Nihoner

与謝野晶子 Akiko Yosano 1878.12.07〜1942.05.29

『新新訳源氏物語』あとがき

『しんしんやくげんじものがたり』あとがき

  • Demanding
  • 2,352 characters
  • about 6 min
  • 1 section
  • Public domain

燦然さんぜんと千古せんこに光ひかる東洋とうよう文学ぶんがくの巨篇きょへん源氏げんじ物語ものがたりの価値かちは今いまさら説とく必要ひつようもない。

私は今を去さる二十にじゅう八年の昔、金尾かなお文淵ぶんえん堂主どうしゅの依頼いらいによって、源氏げんじ物語ものがたりを略述りゃくじゅつした。新訳しんやく源氏げんじ物語ものがたりがそれである。森林太郎もりりんたろう、上田敏うえだびん二博士はかせの序文じょぶんと、中沢弘光なかざわひろみつ画伯がはくの絵が添っていた。その三先生せんせいに対して粗雑そざつな解と訳文やくぶんをした罪を爾来じらい二十にじゅう幾年の間私は恥じつづけて来た。いつかは三先輩せんぱいに対たいする謝意しゃいに代えて完全かんぜんなものに書かき変えたいと願っていたのであるが実現じつげんは困難こんなんであった。今から七年前の秋、どんなにもして時を作ずくり、源氏げんじを改訳やくする責せめを果そうと急に思おもい立たつ期ときが来た。そしてすぐに書かきはじめ書かきつづけ、少すくない余命よめいの終らぬ間を急いだ。ところが昭和十わじゅう年の春に私は良人おっとを失った。一家かずやを負ってなさねばならぬ用のふえたことは申もうすまでもない。また一方いっぽうくずおれた心は歌を作ずくる以外いがいに力の出だしようもないように思われた。その時までにできていたのは良人おっとがすでに病床びょうしょうについていた頃にも書いた橋姫はしひめの巻までであった。若菜わかな以後いごは清書せいしょもできていなかった。私は壁際かべぎわに山積さんせきした新新しんしん訳の原稿げんこうを眺ながめるだけで二年をいたずらに過した。以前いぜんに大阪おうさかへ店を移された文淵ぶんえん堂主どうしゅと京都きょうとで会したのはその頃であった。氏は初期しょきの私の歌集かしゅう以来いらい引きつづいて私を庇護ひごしてくれた人である。東京とうきょうでまた店を開ひらきたいという話を聞いて、私のできている新新しんしん訳『源氏げんじ物語ものがたり』の話をし、そんなことが機縁きえんになって東京とうきょうで氏の再起さいきがかなえばよいと相談そうだんした。氏は喜んでくれた。そのために氏の信仰しんこうの深ぶかい観音かんのんへ礼参れいまいりさえもされた。二十にじゅう八年の昔に拙つたないものを書いて渡した私の成長せいちょうを疑わなかったのである。いよいよ本が出でるようになって私は滅罪めつざいの方法ほうほうの許された神仏しんぶつに合掌がっしょうした。

私は源氏げんじ物語ものがたりを前後ぜんご二人ふたりの作者さくしゃの手になったものと認したためているが、その研究けんきゅうをここでこまかに述のべることはできない。古来こらいから宇治十帖うじじゅうじょうは紫式部むらさきしきぶの女むすめの大弐だいにの三位さんみの手になったといわれていた。徳川とくがわ期の国学者がくしゃは多くそれを否定ひていした。私も昔はそうかと思わせられた。明治あきはるに久米くめの邦武くにたけ博士はかせが或ある謡曲ようきょく雑誌ざっしに、源氏げんじは数人の手になったものらしいと書かれた時に、久米くめの氏は第一流いちりゅうの史学者がくしゃであるが文学者がくしゃではないからと思おもい、私はそれを信じようとしなかった。新新しんしん訳にかかる数年前から私は源氏げんじの作者さくしゃが二人ふたりであることを知しるようになった。前の作者さくしゃの筆は藤ふじのうら葉はで終おわり、すべてがめでたくなり、源氏げんじが太上だじょう天皇てんのうに上のぼった後のことは金色こんじきで塗りつぶしたのであったが、大胆だいたんな後の作者さくしゃは衰運すいうんに向った源氏げんじを書かき出だした。最愛さいあいの夫人ふじん紫むらさきの上うえの死もそれである。女三にょさんの宮みやの物の紛まぎれもそれである。後の主人しゅじん公薫かおる大将だいじょうの出生しゅっしょうのために朱雀院すざくいんの御在院ざいいん中の後宮こうきゅうのことが突然とつぜん語かたり出でるされ、帝の女三さんの宮みや内親王しんのうへの御溺愛ごできあいによって、薫の宮を用意よういした小説しょうせつの構成こうせいの巧みさは前者ぜんしゃに越こえている。

よく原文げんぶんを読めば文章ぶんしょうの組立くみたてが若菜わかなから違っているのに心づくはずである。必かならず「上達部かんだちめ、殿上人てんじょうびと」であったものが、「諸大夫しょだいふ、殿上人しょうにん、上達部かんだちめ」になっている。昔の写本しゃほん、木版本はんぽんでない現今げんこんの活字かつじ本で見みる人は一目瞭然いちもくりょうぜんとわかるはずである。文章ぶんしょうも悪わるい、歌も少すこしくなった。しかも佳作かさくはきわめて少数しょうすうである。紫式部むらさきしきぶの書いた前篇ぜんぺんは天才てんさい的な佳作かさくに富んでいた。後の作者さくしゃのにも良いい作はないのでもない。

目に近ちかくうつれば変かわる世よの中なかを

行末ゆくすゑ遠く頼たのみけるかな

おぼつかなたれに問はましいかにして

初はじめもはても知らぬ我身ぞ

これらの佳作かさくは後拾遺集ごしゅういしゅうの秋の歌の巻頭かんとうの大弐だいにの三位さんみ作の

はるかなるもろこしまでも行ゆくものは

秋の寝ねざめの心なりけり

この歌の詠よみぶりによく似ているではないか。

竹河たけかわの巻の初はじめに、この話は亡くなった太政だじょう大臣おとど家に仕えた老女ろうじょ房の語ったことで「紫のゆかりこよなきには似ざめれど」と書いてあるのは、前篇ぜんぺんを書いた紫式部むらさきしきぶの筆には及ばぬがということで、注釈ちゅうしゃく者たちが紫の上のことにしているのは曲解きょっかいなのである。子孫しそんのない紫の上と別の家のこととを比較ひかくするのはおかしいではないか。

私はその研究けんきゅうを以前いぜんしていたとき、前篇ぜんぺんの執筆しっぴつと後篇こうへんの書かれた間の差に二十にじゅう六年という数を得た。王朝おうちょうはすでに地方じかた官が武力ぶりょくを用いて威いを拡ひろめはじめた時代じだいになっていた。陸奥守むつのかみから常陸介ひたちのすけになった男の富などがそれである。

後冷泉ごれいぜい天皇てんのうの御勅筆ごちょくひつの額がくを今も平等院びょうどういんの隣の寺で拝見はいけんすることができるが、その頃の男の漢文かんぶんの日記にっきなどに東宮とうぐう時代じだいの同帝がしばしば宇治うじの頼通よりみちの山荘さんそうへ行啓ぎょうけいになったことが書かれてある。後冷泉ごれいぜい帝の御乳母おんめのとが大弐だいにの三位さんみで、お供をして行って宇治うじをよく知しるようになったものらしい。

歌は前篇ぜんぺんの作者さくしゃにくらべて劣おとるが凡手ぼんしゅでない、その時代じだいに歌人かじんとして頭角とうかくを現わしていた人の筆になった傑作けっさく小説しょうせつとして、私は大弐だいにの三位さんみの家の集をずいぶん捜し求めたが現存げんそんしていない。伊勢いせの皇学館こうがくかんの図書ずしょ目録もくろくにあった大弐集だいにしゅうをよく調しらべてみると、三位さんみの娘で、後冷泉ごれいぜい帝の皇后こうこうに仕えて大弐だいにと呼よばれた人のもので、祖母そぼにはもとより、母の三位さんみの歌にも数等すうとう劣った作ばかりのものであった。

更科日記さらしなにっきにすでに浮舟うきふねの姫君のことがいわれているが、更科さらしな日記にっきは後年こうねんになって少女しょうじょ時代じだいからのことを書かき出だしたものであるから、多少たしょう覚おぼえ違ちがいがあるかもしれない。私の二十にじゅう六年は更科さらしな日記にっきの作者さくしゃが上京じょうきょうした年をも参考さんこうとして数えたものであるが、あるいはいま少すこしへだたりが多おおいかもしれない。

若菜わかなにおいて文章ぶんしょうも叙述じょじゅつの方法ほうほうも拙かった作者さくしゃは柏木かしわぎになり、夕霧ゆうぎりになり、立派りっぱなものになってきた。内容ないように天才てんさい的な豊ゆたかなものが盛られているからである。東屋あずまや以後いごは技巧ぎこうも内容ないようにともなって素晴すばらしいものになった。前篇ぜんぺんの紫式部むらさきしきぶは小説しょうせつ作家さっかとして歌人かじんとしていみじき作者さくしゃであって、後篇こうへんを書いた大弐だいにの三位さんみは偉大いだいなる文学者がくしゃだと私は思っている。これをくわしく述のべる時間じかんがないのは残念ざんねんである。

昭和十わじゅう四年

与謝野よさの晶子あきこ

1 / 1 End of the book

Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

Source edition (底本)
底本:「源氏物語下巻 日本文学全集2」河出書房新社


   1965(昭和40)年7月3日初版発行

   1972(昭和47)年4月15日20版発行

入力:めいこ

校正:もりみつじゅんじ

2005年2月19日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
Typed by (入力)
めいこ
Proofread by (校正)
もりみつじゅんじ

Aozora library card for this work ↗ · How Nihoner sources and licenses its content

More by 与謝野晶子

Browse the whole library →