Nihoner

江戸川乱歩 Ranpo Edogawa 1894.10.21〜1965.07.28

悪霊

あくりょう

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発表者の附記

二月ばかり前の事であるが、N某ぼうという中年ちゅうねんの失業者ぎょうしゃが、手紙てがみと電話でんわと来訪らいほうとの、執念しゅうねん深ぶかい攻撃こうげきの結果けっか、とうとう私の書斎しょさいに上り込んで、二冊の部厚ぶあついな記録きろくを、私に売りつけてしまった。人嫌ひとぎらいな私が、未知みちの、しかも余あまり風体ふうていのよくない、こういう訪問ほうもん者に会あう気になったのはよくよくのことである。彼かの用件ようけんは無論むろん、その記録きろくを金に換かえることの外ほかにはなかった。彼はその犯罪はんざい記録きろくが私の小説しょうせつの材料ざいりょうとして多額たがくの金銭きんせん価値かちを持もつものだと主張しゅちょうし、前持まえもって分前わけまえに預あずかり度たいというのであった。

結局けっきょく私は、そんなに苦痛くつうでない程度ていどの金額きんがくで、その記録きろくを殆ほとんど内容ないようも調しらべず買取った。小説しょうせつの材料ざいりょうに使つかえるなどとは無論むろん思わなかったが、ただこの気兼きがねな訪問ほうもん者から、少すこしでも早くのがれたかったからである。

それから数日後のある夜、私は寝床ねどこの中で、不眠ふみん症をまぎらす為ために、何気なくその記録きろくを読よみ初はじめたが、読よむに従って、非常ひじょうな掘出ほりだしものをしたことが分って来た。私はその晩、とうとう徹夜てつやをした上、翌日あくるひの昼頃ひるごろまでかかって、大部たいぶの記録きろくをすっかり読よみ終った。半分はんぶんも読まない内に、これは是非ぜひ発表はっぴょうしなければならないと心を極きめた程であった。そこで、当然とうぜん私は、先日せんじつのN某君ぼうくんにもう一度ひとたび改あらためて会いたいと思った。会って、この不思議ふしぎな犯罪はんざい事件じけんについて、同君どうくんの口から何事なにごとかを聞出したいと思った。記録きろくを所持しょじしていた同君どうくんは、この事件じけんに全く無縁むえんの者ではないと思ったからだ。併しかし、残念ざんねんな事には、記録きろくを買取った時の事情じじょうがあんな風であった為に、私は、某君ぼうくんの身みの上うえについて何事なにごとも知らなかった。彼かの面会めんかい強要きょうようの手紙てがみは三通残っていた。けれど所書ところがきは皆違っていて、二つは浅草あさくさの旅人宿りょじんやど、一つのは浅草せんそう郵便ゆうびん局留置とめおきで返事へんじを呉くれとあって所書ところがきがない。その旅人宿ひとやど二軒へは、人をやったり電話でんわをかけたりして問合といあわせたけれど、N某君ぼうくんの現在げんざいの居所きょしょは全く不明ふめいであった。

記録きろくというのは、真赤まっかな革かわ表紙ひょうしで綴とじ合あわせた、二冊の部厚ぶあつな手紙てがみの束であった。全体ぜんたいが同おんなじ筆蹟ひっせき、同おんなじ署名しょめいで、名宛人なあてにんも初はじめから終おわりまで例外れいがいなく同一どういつ人物じんぶつであった。つまり、この夥おびただしい手紙てがみを受取った人物じんぶつが、それを丹念たんねんに保存ほぞんして、日附の順序じゅんじょに従って綴じ合せて置いたものに相違そういない。若もしかしたら、あのN某こそ、この手紙てがみの受取うけとり人で、それが何かの事情じじょうで偽名ぎめいしていたのではなかったか。こんな重要じゅうような記録きろくが、故ゆえなく他人たにんの手に渡ろうとは考かんがえられないからだ。

手紙てがみの内容ないようは、先にも云った通とおり、ある一聯いちれんの残酷ざんこくな、血腥ちなまぐさい、異様いように不可解ふかかいな犯罪はんざい事件じけんの、首尾しゅび一貫いっかんした記録きろくであって、そこに記しるされた有名ゆうめいな心理しんり学者がくしゃ達の名前なまいは、明あきらかに実在じつざいのものであって、我々はそれらの名前なまいによって、今から数年以前いぜん、この学者がくしゃ連の身辺しんぺんに起った奇怪きっかいな殺人さつじん事件じけんの新聞しんぶん記事きじを、容易たやすいに思おもい出ですことが出来できるであろう。おぼろげな記憶きおくによって、その記事きじとこれと比くらべて見ても、私の手に入れた書翰しょかん集が全く架空かくうの物語ものがたりでないことは分わかるのだが、併しかし、それにも拘かかわらず、ここに記された事件じけん全体ぜんたいの感かんじが(簡単かんたんな新聞しんぶん記事きじでは想像そうぞうも出来しゅったいなかったその秘密ひみつの詳細しょうさいが)何となく異様いようであって、信じ難がたいものに思われるのは何故なぜであるか。現実げんじつは往々にして如何いかなる空想くうそうよりも奇怪きっかいなるが為ためであろうか。それとも又、この書翰しょかん集は無名むめいの小説しょうせつ家が現実げんじつの事件じけんに基いて、彼かの空想くうそうを縦ほしいままにした、廻まわりくどい欺瞞ぎまんなのであろうか。歴史家しかでない私は、その何いずれであるかを確たしかめる義務ぎむを感かんじるよりも先に、これを一篇の探偵たんてい小説しょうせつとして、世に発表はっぴょうしたい誘惑ゆうわくに打ち勝ち兼ねたのである。

一応いちようは、この書翰しょかん集全体ぜんたいを、私の手で普通ふつうの物語ものがたり体に書かき改あらためることを考かんがえて見たけれど、それは、事件じけんの真実しんじつ性を薄うすめるばかりでなく、却かえって物語ものがたりの興味きょうみをそぐ虞おそれがあった。それ程、この書翰しょかん集は巧たくみに書かれていたと云いえるのだ。そこで私は、私の買取った二冊の記録きろくを、殆ほとんど加筆かひつしないでそのまま発表はっぴょうする決心けっしんをした。書翰しょかん集のところどころに、手紙てがみの受取うけとり人の筆蹟ひっせきと覚しく、赤インキで簡単かんたんな感想かんそう或あるいは説明せつめいが書かき入いれてあるが、これも事件じけんを理解りかいする上に無用むようではないと思おもうので、殆ほとんど全部ぜんぶ(註)として印刷いんさつすることにした。

事件じけんは数年以前いぜんのものであるし、若もしこの記録きろくが事の真相しんそうであったとしても、迷惑めいわくを感かんじる関係かんけい者は多く故人こじんとなっているので、発表はっぴょうを憚はばかる所は殆ほとんどないのであるが、念の為に書翰しょかん中の人名じんめい、地名ちめいは凡すべて私の随意ずいいに書き改めた。併しかし、この事件じけんの新聞しんぶん記事きじを記憶おくする読者どくしゃにとって、それらを真実しんじつの人名じんめい、地名ちめいに置おき替かえることは、さして困難こんなんではないと信しんじる。

今私はこの著述ちょじゅつがどうかしてN某君ぼうくんの眼に触れ、同君どうくんの来訪らいほうを受うけることを切せつに望んでいる。私は同君どうくんが譲ってくれたこの興味きょうみある記録きろくを、そのまま私の名で活字かつじにすることを敢あえてしたからである。この一篇の物語ものがたりについて、私は全く労力ろうりょくを費ついやしていない、随したがってこの著述ちょじゅつから生しょうじる作者さくしゃの収入しゅうにゅうは、全部ぜんぶ、N某君ぼうくんに贈呈ぞうていすべきだと思っている。この附記ふきを記した一半いっぱんの理由りゆうは、材料ざいりょう入手にゅうしゅの顛末てんまつを明あきらかにして、所在しょざい不明ふめいのN某君ぼうくんに、私に他意たいなき次第しだいを告げ、謝意しゃいを表したい為であった。

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First published
「新青年」博文館、1933(昭和8)年11月~1934(昭和9)年1月
Source edition (底本)
底本:「江戸川乱歩全集 第8巻 目羅博士の不思議な犯罪」光文社文庫、光文社

   2004(平成16)年6月20日初版1刷発行

底本の親本:「新青年」博文館

   1933(昭和8)年11月~1934(昭和9)年1月

初出:「新青年」博文館

   1933(昭和8)年11月~1934(昭和9)年1月

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※「唇」と「脣」の混在は、底本通りです。

※「博士」に対するルビの「はかせ」と「せんせい」の混在は、底本通りです。

※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。

入力:金城学院大学 電子書籍制作

校正:まつもこ

2019年9月27日作成

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金城学院大学 電子書籍制作
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