Nihoner

島崎藤村 Toson Shimazaki 1872.03.25〜1943.08.22

秋草

あきくさ

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過日かじつ、わたしはもののはじに、ことしの夏のことを書かき添そえるつもりで、思わずいろいろなことを書かき、親戚しんせきから送って貰った桃の葉で僅かに汗疹あせもを凌いだこと、遅おそくまで戸も閉められない眠ねむりがたい夜の多かったこと、覚おぼえて置こうと思うこともかなり多おおいと書いて見た。この稀な大暑たいしょを忘わすれないため、流ながしつづけた熱あつい汗を縁側えんがわの前の秋草あきぐさにでも寄よせて、寝言ねごとなりと書きつけようと思おもう心持こころもちをもその時に引ひき出でされた。ことしのような年もめずらしい。わたしの住すむ町のあたりでは秋をも待たないで枯かれて行った草も多おおい。坂の降おり口ぐちにある乾き切った石段いしだんの横手よこての芝なぞもそれだ。日頃ひごろ懇意こんいな植木屋きやが呉れた根も浅あさい鉢植はちうえの七草ななくさは、これもとっくに死んで行った仲間なかまだ。この旱天かんてんを凌いで、とにもかくにも生きつづけて来た一二いちにの秋草あきぐさの姿がわたしの眼にある。多くの山家さんか育ちの人達と同じように、わたしも草木そうもくなしにはいられない方だから、これまでいろいろなものを植うえるには植うえて見たが、日当ひあたりはわるく、風通かざとうしもよくなく、おまけに谷の底のようなこの町中まちなかでは、どの草も思おもうように生長せいちょうしない。そういう中で、わたしの好すきな薫かおりぐさだけは残った。わたしの家の庭で見せたいものは、と言ったところで、ほんとに猫の額ほどしかないような狭せまいところに僅わずかの草木そうもくがあるに過すぎないが、でもこの支那しなの蘭の花のさかりだけは見せたい。薫は、春咲さく蘭に対して、秋蘭と呼んで見てもいいもので、かれが長ながい冬季とうきの霜雪しもゆきに耐えても蕾を用意よういするだけの力をもった北きたのものなら、これは激はげしい夏の暑さを凌いで花をつける南のものだ。緑も添い、花も白く咲さき出でる頃は、いかにも清きよい秋草あきぐさの感かんじが深ぶかい。この薫が今は花のさかりである。そう言えば、長く都会とかいに住んで見みるほどのもので、町中まちなかに来くる夏の親したしみを覚おぼえないものはなかろうが、夏はわたしも好すきで、種々な景物けいぶつや情趣じょうしゅがわたしの心を楽しませる上に、暑くても何でも一年ひととせのうちで一番いちばんよく働はたらける書入かきいれ時のように思おもい、これまで殆ほとんど避暑ひしょの旅に出たこともない。ことしもと、それを楽たのしみにしているところへこの陽気ようきだった。不思議ふしぎにも、ことしにかぎって、夏らしい短か夜の感かんじが殆ほとんどわたしに起って来ない。好い風の来くる夕方ゆうがたもすくなく、露の涼すずしい朝もすくなければ、暁から鳴なく蝉の声、早朝そうちょうからはじまるラジオ体操たいそうの掛声かけごえまで耳について、毎日まいにち三十さんじゅう度以上いじょうの熱した都会とかいの空気くうきの中では夜はあっても無なあいにもひとしかった。わたしは古人こじんの隠逸いんいつを学まなぶでも何でもなく、何とかしてこの暑苦を凌ごうがためのわざくれから、家の前の狭せまい路地ろじに十四五しご本ばかりの竹を立て、三間みつまほどの垣を結んで、そこに朝顔あさがおを植えた。というは、隣家りんかにめぐらしてある高だかいトタン塀から来くる反射はんしゃが、まともにわたしの家の入口いりぐちの格子こうしをも露地ろじに接した窓をも射いるからであった。わたしはまだ日ひの出でないうちに朝顔あさがおに水をそそぐことの発育はついくを促うながすに好い方法ほうほうであると知って、それを毎朝まいあさの日課にっかのようにしているうちに、そこにも可憐かれんな秋草あきぐさの成長せいちょうを見た。花のさまざま、葉のさまざま、蔓のさまざまを見ても、朝顔あさがおはかなり古い草ぐさかと思おもう。蒸暑く寝苦ねぐるしい夜を送った後なぞ、わたしは町の空の白まないうちに起きて、夜明よあけ前の静しずかさを楽しむこともある。二階にかいの窓をあけて見みると、まだ垣も暗ぐらい。そのうちに、紅と藍色あいいろとのまじったものを基調きちょうの色素しきそにして瑠璃るりにも行けば柿色かきいろにも薄うすむらさきにも行き、その極は白にも行ゆくような花の顔がほのかに見えて来くる。物数寄ものずきな家族かぞくのもののあつまりのことで、花の風情ふぜいを人の姿に見立て、あるものには大音羽おとわ屋、あるものには橘屋たちばなや、あるものには勉強べんきょう家などの名がついたというのも、見みるからにみずみずしい生気せいきを呼吸こきゅうする草の一もとを頼もうとするからの戯たわれであった。時には、大森おうもりの方から魚を売うりに来くる男が狭せまい露地ろじに荷をおろし、蕾を見せた草くさの根ねを踏ふみ折おることなぞもあった。そよとの風も部屋へやにない暑あつい日ざかりにも、その垣の前ばかりは坂に続つずく石段いしだんの方から通って来くるかすかな風を感かんずる。わたしはその前を往ったり来たりして、曾かつて朝顔あさがお狂と言われたほどこの花に凝った鮫島さめしま理学りがく士のことを思おもい出だす。手長てなが、獅子しし、牡丹ぼたんなぞの講釈こうしゃくを聞かせて呉れたあの理学りがく士の声はまだわたしの耳にある。今度こんどわたしはその人の愛したものを自分じぶんでもすこしばかり植うえて見て、どの草でも花咲はなさかくさかりの時を持たないものはないことを知った。おそらくどんな芸術げいじゅつ家でも花の純粋じゅんすいを訳出やくしゅつすることは不可さえる能だと言って見せたロダンのような人もあるが、その言葉ことばに籠こもる真実しんじつも思おもい当あたる。朝顔あさがおを秋草あきぐさというは、いつの頃から誰の言いい出でるしたことかは知らないが、梅雨つゆあけから秋風あきかぜまでも味わせて呉くれるこんな花もめずらしいと思おもう。わたしがこれを書いているのは九月の十二とうに日だ。新涼しんりょうの秋気しゅうきはすでに二階にかいの部屋へやにも満ちて来た。この一夏ひとなつの間、わたしは例年れいねんの三分の一に当あたるほども自分じぶんの仕事しごとをなし得ず、せめて煩わなかっただけでもありがたいと思えと人に言われて、僅かに慰なぐさめるほどの日を送って来たが、花はその間に二日休んだだけで、垣のどこかに眸ひとみを見開かないという朝とてもなかった。今朝けさも、わたしの家では、十八九輪くりんもの眼のさめるようなやつが互の小ちいさな生命いのちを競きそい合あうように咲いている。これから追々と花も小さくなって、秋深ぶかい空気くうきの中に咲さき残のこるのもまた捨てがたい風情ふぜいがあろう。

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Source edition (底本)
底本:「日本の名随筆19 秋」作品社


   1984(昭和59)年5月25日第1刷発行

底本の親本:「藤村全集 第一三巻」筑摩書房

   1967(昭和42)年9月

入力:土屋隆

校正:noriko saito

2006年8月3日作成

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Typed by (入力)
土屋隆
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noriko saito

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