Nihoner

島崎藤村 Toson Shimazaki 1872.03.25〜1943.08.22

家 02 (下)

いえ

  • Demanding
  • 142,548 characters
  • about 356 min
  • 38 sections
  • Public domain

一

橋本はしもとの正太しょうたは、叔父おじを訪ねようとして、両側りょうがわに樹木じゅもくの多おおい郊外こうがいの道路どうろへ出た。

叔父おじの家は広ひろい植木屋きやの地内じないで、金目垣かなめがき一つ隔へだてて、直じかにその道路どうろへ接したような位置いちにある。垣根かきねの側わきには、細こまい乾いた溝みぞがある。人通ひとどうりの少すくない、真空しんくうのように静しずかな初夏しょかの昼過で、荷車にぐるまの音もしなかった。垣根かきねに近い窓のところからは、叔母しゅくぼのお雪ゆきが顔を出だして、格子こうしに取縋とりすがりながら屋外そとの方を眺ながめていた。

正太しょうたは窓の下に立たった。丁度ちょうどその家の前に、五歳いつつばかりに成なる児こが余念よねんもなく遊んでいた。

「叔母しゅくぼさん、菊きいちゃんのお友達ともだち?」

心易やすい調子ちょうしで、正太しょうたはそこに立たったままお雪ゆきに尋たずねてみた。子供こどもは、知らない大人おとなに見られることを羞はじるという風であったが、馳出かけだそうともしなかった。

短みじかい着物きものに細帯を巻付けたこの娘の様子ようすは、同おんなじ年頃としごろのお菊のことを思出させた。

お雪ゆきが夫と一緒いっしょに、三人の娘を引連れ、遠とおく山の上から都会とかいの方へ移った時は、新あたらしい家の楽たのしみを想像そうぞうして来たものであった。引越ひっこしの混雑ごたごたの後で、三番目のお繁――まだ誕生たんじょうを済ましたばかりのが亡くなった。丁度ちょうどそれから一年ひととせ過すぎた。復また二番目のお菊が亡くなった。あのお菊が小ちいさな下駄げたを穿はいて、好すきな唱歌しょうかを歌って歩あるくような姿は、最早もはや家の周囲まわりに見られなかった。

姉のお房とは違ちげい、お菊の方は遊友達ともだちも少なかった。「菊ちゃん、お遊あそびなさいな」と言って、よく誘さそいに来たのはこの近所きんじょの娘である。

道路どうろには日があたっていた。新緑しんりょくの反射はんしゃは人の頭脳あたまの内部なかまでも入って来た。明あかるい光と、悲哀かなしみとで、お雪ゆきはすこし逆上のぼせるような眼付めつきをした。

「まあ、正太しょうたさん、お上んなすって下さい」

こう叔母しゅくぼに言われて、正太しょうたは垣根かきね越しに家うちの内なかを覗のぞいて見た。

「叔父おじさんは?」

「一寸ちょっと歩いて来くるなんて、大屋おうやさんの裏の方へ出て行きました」

「じゃ、私も、お裏の方から廻って参まいりましょう」

正太しょうたはその足で、植木屋きやの庭の方へ叔父おじを見つけに行ゆくことにした。

この地内じないには、叔父おじが借かりて住すむと同おんなじ型の平屋ひらやがまだ外ほかにも二軒あって、その板屋根いたやねが庭の樹木じゅもくを隔へだてて、高だかい草葺くさぶきの母屋もやと相対そうたいしていた。植木屋きやの人達は新茶しんちゃを造つくるに忙せわしい時であった。縁日えんにち向むけの花を仕立したてる畠はたけの尽きたところまで行ゆくと、そこに木戸きどがある。その木戸きどの外に、茶畠ちゃばたけ、野菜畠なばたけなどが続いている。畠の間の小径こみちのところで正太しょうたは叔父おじの三吉さんきちと一緒いっしょに成った。

新開しんかい地らしい光景ありさまは二人ふたりの眼前めのまえに展ひらけていた。ところどころの樹木この間まには、新あたらしい家屋かおくが光って見まみえる。青々とした煙も立ち登りつつある。

三吉さんきちは眺め入って、

「どうです、正太しょうたさん、一年ひととせばかりの間に、随分ずいぶこの辺は変りましたろう」

と弟か友達ともだちにでも話はなすような調子ちょうしで言って、茶畠ちゃばたけの横手よこてに養鶏ようけい所の出来しゅったいたことなどまで正太しょうたに話はなし聞せた。

何となく正太しょうたは元気げんきが無かった。彼かの上京じょうきょうは、叔父おじが長ながい仕事しごとを持って山を下りたよりも早かった。一頃ひところは本所ほんしょ辺に小ちいさな家を借かりて、細君さいくんの豊世と一緒いっしょに仮の世帯しょたいを持ったが、間もなくそこも畳んで了しまい、細君さいくんは郷里くにへ帰し、それから単独ひとりに成って事業しごとの手蔓てづるを探した。彼かの気質きしつは普通ふつうの平坦たいらな道を歩かせなかった。乏とぼしい旅費りょひを懐ふところにしながら、彼は遠とおく北海道ほっかいどうから樺太からふとまで渡わたり、空むなしくコルサコフを引揚ひきあげて来て、青森あおもりの旅舎やどやで酷ひどく煩わずらったこともあった。もとより資本しほんあっての商法しょうほうでは無なあい。磐城炭いわきたんの売込うりこみを計劃したことも有ったし、南清なんしん地方じかたへ出掛けようとして、会話かいわの稽古けいこまでしてみたことも有った。未いまだ彼はこれという事業しごとに取付かなかった。唯ただ、焦心あせった。

そればかりでは無なあい。叔父おじという叔父おじは、いずれも東京とうきょうへ集って来ている。長ながいこと家に居なかった実叔父おじは壮健たっしゃで帰って来ている。森彦叔父おじは山林さんりん事件じけんの始末しまつをつけて、更さらに別方面ほうめんへ動こうとしている。三吉さんきち叔父おじも、漸ようやく山から持って来た仕事しごとを纏まとめた。早く東京とうきょうで家を持もつように成ろう、この考かんがえは正太しょうたの胸の中を往来おうらいしていた。

動うごき光ひかる若葉わかばのかげで、三吉さんきち、正太しょうたの二人ふたりはしばらく時を移した。やがて庭の方へ引返ひきかえして行った。荵しのぶを仕立したてる場所ばしょについて、植木室うえきむろの側を折おれ曲まがると、そこには盆栽ぼんさい棚が造つくり並なべてある。香の無なあい、とは言え誘惑ゆうわくするように美うつくしい弁べんの花が盛んに咲乱れている。植木屋きやの娘達は、いずれも素足すあしに尻端折しりはしょりで、威勢いせいよく井戸いどの水を汲くんでいるのもあれば、如露じょうろで花に灑そそいでいるのもあった。三吉さんきちは自分じぶんの子供こどもに逢あった。

「房ちゃん」

と正太しょうたも見つけて呼んだ。

お房は、耳のあたりへ垂下たれさがる厚あつい髪かみの毛けを煩うるさそうにして、うっとりとした眼付めつきで二人ふたりの方を見た。何処どこか気分きぶんのすぐれないこの子供こどもの様子ようすは、余計よけいにその容貌おもばせを娘らしく見せた。

「叔父おじさん、まだ房ちゃんは全然すっかり快よくなりませんかネ」

「どうも、君、熱が出たり退ひいたりして困こまる。二人ふたりばかり医者いしゃにも診みて貰いましたがネ。大たいして悪くもなさそうですが、快くも成らない―なんでも医者いしゃの言ゆうには腸から来ている熱なんだそうです。」

こんな話をしながら、二人ふたりはお房を連ずれて、庭づたいに井戸いどのある方へ廻った。

「でも、房ちゃんは余程よほど姉さんらしく成りましたネ」

と正太しょうたは木犀もくせいの樹の側を通とおる時に言った。

この木犀もくせいは可成かなりの古ふるい幹で、細長ほそながい枝が四方しかたへ延のびていた。それを境に、疎まばらな竹の垣を繞めぐらして、三吉さんきちの家の庭が形ばかりに区別べっしてある。

「お雪ゆき、房ちゃんに薬を服のましたかい」

と三吉さんきちは庭から尋たずねてみた。正太しょうたも縁側えんがわのところへ腰掛こしかけけた。

「どういうものか、房ちゃんはあんな風なんですよ」とお雪ゆきはそこへ来て、娘の方を眺ながめながら言った。「すこし屋外そとへ遊あそびに出たかと思おもうと、直に帰って来て、ゴロゴロしてます。今も、父さん達のところへ行って見ていらっしゃいッて、私が無理むりに勧すすめて遣やったんですよ」

長ながい労作ろうさくの後で、三吉さんきちも疲つかれていた。不思議ふしぎにも彼は休息きゅうそくすることが出来しゅったいなかった。唯ただ疲労ひろうに抵抗ていこうするような眼付めつきをしながら、甥おいと一緒いっしょに庭へ向むかいた部屋へやへ上った。

「正太しょうたさん、大屋おうやさんから新茶しんちゃを貰いました――一つ召上ってみて下さい」

こう言ってお雪ゆきが持運んで来た。三吉さんきちは、その若葉わかばの香を嗅かぐようなやつを、甥にも勧すすめ、自分じぶんでも啜すすって、仕事しごとの上の話を始はじめた。彼かの話はある露西亜ロシア人のことに移って行った。その人のことを書いた本ほんの中に、細君さいくんが酸乳すぢちというものを製こしらえて、著作ちょさくで労つかれた夫に飲ませたというところが有った。それを言出した。

「ああいう強壮きょうそうな体格たいかくを具そなえた異人ことひとですらもそうかナア、と思いましたよ。なにしろ、僕なぞは随分ずいぶ無理むりな道を通って来ましたからネ。仕事しごとが済んで、いよいよそこへ筆を投出とうしゅつした時は――その心地こころもちは、君、何とも言えませんでした。部屋へや中ゴロゴロ転ころがって歩きたいような気がしました」

正太しょうたは笑わずにいられなかった。

三吉さんきちは言葉ことばを継いで、「自分じぶんの行いけるところまで行ってみよう――それより外に僕は何事なんにも考かんがえていなかったんですネ。一方いっぽうへ向むかいては艱難かんなんとも戦わねばならずサ。それに子供こどもは多おおいと来てましょう。ホラ、あのお繁の亡くなった時には、山から書籍ほんを詰めて持って来た茶箱ちゃばこを削けずり直なおして貰って、それを子供こどもの棺にして、大屋おうやさんと二人ふたりで寺まで持って行きました。そういう勢でしたサ。お繁が死んでくれて、反かえって難有ありがたかったなんて、串談じょうだん半分はんぶんにも僕はそんなことをお雪ゆきに話しましたよ……ところが君、今度こんどは家のやつが鳥目ちょうもくなどに成なるサ……」

「そうそう」と正太しょうたも思出したように、「あの時はエラかった。私も新宿しんじゅくまで鶏肉とりを買かいに行ったことが有ありました」

「そんな思をして骨を折って、漸ようやくまあ何か一つ為した、と思ったらどうでしょう。復たお菊が亡くなった。僕は君、悲かなしいなんていうところを通越とおりこして、呆気あっけに取られて了しまいました――まるで暴風ぼうふうにでも、自分じぶんの子供こどもを浚さらって持って行かれたような――」

思わず三吉さんきちはこんなことを言出した。この郊外こうがいへ引移ってから、彼かの家では初はじめての男の児が生れていた。種夫たねおと言った。その乳呑児ちのみごを年若としわかな下婢おんなに渡わたして置いて、やがてお雪ゆきも二人ふたりの話を聞きに来た。

「どんなにか叔母しゅくぼさんも御力落ちからおとしでしょう」と正太しょうたはお雪ゆきの方へ向むかいて、慰なぐさめ顔がおに、「郷里くにの母からも、その事を手紙てがみに書いて寄よこしました」

「菊ちゃんが死んじゃったんでは、真実ほんとにツマリません」とお雪が答こたえる。

「此頃こないだは君、大変たあいへんな婦人おんなが僕の家へ舞込んで来ました」と三吉さんきちが言ってみた。「――切下さげ髪がみにして、黒ぐろい袴はかまを穿はいてネ。突然いきなり入って来たかと思おもうと、説教せっきょうを始はじめました。恐おそろしい権幕けんまくでお雪ゆきを責せめて行きましたッけ」

「大屋おうやさんの御親類しんるい」とお雪ゆきも引取ひきとりって、「その人が言ゆうには、なんでも私の信心しんじんが足りないんですッて――ですから私の家には、こんなに不幸ふこうばかり続くんですッて――この辺は、貴方あなた、それは信心しんじん深ぶかい処なんですよ」こう正太しょうたに話はなし聞かせた。

不安ふあんな眼付めつきをしながら、三吉さんきちは家の中を眺め廻した。中の部屋へやの柱のところには、お房がリボンの箱などを取出して、遊あそびに紛まぎれていた。三吉さんきちは思付いたように、お房の方へ立って行った。一寸ちょっと、子供こどもの額へ手を宛あててみて、復た正太しょうたの前に戻った。

その時、表の格子こうし戸の外へ来て、何かゴトゴト言わせているものが有った。

「菊ちゃんのお友達ともだちが来た」

と言って、お雪ゆきは玄関げんかんの方へ行ってみた。しばらく彼女かのじょは上あがり端はなの障子そうじのところから離はなれなかった。

「オイ、菓子かしでもくれて遣やりナ」

と夫に言われて、お雪ゆきは中の部屋へやにある仏壇ぶつだんの扉とを開けた。そして、新あたらしい位牌いはいに供えてあった物を取出とりだしした。近所きんじょの子供こどもが礼を言って、馳出かけだして行った後でも、まだお雪ゆきは耳を澄まして、小ちいさな下駄げたの音に聞入った。

女学生がくせい風の袴を着けた娘がそこへ帰って来た。お延のぶと言って、郷里くにから修行しゅぎょうに出て来た森彦の総領そうりょう――三吉さんきちが二番目の兄の娘である。この娘は叔父おじの家から電車でんしゃで学校がっこうへ通っていた。

「兄さん、被入いらっしゃい」

とお延のぶは正太しょうたに挨拶あいさつした。従兄妹いとこ同志どうしの間ではあるが日頃ひごろ正太しょうたのことを「兄さん、兄さん」と呼んでいた。

毎日まいにちのようにお雪ゆきは子供こどもの墓の方へ出掛でかけるので――尤もっとも、寺も近かったから――その日もお延のぶを連ずれて行ゆくことにした。後に残った三吉さんきちと正太しょうたとは、互に足を投出したり、寝転んだりして話した。

その時まで、正太しょうたは父の達雄たつおのことに就ついて、何事なんにも話さなかった。遽にわかに、彼は坐り直した。

「まだ叔父おじさんにも御話はなしませんでしたが、漸ようやく吾家うちの阿父おやじの行衛ゆくえも分わかりました」

こんなことを言出した。久しく居所いどころさえも不明ふめいであった達雄たつおのことを聞いて、三吉さんきちも身を起おこした。

「先日せんじつ、Uさんが神戸ごうどの方から出て来まして、私に逢いたいということですから――」と言って、正太しょうたは声を低くして、「その時Uさんの話にも、阿父も彼方あちらで教員きょういんしてるそうです。まあ食くうだけのことには困らん……それにしても、あんなに家を滅茶滅茶めちゃめちゃにして出て行った位ですから、もうすこし阿父も何か為するかと思いましたよ」

「あの若わかい芸者げいしゃはどうしましたろう――達雄たつおさんが身受しんじゅをして連ずれて行ったという少婦おんなが有あるじゃありませんか」

「あんなものは、最早もはや疾とっくにどうか成って了いましたあね」

「そうかナア」

「で、叔父おじさん、Uさんが言ゆうには、考かんがえて見れば橋本はしもとさんも御気きの毒どくですし、ああして唯孤独ひとりで置いてもどうかと思おもうからして、せめて家族かぞくの人と手紙てがみの遣取やりとり位はさせて進あげたいものですッて」

1 / 38 Next →

Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

Source edition (底本)
底本:「家(下)」新潮文庫、新潮社

   1955(昭和30)年5月10日発行

   1968(昭和43)年4月30日第18刷改版

   1998(平成10)年9月5日50刷

入力:(株)モモ

校正:藤田禎宏

2000年12月5日公開

2010年11月2日修正

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
Typed by (入力)
(株)モモ
Proofread by (校正)
藤田禎宏

Aozora library card for this work ↗ · How Nihoner sources and licenses its content

More by 島崎藤村

Browse the whole library →