Nihoner

与謝野晶子 Akiko Yosano 1878.12.07〜1942.05.29

女子の独立自営

じょしのどくりつじえい

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人の性情せいじょうにも体質たいしつにも万人ばんにん共通きょうつうの点即すなわち類性と、個人こじん独得どくとくの点即すなわち個性こせいとがあります。前代ぜんだいの社会しゃかい心理しんりの公準こうじゅんは類性のみを見て人の全部ぜんぶだと誤解ごかいした嫌きらいがありました。似た所ばかりを集めて一つの型を空に作ずくり、その型を標準ひょうじゅんとして逆に一般いっぱんの人間じんかんを律しようと致し、殆ほとんど人の個性こせいというものを眼中がんちゅうに置いていませなんだ。例たとえば初はじめから男というものはこういうものだ、女というものはこういうものだと決ぎめてしまい、その「こういうものだ」という概念がいねんを土台どだいにして更さらに男とはこうすべきものだ、女とはこうすべきものだという規範きはんを立てて一概いちがいに万人ばんにんを律し、その規範きはんに合わない人は人間じんかんでないように軽蔑けいべつする習慣しゅうかんを作ずくるに到りました。昔から支那しななどは習慣しゅうかんを重んじ過すぎる国ですから、少すこし新あたらしい人が出て自己じこの特性とくせいを発揮はっきしようとすると、直すぐに不忠ふちゅうだとか大逆だいぎゃく無道ぶどうだとかいう悪名あくめいを著せて死罪しざいに処したりなんか致します。人が尊とうといか、習慣しゅうかんが尊とうといか解らなくなっております。日本にぽんにも以前いぜんはそういう無茶苦茶むちゃくちゃな事が随分ずいぶ盛さかんに行われていて、それがために天子てんし様も久しく王政おうせいを復古ふっこ遊あそばす事が出来しゅったいず、佐久間象山さくましょうざん、吉田松蔭よしだしょういんのような偉人いじんも因襲いんしゅうを脱して新吾しんごを磨こうと致したために殺されました。でその時代じだいに危険きけんのない生活せいかつを送ろうとする人人ひとびとは、理も非もいわずに旧ふるい習慣しゅうかんと旧ふるい概念がいねんとに盲従もうじゅうし、徳川とくがわ将軍しょうぐんは千秋ちあき万歳ばんざい日本にぽんの政権せいけんを握っているもの、武士もののふは何時いつでも主人しゅじんのために腹を切ぎるもの、儒学じゅがくは永久えいきゅうに聖堂せいどうの朱子学しゅしがくを標準ひょうじゅんとすべきもの、宗教しゅうきょうは仏教ぶっきょう以外いがいに信ずべからざる事、百姓ひゃくせい町民ちょうみんは万世ばんせいにわたって武人たけんどの下風かふうに立ち、生いかすとも殺ころすとも御役人やくにんの自由じゆうに任まかすべきもの、女は三界さんがいに家なく親と良人おっとと我子とに屈従くつじゅうすべきもの、こういう考でいるより外はなかったのです。

それを思おもうと私どもは闇やみから明あかるみへ出たほど幸福こうふくな時代じだいに生うまれ合あわすいました。明治あきはる維新いしんの王政おうせい復古ふっこと共に、今上きんじょう陛下へいかは武門たけかど政治せいじを初はじめ一切いっさいの有害ゆうがい無用むような旧習きゅうしゅうを破壊はかい遊ばし、併あわせて汎ひろく新智識ちしきを世界せかいに求もとめる事を奨すすめ給い、学問がくもん、技術ぎじゅつ、言論げんろん、信教しんきょう、出版しゅっぱん等あらゆる思想しそう行動こうどうの自由じゆうを御許おもとしになり、生命いのち、財産ざいさん等の人権じんけんを御保障ほしょうになっております。五カ条じょうの御誓文せいもん、憲法けんぽう、教育きょういく勅語ちょくご、これらを拝読はいどく致せば新代の日本にぽん国民くにたみは全く不合理ごうりな前代ぜんだいの因襲いんしゅう道徳どうとくから解放せられ、聖代せいだいの自由じゆうなる空気くうきの中に自己じこの特性とくせいを発揮はっきしつつ社会しゃかいを営んで行ゆく事の出来できる新道徳どうとくを御示しになっております。かような前例ぜんれいのない聖代せいだいに際会さいかいしておりながら、なお世よの中なかには前代ぜんだいの夢を見ている人たちが多くあって、道徳どうとくが腐敗ふはいしたとか澆季ぎょうきになったとか歎息たんそくするのは怪けしからん事だと存ぞんじます。只今ただいまは明治あきはるの新道徳どうとくが何処どこまで実行じっこうせられているかという事をけんして、それを各自かくじに奨励しょうれいし合あうべき時でこそあれ、最早もはや旧道徳どうとくの頽廃たいはいなどを慨歎がいたんする時ではありません。いわんや孔子教こうしきょうとか尊徳宗そんとくしゅうとかを復興ふっこうしたり、女大学だいがく流の訓育くんいくを女子じょしに施そうと致したりするのは、宏大こうだい無辺むへんな御聖旨せいしに背いて、国民くにたみの生活せいかつを窮屈きゅうくつ至極しごくな封建ほうけん時代じだいに逆行ぎゃっこうさせようと致いたすものでしょう。

前代ぜんだいの道徳どうとくを初はじめ一切いっさいの思想しそうの基礎きそが人の類性に置かれたのに反し、五カ条じょうの御誓文せいもん、憲法けんぽう、教育きょういく勅語ちょくご等において御示しになっている現代げんだいの新規範きはんは、各人かくじんの個性こせいと権利けんりと自由じゆうとを尊重そんちょうする事が根柢こんていの精神せいしんになっておりますから、我我われわれ日本にぽんの臣民しんみんは万事ばんじにこの精神せいしんを生活せいかつの標準ひょうじゅんとし、陛下へいかの聖旨せいしに副そい奉たてまつるように致さねばなりません。今日きょうに勢力せいりょくを有している政治せいじ家とか紳商しんしょうとか、またそれらの階級かいきゅうに阿附あふする多数たすうの学者がくしゃ教育きょういく者とかには、年輩ねんぱいの上から旧時代じだいに属ぞくする人たちが多おおいのですから、そういう人たちは設たとい憲法けんぽうの精神せいしんに背き、五カ条じょうの御誓文せいもんの御趣意しゅいに悖もとる行為こういは致しておりましても、我我われわれ明治あきはるに生れました若わかい男女なんにょは、彼ら前代ぜんだいの人たちと反対はんたいに、毅然きぜんとして現代げんだいの新精神せいしんを貫徹かんてつ致いたすことに努力どりょくしたいと思います。私はこういう見地けんちから、私自身おのれを修おさめるにも、宅の子供こどもらを育そだてるにも、また人様と御交際こうさいをして社会しゃかい的に微力びりょくを尽しますにしても、一切いっさいの方針ほうしんは五カ条じょうの御誓文せいもん、憲法けんぽう、教育きょういく勅語ちょくご、これらのものを参照さんしょう致しております。私はこれらの外に何どちらの道徳どうとくも宗教しゅうきょうも必要ひつようを感かんじないのです。

現代げんだいの婦人ふじんが「女もまた男子だんしと同おなじく人である」という自覚じかくを得ました事は、思想しそうの自由じゆうを善用ぜんようして世界せかいの智識ちしきの一端いったんに触ふれる事の出来しゅったいた賜たまものですが、人ひとでなしに扱われていた因襲いんしゅうの革嚢かわぶくろから生地きじの人間じんかんになって躍おどり出でるしたのは結構けっこうな事であるとして、さて裸体はだかのままでは文明ふみあきの婦人ふじんとはいわれない、それは禽獣きんじゅうと雑居ざっきょしていた蒙昧もうまいな太古たいこに復かえるものですから、お互にどうしてもその裸体はだかを修飾しゅうしょくして文明ふみあき人の間に交際つきあいの出来できるだけの用意よういが必要ひつようです。それには何よりも現代げんだいの根本こんぼん精神せいしんを知しるのが第一だいいちで、私は一般いっぱんの婦人ふじん方に五カ条じょうの御誓文せいもんと憲法けんぽうとを御読よみになる事を御奨おすすめ致したいと思います。これらの根本こんぼん精神せいしんが解らないで現代げんだいの新婦しんぷ人だなどと自負じふするのは滑稽こっけいな事でしょう。教育きょういく勅語ちょくごだけを拝読はいどくしたのでは、道徳どうとく的方面ほうめんをのみ御示しになっておりますから、万事ばんじにわたる根本こんぼん精神せいしんは領解りょうかいしがたいかと存ぞんじます。かような事をお奨め致いたすと男子だんし側から反対はんたいが出て、女子じょしに権利けんり自由じゆうの思想しそうを鼓吹こすいするのは女子じょしを生意気いきにするものだと批難ひなんせられるでしょうが、そういう批難ひなんをする男子だんしがあるのは、男子だんし側にすら一般いっぱんには憲法けんぽうなどに現あらわれた新代の根本こんぼん精神せいしんがまだ領解りょうかいされていない証拠しょうこなのです。女子じょしを自分じぶんと対等たいとうな位地いちに置おくことを肯がえんぜないのは、男子だんしがそれだけ無学むがくであるからだと私は考かんがえて男子だんしのために恥じております。

近頃ちかごろ女子じょしの職能しょくのうを制限せいげんして結婚けっこんする事と子を生みかつ養育よういくする事とのみにあると力説りきせつする人がありますけれど、現代げんだいの根本こんぼん精神せいしんの一つである「自由じゆう討究とうきゅう」を重おもんずる私どもの心ごころには「何故なにゆえに」と叫ばざるを得ません。論ろんずる人の考では欧米おうべいの婦人ふじんの一部いちぶに種種しゅじゅの事情じじょうから結婚けっこんを厭いとう風のあるのを見て日本にぽん婦人ふじんを戒いましめるつもりでしょうが、それは白昼はくちゅうに幽霊ゆうれいの出でるのを恐おそれるのと一般いっぱん全く無用むような心配しんぱいです。何故なぜなれば日本にぽん婦人ふじんは皆結婚けっこんを希望きぼうしております。結婚けっこんを嫌きらう風は少すこしも発生はっせいしていないのです。そのくせ婚期こんきに達した婦人ふじんの三分の二までも未婚みこん婦人ふじんであるというのは、男子だんし側が無財産ざいさんであるために妻を迎むかえがたいからではありませんか。結婚けっこん数の減少げんしょうは毫ごうも女子じょしの罪ではなく、その責任せきにんは男子だんし側にあって、これを婦人ふじん問題もんだいとして議ぎする前に宜しく男子だんし問題もんだいとして男子だんし側の意気地いくじなさを咎とがむべき事でしょう。女子じょしに良人おっとを養やしなうだけの財産ざいさんがあるのでなく、男子だんしほどの報酬ほうしゅうを得うる職業しょくぎょうを授さずけられているのでなく、その上自由じゆうに配偶はいぐう者を選択せんたくする事も許されていない今日きょう、結婚けっこん数の減少げんしょうは当然とうぜんその理由りゆうを男子だんし側の経済けいざい問題もんだいに帰せねばなりません。女子じょしに教育きょういくを授けた結果けっかだなどというのは甚はなはだ方角ほうがくちがいの解釈かいしゃくです。

正当せいとうに求婚きゅうこんする男子だんしがない以上いじょう、女子じょしが子を産まないのは怪あやしむべき事でありません。今の女子じょしの多数たすうは母としての職能しょくのうを尽したくても尽ずくす事が出来しゅったいない境遇きょうぐうにいるのです。それなら国民くにたみの生産せいさん数は非常ひじょうに減じて行ゆくかというに、かえって非常ひじょうの倍加ばいか力を以て殖ふえて行ゆく。三十さんじゅう年を出いでずして日本人ほんにんは現在げんざいの倍数ばいすうにも達たっするでしょう。国民くにたみの繁殖はんしょく力からいえば憂うれうべき事もないのですが、未婚みこん男女なんにょ間に行われる不倫ふりんな性交せいこうと私生児せいじの増加ぞうかとは、現在げんざいの生活せいかつを暗黒あんこくにし将来しょうらいの日本にぽん人種じんしゅを劣弱れつじゃくにする事ですから、その点について男子だんし側の反省はんせいを促うながすと共に女子じょし自みずからも反省はんせいしなくてはなりません。正当せいとうなる結婚けっこんの下に夫婦ふうふとなり、正当せいとうなる父母ちちははの間に子女しじょを教育きょういくしてこそ文明ふみあき人の根本こんぼん精神せいしんに協かなうのですが、その位の事理じりは今更いまさら識者しきしゃの注意ちゅういを受うけなくても只今ただいまの女子じょしは十分じゅうぶんに知っております。そういう結婚けっこんを致したくても男子だんし側の貧乏びんぼうなために不可さえる能であるのが事実じじつだとすれば、女子じょしはやむをえず独身どくしんの状態じょうたいにいて自活じかつの方法ほうほうを講じ、自然じねん男子だんしと職業しょくぎょうを争あらそうような場合ばあいにも立至ります。以前いぜんは男子だんしに縋すがって男子だんしの財産ざいさんや収入しゅうにゅうの消費しょうひ者であれば衣食住しょくじゅうの安全あんぜんを得たのに反し、今日は四囲しいの事情じじょうに余儀よぎなくせられて、女子じょしが自己じこの力で生活せいかつし父母ちちはは兄弟けいていをも養って行ゆくという形勢けいせいになって参まいりました。

これは現在げんざいの社会しゃかい組織そしきと経済けいざい事情じじょうとから起って来くる自然じねんの大勢たいせいで、悲惨ひいさんといえば悲惨ひいさんの至いたりですが、我我われわれ婦人ふじんはこの大勢たいせいに対し、幸さいわいな事には教育きょういくの御蔭おかげで一千年ちとし以来いらい失っていました智慧ちえと勇気ゆうきとを恢復かいふくし、「我も人である」という自覚じかくの下に女子じょしの職能しょくのうは単たんに妻として、母としてのみでなく、精神せいしん肉体にくたい両方りょうほうのあらゆる労働ろうどうに由よって、男子だんしとの協同きょうどう生活せいかつが豊ゆたかに出来できる事を知りましたから、譬たとい結婚けっこんは不可さえる能であるにしても、その他の文明ふみあき事業じぎょうにおいて意義いぎある自己じこの生を営いとなみ、人類じんるいのために貢献こうけんしよう、禍わざわいを転じて福としようという努力どりょく心を振ふるい起おこすに至りました。結婚けっこんの困難こんなんな現代げんだいに処しょする婦人ふじんの覚悟かくごとして、これは甚はなはだ立派りっぱな態度たいど、健気けなげな措置そちと申もうす外はない。それで今日きょう独身どくしんで立とうという女子じょしがあれば、やむをえない事情じじょうからの覚悟かくごであって、決けっして結婚けっこんを嫌っているのではないのです。娘の心を理解りかいせず世態せたいの大勢たいせいに通ぜない親たちは、一概いちがいにこれを我儘わがままだといって、偶たまたま嫁に貰もらってくれる口があれば、その配偶はいぐう者たる男子だんしの人格じんかくも研究けんきゅうせず、わが娘をば厄介やっかい者を追払おいはらうようなつもりでその男子だんしに押附けようとする風がありますけれど、そういう不安ふあんと不幸ふこうとの予知よちせられる結婚けっこんに盲従もうじゅうするには今の女子じょしは余あまりに聡明そうめいになっております。親が愛してくれるよりも幾倍か自分じぶんを愛重あいちょうする事を心得こころえているのが今の我我われわれ婦人ふじんです。

勢よく流ながれる水はいくら防いでも何処どこかへ捌はけ口を見附ずける如く、妻として母としての幸福こうふくを得がたい今の女子じょしの或者が翻ひるがえって他に自分じぶんの生活せいかつを求めようとするのに何どの不思議ふしぎもない。私なども適当てきとうな配偶はいぐう者を得えるまでは同様どうような覚悟かくごで自分じぶんの運命うんめいを切り開いて行こうと思っていました。既すでにこういう覚悟かくごが未婚みこんの女子じょしに必要ひつようになって来た以上いじょう、女子じょしの職能しょくのうは当然とうぜん多方面ほうめんに拡げられて行きます。良妻りょうさいのみ賢母けんぼのみとしてでなく、良妻りょうさいにも賢母けんぼにも成り得えると同時どうじに、学者がくしゃ、官吏かんり、芸術げいじゅつ家、教育きょういく者、諸種しょしゅの労働ろうどう者としても天分てんぶんを発揮はっきし得える事を示しめすに到りますのはかえって女子じょしの進歩しんぽであって、これがために人類じんるいの享うける幸福こうふくは単たんに母として妻としてのみの時よりも非常ひじょうに倍加ばいかする訳でしょう。女子じょしの結婚けっこん難は勿論もちろん不幸ふこうですけれど、世界せかいの大勢たいせいがそうであるとすれば、この不幸ふこうなる時機じきを善用ぜんようして婦人ふじん及人類じんるいの幸福こうふくに転換てんかんする工夫こうふを講じて行ゆくのが賢かしこい仕方しかたでしょう。勤勉きんべんにして聡明そうめいな独身どくしん婦人ふじんの生しょうずるという事は、それだけ日本にぽんの文明ふみあきが世界せかい的になった兆候ちょうこうだともいわれましょう。もし識者しきしゃの親切しんせつから独身どくしん婦人ふじんをなくしようと欲せらるるなら、社会しゃかい組織そしきを改善かいぜんし、男子だんし側の経済けいざいを裕ゆたかにする方法ほうほうを講ぜられるのが急務きゅうむで、そうしてそれは容易たやすいに改善かいぜんしがたい事でしょう。とにかく結婚けっこんをしないといって女子じょしを責せめるのは見当けんとうちがいです。

独身どくしんでいて他の職能しょくのうで自己じこの生を営いとなむ婦人ふじんのあるという事が必かならずしも不合理ごうりでない一証には、古いにしえの女帝じょていにも御独身どくしんの方が多く、女流じょりゅうの文学者がくしゃにも寡婦かふとなって後に名を揚あげ、また未婚みこんで終った人たちも少すこしくない。独身どくしん主義しゅぎは決けっして今日きょうの新あたらしい婦人ふじんの発明はつめいではなく、現げんに我我われわれと異ちがった前代ぜんだいの教育きょういくを受うけられた今の老年ろうねん女流じょりゅう教育きょういく家にも独身どくしんもしくは寡婦かふで押通した方が多おおいのです。論者ろんしゃはそういう例は特別とくべつである、そういう独身どくしん婦人ふじんは変り物だといわれるでしょうが、其処そこが前に申した如く、現代げんだいの根本こんぼん精神せいしんは各人かくじんの個性こせいに適応てきおうして自由じゆうなる発達はったつを遂とげる事を尊重そんちょうし、「女はこうすべきものだ」と一概いちがいに決ぎめてしまわない所に妙味みょうみがあるのですから、むしろ特例とくれいが多く、良いい意味いみの変り物が多く出でるのが結構けっこうなのです。一元かずもと論でなく多元たげん論なんです。もし嘉悦孝子かえつたかこ先生せんせいや幸田延子こうだのぶこ女史じょしが結婚けっこんせられ、下田歌子しもだうたこ先生せんせいが再婚さいこんせられたのであったら、あれだけの社会しゃかい的事業じぎょうは出来しゅったいなかったでしょう。小学校がっこうや女学校がっこうに多数たすうの独身どくしんを守られる婦人ふじんがあってこそ教育きょういく界は実績じっせきが挙って参まいるのです。これらの御婦人ふじんたちはいずれも結婚けっこんしない事の苦にがい不幸ふこうを味あじわいながら、その不幸ふこうを他の幸福こうふくに換かえる立派りっぱな工夫こうふを実行じっこうしていられるのです。教育きょういく界ばかりでなく、あらゆる階級かいきゅうの婦人ふじんに、現げんに意に満ちた結婚けっこんを求もとめて得られない所から、他の職能しょくのうで独立どくりつ自営じえいを計はかり、併あわせて父母ちちはは兄弟けいていを養って行こうとしている人たちの多おおいのは、私の同情どうじょうに堪えない所であると共に、時代じだいに処しょする覚悟かくごと勇気ゆうきとの健気けなげな事を甚はなはだ心強く存ぞんじます。皆が皆結婚けっこんに由よって幸福こうふくの得られない現代げんだいに、「女は結婚けっこんすべきものだ」というような役に立たない旧式きゅうしきな概論がいろんに動うごかされる事なく、結婚けっこんもしよう、しかしそれが不可さえる能なら、他にいくらも女子じょしの天分てんぶんを発揮はっきすべき文明ふみあきの職能しょくのうがある。結婚けっこんのみが自分じぶんの全部ぜんぶでないという見識けんしきから、境遇きょうぐうと自分じぶんの個性こせいとに順じて思い思いの進路しんろを開ひらき、いろいろに立派りっぱな変り物の婦人ふじんが多く出て来られる事を望のぞみます。男子だんしの方から申してもそういう意志いしの強こわい、役に立だつ、独立どくりつ自営じえいの婦人ふじんが出て来れば、足手あしでまといが少すこしくなって都合つごうが宜しくはありませんか。

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First published
「婦人の鑑」1911(明治44)年4月
Source edition (底本)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店

   1985(昭和60)年8月16日初版発行

   1994(平成6年)年6月6日10刷発行

底本の親本:「一隅より」金尾文淵堂

   1911(明治44)年7月初版発行

初出:「婦人の鑑」

   1911(明治44)年4月

入力:Nana ohbe

校正:門田裕志

2002年1月10日公開

2012年9月14日修正

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Typed by (入力)
Nana ohbe
Proofread by (校正)
門田裕志

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