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与謝野晶子 Akiko Yosano 1878.12.07〜1942.05.29

姑と嫁について

しゅうとめとよめについて

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或会社かいしゃの技師ぎしをしている工学こうがく士某氏ぼうしの妻が自分じぶんに対たいする苛酷かこくを極めた処置しょちに堪えかねて姑を刺さしたという故殺こさつ未遂みすい犯が近頃ちかごろ公判こうはんに附せられたので、その事件じけんの真相しんそうが諸新聞しんぶんに現あらわれた。嫁が姑を刃傷にんじょうしたということは稀有けうな事件じけんである。無教育きょういくな階級かいきゅうの婦人ふじん間においてさえ類例るいれいを見出みだしがたいことであるのに、工学こうがく士の妻として多少たしょうの教育きょういくもあり、女優じょゆうとして立とうと決心けっしんしていたほど新代の芸術げいじゅつに対たいする渇仰かつごうもある婦人ふじんが、こういう惨事さんじを引起ひきおこすに至ったについては何か特別とくべつな理由りゆうがなくてはならない。私は諸新聞しんぶんの態度たいどが初はじめから一概いちがいに被告ひこくを憎んで掛らずに、力つとめて細かに事件じけんの真実しんじつを伝えようとし、その結果けっか『東京とうきょう朝日あさひ』記者きしゃのように特とくに被告ひこくに対して同情どうじょうのある報道ほうどうをされたことを、被告ひこくと同おんなじ女性じょせいの一人ひとりとして感謝しゃする者である。

新聞しんぶん紙の伝うる所に由よれば、姑という人は明治あきはる以前いぜんの思想しそうをそのままに墨守ぼくしゅして移うつることを知らず、現代げんだいの教育きょういくを受けた若わかい嫁の心理しんりに大たいした同感どうかんもなく、かえって断えず反感はんかんを持って対し、二言にごん目には家風かふうを楯たてに取とり、自分じぶんの旧式きゅうしきな思想しそうを無上むじょうの権威けんいとして嫁の個性こせいを蹂躙じゅうりんし圧倒あっとうすることを何とも思わず、聞きき苦ぐるしい干渉かんしょうと邪推じゃすいと、悪罵あくばと、あてこすりとを以て嫁を苛いじめて悔いぬような、世にいう姑根性こんじょうをかなり多く備えた婦人ふじんであるらしい。私は幼おさない時から私の郷里ごうりなどにそういう無智むちな姑の少すこしくない事を見聞けんぶんしており、また一般いっぱんに温厚おんこうな嫁ほどそういう姑の下にあって人の知らない多大ただいの苦痛くつうを忍んでいることを知っているので、姑に対たいする新聞しんぶん紙の報道ほうどうを誇張こちょうだとは思わない。

また妻という人は新聞しんぶん紙に由れば普通ふつうの教育きょういくもあり、常識じょうしきもあり、良人おっととの仲も睦むつまじく、所帯しょたい持も好よく、快濶かいかつではないが優やさしい中に熱烈ねつれつな所のある婦人ふじんで、芸術げいじゅつ上の希望きぼうを満みたしたいために女優じょゆうとして立だつに至ったのも良人おっととの相談そうだんの上であって、夫婦ふうふの間に決けっしてそれが突飛とっぴな問題もんだいでもお転婆てんばな行為こういでもなかったのである。これは今日きょうの女子じょし教育きょういくの程度ていどから見て工学こうがく士の妻として恥はずかしからぬ婦人ふじんであることは誰も同意どういするであろう。普通ふつうならば学士がくしの妻となったことに甘んじて尋常じんじょうな一生いっしょうを送おくる若わかい婦人ふじんが多おおい世よの中なかに、更さらに物議ぶつぎの多おおい女優じょゆうとなって新あたらしい芸術げいじゅつに何なにほどかの貢献こうけんをしようとする熱心ねっしんと勇気ゆうきとを思おもうと、むしろ多数たすうの学士がくしの妻の中にあって得やすからぬ健気けなげな婦人ふじんの一人ひとりであるといってもよい。

若わかい夫婦ふうふは良人おっとの任地にんちである横浜よこはまに住すみ、老父ろうふ母たちは神戸ごうどに住んでいたが、姑はおりおり夫婦ふうふの家に来て滞在たいざいしながら良人おっとの留守るすに嫁に小言こごとをいい、良人おっとに対しても嫁について讒訴ざんそとも見みるべきことを言ゆうのであった。それについて若わかい妻は日本にぽんの一般いっぱんの女性じょせいが姑に捧ささげる限かぎりのあらゆる忍従にんじゅうの態度たいどを取って、少すこしもそれに反抗こうする言動げんどうを示さなかった。新旧しんきゅう思想しそうの過渡かと期に生れたあわれな若わかい妻は、姑の無情むじょう非理ひりを知りつつ出来できるだけ忍従にんじゅうの態度たいどを取どる外に賢かしこい孝養こうようの法がなかった。

ここに私の遺憾いかんに思おもうのは――むしろ攻撃こうげきしたく思おもうのは――その良人おっとたる工学こうがく士某氏ぼうしの思慮しりょの足りないことである。なぜに一人前いちにんまえの教育きょういくある紳士しんしがその母の旧思想しそうを説破せっぱし、その苛酷かこくな干渉かんしょうを諫止かんしして、夫婦ふうふの間の生活せいかつは専もっぱら夫婦ふうふの間で決けっすべきものであることを宣明せんめいしなかったのであろう。母を尊敬そんけいし併せて妻を愛重あいちょうする文明ふみあき男子だんしがこの際に取どるべき手段しゅだんは、誠意せいいある諫諍かんそうを敢あえてして、母を時代じだい錯誤さくごから救すくい出だし、現代げんだいに適した賢かしこい母たり新あたらしい母たらしめる外にないではないか。子としても良人おっととしても確たしかなかつ周到しゅうとうな思慮しりょを欠いて甚はなはだ煮え切らぬ態度たいどを取っていたために、母の恥を世に曝さらし、妻を罪人つみびとたらしめ、自分じぶん自身おのれを不幸ふこうに導みちびくような悲惨ひいさんな結果けっかになってしまった。私は良人おっとたる人さえ首鼠両端しゅそりょうたんでなかったら、この悲劇ひげきの運命うんめいは多分たぶん避け得られたのではないかと思って返かえすがえすも惜まれるのである。

さて嫁が姑を刺さすという悲劇ひげきの突発とっぱつした時には姑が夫婦ふうふの家に滞在たいざいしていた。それは良人おっとの不同ふどう意にかかわらず家風かふうに合わぬ嫁は姑の権威けんいで離縁りえんさせるといってその離縁りえんを実行じっこうするためにわざわざ神戸ごうどから出掛でかけて来たのであった。そして良人おっとの留守るすに姑は散々の悪態あくたいを吐ついて乱暴らんぼうにも肺を病んでいる嫁をいびり出そうとした。恐おそろしい権幕けんまくで今から直すぐに出て行けといい放った。今日きょうまで如何いかなる難題なんだいにも、邪推じゃすいにも、悪罵あくばにも、あてこすりにも十二分じゅうにぶんに堪えていた温良おんりょうな嫁も、むざむざ良人おっととの愛を割さかれるこの不法ふほうと苛酷かこくに対して、思わず自制じせいの箍たがを逸はずしてかッと逆上ぎゃくじょうした。たとい嫁の血族けつぞくに精神せいしん病の系統けいとうのあることが後に公判こうはん廷で立証りっしょうされたにしても、姑の不法ふほうな言いいがかりが専擅せんせん苛酷かこくな夫婦ふうふの離別りべつに及ばなかったならなおこの逆上ぎゃくじょうはしなかったであろう。またあるいは無情むじょうな離別りべつを強しいられたにしても、嫁の体質たいしつが平生へいぜいの生理せいり状態じょうたいであったなら恐おそらくなおこの逆上ぎゃくじょうはしなかったであろう。しかし不幸ふこうにも若わかい嫁は病身びょうしんである上に月経時けいじであった。逆上ぎゃくじょうすると同時どうじに偶たまたま手近てじかにあった刃物はものを取って姑に投なげ附けた。積極せっきょく的に斬きろうとするのでなく、勿論もちろん殺意さついがあるのでなく、手当てあたり次第しだいに投なげ附けた。それは猛烈もうれつなヒステリイの発作ほっさであった。姑は微かすかなかすり疵きずを負って逃にげ出でるした。こうして意外いがいな悲劇ひげきが突発とっぱつし、嫁が姑を刺さしたという稀有けうな故殺こさつ未遂みすい犯が成り立たった。

ヒステリイは今日きょうまでの所、多数たすうの婦人ふじんの或時期じき(月経時けいじ、妊娠にんしん時、分娩ぶんべん後、子宮しきゅう病時)や或境遇きょうぐう(久ひさしい間の独身どくしん、異常いじょうな災厄さいやく)に伴ともなう共通きょうつうの発作ほっさ症である。それに強烈きょうれつなのと微弱びじゃくなのとあり、また遺伝いでんから来くるのと特発はっするのとあるが、それが或事を誘因ゆういんとして遽にわかに迫って来くる時には、人は意識いしきの統一とういつを失って自分じぶんで自分じぶんが制し切きれなくなるものである。私は自身おのれに精神せいしん病者びょうしゃの血を引いているし、父が卒中そっちゅうで斃たおれたほどの大酒家さかやであったので、自然じねんに病的びょうてきな素質そしつを持っていて、或時期じきに往往おうおうはげしいヒステリイに襲われることがあるから、その若わかい妻が逆上ぎゃくじょうして刃物はものを投なげ附けたという心理しんりを十分じゅうぶんに想像そうぞうすることが出来できるのである。投なげた物が偶たまたま刃物はものであったために大だいそれた刃傷にんじょう沙汰さたになったが、ヒステリイの不可さえる抗力こうりょくに襲われたその時の気分きぶんは、何でもいいから手当てあたり次第しだいに投なげ散して鬱積うっせきした心ごころの蒸汽じょうきを狂的きょうてきに洩もらさずにはいられないのである。そしてその不可さえる抗力こうりょくに襲われて無茶苦茶むちゃくちゃなことをしてしまった後の甚はなはだしい悔恨かいこんと不快ふかいさはこれを経験けいけんしない人に到底とうてい理解りかいの出来そうにないことである。意識いしきの自制じせいを失った際とはいえ、姑に刃物はものを投なげ附けて負傷ふしょうさせたような結果けっかを作ったのであるから、その瞬時しゅんじの後に自己じこに返った若わかい妻が教育きょういくある婦人ふじんだけにその悔恨かいこんが心を噛かんだことも異常いじょうであったに違いない。法廷ほうていにおいて被告ひこくが誠心せいしん誠意せいい懺悔ざんげの涙に咽むせんだというのは同情どうじょうされることである。

その動機どうきに情状じょうじょうの酌量しゃくりょうすべき所があっても、その事実じじつが法文ほうぶんに触れているのであるから犯罪はんざい人として処刑しょけいされるのはやむをえない。殊ことに在来ざいらいの道徳どうとくや習慣しゅうかんをその不用ふような部分ぶぶんまでも背景はいけいにしている日本にぽんの法律ほうりつでは、嫁が姑を刺さしたという表面ひょうめんの大だいそれた事実じじつを重く見みるので情状じょうじょう酌量しゃくりょうの余地よちがない。それでこの犯罪はんざいは八年の懲役ちょうえきに処せられ、執行しゅぎょう猶予ゆうよの沙汰さたもなかったが、宣告せんこくの際に物優ものやさしい判事はんじは獄則を恪守かくしゅして刑期けいきの半なかばを過したなら仮出獄しゅつごくの恩典おんてんに浴よくすることも出来できるということを告げたということである。私はこの刑罰けいばつの裁量さいりょうが妥当だとうであるかどうかを知らない。とにかくこうして某工学こうがく士一家かずやの傷いたましい悲劇ひげきは一段落だんらくが附こうとしているのである。しかし私はこの事件じけんを切掛きっかけにして更さらにいろいろの感想かんそうが胸に浮うかぶ。

同おんなじ悲劇ひげきの種は、姑と嫁のある日本にぽんの家庭かていの大多数たすうに伏在ふくざいしている。姑が嫁を愛あいするというような事は昔の清少納言せいしょうなごんも珍めずらしい物の中に引いている通とおりむしろ例外れいがいであって、「あなたは善いい姑をお持もちになってお仕合しあわせです」と嫁の友人ゆうじんから祝を述のべるほどのことである。固もとより姑根性こんじょうには種種いろいろあって某工学こうがく士の母の実際じっさいはどうであるか知らないが、最もっとも極端きょくたんな例に引かれる残忍ざんにんな姑さえ決けっして世間せけんに珍しくはないのであるから、それ以外いがいの、あるいは悪性あくしょう、あるいは不良ふりょうな程度ていどの姑は無数むしゅに散在さんざいしている。官吏かんりや被傭人ようにんとなって他郷たごうに生活せいかつしている若夫婦ふうふの中には父母ちちははと別居べっきょしている者が多く、それらは直接ちょくせつに姑の干渉かんしょうを受うけないであろうが、しかし某工学こうがく士夫婦ふうふのように横浜よこはまと神戸ごうどとに別居べっきょしていてすら前述ぜんじゅつのような惨事さんじを引起したのであるから、如何いかに遠とおく離はなれて住んでいても聡明そうめいな愛情あいじょうを欠いた姑に対たいする嫁の気兼きがね苦労くろうは多少たしょうにかかわらず附帯ふたいしているのである。まして姑と一所いっしょに定住ていじゅうしている大多数たすうの嫁がそれらの姑の下にあるいは干渉かんしょうされ、あるいは苛いじめられ、あるいは意地いじ悪く一分いちぶだめしに精神せいしん的に虐殺ぎゃくさつされつつあるのは言ゆうまでもない。

私は自分じぶんの息子むすこのように嫁を愛し、あるいは蔭に廻って嫁を弁護べんごするほどの美質びしつを持った理想りそう的の姑が甚はなはだ稀まれに世にあることを認したためるが、それは勿論もちろん尊敬けいすべき姑である。しかしいわゆる姑根性こんじょうを脱しない大多数たすうの姑たちについて、私は一概いちがいに憎悪ぞうおのみを以て対しようとは思わない。これは私が姑という者を持たない境遇きょうぐうにいて、姑に対たいする気兼きがね苦労くろうの実感じっかんを経験けいけんしないからでもあろうが、私は憎悪ぞうおの外に気きの毒どくなと思おもう感が附随ふずいしている。なぜなら彼らの大多数たすうの姑たちは一方いっぽうには教えられざる婦人ふじんであり、一方いっぽうには老後ろうごの索寞さくばく、月経げっけい閉鎖へいさ期前後ぜんごの悲哀ひあい、その他種種しゅじゅの事情じじょうから精神せいしんの平衡へいこうを欠き、もしくはヒステリイ症に罹かかっている婦人ふじんだからである。

数年前に私は老人ろうじん教育きょういくの必要ひつようであることを述べた。日本にぽんの教育きょういくという意味いみが青年せいねん教育きょういくばかりに偏しているので、青年せいねんの思想しそうはどしどし前へ進んで行ゆくのに、老人ろうじんは一度ひとたび若わかい時に教育きょういくされたきりであるからその思想しそうは過去かこのままに乾干ひからびている。社会しゃかいの要部ようぶが老人ろうじんと青年せいねんとで成立なりたつものである以上いじょう、老人ろうじんと青年せいねんとの意志いしが疏通そつうしなければ社会しゃかいは順調じゅんちょうに進歩しんぽしない訳である。年齢ねんれいの差などがあって少すこしは疏通そつうしにくい部分ぶぶんがあるのは免れないにしても、青年せいねんと共に現代げんだいの思想しそうに浸ひたることを怠おこたりさえしなければ、すべての老人ろうじんが青年せいねんの思想しそうを大部分ぶぶん理解りかいすることが出来しゅったいて、同おんなじ基調きちょうの上に呼応こおうし協力きょうりょくして人生じんせいの音楽おんがくが合奏がっそうされるに到いたるであろう。しかるに日本にぽんの老人ろうじんの多数たすうは私のこの理想りそうと全く背馳はいちしている。殊ことに老婦ろうふ人の階級かいきゅうはその若わかい時に教育きょういくらしい教育きょういくも受うけていない人が多く、男子だんし側の老人ろうじんでさえ内外うちそとの新書しんしょに親したしむことは稀まれなのであるから、それらの老婦ろうふ人たちが現代げんだいについて精神せいしん的に何物なにものも教えられていないのは言ゆうまでもない。それで過去かこの思想しそうに停滞ていたいしている老婦ろうふ人は万事ばんじを過去かこの標準ひょうじゅんで是非ぜひし、若わかい嫁のする事が凡すべて気に入らない所から、一一いちいちそれに世話せわを焼やきたくなる。世話せわや忠告ちゅうこくの程度ていどに留っていればよいが、親切しんせつが過すぎては干渉かんしょうとなり、加之おまけに在来ざいらいの姑と嫁とは殆ほとんど専制せんせい時代じだいの君臣くんしんの関係かんけいであることが正ただしいとせられているから、干渉かんしょうが一転いってんすれば強制きょうせいとなり威圧いあつとならずには置かない。

それに老婦ろうふ人の中には早く良人おっとに別わかれたり、また良人おっとがあっても愛情あいじょうが亡くなっていたりして心寂こころさびしい生活せいかつを送っている人がある。そういう婦人ふじんは子供こどもの愛だけがせめての慰安いあんであり生活せいかつの力であったのに、子供こどもに嫁が出来れば嫁は子供こどもに対たいする愛の競争きょうそう者である。そして結婚けっこん以後いごの子供こどもの心理しんりが母に対して幾分いくぶん疎縁そえんになるのも、またそれについて母が孤独こどくの寂しさと嫁に対たいする一種いっしゅの嫉妬しっととを感かんじるのも自然じねんの人情にんじょうであろうと想われる。

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First published
「太陽」1915(大正4)年9月
Source edition (底本)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店

   1985(昭和60)年8月16日初版発行

   1994(平成6年)年6月6日10刷発行

底本の親本:「人及び女として」天弦堂書房

   1916(大正5)年4月初版発行

初出:「太陽」

   1915(大正4)年9月

入力:Nana ohbe

校正:門田裕志

2002年1月10日公開

2012年9月16日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
Nana ohbe
Proofread by (校正)
門田裕志

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