしまうのである。猫はどうなるだろう? おそらく彼は死んでしまうのではなかろうか?

いつものように、彼は木登きのぼりをしようとする。――できない。人の裾を目がけて跳とびかかる。――異ちがう。爪を研とごうとする。――なんにもない。おそらく彼はこんなことを何度もやってみるにちがいない。そのたびにだんだん今の自分じぶんが昔の自分じぶんと異ちがうことに気がついてゆく。彼はだんだん自信じしんを失ってゆく。もはや自分じぶんがある「高さ」にいるということにさえブルブル慄えずにはいられない。「落下らっか」から常に自分じぶんを守ってくれていた爪がもはやないからである。彼はよたよたと歩あるく別の動物どうぶつになってしまう。遂ついにそれさえしなくなる。絶望ぜつぼう! そして絶たえ間まのない恐怖きょうふの夢を見ながら、物を食たべる元気げんきさえ失せて、遂ついには――死んでしまう。

爪のない猫! こんな、便たよりない、哀あわれな心持こころもちのものがあろうか! 空想くうそうを失ってしまった詩人しじん、早発そうはつ性痴呆ちほうに陥った天才てんさいにも似ている!

この空想くうそうはいつも私を悲しくする。その全き悲かなしみのために、この結末けつまつの妥当だとうであるかどうかということさえ、私にとっては問題もんだいではなくなってしまう。しかし、はたして、爪を抜かれた猫はどうなるのだろう。眼を抜かれても、髭ひげを抜かれても猫は生きているにちがいない。しかし、柔やわらかい蹠あしのうらの、鞘のなかに隠された、鉤かぎのように曲った、匕首あいくちのように鋭するどい爪! これがこの動物どうぶつの活力かつりょくであり、智慧ちえであり、精霊しょうろうであり、一切いっさいであることを私は信じて疑わないのである。

ある日私は奇妙きみょうな夢を見た。

X――という女の人の私室ししつである。この女の人は平常へいじょう可愛い猫を飼っていて、私が行ゆくと、抱いていた胸から、いつもそいつを放はなして寄来よこすのであるが、いつも私はそれに辟易へきえきするのである。抱きあげて見みると、その仔猫こねこには、いつも微かすかな香料こうりょうの匂においがしている。

夢のなかの彼女かのじょは、鏡の前で化粧けわいしていた。私は新聞しんぶんかなにかを見ながら、ちらちらその方ほうを眺ながめていたのであるが、アッと驚おどろきの小ちいさな声をあげた。彼女かのじょは、なんと! 猫の手で顔へ白粉おしろいを塗っているのである。私はゾッとした。しかし、なおよく見ていると、それは一種いっしゅの化粧けわい道具どうぐで、ただそれを猫と同じように使っているんだということがわかった。しかしあまりそれが不思議ふしぎなので、私はうしろから尋ねずにはいられなかった。

「それなんです? 顔をコスっているもの?」

「これ?」

夫人ふじんは微笑えみとともに振ふり向むけるいた。そしてそれを私の方へ抛ほうって寄来した。取りあげて見みると、やはり猫の手なのである。

「いったい、これ、どうしたの!」

訊ききながら私は、今日はいつもの仔猫こねこがいないことや、その前足まえあしがどうやらその猫のものらしいことを、閃光せんこうのように了解りょうかいした。

「わかっているじゃないの。これはミュルの前足まえあしよ」

彼女かのじょの答えは平然へいぜんとしていた。そして、この頃ころ外国がいこくでこんなのが流行はやるというので、ミュルで作って見たのだというのである。あなたが作ったのかと、内心ないしん私は彼女かのじょの残酷ざんこくさに舌を巻まきながら尋たずねて見みると、それは大学だいがくの医科いかの小使こずかいが作ってくれたというのである。私は医科いかの小使こずかいというものが、解剖かいぼうのあとの死体したいの首を土に埋めて置いて髑髏どくろを作ずくり、学生がくせいと秘密ひみつの取引とりひきをするということを聞いていたので、非常ひじょうに嫌な気になった。何もそんな奴に頼まなくたっていいじゃないか。そして女というものの、そんなことにかけての、無神経しんけいさや残酷ざんこくさを、今更さらのように憎み出した。しかしそれが外国がいこくで流行はやっているということについては、自分じぶんもなにかそんなことを、婦人ふじん雑誌ざっしか新聞しんぶんかで読んでいたような気がした。――

猫の手の化粧けわい道具どうぐ! 私は猫の前足まえあしを引ひっ張ぱるって来て、いつも独ひとり笑わらいをしながら、その毛並けなみを撫なでてやる。彼が顔を洗あらう前足まえあしの横側よこがわには、毛脚けあしの短みじかい絨氈じゅうたんのような毛が密生みっせいしていて、なるほど人間じんかんの化粧けわい道具どうぐにもなりそうなのである。しかし私にはそれが何どの役に立とう? 私はゴロッと仰向あおむきに寝転んで、猫を顔の上へあげて来くる。二本ほんの前足まえあしを掴んで来て、柔やわらかいその蹠あしのうらを、一つずつ私の眼蓋まぶたにあてがう。快こころよい猫の重量じゅうりょう。温あたたかいその蹠。私の疲つかれた眼球がんきゅうには、しみじみとした、この世よのものでない休息きゅうそくが伝わって来くる。

仔こ猫よ! 後生ごしょうだから、しばらく踏み外はずさないでいろよ。お前まえはすぐ爪を立たてるのだから。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「詩・現実」1930(昭和5)年6月
Source edition (底本)
底本:「檸檬・ある心の風景 他二十編」旺文社文庫、旺文社

   1972(昭和47)年12月10日初版発行

   1974(昭和49)年第4刷発行

初出:「詩・現実」

   1930(昭和5)年6月

※表題は底本では、「愛撫(あいぶ)」となっています。

※編集部による傍注は省略しました。

入力:j.utiyama

校正:高橋美奈子

1999年1月11日公開

2016年7月5日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
j.utiyama
Proofread by (校正)
高橋美奈子

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