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与謝野晶子 Akiko Yosano 1878.12.07〜1942.05.29

新婦人協会の請願運動

しんふじんきょうかいのせいがんうんどう

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去年こぞの十一といち月に大阪おうさか朝日あさひ新聞しんぶん社が主催しゅさいとなって関西かんさい婦人ふじん連合れんごう大会たいかいを大阪おうさかに開いたことは、多数たすうの保守ほしゅ的な婦人ふじん団体だんたいを現代げんだい的に覚醒かくせいさせるために、確たしかに一つの好い刺激しげきになったと思います。我国の婦人ふじんとても、天賦てんぷ的に引込思案ひっこみじあんな者ではなく、男子だんし専権せんけんの社会しゃかいに圧迫あっぱくされて、自主じしゅ的に行動こうどうする意気いきを麻痺まひし、もしくはわざと遠慮えんりょ気兼きがねをして、万事ばんじに控目ひかえめな依頼いらい主義しゅぎを取っているに過すぎないのですから、社会しゃかいの有力な代表だいひょう者である新聞しんぶん社などがそういう風に保障ほしょうと激励げきれいとを寄よせられるならば、それに引出ひきだしされて我国の婦人ふじんも必かならず大おういに動うごき初そめるに違ちげいありません。現げんに大阪おうさか朝日あさひ新聞しんぶん社に由って連合れんごう大会たいかいが催されて以来いらい、関西かんさいの各地かくちにおいて婦人ふじんの新運動うんどうが続々と起りつつあるのを見受みうけます。名古屋なごや市の教養きょうよう婦人ふじん会が婦人ふじんの文化ぶんか講座こうざを開いたことなどもその一例です。

また右の大阪おうさか朝日あさひ新聞しんぶん社の大会たいかいへ東京とうきょうから出席しゅっせきされた平塚ひらつからいちょう女史じょしが、帰来きらい直ただちに新婦しんぷ人協会きょうかいの創立そうりつを発表はっぴょうし、主として全国ぜんこく婦人ふじんの連合れんごう運動うんどうを企図きとされるに到ったことなども、我国の婦人ふじん運動うんどうが茲ここに新紀元きげんを画して、初はじめて実際じっさいに現代げんだい的意義いぎを持つようになった表徴ひょうちょうであろうと思います。この外に、青年せいねん婦人ふじん中の博識はくしき家である山田やまだわか女史じょしが近ちかく『婦人ふじんと新社しんしゃ会』と題だいする婦人ふじん雑誌ざっしを発行はっこうされるという事をも確聞かくぶんします。この三、四年来ねんらい、その精緻せいちな社会しゃかい主義しゅぎ的方面ほうめんの知識ちしきと、改革かいかく者的な熱誠ねっせいとを文筆ぶんぴつに傾倒けいとうして、最もっとも率直そっちょくに我国の急進きゅうしん派婦人ふじんを代表だいひょうされる山川菊栄やまかわきくえ夫人ふじんが、社会しゃかいの重望の中に今後こんごも一層いっそう活動かつどうされるであろうことは言ゆうまでもなく、国際こくさい労働ろうどう会議かいぎより帰られた田中孝子たなかたかこ夫人ふじんも、益々ますます婦人ふじん労働ろうどう問題もんだいのために摯実しじつな研究けんきゅうと努力どりょくとを続つずけられる覚悟かくごだということです。あれやこれやを湊合そうごうして、私は例の楽観らっかん的に考かんがえると、どうやら日本にぽん婦人ふじんが自己じこと環境かんきょうとの改造かいぞうを目標もくひょうとして、本質的しつてきにかつ積極せっきょく的に行動こうどうする機運きうんが到来とうらいしたように思われます。私たち一般いっぱん婦人ふじんはそれらの先駆せんく者たちに指導しどうされながら、この女子じょし新興しんこうの機運きうんを助長じょちょうすると共に、それを各自かくじの生活せいかつに善用ぜんようしなければなりません。

平塚ひらつかさんを首唱しゅしょう者として新婦しんぷ人協会きょうかいが成立せいりつしたということについて、私は心の底から多大ただいの喜よろこびを感じました。それは最近さいきんの婦人ふじん会における第一だいいちの吉報きっぽうだと思います。日本にぽん婦人ふじんの総動員どういんはいろいろの意味いみで非常ひじょうに必要ひつようです。首唱しゅしょう者としても、統率とうそつ者としても絶好ぜっこうの適任てきにん者を得ました。私は平塚ひらつかさんが進んで自みずからこの重任じゅうにんに当られた熱誠ねっせいと勇気ゆうきとに敬服けいふくします。私はその事を聞きくや否や、早速さそく新聞しんぶん雑誌ざっしを通つうじて平塚ひらつかさんに対たいする感謝かんしゃを書いて置おきましたから、此処ここにはそれを繰返さず置おきます。

平塚ひらつかさんから協会きょうかいの創立そうりつされた通知つうちを受うけて以来いらい、私が最もっとも真面目まじめに注視せずにおられなかったことは、協会きょうかいの第一だいいち著の運動うんどうが如何いかなる問題もんだいに由って始はじめられるかということでした。私は窃ひそかに、それが現下げんかの問題もんだいとなっている普通ふつう選挙せんきょの要求ようきゅうと関連かんれんして、女子じょしの参政権せいけんをも認容にんようした普通ふつう選挙せんきょ運動うんどうの目標もくひょうの下に、全国ぜんこくの婦人ふじん団体だんたいを糾合きゅうごうされることであろうと期待きたいしていました。しかるに私の期待きたいは逸それて、平塚ひらつかさんたちは「治安じあん警察けいさつ法第五条ごじょうの修正しゅうせい」と「花柳かりゅう病男子だんしの結婚けっこん制限せいげん」という二種の請願せいがんを貴衆きしゅう両院りょういんへ提出ていしゅつすることを以て第一だいいち著の運動うんどうとされるのでした。私はそれに対して多少たしょうの遺憾いかんがあります。私が此処ここにそれを率直そっちょくに述のべるのは、固もとより新婦しんぷ人協会きょうかいの事業じぎょうを、首唱しゅしょう者たる平塚ひらつかさんたちのみの責任せきにんとせずに、日本にぽん婦人ふじん全体ぜんたいの連帯れんたい責任せきにんと見て、私たちもその責任せきにんを快く分担ぶんたんの出来できるように、協会きょうかいの事業じぎょうをなるべく合理ごうり的に照準しょうじゅんして欲ほしいと思おもうからです。

女史じょしが政社に加入かにゅうし政談せいだん集会しゅうかいに出入しゅつにゅうすることの自由じゆうを要求ようきゅうするために、治安じあん警察けいさつ法第五条ごじょうの撤廃てっぱいを請願せいがんすることは議論ぎろんの余地よちがありません。この問題もんだいは私も数年前から機会きかいのあるたびに述べています。しかしこれは男女なんにょの性別せいべつを問わない所の普通ふつう選挙せんきょさえ実現じつげんするなら、おのずから解決かいけつされてしまうべき問題もんだいです。平塚ひらつかさんはこの請願せいがんの理由りゆうを説明せつめいして「私どもはこれを以て近き将来しょうらいにおいて著手しようとする婦人ふじん参政権せいけん要求ようきゅう運動うんどうの下準備じゅんびぐらいに考かんがえている」といわれていますが、私にはかえって順序じゅんじょが顛倒てんとうされているように思われます。人ひとごとに見みる所を異にしているからといわれるならそれまでですが、私は政界せいかいの急進きゅうしん分子ぶんしが珍しくも男女なんにょ平等びょうどう主義しゅぎの普通ふつう選挙せんきょを唱え初はじめたのに呼応こおうして、なぜこの好い機会きかいに協会きょうかいの主唱しゅしょうに成なる婦人ふじん団体だんたい総連そうれん合の勢力せいりょくを以て婦人ふじん参政権せいけんを要求ようきゅうされなかったのかと思います。といって、この方ほうの請願せいがんには私も快く賛成さんせいを表ひょうする一人ひとりであることを明言めいげんして置おきます。

それよりも、私が全く異様いようの感を持たずにいられなかったのは第二の請願せいがんです。花柳かりゅう病が怖るべき伝染でんせん病であり、家庭かてい、社会しゃかい、及および子孫しそんに対して悲惨ひいさんなる害毒がいどくを流ながしつつあることは言ゆうまでもないことですが、この種の戦慄ふるわすべき病症びょうしょうは、科学的がくてき正確せいかくを以ていえば、結核けっかくや癩病らいびょうと共になお外にいくつも列挙れっきょすることが出来しゅったいます。花柳かりゅう病と併せてそれらのものが駆逐くちくされるのでなければ、人類じんるいの幸福こうふくは常に幽欝ゆううつな陰影いんえいを伴ともなうことを免れません。平塚ひらつかさんたちは民法みんぽうの中の婚姻こんいんの規定きていに「結婚けっこんせんと欲ほっする男子だんしは、先まず相手あいてたる女子じょしに、医師くすしの健康けんこう診断しんだん書を提示ていじし、花柳かりゅう病患者かんじゃにあらざる旨を証明しょうめいすべし」というような項目こうもくを加えようとされるのですが、単たんに「花柳かりゅう病」と限らずに、総括そうかつして、伝染でんせん病及および遺伝いでん病の患者かんじゃとする方が合理ごうり的ではないでしょうか。

また男子だんしにのみ診断しんだん書を請求せいきゅうするのも私は不公平こうへいだと思います。これについて平塚ひらつかさんたちは幾多いくたの理由りゆうを挙あげておられますが、その不公平こうへいを弁護べんごする理由りゆうとして非常ひじょうに薄弱はくじゃくです。「未婚みこん男女なんにょ患者かんじゃの該病がいびょう患者かんじゃの数の差異さいは殆ほとんど調査ちょうさを必要ひつようとしないほど、男子だんしの方が遙はるかに多おおい」のは事実じじつですが、専門せんもん医師くすしの確言かくげんする所に由れば、今日は未婚みこん女子じょしの花柳かりゅう病もまた激増げきぞうしつつあるといいます。それの原因げんいんが「十中八、九まで男子だんしの放縦ほうじゅう生活せいかつ」に由来ゆらいしていることも事実じじつですが、とにかく、花柳かりゅう病患者かんじゃは未婚みこん男女なんにょのいずれにも伏在ふくざいしているのです。この事実じじつを公平こうへいに観察かんさつしないで、男子だんしのみに診断しんだん書を請求せいきゅうするのは間違っていると思います。

なお、平塚ひらつかさんたちは、この要求ようきゅうは男子だんしに対し「道徳どうとく的な家庭かてい婦人ふじんの立場たちばからするもの」であり、「かつこの疾病しっぺいは他のものと異り、その性質せいしつ上、男子だんしの或不道徳どうとく的行為こういの結果けっかとして来たものでありますから、幾分いくぶんそれに対たいする処罰しょばつの意味いみをも含ふくむもの」であることを理由りゆうとされています。私は此処ここに平塚ひらつかさんたちが道徳どうとく家を以て自みずから任ぜられることの大胆だいたんに一たび驚おどろき、また人間じんかんが人間じんかんを罰ばっすることの可能かのうを確信かくしんせられることの僭越せんえつに二たび驚おどろきます。私の狭せまい考からは、現在げんざいのような環境かんきょうに置かれた人間じんかんは、男も女も立派りっぱな道徳どうとく的立場たちばなどには到底とうてい立ち得えるものでないと思っています。たとい道徳どうとく的な生活せいかつが出来しゅったいたにしても、私たちの理想りそうとする新道徳どうとくからは、他人たにんを処罰しょばつする事などは思おもいも寄よりません。この点で、私は新あたらしい刑法学ほうがくが懲罰ちょうばつ主義しゅぎや報復ほうふく主義しゅぎを排斥はいせきして隔離かくり主義しゅぎを主張しゅちょうしているのに共鳴きょうめいします。私は平塚ひらつかさんたちの態度たいどが意外いがいにも矯風きょうふう会あたりの基督キリスト教婦人ふじんの態度たいどに何となく似通にかよう所のありはしないかということを恐おそれます。世間せけんには資本家ほんけ専制せんせいの反動はんどうとして労働ろうどう者専制せんせいの発生はっせいを杞憂きゆうする人たちがありますが、私は男子だんし専制せんせいの横暴おうぼうに代かえるに女子じょし専制せんせいの不作ふさく法を以てしてはならないと思います。人間じんかんが他人たにんを処罰しょばつする資格しかくを何処いずこに持っているでしょう。それの認容にんようされるのは階級かいきゅう道徳どうとくの世界せかいに限かぎります。他人たにんを処罰しょばつする思想しそうからは強食きょうしょく弱肉じゃくにくの半獣はんじゅう世界せかいが引出ひきだしされ、軍国ぐんこく主義しゅぎや特権とっけん主義しゅぎが跋扈ばっこして、平等びょうどうと自由じゆうと愛とに確保かくほされた人類じんるいの平和へいわというものが期待きたいされなくなります。私は平塚ひらつかさんたちのいわゆる「道徳どうとく的な家庭かてい婦人ふじんの立場たちば」が、そのような旧道徳どうとくの中にあろうと想われません。恐おそらくそれは智者ちしゃにも免れない千慮せんりょの一失いっしつでしょう。

それよりも更さらに私の疑問ぎもんとする所は、この請願せいがんにおいて、平塚ひらつかさんたちが現在げんざいの因習いんしゅう的結婚けっこんを許容きょようされているらしく想われることです。協会きょうかいの他の婦人ふじんたちは知らず、少すこしくも平塚ひらつかさんは私たちと同おなじく恋愛れんあい結婚けっこんの主張しゅちょう者であるのに、恋愛れんあいを基礎きそ条件じょうけんとしない現在げんざいの結婚けっこんの範囲はんいにおいて、この請願せいがんを出されているのは意外いがいです。平塚ひらつかさんが恋愛れんあい結婚けっこんの主張しゅちょうを決けっして放棄ほうきされていないことは、協会きょうかいの事業じぎょうとして別に「恋愛れんあい及および結婚けっこんの正しき思想しそうの宣伝せんでん」の計画けいかくがあるので推定すいていされますが、それならば恋愛れんあい結婚けっこんと「花柳かりゅう病男子だんしの結婚けっこん制限せいげん」の請願せいがんとがどうして調和ちょうわしているかをお尋たずねしたいと思います。

私たちに取っては、恋愛れんあいの成立と完成かんせいが結婚けっこんの基礎きそであり目的もくてきであるのです。結婚けっこんが恋愛れんあいに先立さきだつことはありません、先まずその結果けっかとして来くるものだと考かんがえています。しかるにこの請願せいがんで見れば、男女なんにょ相互そうごの間に恋愛れんあいの成立せいりつすることを唯一ただいちの重要じゅうよう条件じょうけんとしないで、「先まず相手あいてたる女子じょしに医師くすしの健康けんこう診断しんだん書を提示ていじし、花柳かりゅう病患者かんじゃにあらざる旨を証明しょうめいすべし」「現在げんざい花柳かりゅう病に罹かかれる男子だんしは結婚けっこんする事を得ず」という法律ほうりつが結婚けっこんの死命しめいを制しているように見えます。これに対して平塚ひらつかさんたちは、恋愛れんあいの成立せいりつを重要じゅうよう条件じょうけんとするのは既定きていのことだといわれるかも知れませんが、到底とうてい融和ゆうわしがたい矛盾むじゅんが其処そこにあります。もし男女なんにょ相互そうごの間に恋愛れんあいが成立せいりつして、さて結婚けっこんという社会しゃかい的法律ほうりつ的形式けいしきの一段いちだんに及んで、相手あいての男子だんしが秘密ひみつにしていた花柳かりゅう病のあるために健康けんこう診断しんだん書の提示ていじを拒んだら、平塚ひらつかさんたちは、法律ほうりつの冷かにかつ峻厳しゅんげんに命めいずる通とおり、その天にも地にも二つとない既成きせいの尊貴そんきな恋愛れんあいを即時そくじに破棄はきされるつもりでしょうか。

私の体験たいけんを根拠こんきょとしていえば、恋愛れんあいは高く遙はるかに政治せいじや、法律ほうりつや、科学かがくや、論理ろんりの彼方かなたにあります。熱愛あいする一対の男女なんにょの中に健康けんこう診断しんだん書の有無うむが何であろうぞ。あるいは法律ほうりつに由って恋愛れんあいの完成かんせいを擁護ようごされることはあっても、如何いかなる場合ばあいにも恋愛れんあいが法律ほうりつに由って拒まるべき性質せいしつのものではありません。平塚ひらつかさんたちが花柳かりゅう病と恋愛れんあいとを相殺そうさつされるほど、恋愛れんあいについて浅薄せんぱくな考を持たれると思われませんから、恐おそらくこの請願せいがんは、恋愛れんあいを無視むしした因習いんしゅう的結婚けっこんを認容にんようした範囲はんいにおいて提出ていしゅつされるものであろうと想像そうぞうする次第しだいです。そうであるなら、この請願せいがんは平塚ひらつかさんや私たちの恋愛れんあい結婚けっこんの主張しゅちょうと矛盾むじゅんして、非常ひじょうに妥協だきょう的なものとなります。この点はどう考かんがえたら好いのでしょうか。

それから、私の今一いまいちつの疑問ぎもんは、結婚けっこんについて法律ほうりつ上の形式けいしきを無用むよう視し、法律ほうりつに由って保障ほしょうされる結婚けっこんの外に立って「共同きょうどう生活せいかつ」の名称めいしょうの下に恋愛れんあい結婚けっこんを実現じつげんする自由じゆうな男女なんにょ関係かんけいと、この請願せいがんとが如何いかにして融和ゆうわされるかということです。昔からある内縁ないえんの夫婦ふうふと称しょうする男女なんにょ関係かんけいについてもどう調和ちょうわされるのでしょうか。現げんに平塚ひらつかさん自身おのれが「共同きょうどう生活せいかつ」の実行者ぎょうじゃであって、久しく戸籍こせき上及および民法みんぽう上の旧式きゅうしきな夫婦ふうふ生活せいかつから解放かいほうされておられるのですが、今に及んでこの請願せいがんを提出ていしゅつされることは法律ほうりつの保障ほしょうする旧式きゅうしきな結婚けっこん生活せいかつへ逆戻ぎゃくもどりされることになるように思われますが、どうでしょう。それとも、平塚ひらつかさん御夫婦ふうふだけは「共同きょうどう生活せいかつ」の中に立て籠こもって、一般いっぱんの男女なんにょには恋愛れんあいを基礎きそ条件じょうけんとせずに、健康けんこう診断しんだん書を重要じゅうよう条件じょうけんとする法律ほうりつ的結婚けっこんに保障ほしょうされよといわれるのでしょうか。もし反対はんたいに、天下てんかの男女なんにょが法律ほうりつ的の拘束こうそくをうるさがって続々と「共同きょうどう生活せいかつ」や内縁ないえんの夫婦ふうふを実行じっこうするに到ったら、平塚ひらつかさんたちの要求ようきゅうされる法律ほうりつは無用むようの贅物ぜいぶつとなりはしないでしょうか。私は平塚ひらつかさんがその自家じかの「共同きょうどう生活せいかつ」を第一だいいちに現行げんこう法に由って改造かいぞうしないで置いて、「共同きょうどう生活せいかつ」と矛盾むじゅんした法律ほうりつ的結婚けっこんの請願せいがん者となられたことを異様いように感かんじます。

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First published
「太陽」1920(大正9)年2月
Source edition (底本)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店

   1985(昭和60)年8月16日初版発行

   1994(平成6年)年6月6日10刷発行

底本の親本:「女人創造」白水社

   1920(大正9)年5月初版発行

初出:「太陽」

   1920(大正9)年2月

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:Nana ohbe

校正:門田裕志

2002年5月14日作成

2012年9月16日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
Nana ohbe
Proofread by (校正)
門田裕志

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