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芥川竜之介 Ryunosuke Akutagawa 1892.03.01〜1927.07.24

飯田蛇笏

いいだだこつ

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或木曜日ようびの晩、漱石そうせき先生せんせいの処へ遊あそびに行っていたら、何かの拍子ひょうしに赤木あかき桁平こうへいが頻しきりに蛇笏だこつを褒ほめはじめた。当時とうじの僕は十七字などを並べたことのない人間じんかんだった。勿論もちろん蛇笏だこつの名も知らなかった。が、そう云いう偉えらい人を知らずにいるのは不本意ほんいだったから、その飯田いいだ蛇笏だこつなるものの作句さっくを二つ三つ尋たずねて見た。赤木あかきは即座そくざに妙な句ばかりつづけさまに諳誦あんしょうした。しかし僕は赤木あかきのように、うまいとも何とも思わなかった。正直しょうじきに又「つまらんね」とも云った。すると何なにごとにもムキになる赤木あかきは「君には俳句はいくはわからん」と忽ち僕を撲滅ぼくめつした。

丁度ちょうどやはりその前後ぜんごにちょっと「ホトトギス」を覗いて見たら、虚子きょし先生せんせいも滔滔とうとうと蛇笏だこつに敬意けいいを表していた。句もいくつか抜いてあった。僕の蛇笏だこつに対たいする評価ひょうかはこの時も亦ネガティイフだった。殊ことに細君さいくんのヒステリイか何かを材にした句などを好まなかった。こう云いう事件じけんは句にするよりも、小説しょうせつにすれば好いのにとも思った。爾来じらい僕は久ひさしい間、ずっと蛇笏だこつを忘わすれていた。

その内に僕も作句さっくをはじめた。すると或時歳時さいじ記の中に「死病しびょう得て爪美しき火桶ひおけかな」と云いう蛇笏だこつの句を発見はっけんした。この句は蛇笏だこつに対たいする評価ひょうかを一変いっぺんする力を具えていた。僕は「ホトトギス」の雑詠ざつえいに出でる蛇笏だこつの名前なまいに注意ちゅういし出した。勿論もちろんその句境くきょうも剽窃ひょうせつした。「癆咳の頬美しや冬帽子ぼうし」「惣嫁指の白きも葱に似たりけり」――僕は蛇笏だこつの影響えいきょうのもとにそう云いう句なども製造せいぞうした。

当時とうじ又可笑しかったことには赤木あかきと俳談はいだんを闘わせた次手ついでに、うっかり蛇笏だこつを賞讃しょうさんしたら、赤木あかきは透すかさず「君と雖いえども畢ついに蛇笏だこつを認したためたかね」と大おおいに僕を冷笑れいしょうした。僕は「常談じょうだん云っちゃいけない。僕をして過たしめたものは実は君の諳誦あんしょうなんだからな」とやっと冷笑れいしょうを投げ返した。と云いうのは蛇笏だこつを褒ほめた時に、博覧はくらん強記きょうきなる赤木あかき桁平こうへいもどう云いう頭の狂ぐるいだったか、「芋の露連山影さんえいを正うす」と云いう句を「連山影さんえいを斉ととのうす」と間違えて僕に聞かせたからである。

しかし僕は一二いちに年の後、いつか又「ホトトギス」に御無沙汰さたをし出した。それでも蛇笏だこつには注意ちゅういしていた。或時句作くさくをする青年せいねんに会ったら、その青年せいねんは何処いずこかの句会くかいに蛇笏だこつを見みかけたと云いう話をした。同時どうじに「蛇笏だこつと云いうやつはいやに傲慢ごうまんな男です」とも云った。僕は悪口あっこうを云われた蛇笏だこつに甚はなはだ頼たのもしい感かんじを抱いた。それは一つには僕自身おのれも傲慢ごうまんに安んじている所から、同類どうるいの思おもいをなしたのかも知れない。けれどもまだその外にも僕はいろいろの原因げんいんから、どうも俳人はいじんと云いうものは案外あんがい世渡よわたりの術に長じた奸物かんぶつらしい気がしていた。「いやに傲慢ごうまんな男です」などと云いう非難ひなんは到底とうてい受けそうもない気がしていた。それだけに悪口あっこうを云われた蛇笏だこつは悪口あっこうを云われない連中れんじゅうよりも高等こうとうに違ちげいないと思ったのである。

爾来じらい更さらに何年なにどしかを閲けみした今日きょう、僕は卒然そつぜん飯田いいだ蛇笏だこつと、――いや、もう昔の蛇笏だこつではない。今は飯田いいだ蛇笏だこつ君である。――手紙てがみの往復おうふくをするようになった。蛇笏だこつ君の書は予想よそうしたように如何いかにも俊爽の風を帯おびている。成程なるほどこれでは小児しょうになどに「いやに傲慢ごうまんな男です」と悪口あっこうを云われることもあるかも知れない。僕は蛇笏だこつ君の手紙てがみを前に頼たのもしい感かんじを新あらたにした。

春雨しゅんうの中や雪おく甲斐かいの山

これは僕の近作きんさくである。次手ついでを以て甲斐かいの国にいる蛇笏だこつ君に献上けんじょうしたい。僕は又この頃ころ思おもい出でしたように時時ときどき句作くさくを試こころみている。が、一度ひとたび句作くさくに遠ざかった祟たたりには忽ち苦吟くぎんに陥ってしまう。どうも蛇笏だこつ君などから鞭撻べんたつを感じた往年おうねんの感激かんげきは返らないらしい。所詮しょせん下手しもては下手しもてなりに句作くさくそのものを楽たのしむより外に安住あずみする所はないと見まみえる。

おらが家の花も咲いたる番茶ばんちゃかな

先輩せんぱいたる蛇笏だこつ君の憫笑びんしょうを蒙れば幸甚こうじんである。

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Source edition (底本)
底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社


   1995(平成7)年1月10日第1刷発行

底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店

   1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月発行

入力:向井樹里

校正:砂場清隆

2007年2月12日作成

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向井樹里
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