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太宰治 Osamu Dazai 1909.06.19〜1948.06.13

あさましきもの

あさましきもの

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賭弓のりゆみに、わななく/\久しうありて、はづしたる矢の、もて離はなれてことかたへ行きたる。

こんな話を聞いた。

たばこ屋の娘で、小さく、愛あいくるしいのがいた。男は、この娘のために、飲酒いんしゅをやめようと決心けっしんした。娘は、男のその決意けついを聞きき、「うれしい。」と呟つぶやいて、うつむいた。うれしそうであった。「僕の意志いしの強さを信じて呉くれるね?」男の声も真剣しんけんであった。娘はだまって、こっくり首肯うなずいた。信じた様子ようすであった。

男の意志いしは強くなかった。その翌々日、すでに飲酒いんしゅを為した。日暮ひぐれて、男は蹌踉そうろう、たばこ屋の店みせさきに立たった。

「すみません」と小声こごえで言って、ぴょこんと頭をさげた。真実しんじつわるい、と思っていた。娘は、笑っていた。

「こんどこそ、飲まないからね」

「なにさ」娘は、無心むしんに笑っていた。

「かんにんして、ね」

「だめよ、お酒飲さけのみの真似まねなんかして」

男の酔よいは一時いちじにさめた。「ありがとう。もう飲まない」

「たんと、たんと、からかいなさい」

「おや、僕は、僕は、ほんとうに飲んでいるのだよ」

あらためて娘の瞳ひとみを凝視ぎょうしした。

「だって」娘は、濁にごりなき笑顔えがおで応じた。「誓ったのだもの。飲のむわけないわ。ここではお芝居しばいおよしなさいね」

てんから疑って呉くれなかった。

男は、キネマ俳優はいゆうであった。岡田おかだ時彦ときひこさんである。先年せんねんなくなったが、じみな人であった。あんな、せつなかったこと、ございませんでした、としんみり述懐じゅっかいして、行儀ぎょうぎよく紅茶こうちゃを一口ひとくちすすった。

また、こんな話も聞いた。

どんなに永ながいこと散歩さんぽしても、それでも物たりなかったという。ひとけなき夜の道。女は、息もたえだえの思おもいで、幾度となく胴をくねらせた。けれども、大学生がくせいは、レインコオトのポケットに両手りょうてをつっこんだまま、さっさと歩いた。女は、その大学生がくせいの怒った肩に、おのれの丸まるいやわらかな肩をこすりつけるようにしながら男の後を追った。

大学生がくせいは、頭がよかった。女の発情はつじょうを察知さっちしていた。歩きながら囁ささやいた。

「ね、この道をまっすぐに歩いていって、三つ目のポストのところでキスしよう」

女は、からだを固くした。

一つ。女は、死しにそうになった。

二つ。息ができなくなった。

三つ。大学生がくせいは、やはりどんどん歩いて行った。女は、そのあとを追って、死しぬよりほかはないわ、と呟いて、わが身が雑巾ぞうきんのように思われたそうである。

女は、私の友人ゆうじんの画家がかが使っていたモデル女である。花の衣服いふくをするっと脱いだら、おまもり袋が首にぷらんとさがっていたっけ、とその友人ゆうじんの画家がかが苦笑くしょうしていた。

また、こんな話も聞いた。

その男は、甚はなはだ身みだしなみがよかった。鼻をかむのにさえ、両手りょうての小指こゆびをつんとそらして行った。洗練せんれんされている、と人もおのれも許ゆるしていた。その男が、或ある微妙びみょうな罪名ざいめいのもとに、牢へいれられた。牢へはいっても、身みだしなみがよかった。男は、左肺さはいを少すこし悪くしていた。

検事けんじは、男を、病気びょうきも重おもいことだし、不起訴きそにしてやってもいいと思っていたらしい。男は、それを見抜いていた。一日ついたち、男を呼よび出だして、訊問じんもんした。検事けんじは、机の上の医師くすしの診断しんだん書に眼を落おとしながら、

「君は、肺がわるいのだね?」

男は、突然とつぜん、咳せきにむせかえった。こんこんこん、と三つはげしく咳をしたが、これは、ほんとうの咳であった。けれども、それから更さらに、こん、こん、と二つ弱よわい咳をしたが、それは、あきらかに嘘の咳であった。身みだしなみのよい男は、その咳をしすましてから、なよなよと首こうべをあげた。

「ほんとうかね」能面のうめんに似た秀麗しゅうれいな検事けんじの顔は、薄笑うすわらいしていた。

男は、五年の懲役ちょうえきを求刑きゅうけいされたよりも、みじめな思おもいをした。男の罪名ざいめいは、結婚けっこん詐欺さぎであった。不起訴きそということになって、やがて出牢しゅつろうできたけれども、男は、そのときの検事けんじの笑わらいを思おもうと、五年のちの今日こんにちでさえ、いても立っても居られません、と、やはり典雅てんがに、なげいて見せた。男の名は、いまになっては、少すこし有名ゆうめいになってしまって、ここには、わざと明記あきしない。

弱く、あさましき人の世の姿を、冷く三つ列記れっきしたが、さて、そういう乃公だいこう自身おのれは、どんなものであるか。これは、かの新人しんじん競作きょうさく、幻燈げんとうのまちの、なでしこ、はまゆう、椿、などの、ちょいと、ちょいとの手招てまねきと変らぬ早春そうしゅんコント集の一篇たるべき運命うんめいの不文ふぶん、知りつつも濁酒だくしゅ三合を得たくて、ペン百貫の杖よりも重おもき思おもい、しのびつつ、ようやく六枚、あきらかにこれ、破廉恥はれんちの市井しせい売文ばいぶんの徒ともがら、あさましとも、はずかしとも、ひとりでは大家たいけのような気で居れど、誰も大家たいけと見ぬぞ悲しき。一笑いっしょう。

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Where this text comes from

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Source edition (底本)
底本:「太宰治全集2」ちくま文庫、筑摩書房


   1988(昭和63)年9月27日第1刷発行

底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房

   1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月

入力:柴田卓治

校正:小林繁雄

1999年8月20日公開

2004年3月4日修正

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Typed by (入力)
柴田卓治
Proofread by (校正)
小林繁雄

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