Nihoner

芥川竜之介 Ryunosuke Akutagawa 1892.03.01〜1927.07.24

運

うん

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目のあらい簾すだれが、入口いりぐちにぶらさげてあるので、往来おうらいの容子ようすは仕事場しごとばにいても、よく見えた。清水きよみずへ通かよう往来おうらいは、さっきから、人通ひとどうりが絶えない。金鼓こんくをかけた法師ほうしが通とおる。壺装束つぼしょうぞくをした女が通とおる。その後あとからは、めずらしく、黄牛あめうしに曳ひかせた網代車あじろぐるまが通った。それが皆、疎まばらな蒲がまの簾すだれの目を、右からも左からも、来たかと思おもうと、通りぬけてしまう。その中で変らないのは、午後ごごの日が暖かに春を炙あぶっている、狭せまい往来おうらいの土の色ばかりである。

その人の往来おうらいを、仕事場しごとばの中ちゅうから、何と云いう事もなく眺ながめていた、一人ひとりの青侍あおざむらいが、この時、ふと思いついたように、主あるじの陶器師すえものつくりへ声をかけた。

「不相変あいかわらず、観音様かんのんさまへ参詣さんけいする人が多いようだね。」

「左様さようでございます。」

陶器師すえものつくりは、仕事しごとに気をとられていたせいか、少すこし迷惑めいわくそうに、こう答えた。が、これは眼の小ちいさい、鼻の上を向むかいた、どこかひょうきんな所のある老人ろうじんで、顔かおつきにも容子ようすにも、悪気わるぎらしいものは、微塵みじんもない。着ているのは、麻あさの帷子かたびらであろう。それに萎なえた揉烏帽子もみえぼしをかけたのが、この頃ころ評判ひょうばんの高だかい鳥羽僧正とばそうじょうの絵巻えまきの中の人物じんぶつを見みるようである。

「私も一つ、日参にっさんでもして見ようか。こう、うだつが上らなくちゃ、やりきれない。」

「御冗談ごじようだんで。」

「なに、これで善いい運が授さずかるとなれば、私だって、信心しんじんをするよ。日参にっさんをしたって、参籠さんろうをしたって、そうとすれば、安やすいものだからね。つまり、神仏しんぶつを相手あいてに、一商売しょうばいをするようなものさ。」

青侍あおざむらいは、年相応そうおうな上調子うわちょうしなもの言いいをして、下唇したくちびるを舐なめながら、きょろきょろ、仕事場しごとばの中を見廻みまわりした。――竹藪たけやぶを後うしろにして建てた、藁葺わらぶきのあばら家やだから、中は鼻がつかえるほど狭せまい。が、簾の外の往来おうらいが、目まぐるしく動うごくのに引換ひきかえて、ここでは、甕かめでも瓶子へいしでも、皆赭あかちゃけた土器かわらけの肌はだをのどかな春風しゅんぷうに吹かせながら、百年も昔からそうしていたように、ひっそりかんと静まっている。どうやらこの家の棟むねばかりは、燕つばめさえも巣を食わないらしい。……

翁おきなが返事へんじをしないので、青侍あおざむらいはまた語を継ついだ。

「お爺じいさんなんぞも、この年までには、随分ずいぶいろんな事を見たり聞いたりしたろうね。どうだい。観音かんのん様は、ほんとうに運を授さずけて下くださるものかね。」

「左様さようでございます。昔は折々、そんな事もあったように聞いて居りますが。」

「どんな事があったね。」

「どんな事と云って、そう一口ひとくちには申せませんがな。――しかし、貴方あなたがたは、そんな話をお聞ききなすっても、格別かくべつ面白くもございますまい。」

「可哀かわいそうに、これでも少すこしは信心気しんじんぎのある男なんだぜ。いよいよ運が授さずかるとなれば、明日あすにも――」

「信心しんじん気でございますかな。商売しょうばい気でございますかな。」

翁おきなは、眦めじりに皺しわをよせて笑った。捏こねていた土が、壺つぼの形になったので、やっと気が楽になったと云いう調子ちょうしである。

「神仏しんぶつの御考かんがえなどと申もうすものは、貴方あなたがたくらいのお年では、中々わからないものでございますよ。」

「それはわからなかろうさ。わからないから、お爺やじさんに聞くんだあね。」

「いやさ、神仏しんぶつが運をお授さずけになる、ならないと云いう事じゃございません。そのお授さずけになる運の善よし悪あしと云いう事が。」

「だって、授さずけて貰えばわかるじゃないか。善いい運だとか、悪わるい運だとか。」

「それが、どうも貴方きほうがたには、ちとおわかりになり兼ねましょうて。」

「私には運の善よし悪あしより、そう云いう理窟りくつの方がわからなそうだね。」

日が傾かたむき出したのであろう。さっきから見みると、往来おうらいへ落おちる物の影が、心こころもち長くなった。その長ながい影をひきながら、頭かしらに桶おけをのせた物売ものうりの女が二人ふたり、簾の目を横に、通とおりすぎる。一人ひとりは手に宿への土産みやげらしい桜の枝を持っていた。

「今、西の市いちで、績麻うみそのみせみせを出だしている女なぞもそうでございますが。」

「だから、私はさっきから、お爺やじさんの話を聞ききたがっているじゃないか。」

二人ふたりは、暫しばらくの間、黙った。青侍あおざむらいは、爪で頤あごのひげを抜ぬきながら、ぼんやり往来おうらいを眺ながめている。貝殻かいがらのように白く光ひかるのは、大方おおかたさっきの桜の花がこぼれたのであろう。

「話さないかね。お爺やじさん。」

やがて、眠そうな声で、青侍あおざむらいが云った。

「では、御免ごめんを蒙って、一つ御話はなし申しましょうか。また、いつもの昔話むかしばなしでございますが。」

こう前置まえおきをして、陶器師すえものつくりの翁は、徐おもむろに話はなし出した。日の長ながい短みじかいも知らない人でなくては、話せないような、悠長ゆうちょうな口ぶりで話はなし出したのである。

「もうかれこれ三四十さんよんじゅう年前になりましょう。あの女がまだ娘の時分じぶんに、この清水きよみずの観音かんのん様へ、願がんをかけた事がございました。どうぞ一生いっしょう安楽あんらくに暮せますようにと申しましてな。何なにしろ、その時分じぶんは、あの女もたった一人ひとりのおふくろに死別しにわかれた後で、それこそ日々にちにちの暮くらしにも差支さしつかえるような身みの上うえでございましたから、そう云いう願がんをかけたのも、満更まんざら無理むりはございません。

「死んだおふくろと申もうすのは、もと白朱社はくしゅしゃの巫子みこで、一ひとしきりは大たいそう流行はやったものでございますが、狐きつねを使つかうと云いう噂うわさを立てられてからは、めっきり人も来なくなってしまったようでございます。これがまた、白あばたの、年に似合わず水々しい、大おおがらな婆さんでございましてな、何さま、あの容子ようすじゃ、狐どころか男でも……」

「おふくろの話よりは、その娘の話の方を伺うかがいたいね。」

「いや、これは御挨拶あいさつで。――そのおふくろが死んだので、後は娘一人ひとりの痩やせ腕でございますから、いくらかせいでも、暮くらしの立てられようがございませぬ。そこで、あの容貌きりょうのよい、利発者りはつものの娘が、お籠こもりをするにも、襤褸つづれ故に、あたりへ気がひけると云いう始末しまつでございました。」

「へえ。そんなに好いい女だったかい。」

「左様さようでございます。気きだてと云い、顔と云い、手前てまえの欲目よくめでは、まずどこへ出だしても、恥しくないと思いましたがな。」

「惜おしい事に、昔さね。」

青侍あおざむらいは、色のさめた藍の水干すいかんの袖口そでくちを、ちょいとひっぱりながら、こんな事を云いう。翁は、笑声しょうせいを鼻から抜いて、またゆっくり話はなしつづけた。後うしろの竹籔たけやぶでは、頻しきりに鶯うぐいすが啼いている。

「それが、三七日さんしちにちの間、お籠こもりをして、今日きょうが満願まんがんと云いう夜よに、ふと夢を見ました。何でも、同おんなじ御堂おどうに詣まいっていた連中れんじゅうの中に、背むしの坊主ぼうずが一人ひとりいて、そいつが何か陀羅尼だらにのようなものを、くどくど誦ずしていたそうでございます。大方おうかたそれが、気になったせいでございましょう。うとうと眠気ねむけがさして来ても、その声ばかりは、どうしても耳をはなれませぬ。とんと、縁えんの下したで蚯蚓みみずでも鳴いているような心こころもちで――すると、その声が、いつの間にやら人間じんかんの語ことばになって、『ここから帰かえる路で、そなたに云いよる男がある。その男の云いう事を聞きくがよい。』と、こう聞きこえると申もうすのでございますな。

「はっと思って、眼がさめると、坊主ぼうずはやっぱり陀羅尼三昧だらにざんまいでございます。が、何と云っているのだか、いくら耳を澄ましても、わかりませぬ。その時、何気なく、ひょいと向むかうを見みると、常夜燈じょうやとうのぼんやりした明あかりで、観音かんのん様の御顔が見えました。日頃ひごろ拝おがみなれた、端厳微妙たんごんみみょうの御顔でございますが、それを見みると、不思議ふしぎにもまた耳みみもとで、『その男の云いう事を聞きくがよい。』と、誰だか云いうような気がしたそうでございます。そこで、娘はそれを観音かんのん様の御告おつげだと、一図いちずに思いこんでしまいましたげな。」

「はてね。」

「さて、夜がふけてから、御寺を出て、だらだら下りの坂路さかじを、五条ごじょうへくだろうとしますと、案の定じょう後うしろから、男が一人ひとり抱きつきました。丁度ちょうど、春はるさきの暖あたたかい晩でございましたが、生憎あいにくの暗で、相手あいての男の顔も見えなければ、着ている物などは、猶なおの事わかりませぬ。ただ、ふり離そうとする拍子ひょうしに、手が向むかうの口髭くちひげにさわりました。いやはや、とんだ時が、満願まんがんの夜に当ったものでございます。

「その上、相手あいては、名を訊きかれても、名を申しませぬ。所を訊かれても、所を申しませぬ。ただ、云いう事を聞けと云いうばかりで、坂下さかしたの路を北へ北へ、抱きすくめたまま、引ひきずるようにして、つれて行きます。泣こうにも、喚わめこうにも、まるで人通ひとどうりのない時分じぶんなのだから、仕方しかたがございませぬ。」

「ははあ、それから。」

「それから、とうとう八坂寺やさかでらの塔の中へ、つれこまれて、その晩はそこですごしたそうでございます。――いや、その辺へんの事なら、何も年としよりの手前てまえなどが、わざわざ申もうし上あげるまでもございますまい。」

翁おきなは、また眦めじりに皺しわをよせて、笑った。往来おうらいの影は、いよいよ長くなったらしい。吹ふくともなく渡わたる風のせいであろう、そこここに散っている桜の花も、いつの間にかこっちへ吹きよせられて、今では、雨落あまおちの石の間に、点々と白じろい色をこぼしている。

「冗談じょうだん云っちゃいけない。」

青侍あおざむらいは、思おもい出でしたように、頤あごのひげを抜ぬき抜ぬき、こう云った。

「それで、もうおしまいかい。」

「それだけなら、何もわざわざお話はなし申もうすがものはございませぬ。」翁おきなは、やはり壺つぼをいじりながら、「夜があけると、その男が、こうなるのも大方おうかた宿世すくせの縁だろうから、とてもの事ごとに夫婦みょうとになってくれと申したそうでございます。」

「成程なるほど。」

「夢の御告げでもないならともかく、娘は、観音かんのん様のお思召おぼしめし通とおりになるのだと思ったものでございますから、とうとう首かぶりを竪たてにふりました。さて形かたばかりの盃事さかずきごとをすませると、まず、当座とうざの用にと云って、塔の奥から出だして来てくれたのが綾あやを十疋ぴきに絹を十疋でございます。――この真似まねばかりは、いくら貴方あなたにもちとむずかしいかも存ぞんじませんな。」

青侍あおざむらいは、にやにや笑わらうばかりで、返事へんじをしない。鶯も、もう啼かなくなった。

「やがて、男は、日の暮くれに帰かえると云って、娘一人ひとりを留守居るすいに、慌あわただしくどこかへ出て参まいりました。その後あとの淋しさは、また一倍いちばいでございます。いくら利発りはつ者でも、こうなると、さすがに心細くなるのでございましょう。そこで、心晴はらしに、何気なにげなく塔の奥へ行って見みると、どうでございましょう。綾や絹は愚おろかな事、珠玉しゅぎょくとか砂金さきんとか云いう金目かねめの物が、皮匣かわごに幾つともなく、並なべてあると云いうじゃございませぬか。これにはああ云いう気丈きじょうな娘でも、思わず肚胸とむねをついたそうでございます。

「物にもよりますが、こんな財物たからを持っているからは、もう疑うたがいはございませぬ。引剥ひはぎでなければ、物盗ものとりでございます。――そう思おもうと、今まではただ、さびしいだけだったのが、急に、怖こわいのも手伝てつだいって、何だか片時かたときもこうしては、いられないような気になりました。何さま、悪く放免ほうめんの手にでもかかろうものなら、どんな目に遭あうかも知れませぬ。

「そこで、逃にげ場ばをさがす気で、急いで戸口ここうの方へ引返そうと致しますと、誰だか、皮匣かわごの後うしろから、しわがれた声で呼びとめました。何なにしろ、人はいないとばかり思っていた所でございますから、驚いたの驚かないのじゃございませぬ。見みると、人間じんかんとも海鼠なまこともつかないようなものが、砂金さきんの袋を積んだ中に、円まるくなって、坐って居ります。――これが目めくされの、皺しわだらけの、腰のまがった、背の低ひくい、六十ろくじゅうばかりの尼法師あまほうしでございました。しかも娘の思惑おもわくを知ってか知らないでか、膝ひざで前へのり出しながら、見みかけによらない猫撫声ねこなでごえで、初対面たいめんの挨拶あいさつをするのでございます。

「こっちは、それ所の騒さわぎではないのでございますが、何なにしろ逃げようと云いう巧たくみをけどられなどしては大変たあいへんだと思ったので、しぶしぶ皮匣かわごの上に肘ひじをつきながら心にもない世間せけん話をはじめました。どうも話の容子ようすでは、この婆さんが、今まであの男の炊女みずしか何かつとめていたらしいのでございます。が、男の商売しょうばいの事になると、妙に一口ひとくちも話はなしませぬ。それさえ、娘の方では、気になるのに、その尼あまがまた、少すこし耳が遠とおいと来ているものでございますから、一つ話を何度となく、云い直なおしたり聞き直したりするので、こっちはもう泣なき出だしたいほど、気がじれます。――

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First published
「文章世界」1917(大正6)年1月
Source edition (底本)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房


   1986(昭和61)年9月24日第1刷発行

   1995(平成7)年10月5日第13刷発行

底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房

   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月

入力:j.utiyama

校正:earthian

1998年11月11日公開

2004年3月9日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
j.utiyama
Proofread by (校正)
もりみつじゅんじ

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