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芥川竜之介 Ryunosuke Akutagawa 1892.03.01〜1927.07.24

魚河岸

うおがし

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去年こぞの春の夜よ、――と云ってもまだ風の寒さむい、月の冴さえた夜よるの九時ごろ、保吉やすきちは三人の友ともだちと、魚河岸うおがしの往来おうらいを歩いていた。三人の友ともだちとは、俳人はいじんの露柴ろさい、洋画ようが家の風中ふうちゅう、蒔画師まきえしの如丹じょたん、――三人とも本名ほんみょうは明あかさないが、その道では知られた腕うでっ扱こきである。殊ことに露柴ろさいは年としかさでもあり、新傾向けいこうの俳人はいじんとしては、夙つとに名を馳はせた男だった。

我々は皆酔っていた。もっとも風中と保吉やすきちとは下戸げこ、如丹は名代なだいの酒豪しゅごうだったから、三人はふだんと変らなかった。ただ露柴はどうかすると、足あしもとも少々あぶなかった。我々は露柴を中にしながら、腥なまぐさい月明つきあかりの吹かれる通とおりを、日本橋にほんばしの方へ歩いて行った。

露柴は生きっ粋すいの江戸えどっ児こだった。曾祖父そうそふは蜀山しょくさんや文晁ぶんちょうと交遊こうゆうの厚かった人である。家も河岸かしの丸清まるせいと云えば、あの界隈かいわいでは知らぬものはない。それを露柴はずっと前から、家業かぎょうはほとんど人任ひとまかせにしたなり、自分じぶんは山谷さんやの露路ろじの奥に、句と書と篆刻てんこくとを楽しんでいた。だから露柴には我々にない、どこかいなせな風格ふうかくがあった。下町気質したまちかたぎよりは伝法でんぼうな、山やまの手てには勿論もちろん縁の遠とおい、――云わば河岸かしの鮪まぐろの鮨すしと、一味いちみ相通つうずる何物なにものかがあった。………

露柴はさも邪魔じゃまそうに、時々外套がいとうの袖をはねながら、快活かいかつに我々と話はなし続けた。如丹は静しずかに笑わらい笑わらい、話の相槌あいづちを打っていた。その内に我々はいつのまにか、河岸かしの取とっつきへ来てしまった。このまま河岸かしを出抜でぬけるのはみんな妙に物足りなかった。するとそこに洋食ようしょく屋が一軒、片側かたかわを照らした月明つきあかりに白じろい暖簾のれんを垂らしていた。この店の噂は保吉やすきちさえも何度か聞かされた事があった。「はいろうか?」「はいっても好いいな。」――そんな事を云いい合あう内に、我々はもう風中を先に、狭せまい店の中へなだれこんでいた。

店の中には客が二人ふたり、細長ほそながい卓たくに向っていた。客の一人ひとりは河岸かしの若わかい衆しゅ、もう一人ひとりはどこかの職工しょっこうらしかった。我々は二人ふたりずつ向むかい合あいに、同おんなじ卓に割わりこませて貰もらった。それから平貝たいらがいのフライを肴さかなに、ちびちび正宗まさむねを嘗め始はじめた。勿論もちろん下戸げこの風中や保吉やすきちは二つと猪口ちょくは重かさねなかった。その代り料理りょうりを平げさすと、二人ふたりとも中々なかなか健啖けんたんだった。

この店は卓も腰掛こしかけも、ニスを塗らない白木しらきだった。おまけに店を囲かこう物は、江戸えど伝来でんらいの葭簀よしずだった。だから洋食ようしょくは食っていても、ほとんど洋食ようしょく屋とは思われなかった。風中は誂あつらえたビフテキが来くると、これは切きり味みじゃないかと云ったりした。如丹はナイフの切ぎれるのに、大おおいに敬意けいいを表していた。保吉やすきちはまた電燈でんとうの明あかるいのがこう云いう場所ばしょだけに難有ありがたかった。露柴も、――露柴は土地とちっ子こだから、何も珍らしくはないらしかった。が、鳥打帽とりうちぼうを阿弥陀あみだにしたまま、如丹と献酬けんしゅうを重かさねては、不相変あいかわらず快活かいかつにしゃべっていた。

するとその最中さいちゅうに、中折帽なかおれぼうをかぶった客が一人ひとり、ぬっと暖簾のれんをくぐって来た。客は外套がいとうの毛皮けがわの襟えりに肥った頬ほおを埋うずめながら、見みると云いうよりは、睨にらむように、狭せまい店の中へ眼をやった。それから一言いちごんの挨拶あいさつもせず、如丹と若わかい衆しゅとの間の席へ、大おおきい体を割わりこませた。保吉やすきちはライスカレエを掬すくいながら、嫌な奴だなと思っていた。これが泉鏡花いずみきょうかの小説しょうせつだと、任侠にんきょう欣よろこぶべき芸者げいしゃか何かに、退治たいじられる奴だがと思っていた。しかしまた現代げんだいの日本橋にっぽんばしは、とうてい鏡花きょうかの小説しょうせつのように、動きっこはないとも思っていた。

客は註文ちゅうもんを通した後のち、横柄おうへいに煙草たばこをふかし始はじめた。その姿は見れば見みるほど、敵役かたきやくの寸法すんぽうに嵌はまっていた。脂あぶらぎった赭あから顔は勿論もちろん、大島おおしまの羽織はおり、認みとめになる指環ゆびわ、――ことごとく型を出でなかった。保吉やすきちはいよいよ中あてられたから、この客の存在そんざいを忘わすれたさに、隣にいる露柴ろさいへ話しかけた。が、露柴はうんとか、ええとか、好いい加減かげんな返事へんじしかしてくれなかった。のみならず彼も中あてられたのか、電燈でんとうの光に背そむきながら、わざと鳥打とりうち帽を目深まぶかにしていた。

保吉やすきちはやむを得ず風中ふうちゅうや如丹じょたんと、食物くいものの事などを話し合った。しかし話ははずまなかった。この肥ふとった客の出現しゅつげん以来いらい、我々三人の心こころもちに、妙な狂ぐるいの出来しゅったいた事は、どうにも仕方しかたのない事実じじつだった。

客は註文ちゅうもんのフライが来くると、正宗まさむねの罎びんを取とり上あげるげた。そうして猪口ちょくへつごうとした。その時誰か横合よこあいから、「幸こうさん」とはっきり呼んだものがあった。客は明あきらかにびっくりした。しかもその驚いた顔は、声の主ぬしを見たと思おもうと、たちまち当惑とうわくの色に変り出した。「やあ、こりゃ檀那だんなでしたか。」――客は中折なかおれ帽を脱ぬぎながら、何度も声の主ぬしに御時儀おじぎをした。声の主は俳人はいじんの露柴ろさい、河岸かしの丸清まるせいの檀那だんなだった。

「しばらくだね。」――露柴は涼すずしい顔をしながら、猪口ちょこを口へ持って行った。その猪口ちょこが空からになると、客は隙すかさず露柴の猪口ちょこへ客自身おのれの罎の酒をついだ。それから側目はためには可笑おかしいほど、露柴の機嫌きげんを窺うかがい出した。………

鏡花きょうかの小説しょうせつは死んではいない。少すこしくとも東京とうきょうの魚河岸うおがしには、未いまだにあの通とおりの事件じけんも起おこるのである。

しかし洋食ようしょく屋の外そとへ出た時、保吉やすきちの心は沈んでいた。保吉やすきちは勿論もちろん「幸さん」には、何どの同情どうじょうも持たなかった。その上露うわつゆ柴の話によると、客は人格じんかくも悪いらしかった。が、それにも関かかわらず妙に陽気ようきにはなれなかった。保吉やすきちの書斎しょさいの机の上には、読よみかけたロシュフウコオの語録ごろくがある。――保吉やすきちは月明つきあかりを履ふみながら、いつかそんな事を考かんがえていた。

(大正たいしょう十一年ひととせ七月ふみつき)

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Where this text comes from

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First published
「婦人公論」1922(大正11)年8月
Source edition (底本)
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房


   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行

   1995(平成7)年4月10日第6刷発行

底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房

   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月

入力:j.utiyama

校正:earthian

1998年12月28日公開

2004年3月9日修正

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Typed by (入力)
j.utiyama
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