Nihoner

島崎藤村 Toson Shimazaki 1872.03.25〜1943.08.22

旧主人

きゅうしゅじん

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一

今でこそ私もこんなに肥ってはおりますものの、その時分じぶんは瘠やせぎすな小作こずくりな女でした。ですから、隣の大工だいくさんの御世話せわで小諸こもろへ奉公ほうこうに出ました時は、人様が十七に見て下さいました。私の生れましたのは柏木かしわぎ村――はい、小諸こもろまで一里と申しているのです。

柏木かしわぎ界隈かいわいの女は佐久さくの岡の上に生活くらしを営たてて、荒あらい陽気ようきを相手あいてにするのですから、どうでも男を助たすけて一生いっしょう烈はげしい労働はたらきを為しなければなりません。さあ、その烈はげしい労働ろうどうを為するからでも有ましょう、私の叔母しゅくぼでも、母親おふくろでも、強健つよい捷敏はしこい気象きしょうです。私は十三じゅうそうの歳としから母親ははおやに随ついて田野のらへ出ました。同おんなじ年恰好かっこうの娘は未いまだ鼻を垂して縄飛なわとびをして遊あそぶ時分じぶんに、私はもう世よの中なかの歓うれしいも哀かなしいも解り始はじめましたのです。吾家うちでは子供こどもも殖ふえる、小商売こあきないには手を焼やく、父親おやじは遊蕩のらくらで宛あてにもなりませんし、何程なんぼ男勝まさりでも母親ははおやの腕一つでは遣切やりきれませんから、否いやでも応でも私は口を預あずけることになりました。その頃下女しもおんなの給金きゅうきんは衣裳いしょう此方こちら持もちの年に十八円位が頂上とまりです。然しかし、私は奥様のお古ふるか何かで着せて頂いて、その外は相応そうおうな晴衣の御宛行あてがいという約束きめに願って出ました。

金銭おかねで頂いたら、復また父親ちちおやに呑まれはすまいか、という心配しんぱいが母親ははおやの腹にありましたのです。

出でるにつけても、母親ははおやは独ひとりで気を揉もんで、「旦那だんな様というものは奥様次第しだいでどうにでもなる、と言っては済まないが」から、「御奉公ほうこうは奥様の御機嫌きげんを取どるのが第一だいいちだ」まで、縷々さんざん寝物語ものがたりに聞かされました。忘わすれもしない。母親ははおやに連ずれられて家うちを出たのは三月の二日でした――山家やまがではこの日を山替でがわりとしてあるのです。微すこし風が吹いて土塵つちぼこりの起たつ日でしたから、乾燥はしゃいだ砂交りの灰色はいいろな土を踏ふんで、小諸こもろをさして出掛でかけました。母親ははおやは新あたらしい手拭てぬぐいを冠かぶって麻裏穿あさうらばき。私は萌黄もえぎの地木綿きわたの風呂敷ふろしき包を提さげて随いて参まいりましたのです。こうして親子おやこ連で歩あるくということが、何故なぜかこの日に限って恥しいような悲しいような気がしました。浅々と青く萌初もえそめた麦畠むぎばたけの側を通とおりますと、丁度ちょうどその畠の土と同おんなじ顔色がんしょくの農夫ひゃくしょうが鍬くわを休めて、私共を仰山ぎょうさんらしく眺ながめるのでした。北国きたぐに街道かいどうは小諸こもろへ入いる広ひろい一筋道すじみち。其処そこまで来れば楽なものです。昔の宿場しゅくば風の休茶屋ちゃやには旅商人たびあきんどの群が居りました。「唐松からまつ」という名高なだかい並木なみきは伐きり倒される最中さなかで、大木おうぎの横倒よこたおしになる音や、高だかい枝の裂さける響や、人足にんそくの騒さわぐ声は戦闘いくさのよう。私共は親子おやこ連の順礼じゅんれいと後あとになり前さきになりして、松葉まつばの香を履ふんで通とおりました。

小諸こもろの荒町あらまちから赤坂あかさかを下りて行きますと、右手みぎてに当って宏壮おおきな鼠色ねずみいろの建築物たてものは小学校がっこうです。その中の一棟むねは建増たてましの最中さなかで、高だかい足場あしばの内には塔の形が見まみえるのでした。その構外かまえそとの石垣いしがきに添ついて突当つきあたりました処が袋町ふくろまちです。それはだらだら下りの坂になった町で、浅間あさまの方から流ながれて来くる河の支流わかれが浅く町中まちなかを通っております。この支流ながれを前に控ひかえて、土塀どべいから柿の枝の垂下すいかっている家が、私共の尋たずねて参まいりました荒井あらい様でした。見付みつきは小諸こもろ風の門構かどがまえでも、内へ入れば新あたらしい格子作こうしづくりで、二階にかい建の閑静かんせいな御住居すまいでした。

丁度ちょうど、旦那だんな様の御留守るす、母親おふくろは奥様にばかり御目に懸かかったのです。奥様は未いまだ御若くって、大おおきな丸髷まるまげに結って、桃色ももいろの髪飾てがらを掛た御方みかたでした。物腰ものごしのしおらしい、背のすらりとした、黒目くろめ勝の、粧つくれば粧つくるほど見勝みまさりのしそうな御容貌かおだち。地の御生おうまれでないということは美うつくしい御言葉ことばで知れました。奥様の白じろい手に見比みくらべると、母親ははおやのは骨太ほねぶとな上に日に焼やけて、男の手かと思われる位。

「奥様、これは御恥しい品ものでごわすが、ほんの御印ばかりに」

と母親ははおやは手土産てみやげを出だして、炉辺ろばたに置おきました。

「あれ、そんな心配しんぱいをしておくれだと……それじゃ反かえって御気毒きどくですねえ」

「否いいえ、どう致しやして。家で造こしらえやした味噌漬みそづけで、召上られるような品ものじゃごわせんが」

「それは何よりなものを――まあ、御茶一つお上のぼり」

「もう何卒どうぞ御構いなすって下さいますな」

「よくまあ、それでも早く来てくれましたねえ。あの、何ですか。名は何と言いますの」

「はい、お定さだと申しやす。実まことに不調ふちょう法者でごわして。何卒どうかまあ何分なにぶん宜よろしく御願申しやす」

私はつんつるてんの綿入わたいれに紺足袋穿こんたびばきという体裁しこうで、奥様に見られるのが何より気恥しゅう御座ございました。御傍へ添よれば心持こころもちの好い香水かがわが顔へ匂においかかる位、見みるものも聞きくものも私には新しく思われたのです。御奉公ほうこうの御約束やくそくも纏まとまりました。母親ははおやは華麗はでな御暮おくらしや美うつくしい御言葉ことばの裡なかに私を独ひとり残のこして置いて、柏木かしわぎへ帰って了しまいました。

御本宅ほんたくは丸茂まるもという暖簾のれんを懸かけた塩問屋しおどんや、これは旦那だんな様の御兄様おあにいさまで、私の上のぼりました御家は新宅しんたくと申しました。御本宅ほんたくは大勢たいせい様、奉公ほうこう人も十人の上遣つかっておりましたが、新宅しんたくは旦那だんな様に奥様、奉公ほうこう人といえば爺じいさんが一人ひとりと、其処そこへ私が参まいりましたから、合あわせて四人暮。御本宅ほんたくは旧気質むかしかたぎの土地とち風。新宅しんたくは又た東京風きょうふう。家の構造つくりを見比べても解わかるのです。旦那だんな様は小諸こもろへ東京とうきょうを植うえるという開けた思想かんがえを御持もちなすった御方みかたで、御服装おみなりも、御言葉ことばも、旧弊きゅうへいは一切いっさい御廃し。それを御本家ほんけでは平素しじゅう憎悪にくんでいるということでした。

まあ、聞いて下さい。世には妙な容貌かおだちの人もあればあるもので、泣いている時ですら見たところは笑っているとしか思われないものがあります。旦那だんな様のが丁度ちょうどそれで、眼の周囲まわりの筋の縮んだ工合ぐあいから口元くちもとと頬ほおの間に深ぶかい皺しわのある御様子ようすは、全く旦那だんな様の御顔を見みると笑が刻んであるようでした。さ、その御顔です。一時いっときも油断ゆだんをなさらない真面目まじめな精神こころの旦那だんな様が、こうした御顔でいらっしゃるということは、不思議ふしぎなようでした。然しかし、それが旦那だんな様の御人おひとの好いいという証拠しょうこで、御天性おうまれつきの普通なみの人とは違ったところでしょう。一体いったい、寒さむい国の殿方とのがたには遅鈍ぐずぐずした無精ぶしょうな癖があるものですけれど、旦那だんな様にはそれがありません。克よくもああ身体からだが動うごくと思われる位に、勤勉まめな働好はたらきずきな御方みかたでした。

小諸こもろで新あたらしい事業しごととか相談そうだんとか言えば、誰は差置ても先まず荒井あらい様という声が懸かかる。小諸こもろに旦那だんな様ほどの役者やくしゃはないと言いました位です。

私が上のぼりました頃の御夫婦ふうふ仲というものは、外目よそめにも羨うらやましいほどの御睦むつまじさ。旦那だんな様は朝早く御散歩さんぽをなさるか、御二階にかいで御調物しらべものをなさるかで、朝飯あさめし前には小原おはらの牝牛うしの乳を召上めしあがる。九時には帽子ぼうしを冠って、前垂まえだれ掛で銀行ぎんこうへ御出掛おでましになる。御休暇おやすみの日には御客様を下座敷ざしきへ通とおして、御談話おはなしでした。尋たずねて来くる御客様は町会ちょうかい議員ぎいん、大地主じぬし、商家たなの旦那だんな、新聞屋ぶんや、いずれも土地とちの御歴々です。御晩食おゆはんの後は奥様と御対座おさしむかい、それは一日ついたちのうちでも一番いちばん楽たのしい時で、笑わらいさざめく御声が御部屋へやから泄もれて、耳を嬲なぶるように炉辺ろへんまでも聞きこえる位でした。その時は珈琲コーヒーか茶を上あげました。

思えば結構尽けっこうづくめの御暮です。私は洋燈ランプの下で雑巾ぞうきんを刺さし初そめると、柏木かしわぎのことが眼前めのまえに浮いて来て、毎晩まいばん癖のようになりました。吾等こちとらの賤いやしい生涯くちすぎでは、農事しごとが多忙いそがしくなると朝も暗ぐらいうちに起きて、燈火あかりを点つけて朝食あさめしを済すます。東の空が白々となれば田野のらへ出て、一日ついたち働はたらくと女の身体しんたいは綿のようです。ある時、私は母親おふくろと一緒いっしょに疲つかれきって、草の上に転んでいると、急に白雨ゆうだちが落おちて来た、二人ふたりとも起上おきあがる力がないのです。汗臭あせくさい身体しんたいを雨に打たれながら倒たおれたままで寝ていたことも有ました。その時に後で烈ひどい熱病ねつびょうを煩わずらって死しぬ程の苦くるしみをいたしました。農家のうかの女の労苦つらさはどれ程でしょう――麦刈むぎかり――田の草取くさとり、それから思えば荒井あらい様の御奉公ほうこうは楽すぎて、毎日まいにち遊んで暮くらすようなものでした。野獣けもののように土だらけな足をして谷間たにあいを馳歩かけあるいた私が、結構けっこうな畳の上では居睡いねむりも出ました位です。

何一つ御不足ふそくということが旦那だんな様と奥様の間なかには有ません。唯御似合にあいなさらないのは御年です。ある日のこと、下座敷ざしきへ御客様が集りました。旦那だんな様は細こまかい活版かっぱん刷の紙を披ひろげて御覧ごらんなさる、皆さんが無遠慮えんりょな方ばかりです。「こりゃ甚ひどい、まるで読めない」と旦那だんな様はその紙を投出とうしゅつしました。

「成程なるほど、御若わかい方の読よむんで、吾儕われわれの相手あいてになるものじゃありません。ここの処なざあ、細こまい線すじのようです」

と言いながら、一人ひとりの御客様は袂たもとから銀縁ぎんぶちの大おおきな眼鏡がんきょうを取出とりだししました。玉の塵ほこりを襦袢じゅばんの袖口そでぐちで拭ぬぐいて、釣針つりばりのように尖とがった鼻の上に載せて見て、

「これなら私にも、明瞭はっきりとはいきませんけれど……どうかこうか見えます」

「へえ、一寸ちょっとその眼鏡がんきょうを拝借はいしゃく」と他の御客様が笑わらいながら受取うけとりて、「成程なるほど、むむ、これなら明瞭めいりょうします」

旦那だんな様も笑って反そりかえりました。やがて、瞬めばたきをしたり、眼を摩こすって見たりして、眼鏡がんきょうを借りようとはなさいません。

「まあ、眼鏡がんきょうはもう二三にさん年懸かけない積つもりです。懸かけた方が目の為には好いいと言いますけれど」

「ですから、私なざア何か読よむ時だけ懸かけるんです」と眼鏡がんきょうを出した方は仔細しさいらしく。

「驚おどろきましたねえ」とその隣の方が引取ひきとりって、

「こんなに能よく見まみえるのかなア。ハハハハ、こりゃ眼鏡がんきょうを一つ奢おごるかな」

終しまいには旦那だんな様も釣込れて、

「拝借はいしゃく」と手を御出だしなさいました。

一人ひとりの御客様が笑わらいながら渡わたしますと、旦那だんな様も面白そうに鼻の上へ載せて、活版かっぱん刷の紙を遠とおく離したり近ちかく寄よせたりして御覧ごらんでした。

「懸かけた工合ぐあいは……どうですな」と渡した方が旦那だんな様の御顔を覘のぞくようにして尋たずねる。

「や、こりゃ能よく見まみえる。これを懸ければすっかり読めます」

「ハハハハハ、酷ひどいものですなア」

「ハハハハハ」

と旦那だんな様も手を拍うって大笑おうわらい、一人ひとりの御客様は目から涙を流ながしながら、腹を抱かかえて笑わらいました。終しまいには皆さんが泣なくような声を御出だしなさると、尖った鼻の御客様は頭を擁かかえて、御座敷ざしきから逃出しましたのです。

私も旦那だんな様がこれ程であろうとは思おもいませんでした。人程見みかけに帰よらない者はありません。これから気を注つけて視みると、黒髪かみも人知れず染そめ、鏡を朝晩あさばんに眺ながめ、御召物めしものの縞しまも華美はでなのを撰より、忌言葉いみことばは聞いたばかりで厭いやな御顔をなさいました。殊ことに寝起の時の御顔色がんしょくは、毎いつも微すこし青ざめて、老衰おいおとろえた御様子ようすが明白ありありと解りました。智慧ちえの深そうな目の御色も時によると朦朧どんより潤みを帯もって、疲つかれ沈んで、物を凝視みつめる力も無なあいという風に変かわることが有ました。私は又た旦那だんな様の顎あごから美しく白く並んだ御歯が脱出はずれるのを見みかけました。旦那だんな様は花はなやかに若く彩いろどった年寄としよりの役者やくしゃなのです。住慣なれて見れば、それも可笑おかしいとは思おもいません。御二人ふたりの御年違も寧いっそ御似合にあいなされて、かれこれと世間せけんから言われるのが悲かなしいと懐おもう様になりましたのです。

奥様は御器量きりょうを望まれて、それで東京とうきょうから御縁組おかたづきに成ったと申もうす位、御湯上ゆあがりなどの御美しさと言ったら、女の私ですら恍惚ほれぼれとなって了じまう程でした。旦那だんな様が熟じっと奥様の横顔よこがおを御眺ながめなさるときは、もう何もかも忘わすれて御了いなすって、芝居しばい好が贔負ひいき役者やくしゃに見惚みとれるような目付めつけをなさいます。聞けばこの奥様の前に、永ながいこと連添った御方みかたも有たとやら、無理むりやりの御離縁りえんも畢竟つまりは今の奥様故ゆえで、それから御本宅ほんたくと新宅しんたくの交情なかが自然じねん氷のように成ったということでした。

譬たとえて申しましょうなら、御本宅ほんたくや御親類しんるいは蜂はちの巣です。其処そこへ旦那だんな様が石を投なげたのですから、奉公ほうこう人の私まで痛いたい噂うわさに刺されました。

しかし、山家さんかが何程どれほど恐おそろしい昔気質かたぎなもので、すこし毛色けいろの変った他所者よそものと見れば頭から熱湯にえゆを浴あびせかけるということは、全く奥様も御存ごぞんじない。そこが奥様は都育みやこそだちです。御親類しんるいの御女中方ちゅうがたは、いずれも質素じみな御方みかたばかりですから、就中わけても奥様御一人ひとりが目立めだちました。奥様は朝に粧つくり、晩に磨みがき、透すき通とうるような御顔色がんしょくの白過すぎて少許すこし蒼あおく見まみえるのを、頬の辺へはほんのり紅を点さして、身の丈たけにあまる程の黒髪くろかみは相生あいおい町のおせんさんに結わせ、剃刀かみそりは岡源の母親おふくろに触あてさせ、御召物めしものの見立みたては大利だいりの番頭ばんがしら、仕立したてるは馬場うまば裏の良助りょうすけさん――華麗はでの穿鑿せんさくを仕尽したものです。田舎いなかの女程物見ものみ高だかいものは有ません。奥様が花はなやかな御風俗おみなりで御通とおりになる時は、土壁つちかべの窓から眺ながめ、障子そうじの穴から覗のぞき、目と目を見合あわせて冷いやな笑わらいかたを為するのです。そんなことは奥様も御存ごぞんじなしで、御慈悲じひに拝ませて遣やるという風をなさりながら町を御歩行おあるきなさいました。たまたま途中みちで御親類しんるいの御女中方ちゅうがたに御逢なさることが有ても、高だかい御挨拶あいさつをなさいました。奥様の目から見みると、この山家さんかの女は松井川いがわの谷の水車すいしゃ――毎日まいにち同おんなじことをして廻っている、とまあ映うつるのです。たとえ男が長ながい冬の日を遊暮くらしても、女は克よく働はたらくという田舎いなかの状態ありさまを見て、てんで笑って御了いなさる。全く、奥様は小諸こもろの女を御存ごぞんじないのです。これを御本家ほんけ始はじめ御親類しんるいの御女中じょちゅうに言わせると折角せっかく花車きゃしゃな当世とうせいの流行はやりを捨すてて、娘にまで手織ており縞で得心とくしんさせている中へ、奥様という他所者よそものが舞込まいこみで来たのは、開けて贅沢ぜいたくな東京とうきょうの生活くらしを一断片ひときれ提さげて持って来たようなもの、としか思われないのでした。ですから、骨肉しんみの旦那だんな様よりか、他人たにんの奥様に憎悪にくしみが多く掛がかる。町々の女の目は褒ほめるにつけ、譏そしるにつけ、奥様の身一つに向むかいていましたのです。

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First published
「新小説」1902(明治35)年11月
Source edition (底本)
底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社

   1969(昭和44)年2月15日発行

   1970(昭和45)年2月15日2刷

初出:「新小説」

   1902(明治35)年11月

入力:紅邪鬼

校正:Tomoko.I

1999年12月10日公開

2012年10月3日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
紅邪鬼
Proofread by (校正)
Tomoko.I

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