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与謝野晶子 Akiko Yosano 1878.12.07〜1942.05.29

三面一体の生活へ

さんめんいったいのせいかつへ

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私たちは個人こじんとして、国民くにたみとして、世界せかい人としてという三つの面を持もちながら、それが一体いったいであるという生活せいかつを意識いしき的に実現じつげんしたい。誰も無意識いしき的には、また偶然ぐうぜん的にはこの三面一つらいち体の生活せいかつの中に出つ入いりつしているのですが、それを明あきらかに意識いしきすると共に、出来できるだけ完全かんぜんにその三面が一体いったいである生活せいかつを築いて行きたいと思おもうのです。

どうしてこういうことを思おもうかというと、私たちにはあくまでも幸福こうふくな生活せいかつを建てようとする要求ようきゅうがあります。この要求ようきゅうは強力ごうりきな一つの本能ほんのうである上に、今一いまいちつの強力ごうりきな本能ほんのうである理性りせいがこれを支持しじし助長じょちょうしようとします。全く私たちの人生じんせいの内部うつべから発した所のこの要求ようきゅうほど確たしかな真実しんじつはありません。私はこれが絶対ぜったいに合理ごうり的であることを信じます。

あくまでも幸福こうふくな生活せいかつを建てたいとするのは、従来じゅうらいの生活せいかつが十分じゅうぶんに幸福こうふくなものでないということが不満ふまんを感かんじさせるからで、そうしてその理由りゆうは個人こじん、国民くにたみ、世界せかい人という三つの面が矛盾むじゅんし、衝突しょうとつし、破裂はれつしているからだということを今は私たち婦人ふじんも知しる時機じきが来ました。即すなわち個人こじん生活せいかつに利のあることは国民くにたみ生活せいかつに害があり、国民くにたみ生活せいかつに利のあることは世界せかい生活せいかつに害があるという矛盾むじゅんした状態じょうたいに置かれているからだと思います。例たとえば戦争せんそうという人生じんせいの事実じじつが縦ほしいままに個人こじんを殺傷さっしょうして個人こじん生活せいかつの安全あんぜんを害がいすると共に世界せかいの平和へいわをも乱みだすことは何人なんぴとにも明白めいはくなることであるのですが、世界せかいの文化ぶんかの進歩しんぽしたといわれる今日きょうにかえって現在げんざいのような狂暴きょうぼうな大戦争せんそうが数年にわたって継続けいぞくされているということは、今日きょうもなお国民くにたみ生活せいかつを特とくに偏重へんちょうして、国民くにたみの自治じち的代表だいひょう機関きかんである国家こっかが国民くにたみ生活せいかつとしての利害りがいの前に他の二つの生活せいかつを犠牲ぎせいにして顧みないという旧式きゅうしきな思想しそうに原因げんいんしていると思います。

私たちの本能ほんのうはどの生活せいかつをも享楽きょうらくすることを要求ようきゅうします。三つの生活せいかつのどの一つをも欠こうとは思おもいません。私たちは現げんに一日ついたちの中にも個人こじん本位ほんいの生活せいかつをして他の二つの生活せいかつを藐視びょうししている幾刹那せつなもしくは幾時間じかんがあります。食事しょくじも、睡眠すいみんも、読書どくしょも、労働ろうどうも立派りっぱに個人こじん本位ほんいの生活せいかつ内容ないようであって、私たちはそれらの場合ばあいに必かならずしも国民くにたみとしての生活せいかつや世界せかい人としての生活せいかつを意識いしきしてはおりません。また私たちが租税そぜいを納めたり、女子じょしに政治せいじ上の投票とうひょう権を与えられることを望んだりする場合ばあいには国民くにたみ本位ほんいの生活せいかつをしている時であって、その時にあるいは個人こじん生活せいかつの意識いしきを背景はいけいとしている場合ばあいはあるにしても、必かならずしも世界せかい人としての生活せいかつを意識いしきしてはおりません。また私たちが学問がくもん芸術げいじゅつを研究けんきゅうし鑑賞かんしょうする場合ばあいには人種じんしゅと国境くにざかいと国民くにたみ的歴史れきしとを超越ちょうえつした世界せかい人類じんるい本位ほんいの生活せいかつの中に生きているのであって、その当面とうめんの幾刹那せつなもしくは幾時間じかんには、個人こじん生活せいかつの利害りがいや国民くにたみ生活せいかつの利害りがいなどを眼中がんちゅうに置いてはおりません。これは誰にも明瞭めいりょうな共通きょうつうの実感じっかんです。こういう場合ばあいには三つの生活せいかつが自然じねんに融和ゆうわ流動りゅうどうしていて、必要ひつように応じてあるいは個人こじん本位ほんいの面を生活せいかつの中心ちゅうしんとし、あるいは国民くにたみ本位ほんいの面を、あるいは世界せかい本位ほんいの面を生活せいかつの中心ちゅうしんとして濃く彩いろどっているだけのことで、一つが他の二つを藐視したり、意識いしきしていなかったり、超越ちょうえつしていたりするように見まみえるのは、決けっして三つの生活せいかつが分裂ぶんれつしているのでなくて、かえってそう見まみえるまでに三つの生活せいかつの差が自然じねんに塗り消され融かされて一体いったいとなっているのであると思います。

右のような場合ばあいには、個人こじん生活せいかつという中に他の二つの生活せいかつが自然じねんに包容ほうようされ、国民くにたみ生活せいかつという中に個人こじん生活せいかつも世界せかい生活せいかつも摂取せっしゅされ、世界せかい生活せいかつという中に同おなじく他の二つの生活せいかつが内含ないがんされていて、何どの扞格かんかくも凝滞ぎょうたいも発見はっけんされず、極きわめて平和へいわであるのです。私は誰にも明瞭めいりょうなこの共通きょうつうの実感じっかんと同おんなじ状態じょうたいの中に、如何いかなる場合ばあいでも三つの生活せいかつを融合ゆうごうさせた一体いったいのものとして経験けいけんしたく思います。そうして、この要求ようきゅうが意識いしき的なものであるだけ、その融合ゆうごうをも意識いしき的に企画きかくし努力どりょくせねばなりません。

例たとえば戦争せんそうというような場合ばあいは、国民くにたみと国民くにたみとが――その代表だいひょうである国家こっかと国家こっかとが――戦争せんそうするので、それが個人こじん及および世界せかい人類じんるいの幸福こうふくとなる結果けっかは既往きおうにも甚はなはだ稀まれにしかなかったのです。殊ことに今日は腕力うでじからの延長えんちょうである戦争せんそう、野蛮やばん時代じだいの遺習いしゅうである戦争せんそうに由って国民くにたみ生活せいかつの利益りえきを計はかる事の不法ふほうに何人なんぴとも目の覚めない時代じだいではありません。そして戦争せんそうが最早もはや国民くにたみ生活せいかつの利益りえきになるのでないこともこの度の大戦争せんそうで明白めいはくになりました。個人こじん生活せいかつを虐しいたげ、世界せかい生活せいかつの平和へいわを攪乱かくらんして置いて、ひとり国民くにたみ生活せいかつが幸福こうふくに成長せいちょうし得えるものでないことも明白めいはくになりました。この三つの生活せいかつが協同きょうどうし、連関れんかんし、融和ゆうわして、初はじめて人間じんかんの生活せいかつはその全体ぜんたいの完成かんせいを期待きたいすることが出来できるということを知しる時代じだいが来たのです。

これまで分裂ぶんれつしやすく矛盾むじゅんしやすかった三つの生活せいかつの融合ゆうごうをどう意識いしき的に企画すれば好いでしょうか。私は私自身おのれの必要ひつようからこれをこう考かんがえております。その扞格かんかくと矛盾むじゅんとを除き、その分裂ぶんれつと衝突しょうとつとを避さける方法ほうほうとしては三つの生活せいかつを貫いて共通きょうつうの幸福こうふくとなる性質せいしつを持った生活せいかつ事実じじつを全生ぜんせい活の価値かち標準ひょうじゅんとし、これに背馳はいちする生活せいかつ事実じじつをすべて排除はいじょする外はないということです。具体ぐたい的にいえば、共通きょうつうの幸福こうふくとなるものは愛を第一だいいちとし、経済けいざい、学問がくもん、芸術げいじゅつ、科学かがく等は悉ことごとく国境くにざかいを超こえて平等びょうどうに世界せかい人類じんるいの幸福こうふくとなる性質せいしつを持っております。これらは個人こじんをも利し、国民くにたみをも利りするものでありながら、或個人こじんまたは一の国民くにたみの利益りえきのために独占どくせんして、他の個人こじんや他の国民くにたみとの間にこれがために衝突しょうとつするようなことを許されない性質せいしつのものであることはいうまでもありません。

この方ほう法を実現じつげんしようとすれば、第一だいいちに愛の世界せかい的協同きょうどうが必要ひつようになります。博愛はくあい的世界せかい主義しゅぎというか、人道にんどう的世界せかい主義しゅぎというか、名はいずれにもせよ、人類じんるいが相互そうごに愛し合い扶助ふじょし合あう実行じっこうが起らねばなりません。今度こんどの戦争せんそうで、協商きょうしょう国側くにがわにも連合れんごう国側くにがわにも或国民くにたみとの相互そうご扶助ふじょが行ぎょうわれました。それを今一段いちだん進めて世界せかい人類じんるいの相互そうご扶助ふじょを実現せねばなりません。西部せいぶの戦線せんせんにおいては敵味方みかたの間にさえ、独仏どくふつの兵士へいし同志どうしは攻撃こうげきのない日に塹壕ざんごうから出て語かたり合あいながら、世界せかい人類じんるい的の親愛しんあいを感かんじて、何がために国民くにたみの名においてお互世界せかいの同胞どうほうが殺し合わねばならぬかを考かんがえ、その不合理ごうりと矛盾むじゅんとを痛切つうせつに悲むような例が尠すくなくないといいます。露西亜ロシヤの過激かげき派の行動こうどうは一見いちげんして非常識じょうしきであり、その手段しゅだんにおいて極端きょくたん不法ふほうであることは勿論もちろんですが、しかしその精神せいしんは全人ぜんじん類的の愛から出発しゅっぱつしていることを否いなむことは出来しゅったいません。ケレンスキイ一派いっぱの第一だいいち革命かくめいにしても、過激かげき派の今回こんかいの暴挙ぼうきょにしても、昔の仏蘭西フランス革命かくめいが酸鼻さんびの跡の多おおいのに反して出来できるだけ流血りゅうけつの悲劇ひげきを示さずに目的もくてきを達たっすることに一致いっちしております。人をより幸福こうふくに生かすことが彼らの目的もくてきである以上いじょう、如何いかなる名の下にも手段しゅだんとして人を殺ころすことの矛盾むじゅんを避さけるのが至当しとうです。罪人つみびとに対してさえ死刑しけいを廃止はいしするのが正義せいぎであると認したためる時代じだいに、政治せいじ上の反対はんたい者に対し、その他の良民りょうみんに対して武器ぶきの脅威きょういを以て臨のぞむことの野蛮やばん行為こういであることは何人なにじんにも承認しょうにんされるはずです。私は露西亜ろしあのあれほどの騒乱そうらんが人命じんめいを愛重あいちょうして、今日きょうまで殆ほとんど何ばかりの血をも犠牲ぎせいとして流ながしていないことに目を瞠みはらずにいられません。

国民くにたみと国民くにたみ、国家こっかと国家こっかの名に由って軍事上じじょう、政治せいじ上にのみ同盟どうめいし扶助ふじょし合っていることは、結局けっきょく、世界せかいの上に二大強国きょうこく、もしくは三大強国きょうこくを作ずくり、それらが互たがいに対峙たいじし啀いがみ合って世界せかい人類じんるいの平和へいわと個人こじんの平和へいわとを破やぶることになります。物は最もっとも広大こうだいにして鞏固きょうこなる容器ようきの中に収めて置くことが最もっとも安全あんぜんです。一斗の水を一升桝ますに入れようとすれば必かならず溢あふれます。一斗桝に入れてこそ初はじめて安全あんぜんであるように、人類じんるい生活せいかつの目的もくてきを専もっぱら個人こじん生活せいかつの中に収め、国家こっか生活せいかつの中に入れようとして如何いかに圧搾あっさくしても、圧搾あっさくすればするほど溢れ出さずに置おきません。その無理むりなことは解っております。人類じんるい生活せいかつは最もっとも拡大かくだいされた容器ようきである博愛はくあい的人道にんどう的世界せかい主義しゅぎの中に入れてこそ初はじめて安全あんぜんを得えることが出来しゅったいます。

私たちは歴史的してき、地理ちり的、生産せいさん的、政治せいじ的の差別さべつの自然じねん的必要ひつようから、国民くにたみとしての協同きょうどう自治じち機関きかんである国家こっかを尊重そんちょうし擁護ようごします。しかし人種じんしゅ的の差別さべつは最早もはや国民くにたみの協同きょうどう生活せいかつの上に何どの条件じょうけんにもならない事を認したためます。私たちは世界せかいいずれの人種じんしゅの帰化きかをも拒まず、現げんに朝鮮人せんじんの全部ぜんぶと支那しな人の一部いちぶとを包容ほうようした国民くにたみ生活せいかつを営んでおります。私たちの愛あいする国家こっかは、他の国家こっかと他の国民くにたみを峻拒しゅんきょしもしくは敵視てきしするような排他はいた的の目的もくてきを少すこしも持たず、歴史的してき、地理ちり的、生産せいさん的、政治せいじ的の特殊とくしゅな差別さべつ関係かんけいによって集団しゅうだん生活せいかつを持続じぞくしている日本にぽん国民くにたみのために専もっぱらその自治じち改造かいぞうの確実かくじつな機関きかんたる外に何どの目的もくてきもないものでありたいと思います。国民くにたみ生活せいかつがこの目的もくてきの範囲はんいを越こえて排他はいた的征服せいふく的の目的もくてきを国家こっかの上に加え、他の国民くにたみと国家こっかとの生活せいかつを危くして顧みず、この第二の目的もくてきのために国民くにたみ自身おのれの他の二つの生活せいかつ――個人的じんてき及および世界せかい的生活せいかつ――をも犠牲ぎせいにする事になれば、それは愚おろかにも国民くにたみ生活せいかつを偏重へんちょうして唯一ただいち絶対ぜったいの価値かちあるものとし、それが或限定げんていされた正当せいとうな目的もくてきを持った容器ようきであることを忘わすれて、その中に一切いっさいの人間じんかん生活せいかつを収めよう、圧搾あっさくしようとする無理むりな仕方しかたである以上いじょう、世界せかいの平和へいわは勿論もちろん、結局けっきょく、国民くにたみ自身おのれの平和へいわをも破らずには置おきません。私はこの意味いみから、純正じゅんせい個人こじん主義しゅぎと世界せかい人類じんるい主義しゅぎとを背景はいけいとしない国家こっか主義しゅぎ、言い換れば個人こじんの愛(個人こじんの道徳どうとく)と世界せかい人類じんるいの愛(世界せかい人類じんるいの道徳どうとく)とを裏切った国家こっか主義しゅぎに反対はんたいします。

愛の世界せかい的協同きょうどうと共に必要ひつようなことは経済けいざいの世界せかい的協同きょうどうであると思います。この事の必要ひつようは今度こんどの戦争せんそうにおいて現げんに暗示あんじされております。協商きょうしょう国側くにがわも連合れんごう国側くにがわも軍事上じじょう政治せいじ上の協同きょうどうだけでは戦争せんそうの出来しゅったいないことを知りました。米国べいこくが戦争せんそうに参加さんかして連合れんごう国側くにがわに偉大いだいな強味つよみを与えたことも、その兵力へいりょくよりは、その豊富とよとみな財力ざいりょくに恃たのむ所があるからです。好戦こうせん尚武しょうぶの国として知られた日本にぽんが、よく自制じせいして今度こんどの戦争せんそうに大兵だいひょうを動かさないのも、その重要じゅうような原因げんいんは米国べいこくと反対はんたいに財力ざいりょくの不足ふそくにあります。またこの度の戦争せんそうに由よる財力ざいりょくの集中しゅうちゅう偏依が世界せかいの隅々まで影響えいきょうし、私たちの日常にちじょう生活せいかつの第一だいいちの必要ひつよう品である食物しょくもつまでを法外ほうがいに暴騰ぼうとうさせているのを見みると、如何いかなる名義めいぎの下にも、財力ざいりょくの集中しゅうちゅうと濫費らんぴが人類じんるい生活せいかつを危険きけんにする事が想われ、同時どうじにそれらの公平こうへいな分配ぶんぱいと正当せいとうな支出ししゅつが人類じんるい生活せいかつを幸福こうふくにすることが想われます。全人ぜんじん類の共通きょうつうな幸福こうふくを円滑えんかつにし保障ほしょうするものとして、相互そうごに財力ざいりょくを扶助ふじょし合あう経済けいざいの世界せかい的協同きょうどうが成立せいりつするなら、どんなに私たちの生活せいかつが安全あんぜんになることでしょう。

愛と経済けいざいとの世界せかい的協同きょうどうさえ主として成立せいりつすれば、その他の学問がくもん、芸術げいじゅつ、科学かがく等は固もとより人類じんるい的なものですから、特とくに世界せかい的協同きょうどうを主張しゅちょうしなくても、今日きょうよりも一層いっそう人類じんるい生活せいかつの共通きょうつうな幸福こうふくの動力どうりょくとなることは明白めいはくです。国民くにたみ生活せいかつが偏重へんちょうされている今日きょうではすべてが国家こっかに隷属ぞくする不公平こうへいな状態じょうたいとなり、世界せかい人類じんるい的なるべき愛が一国民くにたみの間、もしくは同盟どうめい国民くにたみの間にのみ限局げんきょくせられて、国家こっかの名の下に英国えいこく人は独逸人いつじんと憎み合い、終ついに戦争せんそうを開あくような野蛮やばんな光景こうけいを呈します。経済けいざいにおいても、国家こっかが軍備ぐんび拡張かくちょうや戦争せんそう行為こういにそれを濫用らんようして、かえって世界せかい人類じんるいの幸福こうふくを破壊はかいする動力どうりょくとなり、また学問がくもん科学かがくも国家こっかと国家こっかとの軍事ぐんじ的施設しせつに悪用せられ、学者がくしゃまでも国家こっかの奴隷どれいとして戦争せんそうを弁護べんごし助長じょちょうするような倒錯とうさく的陋態を誘致ゆうちし、芸術げいじゅつも仏蘭西ふらんすや白耳義ベルギーの名高なだかい大寺おうてらの建物たてもんのように、国家こっかと国家こっかの狂暴きょうぼうな戦争せんそう行為こういのために凌辱りょうじょくの憂目うきめを見る外はありません。

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First published
「太陽」1918(大正7)年1月
Source edition (底本)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店

   1985(昭和60)年8月16日初版発行

   1994(平成6年)年6月6日10刷発行

底本の親本:「若き友へ」白水社

   1918(大正7)年5月初版発行

初出:「太陽」

   1918(大正7)年1月

入力:Nana ohbe

校正:門田裕志

2002年5月14日作成

2012年9月16日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
Nana ohbe
Proofread by (校正)
門田裕志

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