Nihoner

宮沢賢治 Kenji Miyazawa 1896.08.27〜1933.09.21

蛙のゴム靴

かえるのゴムぐつ

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松まつの木や楢ならの木の林の下を、深ぶかい堰せきが流ながれて居おりました。岸には茨いばらやつゆ草くさやたでが一杯いっぱいにしげり、そのつゆくさの十本ばかり集った下のあたりに、カン蛙がえるのうちがありました。

それから、林の中の楢の木この下したにブン蛙のうちがありました。

林の向むかうのすすきのかげには、ベン蛙のうちがありました。

三疋びきは年も同おんなじなら大きさも大たいてい同おんなじ、どれも負まけず劣おとらず生意気いきで、いたずらものでした。

ある夏の暮くれ方、カン蛙ブン蛙ベン蛙の三疋は、カン蛙の家の前のつめくさの広場ひろばに座すわって、雲見くもみということをやって居りました。一体いったい蛙どもは、みんな、夏の雲の峯みねを見みることが大だいすきです。じっさいあのまっしろなプクプクした、玉髄ぎょくずいのような、玉あられのような、又また蛋白石たんぱくせきを刻んでこさえた葡萄ぶどうの置物おきもののような雲の峯は、誰たれの目にも立派りっぱに見えますが、蛙どもには殊ことにそれが見事みごとなのです。眺ながめても眺ながめても厭あきないのです。そのわけは、雲のみねというものは、どこか蛙の頭の形に肖にていますし、それから春の蛙の卵に似ています。それで日本人ほんにんならば、ちょうど花見はなみとか月見つきみとか言ゆう処ところを、蛙どもは雲見くもみをやります。

「どうも実げに立派りっぱだね。だんだんペネタ形になるね。」

「うん。うすい金色こんじきだね。永遠えいえんの生命いのちを思わせるね。」

「実げに僕ぼくたちの理想りそうだね。」

雲のみねはだんだんペネタ形になって参まいりました。ペネタ形というのは、蛙どもでは大たいへん高尚こうしょうなものになっています。平ひらたいことなのです。雲の峰みねはだんだん崩くずれてあたりはよほどうすくらくなりました。

「この頃ごろ、ヘロンの方ではゴム靴がはやるね。」ヘロンというのは蛙語です。人間じんかんということです。

「うん。よくみんなはいてるようだね。」

「僕たちもほしいもんだな。」

「全くほしいよ。あいつをはいてなら栗くりのいがでも何でもこわくないぜ。」

「ほしいもんだなあ。」

「手に入いれる工夫くふうはないだろうか。」

「ないわけでもないだろう。ただ僕たちのはヘロンのとは大きさも型も大分おういたちがうから拵こしらえ直さないと駄目だめだな。」

「うん。それはそうさ。」

さて雲のみねは全くくずれ、あたりは藍色あいいろになりました。そこでベン蛙とブン蛙とは、

「さよならね。」と云いってカン蛙とわかれ、林の下の堰を勇ましく泳いで自分じぶんのうちに帰って行きました。

*

あとでカン蛙は腕うでを組んで考かんがえました。桔梗色ききょういろの夕暗ゆうやみの中です。

しばらくしばらくたってからやっと「ギッギッ」と二声ばかり鳴きました。そして草原くさはらをぺたぺた歩いて畑にやって参まいりました、

それから声をうんと細くして、

「野鼠のねずみさん、野鼠のねずみさん。もうし、もうし。」と呼びました。

「ツン。」と野鼠のねずみは返事へんじをして、ひょこりと蛙の前に出て来ました。そのうすぐろい顔も、もう見えないくらい暗ぐらいのです。

「野鼠のねずみさん。今晩は。一つお前まえさんに頼たのみがあるんだが、きいて呉くれないかね。」

「いや、それはきいてあげよう。去年こぞの秋、僕が蕎麦団子そばだんごを食べて、チブスになって、ひどいわずらいをしたときに、あれほど親身しんみの介抱かいほうを受うけながら、その恩を何でわすれてしまうもんかね。」

「そうか。そんなら一つお前まえさん、ゴム靴を一足いっそく工夫こうふして呉れないか。形はどうでもいいんだよ。僕がこしらえ直なおすから。」

「ああ、いいとも。明日あすの晩までにはきっと持って来てあげよう。」

「そうか。それはどうもありがとう。ではお願ねがいするよ。さよならね。」

カン蛙は大おおよろこびで自分じぶんのおうちへ帰って寝ねてしまいました。

*

次の晩方ばんがたです。

カン蛙は又畑に来て、

「野鼠のねずみさん。野鼠のねずみさん。もうし。もうし。」とやさしい声で呼びました。

野鼠のねずみはいかにも疲つかれたらしく、目をとろんとして、はぁあとため息いきをついて、それに何だか大たいへん憤おこって出て来ましたが、いきなり小ちいさなゴム靴をカン蛙の前に投げ出しました。

「そら、カン蛙さん。取ってお呉れ。ひどい難儀なんぎをしたよ。大たいへんな手数てすうをしたよ。命いのちがけで心配しんぱいしたよ。僕はお前まえのご恩はこれで払はらったよ。少すこし払はらい過すぎた位かしらん。」と云いながら、野鼠のねずみはぷいっと行ってしまったのでした。

カン蛙は、野鼠のねずみの激昂げっこうのあんまりひどいのに、しばらくは呆あきれていましたが、なるほど考かんがえて見みると、それも無理むりはありませんでした。まず野鼠のねずみは、ただの鼠にゴム靴をたのむ、ただの鼠は猫ねこにたのむ、猫は犬にたのむ、犬は馬にたのむ、馬は自分じぶんの金沓かなぐつを貰もらうとき、なんとかかんとかごまかして、ゴム靴をもう一足いっそく受うけ取とる、それから、馬がそれを犬に渡わたす、犬が猫に渡わたす、猫がただの鼠に渡わたす、ただの鼠が野鼠のねずみに渡わたす、その渡わたしようもいずれあとでお礼をよこせとか何とか、気味きみの悪わるい語ことばがついていたのでしょう、そのほか馬はあとでゴム靴をごまかしたことがわかったら、人間じんかんからよっぽどひどい目にあわされるのでしょう。それ全体ぜんたいを野鼠のねずみが心配しんぱいして考かんがえるのですから、とても命にさわるほどつらい訳です。けれどもカン蛙は、その立派りっぱなゴム靴を見ては、もう嬉うれしくて嬉しくて、口がむずむず云いうのでした。

早速さっそくそれを叩たたいたり引っぱったりして、丁度ちょうど自分じぶんの足に合あうようにこしらえ直なおし、にたにた笑わらいながら足にはめ、その晩一いちばん中歩きまわり、暁方あけがたになってから、ぐったり疲つかれて自分じぶんの家に帰がえりました。そして睡ねむりました。

*

「カン君、カン君、もう雲見くもみの時間じかんだよ。おいおい。カン君。」カン蛙は眼めをあけました。見みるとブン蛙とベン蛙とがしきりに自分じぶんのからだをゆすぶっています。なるほど、東にはうすい黄金色きんいろの雲の峯が美しく聳そびえています。

「や、君はもうゴム靴をはいてるね。どこから出したんだ。」

「いや、これはひどい難儀なんぎをして大たいへんな手数てすうをしてそれから命いのちがけほど頭を痛いたくして取って来たんだ。君たちにはとても持てまいよ。歩いて見せようか。そら、いい工合ぐあいだろう。僕がこいつをはいてすっすっと歩いたらまるで芝居しばいのようだろう。まるでカーイのようだろう、イーのようだろう。」

「うん、実にいいね。僕たちもほしいよ。けれど仕方しかたないなあ。」

「仕方しかたないよ。」

雪の峯は銀色ぎんいろで、今が一番いちばん高だかい所です。けれどもベン蛙とブン蛙とは、雲なんかは見ないでゴム靴ばかり見ているのでした。

そのとき向むかうの方から、一疋の美うつくしいかえるの娘むすめがはねて来てつゆくさの向むかうからはずかしそうに顔を出しました。

「ルラさん、今晩は。何どのご用ですか。」

「お父さんが、おむこさんを探して来いって。」娘の蛙は顔を少すこし平ったくしました。

「僕なんかはどうかなあ。」ベン蛙が云いました。

「あるいは僕なんかもいいかもしれないな。」ブン蛙が云いました。

ところがカン蛙は一言いちごんも物を云わずに、すっすっとそこらを歩いていたばかりです。

「あら、あたしもうきめたわ。」

「誰たれにさ?」二疋は眼をぱちぱちさせました。

カン蛙はまだすっすっと歩いています。

「あの方だわ。」娘の蛙は左手ひだりてで顔をかくして右手みぎての指をひろげてカン蛙を指しました。

「おいカン君、お嬢じょうさんがきみにきめたとさ。」

「何をさ?」

カン蛙はけろんとした顔かおつきをしてこっちを向むきました。

「お嬢さんがおまえさんを連ずれて行ゆくとさ。」

カン蛙は急いでこっちへ来ました。

「お嬢さん今晩は、僕に何か用があるんですか。なるほど、そうですか。よろしい。承知しょうちしました。それで日はいつにしましょう。式の日は。」

「八月二日がいいわ。」

「それがいいです。」カン蛙はすまして空を向むきました。

そこでは雲の峯がいままたペネタ形になって流ながれています。

「そんならあたしうちへ帰ってみんなにそう云いうわ。」

「ええ、」

「さよなら」

「さよならね。」

ベン蛙とブン蛙はぶりぶり怒って、いきなりくるりとうしろを向むかいて帰ってしまいました。しゃくにさわったまぎれに、あの林の下の堰せきを、ただ二足にちぇっちぇっと泳いだのでした。そのあとでカン蛙のよろこびようと云ったらもうとてもありません。あちこちあるいてあるいて、東から二十にじゅう日の月が登のぼるころやっとうちに帰って寝ました。

*

さてルラ蛙の方でも、いろいろ仕度したくをしたりカン蛙と談判だんぱんをしたり、だんだん事がまとまりました。いよいよあさってが結婚式こんしきという日の明方あけがた、カン蛙は夢ゆめの中で、

「今日は僕はどうしてもみんなの所を歩いて明後日あさっての式に招待しょうたいして来ないといけないな。」と云いました。ところがその夜明よあけ方から朝にかけて、いよいよ雨が降りはじめました。林はガアガアと鳴なり、カン蛙のうちの前のつめくさは、うす濁にごった水をかぶってぼんやりとかすんで見えました。それでもカン蛙は勇んで家を出ました。せきの水は濁って大たいへんに増まし、幾本いくほんもの蓼たでやつゆくさは、すっかり水の中になりました。飛び込こむのは一寸ちょっとこわいくらいです。カン蛙は、けれども一本いっぽんのたでから、ピチャンと水に飛び込んで、ツイツイツイツイ泳およぎました。泳およぎながらどんどん流されました。それでもとにかく向むかうの岸にのぼりました。

それから苔こけの上をずんずん通とおり、幾本ほんもの虫のあるく道を横切って、大粒おおつぶの雨にうたれゴム靴をピチャピチャ云わせながら、楢の木この下したのブン蛙のおうちに来て高く叫さけびました。

「今日は、今日は。」

「どなたですか。ああ君か。はいり給たまえ。」

「うん、どうもひどい雨だね。パッセン大街道だいかいどうも今日はいきものの影かげさえないぞ。」

「そうか。ずいぶんひどい雨だ。」

「ところで君も知ってる通とおり、明後日あさっては僕の結婚式こんしきなんだ。どうか来て呉れ給え。」

「うん。そうそう。そう云えばあの時あのちっぽけな赤あかい虫が何かそんなこと云ってたようだったね。行こう。」

「ありがとう。どうか頼たのむよ。それではさよならね。」

「さよならね。」

カン蛙は又ピチャピチャ林の中を通ってすすきの中のベン蛙のうちにやって参まいりました。

「今日は、今日は。」

「どなたですか。ああ君か。はいれ。」

「ありがとう。どうもひどい雨だ。パッセン大街道かいどうも今日きょうはしんとしてるよ。」

「そうか。ずいぶんひどいね。」

「ところで君も知ってるだろうが明後日あさって僕の結婚式こんしきなんだ。どうか来て呉れ給え。」

「ああ、そんなことどこかで聞いたっけねい。行こう。」

「どうか。ではさよならね。」

「さよならね。」そしてカン蛙は又ピチャピチャ林の中を歩き、プイプイ堰を泳いで、おうちに帰ってやっと安心あんしんしました。

*

丁度ちょうどそのころブン蛙はベン蛙のところへやって来たのでした。

「今日は、今日は。」

「はい。やあ、君か。はいれ。」

「カンが来たろう。」

「うん。いまいましいね。」

「全くだ。畜生ちくしょう。何とかひどい目にあわしてやりたいね。」

「僕がうまいこと考かんがえたよ。明日あすの朝ね、雨がはれたら結婚式こんしきの前に一寸ちょっと散歩さんぽしようと云ってあいつを引っぱり出だして、あそこの萱かやの刈跡かりあとをあるくんだよ。僕らも少すこしは痛いたいだろうがまあ我慢がまんしてさ。するとあいつのゴム靴がめちゃめちゃになるだろう。」

「うん。それはいいね。しかし僕はまだそれ位じゃ腹が癒いえないよ。結婚式こんしきがすんだらあいつらを引っぱり出だして、あの畑の麦をほした杭くいの穴に落おとしてやりたいね。上に何か木この葉はでもかぶせて置こう。それは僕がやって置おくよ。面白おもしろいよ。」

「それもいいね。じゃ、雨がはれたらね。」

「うん。」

「ではさよならね。」

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Source edition (底本)
底本:「新編風の又三郎」新潮文庫、新潮社


   1989(平成元)年2月25日発行

   1989(平成元)年6月10日2刷

入力:蒋龍

校正:noriko saito

2008年11月30日作成

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
蒋龍
Proofread by (校正)
noriko saito

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