Nihoner

芥川竜之介 Ryunosuke Akutagawa 1892.03.01〜1927.07.24

犬と笛

いぬとふえ

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いく子こさんに献ず

一

昔、大和やまとの国葛城山かつらぎやまの麓に、髪長彦かみながひこという若わかい木樵きこりが住んでいました。これは顔かおかたちが女のようにやさしくって、その上うえ髪までも女のように長かったものですから、こういう名前なまいをつけられていたのです。

髪長彦かみながひこは、大たいそう笛ふえが上手うわてでしたから、山へ木を伐きりに行ゆく時でも、仕事しごとの合あい間ま合あい間まには、腰にさしている笛を出だして、独ひとりでその音ねを楽しんでいました。するとまた不思議ふしぎなことには、どんな鳥獣とりけものや草木くさきでも、笛の面白おもしろいさはわかるのでしょう。髪長かみなが彦がそれを吹ふき出だすと、草はなびき、木はそよぎ、鳥や獣はまわりへ来て、じっとしまいまで聞いていました。

ところがある日のこと、髪長かみなが彦はいつもの通とおり、とある大木おうぎの根がたに腰を卸おろしながら、余念よねんもなく笛を吹いていますと、たちまち自分じぶんの目の前へ、青あおい勾玉まがたまを沢山だくさんぶらさげた、足の一本いっぽんしかない大男おうおとこが現あらわれて、

「お前まえは仲々笛がうまいな。己おれはずっと昔から山奥やまおくの洞穴ほらあなで、神代かみよの夢ばかり見ていたが、お前まえが木を伐きりに来始はじめてからは、その笛の音に誘われて、毎日まいにち面白おもしろい思をしていた。そこで今日はそのお礼に、ここまでわざわざ来たのだから、何でも好すきなものを望のぞむが好いい。」と言いました。

そこで木樵きこりは、しばらく考かんがえていましたが、

「私わたくしは犬が好すきですから、どうか犬を一匹下さい。」と答えました。

すると、大男おうおとこは笑わらいながら、

「高こうが犬を一匹くれなどとは、お前まえも余よっ程ぽど欲のない男だ。しかしその欲のないのも感心かんしんだから、ほかにはまたとないような不思議ふしぎな犬をくれてやろう。こう言ゆう己おれは、葛城山かつらぎやまの足一あしひとつの神だ。」と言って、一声高く口笛くちぶえを鳴らしますと、森の奥から一匹の白犬しろいぬが、落葉おちばを蹴立てて駈かけて来ました。

足一つの神はその犬を指さして、

「これは名を嗅げと言って、どんな遠とおい所の事でも嗅かぎ出して来くる利口りこうな犬だ。では、一生いっしょう己おれの代りに、大事だいじに飼ってやってくれ。」と言ゆうかと思おもうと、その姿は霧のように消えて、見えなくなってしまいました。

髪長かみなが彦は大喜おうよろこびで、この白犬しろいぬと一いっしょに里へ帰って来ましたが、あくる日ひまた、山へ行って、何気なにげなく笛を鳴らしていると、今度こんどは黒ぐろい勾玉まがたまを首へかけた、手の一本いっぽんしかない大男おうおとこが、どこからか形を現して、

「きのう己の兄あにきの足一つの神が、お前まえに犬をやったそうだから、己も今日は礼をしようと思ってやって来た。何か欲ほしいものがあるのなら、遠慮えんりょなく言ゆうが好い。己は葛城かずらき山の手一てひとつの神だ。」と言いました。

そうして髪長かみなが彦が、また「嗅かげにも負まけないような犬が欲ほしい。」と答えますと、大男おうおとこはすぐに口笛くちぶえを吹いて、一匹の黒犬くろいぬを呼よび出だしながら、

「この犬の名は飛べと言って、誰でも背中せなかへ乗ってさえすれば百里ひゃくりでも千里ちさとでも、空を飛んで行くことが出来できる。明日あしたはまた己の弟が、何かお前まえに礼をするだろう。」と言って、前のようにどこかへ消え失せてしまいました。

するとあくる日ひは、まだ、笛を吹ふくか吹かないのに、赤あかい勾玉まがたまを飾かざりにした、目の一つしかない大男おうおとこが、風のように空から舞まい下おりるって、

「己おれは葛城山かつらぎやまの目一めひとつの神だ、兄あにきたちがお前まえに礼をしたそうだから、己も嗅げや飛べに劣らないような、立派りっぱな犬をくれてやろう。」と言ったと思おもうと、もう口笛くちぶえの声が森中もりなかにひびき渡って、一匹の斑犬ぶちいぬが牙きばをむき出だしながら、駈けて来ました。

「これは噛めという犬だ。この犬を相手あいてにしたが最後さいご、どんな恐おそろしい鬼神おにがみでも、きっと一噛ひとかみに噛み殺されてしまう。ただ、己おれたちのやった犬は、どんな遠とおいところにいても、お前まえが笛を吹ふきさえすれば、きっとそこへ帰って来くるが、笛がなければ来ないから、それを忘わすれずにいるが好い。」

そう言いながら目一つの神は、また森の木この葉はをふるわせて、風のように舞い上ってしまいました。

二

それから四五しご日たったある日のことです。髪長かみなが彦は三匹の犬をつれて、葛城山かつらぎやまの麓にある、路が三叉みつまたになった往来おうらいへ、笛を吹ふきながら来かかりますと、右と左と両方りょうほうの路から、弓矢ゆみやに身をかためた、二人ふたりの年若としわかな侍が、逞たくましい馬に跨またがって、しずしずこっちへやって来ました。

髪長かみなが彦はそれを見みると、吹いていた笛を腰へさして、叮嚀ていねいにおじぎをしながら、

「もし、もし、殿様、あなた方がたは一体いったい、どちらへいらっしゃるのでございます。」と尋ねました。

すると二人ふたりの侍が、交かわる交がわる答えますには、

「今度こんど飛鳥あすかの大臣様おおおみさまの御姫様が御二方、どうやら鬼神おにがみのたぐいにでもさらわれたと見えて、一晩の中に御行方おんゆくえが知れなくなった。」

「大臣おとど様は大たいそうな御心配しんぱいで、誰でも御姫様を探し出して来たものには、厚あつい御褒美ごほうびを下くださると云いう仰おおせだから、それで我々二人ふたりも、御行方ゆくえを尋たずねて歩いているのだ。」

こう云って二人ふたりの侍は、女のような木樵きこりと三匹の犬とをさも莫迦ばかにしたように見下みくだしながら、途を急いで行ってしまいました。

髪長かみなが彦は好いい事を聞いたと思いましたから、早速さそく白犬しろいぬの頭を撫なでて、

「嗅かげ。嗅げ。御姫様たちの御行方ゆくえを嗅ぎ出せ。」と云いました。

すると白犬しろいぬは、折おりから吹いて来た風に向って、しきりに鼻をひこつかせていましたが、たちまち身みぶるいを一つするが早はやいか、

「わん、わん、御姉様おあねえさまの御姫様は、生駒山いこまやまの洞穴ほらあなに住んでいる食蜃人しょくしんじんの虜とりこになっています。」と答えました。食蜃人しょくしんじんと云いうのは、昔八岐やまたの大蛇おろちを飼っていた、途方とほうもない悪者わるものなのです。

そこで木樵きこりはすぐ白犬しろいぬと斑犬ぶちいぬとを、両方りょうほうの側わきにかかえたまま、黒犬くろいぬの背中せなかに跨って、大おおきな声でこう云いつけました。

「飛べ。飛べ。生駒山いこまやまの洞穴ほらあなに住んでいる食蜃人の所へ飛んで行け。」

その言ことばが終らない中うちです。恐おそろしいつむじ風かぜが、髪長かみなが彦の足の下から吹ふき起ったと思いますと、まるで一ひらの木この葉のように、見みる見みる黒犬くろいぬは空へ舞い上って、青雲あおぐもの向むかうにかくれている、遠とおい生駒いこま山の峰の方へ、真一文字いちもんじに飛とび始はじめました。

三

やがて髪長彦かみながひこが生駒山いこまやまへ来て見ますと、成程なるほど山の中程なかほどに大おおきな洞穴ほらあなが一つあって、その中に金の櫛くしをさした、綺麗きれいな御姫様おひめさまが一人ひとり、しくしく泣いていらっしゃいました。

「御姫様、御姫様、私わたくしが御迎むかえにまいりましたから、もう御心配しんぱいには及およびません。さあ、早く、御父様おとうさまの所へ御帰がえりになる御仕度したくをなすって下さいまし。」

こう髪長かみなが彦が云いますと、三匹の犬も御姫様の裾や袖を啣くわえながら、

「さあ早く、御仕度したくをなすって下さいまし。わん、わん、わん、」と吠ほえました。

しかし御姫様は、まだ御眼に涙をためながら、洞穴どうけつの奥の方をそっと指ゆびさして御見せになって、

「それでもあすこには、私わたしをさらって来た食蜃人が、さっきから御酒みきに酔って寝ています。あれが目をさましたら、すぐに追いかけて来くるでしょう。そうすると、あなたも私も、命をとられてしまうのにちがいありません。」と仰有おっしゃいました。

髪長かみなが彦はにっこりほほ笑んで、

「高の知れた食蜃人なぞを、何でこの私わたくしが怖こわがりましょう。その証拠しょうこには、今ここで、訳わけなく私が退治たいじして御覧ごらんに入れます。」と云いながら、斑犬ぶちいぬの背中せなかを一つたたいて、

「噛め。噛め。この洞穴どうけつの奥にいる食蜃人を一噛みに噛み殺せ。」と、勇いさましい声で云いつけました。

すると斑犬はすぐ牙きばをむき出だして、雷かみなりのように唸うなりながら、まっしぐらに洞穴どうけつの中へとびこみましたが、たちまちの中にまた血だらけな食蜃人の首を啣くわえたまま、尾をふって外へ出て来ました。

ところが不思議ふしぎな事には、それと同時どうじに、雲で埋うずまっている谷底たにそこから、一陣いちじんの風がまき起りますと、その風の中に何かいて、

「髪長かみなが彦さん。難有ありがとう。この御恩は忘わすれません。私は食蜃人にいじめられていた、生駒いこま山の駒姫こまひめです。」と、やさしい声で云いました。

しかし御姫様は、命拾いのちびろいをなすった嬉しさに、この声も聞えないような御容子ごようすでしたが、やがて髪長かみなが彦の方を向むかいて、心配そうに仰有おっしゃいますには、

「私わたくしはあなたのおかげで命拾いのちびろいをしましたが、妹は今時分じぶんどこでどんな目に逢あって居りましょう。」

髪長かみなが彦はこれを聞きくと、また白犬しろいぬの頭を撫なでながら、

「嗅げ。嗅げ。御姫様の御行方ゆくえを嗅ぎ出せ。」と云いました。と、すぐに白犬しろいぬは、

「わん、わん、御妹おいもとご様の御姫様は笠置山かさぎやまの洞穴ほらあなに棲すんでいる土蜘蛛つちぐもの虜とりこになっています。」と、主人しゅじんの顔を見上げながら、鼻をびくつかせて答えました。この土蜘蛛つちぐもと云いうのは、昔神武天皇じんむてんのう様が御征伐せいばつになった事のある、一寸法師いっすんぼうしの悪者わるものなのです。

そこで髪長かみなが彦は、前のように二匹の犬を小脇こわきにかかえて御姫様と一いっしょに黒犬くろいぬの背中せなかへ跨りながら、

「飛べ。飛べ。笠置かさぎ山の洞穴どうけつに住んでいる土蜘蛛つちぐもの所へ飛んで行け。」と云いますと、黒犬くろいぬはたちまち空へ飛び上って、これも青雲せいうんのたなびく中に聳えている笠置かさぎ山へ矢よりも早く駈け始はじめました。

四

さて笠置山かさぎやまへ着きますと、ここにいる土蜘蛛つちぐもはいたって悪知慧わるぢえのあるやつでしたから、髪長彦かみながひこの姿を見みるが早はやいか、わざとにこにこ笑わらいながら、洞穴ほらあなの前まで迎むかえに出て、

「これは、これは、髪長かみなが彦さん。遠方えんぽう御苦労くろうでございました。まあ、こっちへおはいりなさい。碌ろくなものはありませんが、せめて鹿の生胆いきぎもか熊の孕子はらみごでも御馳走ごちそうしましょう。」と云いました。

しかし髪長かみなが彦は首をふって、

「いや、いや、己おれはお前まえがさらって来た御姫様をとり返かえしにやって来たのだ。早く御姫様を返せばよし、さもなければあの食蜃人しょくしんじん同様どうよう、殺ころしてしまうからそう思え。」と、恐おそろしい勢いきおいで叱りつけました。

すると土蜘蛛つちぐもは、一ちぢみにちぢみ上って、

「ああ、御返がえし申しますとも、何であなたの仰有おっしゃる事に、いやだなどと申しましょう。御姫様はこの奥にちゃんと、独ひとりでいらっしゃいます。どうか御遠慮えんりょなく中へはいって、御つれになって下さいまし。」と、声をふるわせながら云いました。

そこで髪長かみなが彦は、御姉様の御姫様と三匹の犬とをつれて、洞穴どうけつの中へはいりますと、成程なるほどここにも銀の櫛くしをさした、可愛かわいらしい御姫様が、悲しそうにしくしく泣いています。

それが人の来た容子ようすに驚いて、急いでこちらを御覧ごらんになりましたが、御姉様おあねえさまの御顔を一目見まみたと思おもうと、

「御姉様。」

「妹。」と、二人ふたりの御姫様は一度ひとたびに両方りょうほうから駈けよって、暫しばらくは互に抱だき合ったまま、うれし涙なみだにくれていらっしゃいました。髪長かみなが彦もこの気色けしきを見て、貰もらい泣なきをしていましたが、急に三匹の犬が背中せなかの毛を逆立さかだてて、

「わん。わん。土蜘蛛つちぐもの畜生め。」

「憎にくいやつだ。わん。わん。」

「わん。わん。わん。覚おぼえていろ。わん。わん。わん。」と、気の違ったように吠ほえ出だしましたから、ふと気がついてふり返かえると、あの狡猾こうかつな土蜘蛛つちぐもは、いつどうしたのか、大おおきな岩で、一分いちぶんの隙すきもないように、外から洞穴どうけつの入口いりぐちをぴったりふさいでしまいました。おまけにその岩の向むかうでは、

「ざまを見ろ、髪長かみなが彦め。こうして置けば、貴様きさまたちは、一月とたたない中に、ひぼしになって死んでしまうぞ。何と己様おれさまの計略けいりゃくは、恐れ入ったものだろう。」と、手を拍たたいて土蜘蛛つちぐもの笑わらう声がしています。

これにはさすがの髪長かみなが彦も、さては一いっぱい食わされたかと、一時いちじは口惜しがりましたが、幸い思おもい出でしたのは、腰にさしていた笛の事です。この笛を吹ふきさえすれば、鳥獣とりけものは云いうまでもなく、草木くさきもうっとり聞き惚ほれるのですから、あの狡猾こうかつな土蜘蛛つちぐもも、心を動かさないとは限かぎりません。そこで髪長かみなが彦は勇気ゆうきをとり直して、吠ほえたける犬をなだめながら、一心いっしん不乱ふらんに笛を吹ふき出でるしました。

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Where this text comes from

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First published
「赤い鳥」1919(大正8)年1、2月
Source edition (底本)
底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房


   1986(昭和61)年10月28日第1刷発行

   1996(平成8)年7月15日第11刷発行

底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房

   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月

入力:j.utiyama

校正:かとうかおり

1998年12月7日公開

2004年3月8日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
j.utiyama
Proofread by (校正)
かとうかおり

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